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2012/05/05

エライ人にはわからんらしい

  佐賀県武雄市の図書館が、指定管理者をTSUTAYAが運営する「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」にして、市民の希望に応えて365日9時 から21時まで開館し、蔵書を20万冊増やし本を手にとって見てもらえるようにするとのこと。お店と図書館の複合施設という感じだろうか。

武雄市立図書館、ツタヤに運営委託計画 21時まで開館(佐賀新聞 2012/5/4)

武雄新図書館構想発表記者会見 (Ustream 録画日時 : 2012/05/04 11:02 JST ) 

 TSUTAYA、公立図書館運営へ 佐賀・武雄市が委託 (西日本新聞  2012/5/5 00:12)

図書館をTSUTAYAのように…と市長が構想(読売新聞 2012/5/5  )

市図書館、ツタヤが運営…年中無休でカフェも(読売新聞 2012/5/5/09:18)

 

  でもなんか、どう見ても公務員のエライ人の考えることだなあ、と思えてならない。企画と施設のことについての説明が多い。図書の貸出件数で図書館 の良し悪しを決める人だ。蔦屋代官山店みたいな図書館にしたいらしいが、街の公共図書館と都会の書店とレンタルショップがひとくくりにできるわけがない。 代官山と武雄市では客層がかなり違うはず。同じような品揃えと売り方ではうまくいくわけがない。

  それに、市民の貸出希望が多かった雑誌は貸し出すんじゃなくて、同じ施設内で売る。近頃、雑誌が借りられる図書館も多いのにこれは不評だろう。図書館に来るお客は基本的に借りられるものは買わない。 

  カフェスペースをもうけて、のんびりと読書を楽しんでもらえる空間にするらしい。これだけはいいと思う。

武雄市長、会見で怒り露に「なんでこれが個人情報なんだ!」と吐き捨て (高木浩光@自宅の日記  2012/5/4)

「図書館で本を借りたらTポイント」TSUTAYAが公立図書館運営へ Facebok市長「本の貸出履歴は個人情報ではない」(マイナビニュース 2012/05/05) 

 

   本の貸出履歴は個人のプライバシーで、警察にもいうべきかどうか問題になっていることも知らなかったらしい。

  なにより! 図書館は入れ物と蔵書だけじゃない。「人は城、人は石垣、人は堀」。人こそだいじ。専門書の相談にのったり子どもの相手をしたりお年寄りといっしょに本を探したりクレーマーに怒鳴られたりと、どんな場合でも柔軟に対応しなければならない。図書館にはカルチュア・コンビニエンス・クラブのスタッフが配属されるとのこと。優秀な店員が集められるんだろうか。365日9時から21時まで開館するのに、設備にお金を使ったかわり人件費は安くあげようなどとならないでほしい。

2012/04/29

『越境する書物 変容する読書環境のなかで』 和田 敦彦 著

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越境する書物 変容する読書環境のなかで
和田 敦彦 著
新曜社 4,515円

  そこに本がある、というのはどういうことだろうか。その本はいつ、誰によって、どうやってもたらされたのか。本がある、ということは、購入する理由があり、資金の流れがあり、書物を運ぶルートがあり、手に入れた書物を整理し、使うノウハウがある、ということなのだ。

  この読書の環境を探るのがこの本の著者、和田敦彦氏がとりくんでいる研究、リテラシー史だ。和田氏はこの本の前書『書物の日米関係』で、太平洋戦争の前から後にかけてアメリカでは政府が情報戦略のための日本研究を主導し、たくさんの大学や研究機関で日本語図書を購入して研究者を育て、加えて日本語資料を整理する専門の司書を育て、のちの日本語図書文庫の充実と日本研究資料のデータベースの基礎を作ったことを書いた。今回の『越境する書物』では、同じく戦前から戦後の日米の図書の移動や輸出入も扱うが、よりリテラシー史につっこんで図書収集に携わった人々を取りあげる。

  戦前、ニューヨークに日本文化研究の拠点を作ろうと図書の収集に奔走した角田柳作。コロンビア大学に日本文化研究所を設立した。教え子にドナルド・キーンがいる。また戦後、日本に進出して和書の輸出、洋書の輸出入を手がけた書籍商、チャールズ・E・タトル。アメリカの大学の大規模な日本語図書収集を支えた。翻訳権販売も扱い、日本語書籍の英訳と海外書籍の日本語訳も手がけた。

  ほか、さまざまな図書の媒介者たちが人と書物のネットワークを作り日本語図書の読者と日本研究を育てた。

  近代の読書には読者の形成、図書の獲得、図書データの管理、図書の作成が必要で、その輪のなかで見えない媒介者たちが働いている。これを探求するリテラシー史では、さらに図書のデジタル化とデジタルネットワークにも目を向ける。図書とは流動する媒体なのだ。

(掲載:『望星』2012年3月号、東海教育研究所を訂正)

2012/01/22

『北の島 グリーンランド / 南の島 カピンガマランギ』長倉 洋海 著

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北の島 グリーンランド/ 南の島 カピンガマランギ
長倉 洋海 著
偕成社
各1,890円

 フォトジャーナリスト長倉洋海氏の最新刊。戦場に生きる人々の生活を撮ることが多かったト長倉氏が、今度は氷の島グリーンランドと常夏の島カピンガマランギで、古くからの生活を守り続ける人々を撮った。このふたつの島の共通するのは、地球温暖化の波にさらされているということだ。

 ほとんどが北極圏に入り、氷河に覆われたグリーンランド。住民の8割以上がイヌイットだが、現在はデンマークの自治領となっている。長倉氏はグリーンランド極北部の町カーナークから、さらに北極海の島ケケルタートへ、たくましい犬たちが曳く犬ぞりで向かう。そこで出会ったのは狩人とその家族。長倉氏はアザラシ猟を写真に撮る。獲物を狙う狩人の銃。アザラシから流れでる血で海と雪が赤く染まる。アザラシ肉の分け前をせがむそり犬たちも血に染まっている。20年以上前は家族で狩りをしたそうだ。だが今、子どもたちはテレビゲーム三昧。昔のほうがよかった、と狩人は言う。

 1950年代、カーナークの住民112家族はアメリカ軍のチューレ空軍基地建設のため、退去させられた。1968年、基地付近の北極海にB52爆撃機が墜落した。核爆弾1発は未だ回収できず、海は放射能汚染が疑われている。

 かつてホッキョクグマやアザラシの毛皮、イッカクの角は最大の輸出品だった。今は動物保護のため捕獲頭数が制限されて、狩りでは一家が食べていかれない。さらに温暖化で氷が溶け、狩りにも影響している。寒くて農業ができない土地で狩りをして暮らしてきた私たちはどう生きればいいんだ、という嘆きの声。それでも狩人は言う。「いつも命がけで、今日を生きることだけを考えて生活してきた。10年後、100年後のことよりも、今日を生きぬくことが第一だった。それが狩人だ。子どもたちは自分で、きっといい生き方を見つけていくだろう」。

 一方、太平洋のミクロネシア連邦、赤道近くのカピンガマランギ環礁のなかのウェルア島。青く透きとおった海と緑鮮やかな島。大学時代以来ひさしぶりに訪れた長倉氏を、島の人々は覚えていた。

 住民はポリネシア人。女性はタロイモ畑の世話、男性は漁とヤシの実とり。おとなも子どもも笑顔。ゆったりとした時が流れているようだ。だが楽園ではない。3カ月ぶりの雨を受けとめる子ども。島は波に浸食され小さくなっていく。島の海抜は平均1メートルしかない。「将来、島が沈んでしまうのではないかという不安はあるけれど、神さまがなんとかしてくれると信じている。この島が好きだから」。住民の祈りのような言葉。

 温暖化で失われてしまうかもしれない北の島と南の島の生活。生活という戦いを生きる人々。長倉氏はふたつの島の行く末を見守っている。

(掲載:『望星』2011年11月号、東海教育研究所に加筆掲載)
 

2011/12/31

『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』ダグラス・アダムス / マーク・カーワディン 著、安原 和見 訳

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これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景
ダグラス・アダムス / マーク・カーワディン 著
安原 和見 訳
みすず書房
3,150円

 

 「絶滅危惧種をとりまく状況は最初から、身もふたもなく絶望的」。

 銀河をヒッチハイクしてまわる異星人と最後の地球人の、壮大で情けなく皮肉たっぷりのSFコメディ『銀河ヒッチハイク・ガイド』。その作者ダグラス・アダムスが動物学者マーク・カーワディンと世界の絶滅危惧種を見てまわった道中記がこの本だ。1990年に書かれたため今と違うこともあるが、彼のユーモアに秘めた鋭い視点は海外で評価が高い。

 大陸から孤絶した島マダガスカルに住むアイアイはサルの子孫である人類の遠い親戚。かつてサルに大陸を追われた。旧ザイールで出会った畏るべき生きものゴリラは人類のごく近い親戚だ。だがともに人類によって絶滅にひんしている。ニュージーランドのぶきっちょな鳥カカポ(フクロウオウム)。敵のいない楽園で何万年も暮らすうち飛ぶことも攻撃されたら逃げることも忘れてしまった。たまに思いだしたように木から飛びおりてみると、3kgを超えるほどのふとっちょが宙を飛ぶ姿はレンガのようで、ぐしゃっと着地するさまには優雅さのかけらもない。人類が外からつれてきたネコなどに殺されて激減。カカポ捜索人とカカポ捜索犬が探しては安全な場所へ保護している。だが、溺れ死んだ姫君の生まれ変わりという伝説のある中国は揚子江のヨウスコウカワイルカは今はもういないようだ。河を行き交う船のエンジン音のうるささに聴覚ででまわりを測ることができなくなり、しょっちゅう船にぶつかってしまうのだ。

 動物たちに会うたびにアダムスは自分がサルの子孫にすぎない人類なことに気づく。インドネシアのコモド島では、コモドオオトカゲが観光客への見せ物としてヤギを貪り食うさまを披露するはめになっているのを見たアダムスは、人類が生物を絶滅から救うためにホラーショーを演じさせる連中であることと、それを黙って見ていた臆病な自分に恥じいる。そして海岸で木に飛びつこうとはねているトビハゼを見ながら、人類は3億5000万年ほど前に陸に上がった魚の子孫だったことを思い、もしや3億5000万年後にこの魚の子孫が今の自分のようにカメラを首からさげて海辺に座っているのだろうか、そうなら人類のようにはならないで欲しい、と願う。 

 生きものを絶滅させないために大勢の研究者やスタッフが働いている。生きものの絶滅は生態系を破壊するだけでなく、世界をそのぶんだけ貧しく暗く寂しい場所にしてしまう。それで人類はだいじょうぶだろうか。

(掲載:『望星』2011年12月号に加筆、修正)

2011/10/16

『乾燥標本収蔵1号室 大英自然史博物館 迷宮への招待』リチャード・フォーティ 著、渡辺 政隆/野中 香方子 訳

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乾燥標本収蔵1号室 大英自然史博物館 迷宮への招待
リチャード・フォーティ 著
渡辺 政隆 / 野中 香方子 訳
NHK出版
2,625円

    自然史博物館に行ったことがある人は多くても、その裏側へ入った人は少ないだろう。そこは迷宮で、たくさんの謎の物体と、それを自然界に秩序をもたらすべく分類する迷宮の住人たちがいる。

 大英自然史博物館またはロンドン自然史博物館は、大英博物館の自然史部門が1881年に独立したもの。世界最大規模の自然史博物館で世界最高級の自然史研究機関だ。また誰にも開かれた博物館で開館当時から入館無料を貫いている。

 著者リチャード・フォーティは古生物学者。大英自然史博物館に主席研究員として長年勤めていた。この本で博物館の裏のめくるめく迷宮とそこに住まう個性豊かなナチュラリストたちを紹介する。

 大英帝国が栄華を極めた時代、未知の土地の宝物、動植物、化石、鉱物などを趣味人が収集した。そのなかで自然界に存在するものの種類や性質などの情報を収集、記録、整理、分類する学問、博物学が生まれ、大英博物館が誕生した。博物学は今では自然史と呼ばれている。

 大英自然史博物館は現在、古生物、動物、植物、昆虫、鉱物の部門に分かれている。「バットマン」はコウモリの専門家。「ビートルマン」は甲虫の専門家。著者は「三葉虫マン」。研究対象に似てくる。彼らは日夜、資料を収集し過去の研究の集積と照らし合わせて分類している。自然界に存在するものを系統だてて分類するのは生物の多様性を知り生態系を保護し、人々に「人間は自然に何をしてきたか」ということを示すための必要な仕事なのだ。資料は捨ててはいけない。どんなものも記録して保存するのが博物館の役目だ。そのために、秩序だてて分類され記録されるの待っているものであふれた迷宮となった。

 著者は近ごろ博物館が予算を削減されて職員が減り、娯楽施設のようにされていくのを嘆く。この本には、博物館の裏側で人知れず働き続ける人々への敬愛がこもっている。

(掲載:『望星』2011年9月号、東海教育研究所)

2011/09/20

『銀河ヒッチハイク・ガイド』ダグラス・アダムス 著、安原 和見 訳

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銀河ヒッチハイク・ガイド
ダグラス・アダムス 著、安原 和見 訳
河出書房新社 683円

 「星図にも載っていない辺鄙な宙域のはるか奥地、銀河の西の渦状腕の地味な端っこに、なんのへんてつもない小さな黄色い太陽がある。この太陽のまわりを、 だいたい1億5千キロメートルの距離をおいて、まったくぱっとしない小さい青緑色の惑星がまわっている。この惑星に住むサルの子孫はあきれるほど遅れてい て、いまだにデジタル時計をいかした発明だと思っているほどだ。」

 伝説のSF怪作。イギリスBBCテレビのSFコメディ『宇宙船レッド・ドワーフ号』にも似たノリの壮大なハチャメチャ話。著者は『モンティ・パ イソン』にもたずさわった脚本家ダグラス・アダムス 。『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、もとはBBCのラジオドラマとして始まった。

 アーサー・デントは、とくに取り柄も特徴もないイギリス人。ある日、友人フォード・プリーフェクトにつれられてパブでビールを飲んでいるあいだ に、銀河ハイウェイ建設のため、地球は取り壊されてしまう。宇宙の建築業者によると、通達は50年も前からアルファ・ケンタウリの出張所に貼りでていたと いう。地球で2番目に賢い生命体のイルカはとっくにそれに気づいていた。3番目の生命体である人間に警告しようとしたものの理解してもらえず、「さような ら、いままで魚をありがとう」と去っていってしまった。ただひとりの地球生命体になったアーサー・デントはフォード・プリーフェクトといっしょに銀河を ヒッチハイクしてまわる。フォード・プリーフェクトは、実はガイドブック『銀河ヒッチハイク・ガイド』の改訂版をつくるため取材中の宇宙人で、「フォー ド・プリーフェクト」という名前はフォード社の自動車の名前からとった偽名。自動車が地球の支配的種族だと思って平凡な名前にしたつもりだった。いきあたりばったりのヒッチハイクでカギを握るのは、地球で1番賢い生命体…。

 文章に笑えないギャグや皮肉がちりばめられている。寒いお笑いにいちいち腰を折られ、突っ転びそうになりながら読み通した。ちょっとつらかった。おもしろいけど寒い、寒いけどおもしろい。

 続編は
『宇宙の果てのレストラン』
『宇宙クリケット大戦争』
『さようなら、いままで魚をありがとう』
『ほとんど無害』
となっていて、さらに作者ダグラス・アダムスの死後、ほかの作者が続編を書いている。

 私はこれを読みつづけるべきか?
 読めるんだろうか???

2011/09/19

『王のパティシエ ストレールが語るお菓子の歴史』ピエール・リエナール/フランソワ・デュトワ/クレール・オーゲル 著、大森由紀子 監修、塩谷祐人 訳

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王のパティシエ ストレールが語るお菓子の歴史
ピエール・リエナール/フランソワ・デュトワ/クレール・オーゲル 著
大森由紀子 監修、塩谷祐人 訳

白水社 2,310円

 美食家というのは、おいしいものを食べて育った人が多いような気がする。この本の語り手でフランスのパティシエ、ニコラ・ストレールもそのひとりだ。彼は18世紀に始まるパリの老舗菓子店ストレールの創業者。この本は、現在のストレールのスタッフがニコラを語り手に西洋菓子の歴史とレシピを当時のフランス革命前夜の世相を背景に描いたもの。

 ニコラのパティシエとしてのキャリアは、フランスのアルザス地方の城に住んでいた元ポーランド王スタニスラス・レシチニスキに仕えたことから始まった。レシチニスキはたいそうな美食家で、彼にかわいがられてニコラは料理の舌と腕を成長させた。後にレシチニスキの娘マリーがフランス王ルイ十五世の王妃になると、ニコラは王妃に引き抜かれてヴェルサイユ宮殿のパティシエとなった。そののち、独立してパリに菓子店ストレールを開いた。王のパティシエだったニコラの店には客が押し寄せた。

 時がたち、ニコラは82歳。彼は幼い曾孫のために菓子の歴史とレシピを日記の形でつづることにした。日記は1788年に始まる。フランス革命の直前。経済破綻が国を揺るがし、気候不順で穀物は不作。国民の間に王家と国政への不満が広がっていた。小麦不足はニコラの店にもひびいた。レシピのなかに本来なら小麦粉を使うものをジャガイモで代用しているものがある。それでもニコラは王ルイ十六世と王妃マリー・アントワネットを敬愛していた。王妃の誕生日のレシピは「王妃のビスキュイ」だ。日記は1789年5月5日、三部会の開会の日で終わる。その約2カ月後にバスティーユ襲撃が起こりフランス革命が始まった。

 店の創業者についてスタッフが書いたにしてはただの創業者伝とは段違いにセンスがいい。歴史の本としても菓子の本としてもおもしろい。
(掲載:『望星』2011年6月号、東海教育研究所)

2011/08/22

『電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命』津野 海太郎 著

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電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
津野 海太郎 著
国書刊行会
1,890円

 今の子どもや若者は本を読まなくなった、という。たいがいの町には書店も図書館もある。インターネットで注文することもできる。だが出版社や書店の売り上げは下がり続けている。この本の著者、編集者にして本とコンピュータの関わりの未来を長年模索してきた津野海太郎によると「今の若い者は本を読まなくなった」という文句は、かなり昔から言われ続けてきたらしい。

 20世紀は紙の本の黄金時代だった。現在、書物史の第3の革命が起こっているという。第1の革命は口承を文字に書き残すようになったこと。第2の革命は印刷により本を大量生産するようになったこと。今や本は消費物となった。日本の出版市場は大量に出版し大量に売り上げなければ利益が上がらない自転車操業を繰り返している。このどんづまり状態を第3の革命、電子本が変える「かも」しれない。

 第3の革命の第1段階は本の電子化。1971年、著作権の切れた本を電子化して公開する電子公共図書館計画「プロジェクト・グーテンベルグ」が始まった。第2段階、印刷本の技術が電子本に取り入れられて印刷本の限界を越えた新しい本が出現し本が関わるすべての世界で変革がおきる。第3段階、電子本ができないことが明らかになる。例えば一冊一冊の姿がそれぞれ個性をもつこと。結果、紙の本の良さが再発見される。第4段階、紙の本と電子本の共存。まあ、著者の予言ではなく予感。

 紙媒体は情報を書きとどめる。電子媒体は情報を更新していく。紙媒体に最新ニュースから古典哲学まであらゆる情報を運ばせていたのは重荷すぎた。単なる情報の伝達なら電子媒体の方がはるかに速い。紙の本をそういう役割から解放して、本来の姿、人間に静かに語りかけるモノに戻してほしい。
(掲載:『望星』2011年4月号、東海教育研究所)

2011/07/26

『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』サーシャ・スタニシチ 著、浅井 晶子 訳

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兵士はどうやってグラモフォンを修理するか
サーシャ・スタニシチ 著
浅井 晶子 訳
白水社
2,835円

 1991年から2000年まで続いたのユーゴスラヴィア紛争。そのなかのボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争。著者、サーシャ・スタニシチは当時ボスニア・ヘルツェゴヴィナの町ヴィシェグラードに住んでいた。1992年「ヴィシェグラードの虐殺」と呼ばれる民族浄化がおきた年に、家族とともにドイツへ避難した。14歳のときだった。この本は著者の母語ではないドイツ語で書かれた。著者自身の体験のような物語が夢を語っているような言葉で綴られている。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの町ヴィシェグラードで育った少年アレクサンダル。大家族に囲まれ幸せだった。物語ることを教えてくれた祖父の思い出はアレクサンダルの人生に強く刻まれた。夢見るアレクサンダルにはメリー・ポピンズもジョン・ウェインも「同志」だ。ヴィシェグラードではセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒が近所づきあいをしていた。アレクサンダルも多民族の血が混ざってた。

 だがユーゴスラヴィア連邦が崩壊を始め、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言すると、ヴィシェグラードにはセルビア人勢力が侵攻してきた。戦場となった町。近所のイスラム教徒のおじさんおばさんや仲良しの少女アシーヤにも命の危機が迫った。アレクサンダルの一家はドイツに脱出した。

 ドイツに逃れてからアレクサンダルはアシーヤを探し続けていた。大人になった彼はヴィシェグラードを訪ねた。そこで再会したのは、虐殺の地獄を見た少年時代の親友、セルビア側の兵士となった叔父、変わってしまった故郷の人々と町。

 幸せな記憶もつらい記憶も少年時代の夢のように語られている。だがアレクサンダルや著者スタニシチにとって逃げ出した故郷の思い出は一生ついてまわる。大人の戦争は子どもに重い十字架を背負わせた。

(掲載:『望星』2011年7月号、東海教育研究所) 

2011/06/15

『エル・ネグロと僕 剥製にされたある男の物語』フランク・ヴェスターマン 著、下村 由一 訳

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エル・ネグロと僕 剥製にされたある男の物語
フランク・ヴェスターマン 著
下村 由一 訳
大月書店
2,520円

 オランダのフリージャーナリスト、フランク・ヴェスターマンは1983年当時大学生。スペインを旅行していた。が、カタロニア地方の博物館であるものを見て背筋が凍りついた。小さな黒人の剥製。エル・ネグロ、この黒人とよばれていた。エル・ネグロはなぜヨーロッパでただの黒人として展示されることになったのか。彼はエル・ネグロの数奇な道を探るうちに、ヨーロッパとアフリカ、白人と黒人の今も続くゆがんだ関係に気づく。

 大学で熱帯農業を専攻したフランクはジャマイカとペルーで開発援助に携わった。そこで、ヨーロッパ式の農業技術は現地の人々のつながりと暮らしに根ざした農業には何の役にも立たないと知った。彼は開発援助の仕事を辞め、新聞社に勤めた。調べたところエル・ネグロは一九世紀にフランスの剥製業者がアフリカ南部から持ち帰ったブッシュマンの死体らしかった。その剥製をスペインの獣医が町の博物館に収めた。エル・ネグロは白人の町のマスコットになった。 

 フランクは紛争中のアフリカ西部の国シエラレオネを訪ねる。シエラレオネは18世紀後半、ヨーロッパでの奴隷解放で父祖のアフリカに渡った黒人が建設した。だが19世紀、ヨーロッパ各国はアフリカ大陸をケーキのように切り分け植民地にした。黒人は白人より劣った種とされた。独立後もシエラレオネやアフリカの国々では民主主義は実を結ばず、内戦が絶えない。

 エル・ネグロの故郷らしき南アフリカ。アパルトヘイトを廃止したその国で、フランクは昔、自分の国オランダから入植した人々の末裔であるジャーナリスト、アンキー・クロッホに出会う。彼女は黒人と白人の違いを乗り越えるため黒人の考え方を身につけようとしていた。クロッホは言う。大半のヨーロッパ人のように未来志向で物事を考えるか、それとも大半のアフリカ人のように記憶を中心に人生を組み立てるか、と。つまりアフリカでは祖先の記憶が根本で死者は生命の一部なのだ。

 フランクはエル・ネグロの旅の終わりまで見届ける。そして自分たちヨーロッパ人は自分たちの文化が優れているという人種主義から、世界の他の人々に我々のようになれと押しつけているのではないか、と自らに問う。エル・ネグロとフランクの旅路から見える問題は山ほどある。

(掲載:『望星』2011年5月号、東海教育研究所に加筆訂正)

2011/05/01

『バウドリーノ』上・下、ウンベルト・エーコ 著、堤 康徳 訳

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バウドリーノ』上
ウンベルト・エーコ 著
堤 康徳 訳
岩波書店
各巻1,995円

小説『薔薇の名前』で世に名を知らしめた記号学者、小説家ウンベルト・エーコの邦訳最新小説。中世ヨーロッパを舞台に史実と幻想が踊る冒険物語。かんたんに言ってしまえばホラ話。
 時は1204年、ヴェネツィアに支援された西欧諸国からなる第4回十字軍が東欧ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させた。ビザン ツ帝国の書記官長で歴史家のニケタス・コニアテスは西欧人に蹂躙されていく都を逃げ惑うなか、バウドリーノと名乗る不思議な男に助けられる。逃避行のあい だ、ニケタスはバウドリーノの嘘とも真ともつかない遍歴の話を聞くことになる。
 バウドリーノは語る。自分はイタリア北西部の農民の子だった。14歳のとき、軍を率いてドイツから来た神聖ローマ皇帝フリードリヒ赤髭王(バル バロッサ)に語学と嘘つきの才を見いだされ、皇帝の養子として学問への道を開かれた。そして師、司教フライジングのオットーが語った話が彼の一生を決め た。エルサレムよりはるか東に司祭ヨハネが治めるキリスト教の国がある、と。
 バウドリーノは考えた。皇帝フリードリヒが司祭ヨハネと同盟を結べば皇帝の地位は西欧でゆるぎないものとなる。かくて彼は、司祭ヨハネから皇帝に宛てた親書を、歴史書と聖書を元にきらびやかな嘘で飾って捏造した。これが「司祭ヨハネの手紙」として歴史を変える…。
 この物語は史実に基づいている。ニケタスや皇帝フリードリヒなど多くは史実の人物だ。「司祭ヨハネの手紙」も残っており、西欧の「プレスター・ジョン伝説」のもととなった。
 やがてバウドリーノとゴロツキ仲間たちは司祭ヨハネに出会うべく、はるか東方に旅立つ。描かれている東の地は、中世ヨーロッパ人の信じていた世界観による荒唐無稽な異世界。石が流れる河。一本足でぴょんぴょん走る生き物。ピグミー。ユニコーンをつれた美女。
 嘘によってつくられる歴史。歴史のためにつくられる嘘。
 エーコは、歴史と想像のなかを嘘の名人バウドリーノを泳がせ、幻想の歴史の世界を創りあげた。歴史を知らなくても充分楽しめる物語だ。
(『望星』2011年2月号、東海教育研究所より加筆)

2011/03/19

アーシュラ・K・ル=グィンさんからのメッセージ

 アメリカの作家、偉大なる「西の善き魔女」アーシュラ・K・ル=グィンさんが、『なつかしく謎めいて』、『ギフト』『ヴォイス』『パワー』(『西のはての年代記3部作』)、『ラウィーニア』の日本語訳者、谷垣暁美さんのお願いに応えて、「日本の読者へのメッセージ」を公式サイトに掲載しました。

To my Readers in Japan

I wrote my translator-friend Akemi Tanagaki in Tokyo a brief email note. She answered,

    “Thank you for your concern.
   I’m all right and my family is all right.
  Only we feel so sad, helpless and worried.”

And she asked if I would put a brief and simple message on my site for my readers in Japan — “but I know that it is very difficult to find words with which to talk to those suffering very much.”

Yes, dear Akemi, it is difficult, it is impossible. But I am honored by your asking me to try.

To My Japanese Readers:

There is an ocean between us, yet that ocean joins us.

The great tsunami that struck Japan travelled on, growing weaker, until it came to the west coast of America. Here it did little harm. But with that wave came to us the great wave of your grief and suffering.

I hope you know that there are many, many people here who are thinking of you now, and crying for you, and praying that the worst will soon be past.

I admire, more than I can say, the quiet courage the ordinary people of Japan have shown amidst so much loss, suffering, and fear. Your strong and patient faces are beautiful to see. I look at them and cry. I wish you strength and the hope of better days.

With love,
Ursula
14 March 2011

http://www.ursulakleguin.com/Blog2011.html#ReadersInJapan

The official web site of author Ursula K. Le Guin.  http://www.ursulakleguin.com/


さかなさんのブログ"1day1book"に、谷垣暁美さんによる日本語訳が掲載されていますので引用させていただきました。


 わたしの翻訳者で友人のアケミ・タニガキ(東京在住)に短いメールを送った。返ってきたメールはこういう書き出しだった。

「心配してくださってありがとう。
わたしは大丈夫で、家族もみな、大丈夫です。
だけど、とても悲しくて、無力感と心配でいっぱいです」

 そして、そのメールには、日本のあなたの読者にあてた簡単で短いメッセージを公式サイトに載せてもらえないか、と書いてあった――「非常につらい目にあっている人たちにかける言葉を見つけるのが、とても難しいのは、よくわかっていますけれども」
 そのとおりです、アケミさん。それは難しい。不可能だと言っていいぐらい。でも、せっかく頼んでくれたのだから、がんばってやってみます。

 日本の読者の皆さんへ

 わたしたちとあなたがたの間には海があります。でも、その海で、わたしたちとあなたがたはつながっています。

 日本を襲った大津波は海を旅しながら、だんだん弱くなり、アメリカの西海岸に達しました。それはここではほとんど害をなしませんでした。けれども、あなたがたの悲しみと苦しみが大きな波となって、その小さな波とともに、わたしたちに届きました。

 こちらではたくさんの、とてもたくさんの人が今、あなたがたのことを考え、あなたがたのために泣き、最悪の時が早く過ぎ去るように祈っています。そのことをどうか知っていてください。

 このように大きな喪失の悲しみ、苦しみ、不安のさなかで、日本のごくふつうの人々が示す静かな勇気に、わたしは言葉にできないほどの賞讃をおぼえます。あなたがたのしっかりとした、忍耐強い顔を見ると、その美しさに打たれます。ひとりひとりの顔に目を向けると泣けてきます。あなたがたに力がみなぎり、よりよい明日への希望を胸に抱けるよう願っています。

愛をこめて
アーシュラ
2011年3月14日
(翻訳:谷垣暁美)

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さかなさんのブログ"1day1book" http://r2fish.cocolog-nifty.com/1day1book/

2011/02/14

『私のフォト・ジャーナリズム 戦争から人間へ』長倉洋海 著

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私のフォト・ジャーナリズム 戦争から人間へ
長倉洋海 著
平凡社 945円

 フォト・ジャーナリスト長倉洋海氏の写真は人々の笑顔であふれている。世界各国の戦火や貧困に苦しむ人々も笑顔なのだ。なぜ長倉氏は苦しんでいる人の笑顔を撮ることができるのか。その笑顔は愛想笑いではなく、心からうれしい時の笑顔、心を許した相手に向ける笑顔だ。長倉氏はどんな人も心を許し笑顔にさせる不思議な人なのではないだろうか。
 長倉洋海氏は1952年生まれ。通信社勤務を経て、1980年にフリーランス写真家となる。戦場写真家を目指し世界の戦場の最前線を駆け回った。アフリカのローデシア(現ジンバブエ)、中東のレバノンそしてアフガニスタン。前線を奔走したものの、求める写真は撮れずマスコミにも評価されなかった。
 1982年、中米のエルサルバドルへ飛ぶ。戦場で死体を撮るうちに、そこで生活している人々の涙と喜びにふれ、自分に感動を与えるのは死体ではなく生きている人間そのものなのだ、と気づいた。
 1983年アフガニスタンで自分と同じ歳のゲリラのリーダーがソ連軍と戦っていると知り現地へ飛び、その人マスードに熱弁をふるい長期の同行取材を申し込んだ。マスードは快く受け入れ、以来、長倉氏とマスードは長い友情を育んだ。長倉氏の撮るマスードは知的で思慮深く穏やかだ。ほかのゲリラたちも若者らしい悲喜こもごもが写しだされている。2001年、マスード暗殺を知り、ゲリラたちと心から泣いた。
 また、エルサルバドル難民キャンプで会った少女ヘスースとの長い交流もあった。彼女が3歳の時から母親になるまで、父親のような気持ちで温かく見守った。
 苦境の人々と心をともにし、その生活を写真で世界に伝える。それが長倉洋海氏のフォト・ジャーナリズムだ。人に共感する心が、長倉氏の写真の源なのかもしれない。
(『望星』2011年2月号掲載、東海教育研究所)

2010/12/27

『隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民』上橋菜穂子 著

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隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)
上橋菜穂子 著
筑摩書房
735円
 
 オーストラリア先住民族、アボリジニ(英語で「原住民」という意味)と呼ばれる人々は、現在オーストラリア人口の2パーセントだけだ。かつて600以上の地域集団と200以上の言語があった。しかし18世紀からのイギリスの侵攻と植民地化で大勢が殺され、または疫病で死んだ。アボリジニと白人との混血児が増えると、政府は混血児を白人のように矯正するとして親から奪い政府の施設などに入れた。親から自分のルーツから離された人々を「盗まれた世代」という。
 今ではアボリジニの文化が色濃く残っているのは北部や内陸の砂漠のみ。白人の町に住み自分たちの言語も話せない人が多数だ。この本の著者、上橋菜穂子が出会ったのはそんな人々。上橋菜穂子は『精霊の守り人』『獣の奏者』などの本で有名な作家だが、アボリジニを研究する文化人類学者でもある。1990年から足かけ9年、西オーストラリアの小さな町のアボリジニたちとつきあい、大地とともに生きる自然人でない、現在のアボリジニの多数派の姿を見た。
 著者は2つの町でアボリジニの女性たちと知りあい、彼女らの親世代やその親戚たちの話を聞くことができた。町のアボリジニは白人のなかで働き白人のような生活をしているが、奥地に住む親族集団とのつながりは強く、親戚のしがらみに縛られ伝統の法や呪術師を恐れている。だが、ある年老いた母親は昔、子どもが政府に奪われるのを恐れて一族の言葉を教えなかったという。一方、白人社会になじまないアボリジニを疎ましく思う白人も多い。暴力沙汰やアルコール中毒、ドラッグ中毒などで警察に捕まるアボリジニもいる。貧しさから抜け出すことができないためなのか。多くのアボリジニは伝統の世界と白人の世界の間に落ちこんで身動きがとれないようだ。白人と同じに扱うことがアボリジニにとっては平等になることではないのだ、と著者は苦悩する。
 2008年、オーストラリア政府は盗まれた世代へ謝罪した。これが他の民族を良き隣人とすることへつながるか。
(『望星』2010年12月号、東海教育研究所より加筆)

2010/12/17

電子書籍は紙の本を駆逐するか

 「電子書籍元年」と言われたのは今年で3度目らしい。昔のワープロソフトには電子ブックリーダーがついていたのもあったし。
 
 すでに学術分野はオンラインジャーナルで英文論文を読むのが常識。いまさら電子書籍元年もない。だが一般書それも小説で電子書籍に本格的にとっかかり始めたのは今年からだ。紙の本でも売れる作品をわざわざ電子化して意味があるのか、と思う。でも作家さんに言わせると紙の本だと印税1割っていうのがかなり不満だったそうだ。だったら自分で電子化したら、あるいは別会社から電子書籍として売り出したら、もっと印税率が増えるのではないか、という考えらしい。確かに今の日本の出版界では著者は冷遇されている。
 
 売れない本、書店で手に入れにくい本こそ電子化すべきじゃないのか。今の出版流通は硬直化していて、書店で欲しい本が買えない。公共図書館にも置いていない本が多い。
 
 そもそもインターネットが開発されたのはアメリカ。PCのOSも主にアメリカ製。当然、英語に親和性が強い。オンラインジャーナルも英語中心。日本の大学図書館では論文を無料公開しているところもあるが、その論文はほとんど日本語。外国からアクセスできても論文が読めない。これでは日本の学術機関は外国の学術論文の消費者ではあるけれど、学術論文の発信者にはなれない。だから最近の研究者は論文を英語で書き発表する。ところが日本の一般読者に向けては日本語でないと読まれない。公立博物館のような、地元に情報を提供しないと存在価値がない、と言われる研究機関は苦しい。
 
 日本のオンラインジャーナルはPDFファイルが主体だ。紙の雑誌をスキャンしてPDFに落とす。これだと紙の本特有の段組みがそのままPCの画面に出るので、上から下にスクロールして読むPCでは読みにくい。XMLファイルでオンライン用に組み直すのが良いのだが、技術者が不足しているそうだ。日本語特有の組版の規則にしたがって組み直すのはむずかしいらしい。
 
 日本語を軽視するわけではない。日本人の外国語が上達しないのは、生活するうえで必要ないからだ。日本は自国語の本だけで出版業がなりたってしまうめずらしい国なのだ。外国の多くの国では自国語の本だけを発行してはいない(インドなど)。

 かつて世界には自国語のほかに学術公用語というのがあった。ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、中国語など。自国語と学術公用語の両立は可能なはずだ。
 
 だがいずれ電子化されるからといって、それ以外の資料を捨ててしまうのは愚行。オリジナルは保存すべきだ。
 
 紙の本から電子書籍へ移行するのではなく、メディアに新しいバリエーションが増えるだけ、と見る。いずれ学術誌、雑誌、新聞、ハウツー本はオンライン化されてしまうだろう。だが小説や思想、哲学書など思考の反芻が必要な本はそう簡単に電子化されないと思う。情報はオンライン化へ、物語は当分、紙媒体で発行されるだろう。ケータイ小説は携帯で読むことを前提に書かれたら、小説の中身まで限定されてしまった。
 
 電子書籍が一般に普及するのはまだだろう。ユーザーが育っていない。PCを使えない人、使える人でも画面で長文を読むのが苦手な人がまだたくさんいる。おりしもマルクス、エンゲルス、サルトル、ドフトエフスキーなどを若かりしころに読み、活字文化にどっぷり浸かった世代が定年退職し、読書の時間を持てるようになってきた。
 
 電子書籍元年うんぬんの話は、発信元がユーザーや市場を把握できていないような気がする。生まれた時にすでにPCと携帯があった世代が出版消費の中核を担うのはもう少し先だ。

2010/10/20

『寡黙なる巨人』多田富雄 著

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寡黙なる巨人 (集英社文庫)
多田富雄著
集英社
単行本 1,575円


 今年4月、免疫学の権威、多田富雄氏が前立腺がんで亡くなった。享年76歳。
 実は多田氏は前に1回「死んで」いる。2001年、脳梗塞で倒れたのだ。死の国を数日さまよったあげく、目を覚ました多田氏は自分の体から多くのものが失われているのに気づいた。右半身が全く動かない。声がでない。舌とのどの麻痺のため水すらも飲むことができない。
 多田氏は若いころから免疫学者として実績を順調に積み、1971年、「サプレッサーT細胞」を発見し賞賛と注目を浴び、世界の学会で活躍した。一方、免疫学を哲学の域まで広げた『免疫の意味論』ほか科学と人文学をつなげる多くの本を書いた。さらに能をたしなみ、アインシュタインを描いた新作能「一石仙人」を作った。
 なのに64歳、定年退職し、好きなことをやろう、と思っていたやさきに倒れ、動くことも食事もままならない体になった。挫折のない人生をおくってきた多田氏の絶望は深かった。何度も死を考えた。だが多田氏の多彩な頭脳は失われていなかった。リハビリを受け、介助があれば少し歩けるようになり不明瞭ながら言葉になる声をだせるようになった。多田氏は自分の中に失われた機能の代わりに新しい自分「鈍重な巨人」が目覚めつつあるのを感じた。ワープロの使い方を覚え、動く左手で著作を精力的に書いた。
 2006年、小泉政権下で厚生労働省は保険診療報酬改定を発表し、リハビリ診療について保険診療のできる期間を180日に制限した。これに多田氏は、リハビリ制限は弱者切り捨てだ、と怒り、反対意見を新聞に投稿した。賛同者は44万人にのぼり、反対署名を厚生労働省に提出した。この経緯は、多田氏の著書『わたしのリハビリ闘争』に詳しい。
 多田氏の中の「鈍重な巨人」は多田氏を変え、弱者へ共感を生んだ。挫折は再生の始まり。
(掲載:『望星』2010年11月号、東海教育研究所)

2010/09/19

『巡礼コメディ日記 僕のサンティアゴ巡礼の道』

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巡礼コメディ旅日記――僕のサンティアゴ巡礼の道
ハーペイ・カーケリング 著
猪俣和夫 訳
みすず書房
2,730円

 ハーペイ・カーケリングはドイツのコメディアン。40代も近づき、病気もするようになってきた。そのときふと思ったのは「神様っているのかな」「神様ってなんだろう」。まったく信心深くはなかった。が、一念発起して、有名なキリスト教の巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステラへ巡礼することにした。
 サンティアゴ・デ・コンポステラはスペイン北西部にある中世から続く伝統ある巡礼地。キリストの弟子ヤコブはローマで殉教し、その遺骸は海に流された。するとそれはスペインの彼の地で発見されたとのこと。そこには立派なサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂が建てられた。サンティアゴとは聖ヤコブという意味で、ヤコブは今でもスペインの守護聖人だ。
 巡礼者たちはホタテ貝のからを首に下げ、フランスからピレネー山脈を越えてスペインに入り800キロの道のりを行く。途中乗り物に乗ってもかまわないが、サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼証明書をもらえるのには、最終路を徒歩か馬で100キロ以上、自転車で200キロ以上行かなければならない。それでも巡礼路の始めから歩いて行くことを望む人は多い。巡礼を成し遂げればすべての罪が許される、との教えなのだ。巡礼路には街道ができ、要所要所に修道院や食堂が建ち並び巡礼者たちの寝泊まりや食事の便をはかっているが、それでもつらい道のりだ。命を落とした人も大勢いた。
 さて、ハーペイは巡礼の旅に出たものの、膝は痛い、荷物は重い、メシはまずい、と文句たらたら。旅人がこんなに軟弱な旅行記もめずらしい。地元の悪ガキどもの危険な遊びに巻き込まれ、ペルーの隠者につかまる。それでも途中で出会った旅の仲間とともにサンティアゴ・デ・コンポステラをめざす。
 これはハーペイが神を探す旅なだけではなく、自分探しの旅でもある。彼は自分も見つけることができるか。
 旅の終わりにハーペイは「何か」を見つけたことに気づく。
(掲載:『望星』2010年10月号、東海教育研究所)

2010/08/21

『カントリー・オブ・マイ・スカル 南アフリカ真実和解委員会〈虹の国〉の苦悩』アンキー・クロッホ著、山下渉登 訳、峯 陽一 解説

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カントリー・オブ・マイ・スカル―南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩
アンキー・クロッホ著
山下渉登 訳、峯 陽一 解説
現代企画室、2,940円

 2010年のサッカーワールドカップが南アフリカで開催されたなんて、20年ほど前だったら想像できなかっただろう。1991年、南アフリカのアパルトヘイト政策は廃止され、1994年、全人種が参加する初の選挙でネルソン・マンデラが大統領に選ばれた。南アフリカの人種の割合は黒人約8割、白人約1割、ほか混血、インド系など。マンデラは、南アフリカを「虹の国」たくさんの民族が協調する国、と呼んだ。そしてアパルトヘイト政策の暴虐をさらし国民の和解のために真実和解委員会の実行を指示した。
 南アフリカは、もともと多様な黒人部族が住んでいたところへ1652年、主にオランダの白人が入植した。彼らが後にアパルトヘイト体制の中心となるアフリカーナーだ。その後、イギリスとの戦争に負けて植民地とされた。1948年、政権を握ったアフリカーナーの国民党はアパルトヘイト体制をしいた。それは、人口の1割を占めるにすぎない白人が国土の9割を支配し、他人種の自由を制限する体制だった。
 国政を支配したアフリカーナーだが、その多くはプアホワイトで農民だ。この本の著者、アンキー・クロッホもアフリカーナー。アパルトヘイトを批判するラジオジャーナリスト。真実和解委員会の取材にはりついていた。真実和解委員会は委員長、デズモンド・ツツ大主教ほか17人の委員。1995年に発足し1998年に報告書を提出し終了した。
 委員会の会場で明らかになったことはすさまじいものだった。白人対黒人だけではなく白人同士、黒人同士の血まみれの暴力の応酬、リンチ、裏切り。手が血にまみれていない者はだれもいない。そこではアパルトヘイト体制に我が子を殺された母親が、アパルトヘイト体制を守っていた我が子を殺された母親の隣で嘆き悲しんでいた。著者アンキー・クロッホはその証言をリポートしていくなかで思いだす。幼いころの夜、家の農場から黒人の若者によって羊が盗まれ、それを2人の兄が銃をもって追いかけていったことを。フラッシュバックのように何度も。真実和解委員会のメンバーと取材者たちの精神は打ちのめされ、体調を崩していく。著者の心と体も悲鳴をあげながらリポートを続けた。
 ネルソン・マンデラの前妻ウィニー・マディキゼラ=マンデラが、彼女の主催するサッカークラブのメンバーに殺人を教唆した容疑で召喚された。アパルトヘイト時代、投獄されていたネルソン・マンデラを支えた妻として反アパルトヘイトのアイドルだった女性だ。長い証言と討論の末、委員長デズモンド・ツツは言った。「あなたを心から敬愛する者としたあなたに申し上げます。あなたに立ち上がって言ってほしい、『間違えたことがある』と」。ウィニー・マンデラは言った。「それが本当だとお答えします。ひどく間違えたことがあるし、それを引き起こしたいくつかの要因あるのにも気づいていました。それについては深くおわびいたします。」だが著者にはわかった。ウィニー・マンデラは女王としての名誉を守りつつ、その場を乗り切ることを選んだのだと。
 ツツは「ウブントゥ(個人と共同体の調和を強調するアフリカの古くからの概念)」の精神をもって国民の和解を図ろうとした。その結果、多くの加害者が恩赦を受け、罪を免れた。多くの殺人が隠れてしまった。
 かつて旧ソ連の作家ソルジェニーツィンは言ったそうだ。「過去の人権侵害に対処しないことで、犯罪者たちの高齢をただかばっているだけではない。それによって、次の世代の足元から正義の基盤を剥ぎ取っているのだ。」
 さまざまな人種が混在し、いろいろな国の考え方が混在する南アフリカ。真実の追求か国家再建のための和解か。その問いは繰り返される。
(掲載:『望星』2010年9月号、東海教育研究所より加筆、改変)


2010/07/18

『「死の舞踏」への旅 踊る骸骨たちをたずねて』小池寿子 著

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 『「死の舞踏」への旅―踊る骸骨たちをたずねて
小池寿子著
中央公論社
2,310円

 生きていれば死は日常。滅びは生活の一部。この忘れがちだがあたりまえなことを、人々が常に考えていた時代がヨーロッパにあった。「メメント・モリ(死を思え)」の言葉とともに15世紀、中世末期に最高潮となった。そのとき生まれた「死の舞踏」と呼ばれる絵や図像、詩が今日まで残っている。赤ん坊も若者も老人も、聖職者も貴族も貧乏人も、うじ虫に喰われぼろをまとった骸骨たちとならんでそぞろ歩き、踊る。どんな人間にも死は平等に訪れる、どんな人間も死の運命には無力だ、とそれは語る。
 人々が死に魅入られたのは、14世紀に始まるペストの大流行やフランスとイギリスの百年戦争による大勢の死と、加えてカトリック教会の長たる教皇がローマとフランスのアヴィニョンにそれぞれ分かれて立つという教会と政治の危機によって中世ヨーロッパキリスト教社会が崩れてきたせい、とされている。この本の著者、小池寿子は美術史家。若い頃、死の舞踏の痕跡が残る地を訪ね歩き、長年研究してきた。この本で、著者は再び死の舞踏を訪ねて旅をする。
 「いくら生を謳歌しても人はいつか死にゆくもの。それが定めというものさ」。
 死の舞踏と名付けられた絵図が描かれたはじめは、15世紀のパリ、サン・ジノサン墓地を囲む回廊だったといわれる。サン・ジノサンというのは、つまりジノサンとはイノセントすなわち幼児の意味で、新約聖書によるとイエス・キリスト誕生の時、救世主の誕生を知ったユダヤのヘロデ王が恐れのあまりにベツレヘムの2歳以下の幼児すべての殺害を命じ、殺された子どもたちは最初の殉教者となった、という話から名付けられたところだ。死の舞踏の回廊は今は残っていないが、当時の様子は木版本『死の舞踏』によってわかる。死者と生者の舞踏行列、死体に向かって語る説教師。生を善く終えるにあたり、死の尊大さを心に留めよ、と。
 著者は、本や教会の壁画などに描かれた死の舞踏をたずねてブリュッセル、ベルリン、プラハほか各地を旅する。そして旅そのものが人生であり、死の舞踏を踊ることなのだ、と感慨を深める。
 さまざまな病いを克服した現代でも、人の寿命を定める運命の女神の力にはあらがえない。死は人と共にある。それをいつも意識することが生きること。
(掲載:『望星』2010年8月号、東海教育研究所)

2010/06/16

『ハーモニー』伊藤 計劃 著

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ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
伊藤 計劃 著
早川書房
1,680円

 伊藤計劃(いとう けいかく)はSF作家としてわずか1年半ほどしか生きなかった。1974年に生まれ2009年に34歳で肺がんのため亡くなった。残した長編小説は『虐殺器官』(早川書房)、『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』(角川グループパブリッシング)、遺作『屍者の帝国』は未完に終わった。ほかに短編や評論をいくつか遺している。そしてこの『ハーモニー』。
 未曾有の世界的危機「大災禍(ザ・メイルストロム、原因は前作『虐殺器官』にくわしい)」で多くの人命が失われたのち、世界的な統治機構「生府」は高度な福祉を人々に与える確固と安定した社会を作り上げた。各個人は常に生体データを生府にモニタされ、怪我をしたり病気になったりしてもすぐに医療機器が治してくれる。健康で満ち足りた生活と優しい平穏な人間関係を保つ社会。死や健康を害すること(例えば喫煙)は反社会的とされる。もちろん他人の心身を害する、例えばいじめもない。
 そこで女子高生、霧慧トァンは一人きりでいる変わった少女、御冷ミァハと知り合う。独特の考えを持ち頭が切れ社会に反抗的なミァハに、もう一人の少女、零下堂キアンとともに心酔と言えるほどに魅せられていく。ある日、トァンとキアンはミァハに提案される。自殺してみない、社会のものにされてしまったわたしたちの体を奪いかえすの、と。3人は栄養をすべて遮断する薬を飲んだ。結果、トァンとキアンは生き残り、ミァハは死んだ、と伝えられた。
 数年後、大人になったトァンは生府の末端機関の仕事について海外を飛び回っていたが、ミァハのことは忘れがたく、人を束縛する社会にいらだっていた。日本に帰ったおり、零下堂キアンと再会する。2人で食事しているさなか、キアンは「うん、ごめんね、ミァハ」と言ったかと思うと、いきなりナイフで自分の頸動脈を切り裂いた。同じ日同じ時間同じように多くの人々が突然自死した。トァンは職権を使ってこの事件を調査し始める。御冷ミァハが関わっているのではないか、と。そしてテレビにミァハのものとおぼしき声明が流れる。
 「わたしたちは新しい世界をつくります。これから一週間以内に誰か一人以上殺してください。もしあなたが他の誰かの命を奪うことを躊躇したら。そのときにはわたしたちはあなたたちを容赦なく殺します。わたしたちはボタン一個でそれができるのです。」その声明が流れるやいなや、テレビキャスターは自分の右眼にペンを突き立て自死した。御冷ミァハは生きているのか、ミァハとは何者か。人々の意思が失われる前にトァンは何を見るのか。
 長々とストーリーを書いてしまった。作者は、手の切れるような鋭い文章を駆使して、この物語で追求する。幸福な社会とは何か、人とは何か、個人とは何か、意識とは、意思とは、心とは何か、生きているとは何かを。甘さのかけらもない。自分の死をいつも思っていたからだろうか。
 伊藤計劃という作家がもういない、ということが悲しくてならない。もっと書きたいことがあっただろう。もっと彼の世界にダイブしてみたかった。

『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』ローリー・スチュワート 著、高月 園子 訳

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戦禍のアフガニスタンを犬と歩く
ローリー・スチュワート著
高月園子訳
白水社
2,940円

 「なぜアフガニスタンを歩いて横断したのかと訊かれても、あまりうまく説明できない。たぶん、それが冒険だから、というのが理由だろう。」とこの本の著者スコットランド人ローリー・スチュワートは書く。当時30歳。元軍人で外交官だった。フォトジャーナリスト長倉洋海氏が、1983年アフガニスタンへのソ連の侵攻のさなか、ムジャヒディンの若きリーダー、マスードへ飛び込み同行取材を申し込んだのと同じ年頃だ。だが、そのころの長倉氏の熱い情熱に比べると淡々としている
 著者のは計画は最初、イランからネパールまで、西から東へと一人で踏破する予定だったが、タリバン政権下のアフガニスタンには入国ができなかった。しかしアメリカとイギリス他の有志連合の攻撃によるタリバン政権崩壊を聞いて、アフガニスタンへの一人旅を決意。2002年に出発。北西部のヘラートから北東部の首都カブールまで横断した。
 アフガニスタンは30年以上前から今も戦時下にある。どの村にも中世の礼儀作法と新しい政治イデオロギーが混在していた。パシュトーン人、タジク人、ハザラ人などたくさんの民族が住む国。そのなかでスチュワートは侵略者の国の者だ。充分な金も持っている。だが、一度も殺されかけたり誘拐されかかったりしたことはなかったという。脅されたりたかられたりされることはあっても多くの貧しい家庭でもてなされた。
 著者は、16世紀にアフガニスタンからインドに侵攻しムガール帝国を築いた一族の始祖バーブルに思い入れがありバーブルの手記を携えて旅し、この本のところどころに引用している。遺跡にもくわしく、アフガニスタン中部に残る遺跡「ターコイズ・マウンテン」を実際見て感動した。
 さて、スチュワートは現地で世話になったとある家でマスティフ犬を譲り受けた。狼と戦い羊を守る最強の犬種だが、いささか歳をとっていた。さっそくバーブルと名付けた。イスラム教徒はふつう犬を不浄と見なし、かわいがらない。一人と一匹は道連れになった。バーブルはケンカを売ってきた野良犬をなぎ倒し、著者は杖を振りかざしバーブルを守った。雪山でへばりがちなバーブルを引っぱって乗り越えた。異境をよそ者として一人で歩くことにこだわり他人を拒否してきた著者。かわいがられたことがなく誰も近づけさせなかった犬。一人と一匹に絆が生まれ、旅の仲間になった。
 この旅の後、スチュワートはさまざまな外交や政治の仕事を経て、現在、アフガニスタンにNPOターコイズ・マウンテン基金を創設、復興支援や職業訓練などに携わっている。やはり、若いころには旅をすべきだ。長倉氏の仕事もそうだが、一人の旅の経験は他の多くの人に何かを与える。「危険だから」「何かあったら自己責任」と旅に出ない出させないお利口さんたちとはこうも違う。
(掲載:『望星』2010年7月号、東海教育研究所より加筆、改変)

 

2010/04/25

『夜』エリ・ヴィーゼル著、村上光彦 訳

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エリ・ヴィーゼル著
村上光彦訳
みすず書房 2,940円

 ナチス・ドイツによるユダヤ人、ロマほかの絶滅のための強制・絶滅収容所、アウシュヴィッツ収容所。ポーランドのオシフィエンチムにかつてあった。数あるナチス・ドイツの収容所のなかでも人類の愚行の跡として世界遺産に登録されている。今年の1月、解放から65年を迎え、追悼式典が行われた。
 アウシュヴィッツ収容所の跡は、現在、ポーランド国立アウシュヴィッツ博物館が管理、運営しているが老朽化が進んでいる。博物館は永久保存運動のために約160億円の基金の寄付を募った。ドイツ政府は、これを受けて昨年12月に78億3千万円の拠出を発表した。ドイツのウェスターウェレ外相はこのことについて「われわれの歴史に対する責任だ」との声明を述べた。
 人類のために風化させてはいけない歴史。この本の著者、エリ・ヴィーゼルにとっては過去とならない記憶だ。この本の初版は1958年に発刊された。そして今回新たに新版、新訳となった。
 家族といっしょにアウシュヴィッツへ送られた1944年、ヴィーゼルはまだ15歳。ルーマニアのトランシルヴァニア地方に生まれ育った敬虔なユダヤ教信徒だった。それが地獄のようなアウシュヴィッツの日々で、神への信仰が崩れ落ちた。母や妹と離され、父と支え合って生きのびる日々。絞首刑を見ていた囚人は言う。「いったい《神》はどこにおられるのだ」。ヴィーゼルは、自分の心の中にこんな声を聞く。「どこだって? ここにおられる—ここに、この絞首台に吊されておられる……」。神が死に瀕した自分たちに何もしてくれないことへの絶望。一方、体調の悪い父を重荷に感じるようになった自分に気づき、苦しむ…。
 記憶は忘れ去られることはなく、心に刻まれるのだ。愚行の遺産でも、その痕跡を消してはならない。
(掲載:『望星』2010年5月号、東海教育研究所)

2010/03/15

『本は読めないものだから心配するな』管 啓次郎 著

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本は読めないものだから心配するな
管 啓次郎著
左右社 1,890円

 「本は読めないものだから心配するな。」
 この本を読め、この本はこう読め、成功する読書のすすめなどと、読書をしていかに得をするかというような本ばかり出まわるなかで、こう言われるとほっとする。ひとりの人生のなかで読める本、得られる情報の量など限られている。読まなければいけない本がたくさんある、本を読んでも理解できない、昔読んだはずの本の内容を忘れてしまった、と読書の悩みはかずかずある。
 文学研究者で翻訳家の著者、管啓次郎が言うところによると、読書とは、現在の時間を使って過去の痕跡をたどり、その秘密をあばき、未来への道を拓く行為。その時ものをいうのは記憶力。しかし人の記憶力ほどあてにならないものはない。読んだ本の内容を忘れてしまったら、読まなかったことになってしまうのか。いや再び読めば、最初に読んだときとは違う理解があるだろう。読書は道に迷いながら森を進むのに似ている。
 さらに一冊の本を読み終わったら読書は終わり、というわけではない。一冊の本は別の本と、その本はまた別の本と関係している。本は一冊では完結しないのだ。読書には終わりはない。
 著者は読書を「楽しい」とは思わない、と言う。この本はいちおう書評集で、多和田葉子、森山大道、ル・クレジオなどの作品にふれているが、書いてあるのは作家と作品についてよりも、著者自身が抱いている本とそれを読み解くことへのあふれるばかりの愛着だ。
 「いったいこの言葉は何なんだろうと驚くような言葉に出逢いたい。分からないことが星のようにキラキラちりばめられた空を旅してみたい」。
 本に出逢いたい。言葉を理解したい。すべてはこの思いのために本を探す。そして、その本と出逢うことから読書は始まる。
(掲載:『望星』2010年4月号、東海教育研究所)

2010/02/20

『パリ 地下都市の歴史』ギュンター・リアー/オリヴィエ・ファイ著、古川まり訳

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パリ 地下都市の歴史
ギュンター・リアー / オリヴィエ・ファイ著
古川まり訳
東洋書林 3,990円

 「花の都」と枕詞がつく都市パリ。2,500年もの歴史のあるパリは名所がたくさん。誰もが一度は訪れたいと思う街だ。しかし、その地下には知られていない世界が広がっている。ドイツ人作家リアーと同じくドイツ人フォトグラファー、ファイはパリの暗黒面、地下へもぐり探索する。パリの地下というと作家ヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』での迷路のような地下下水道が有名だが、それだけではない。
 ローマ帝国の植民都市として誕生したパリ。その地中の北からは上質の石膏が、南からは石灰石が採れた。あちこちの地下採石場から掘り出され、その上に街が造られた。街の下は巨大な穴だらけとなり、良くないやからや魔物がたむろすると言われた。それよりも深刻なのは崩落事故があちこちで起きたことだった。
 パリはさらに問題を抱えていた。教会の墓地が遺体でいっぱいになり腐臭に耐えられなくなったのだ。当時はみな土葬で、遺体はそのまま腐るにまかせていた。これを解決すべく、18世紀、遺骨を地下採石場跡に送り込んだ。そこでは遺骨は誰が誰ともわからずきれいに整列され、不気味なゴシックアートのような空間となった。この地下墓地はカタコンブと呼ばれ身分の上下を問わずたくさんの人々が見物に訪れた。ちなみにこのカタコンブツアーは今でも行われている。
 その後、19世紀パリは都市大改造が行われ、ユゴーが描いた地下下水道も一新された。だが地下の空間は残っている。そして、パリは今でも崩落の危険にさらされている。
 不気味な地下空間を愛する人々も長年存在する。パーティーをしたり探検したり堅苦しい地上世界から逃れてきたり。地上とは違う猥雑で自由な世界なのだ。
 華麗な都パリには、その長い歴史にふさわしい暗黒面もある。美女の知られざる顔を見た。
(掲載:『望星』2010年3月号、東海教育研究所)

2010/01/23

『よみがえれ! 夢の国アイスランド 世界を救うアイデアがここから生まれる』アンドリ・S・マグナソン著 森内 薫訳

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よみがえれ!夢の国アイスランド―世界を救うアイデアがここから生まれる (地球の未来を考える)
アンドリ・S・マグナソン著
森内 薫訳
NHK出版 1,785円

 2008年の金融破綻で初めてアイスランドを知った人もいるだろう。
 アイスランドは北大西洋に浮かぶ小さな島国。「火と氷の島」とよばれる。火山活動が活発な大西洋中央海嶺の真上にある火山島だ。島の10パーセントが氷河におおわれている。森も耕作できる土地もごくわずか。あの世を思わせる神秘的な荒野がひろがる。手つかずの自然があり、たくさんの渡り鳥たちが夏を過ごす。人口約30万人。そのうち約18万人がヨーロッパの都会のように便利な首都レイキャヴィーク周辺に集まっている。
 20世紀初頭まで漁業と牧畜に頼った貧しい国だった。だがその後、水産加工業などの発展から高い経済成長を遂げ、世界有数の裕福な国になった。ところが近年、金融業が突出、2006年にはGDPに金融、不動産の占める割合は26%までに達した。国中がマネーブームに沸いた。しかし2008年の金融破綻後、経済の危機に脅かされている。
 また、第二次世界大戦中アメリカとイギリスが進駐したことから、西部のケフラヴィークに米軍基地が置かれていた。基地はアイスランド人の雇用を産み出し、軍事もアメリカに依存していた。しかし冷戦終結でソ連の脅威がなくなったことでケフラヴィーク米軍基地は必要性がなくなり、2006年、米軍基地は閉鎖された。
 アイスランドは氷河から流れる豊かな水を利用した水力発電と火山を利用した地熱発電というクリーンな発電で電力をまかなっている。世界有数の電力が安い国だ。この安い電力に外国企業が目をつけだした。
 2003年、アメリカのアルミニウム製造会社アルコアは東部アイスランドにアルミ精錬所を建設し、アイスランドの国営電力会社ランズビルキンが水力発電による電力を供給する、という話が持ち上がった。新たにダムが造られることになった。ダムを造れば鳥の生息地を含む原野が水に沈む。アルミ精錬による公害も考えられる。しかし東部アイスランドは産業がなく貧しい。アルミ工場ができれば潤うだろう。環境派と開発派が対立した。会社側は持続可能性プログラムを、つまりアルミ精錬を続けながら環境を保全できる、と主張している。現在までこのようなアルミ工場建設計画が5つある。
 著者アンドリは、人々はアルミ工業に頼ることに囚われている、重工業以外の産業で、環境を守りつつアイスランドを発展させる方法があるはずだ、と訴える。経済成長ばかりが国の未来ではない、アイスランドが今の危機を乗り越えれば、他の国にも道筋を示すことができる、と。
 この小さな国に現在の経済危機と環境問題の縮図がある。持続可能な開発。それは本当に可能なのか。
(掲載:『望星』2010年2月号、東海教育研究所に加筆)

2009/12/28

『書肆ユリイカの本』田中 栞著

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書肆ユリイカの本
田中 栞著
青土社
2,520円

 西洋には本の装丁を凝って美しく作る伝統がある。日本の出版社、書肆ユリイカの作った本は、装丁の美しさで一世を風靡した。編集者、伊達得夫が興した1947年から彼が没した1961年までのわずか14年の間に、数々の珠玉の本を発行した。
 製本教室や豆本製本教室を開いている書物研究家、そして古本屋の奥さんでもある著者、田中栞はこの十年余り、装丁の美しさに魅せられ、書肆ユリイカの本を探し続けた。この本は著者渾身の「書肆ユリイカ戦記」。
 伊達得夫は1947年前田出版社の編集者として夭折の天才詩人、原口統三の『二十歳のエチュード』の発行を手がけた。この本は大ヒットとなった。同じ年、伊達は前田出版社を退職し、書肆ユリイカを設立。『二十歳のエチュード』を表紙、組版を変えて翌年発行した。これがかなり売れて順調に出版社として滑り出した。以降、稲垣足穂の『ヰタ・マキニカリス』のほか岸田衿子、大岡信など戦後詩人の詩集を出版した。どれもフランスの本のような装丁の美しさと斬新さで目を惹く。伊達は美的センスも格段だったのだ。白い布クロスに銀色の箔押しでタイトル。赤い紙装枡形本の中央に1文字だけの墨文字タイトル。色と材質と文字の配置が計算しつくされている。
 さて著者は書肆ユリイカの本を研究するにあたって、国立国会図書館、神奈川近代文学館などに足繁く通って閲覧した。同じタイトルの本でも何度も発行しているものは装丁が変わるので、書誌学上は別の本となる。著者はそうした細部を見逃さないように探す。さらに自分でも膨大な書肆ユリイカの古本を購入した。書肆ユリイカの古本は市場に出回ることがあまりない。出ても途方もない値段だ。貴重な古本が市場に出たとき、著者は思わず娘の大学入学準備金に手をつけそうになったそうだ。愛書には限りがない。
 戦後の物資不足の時代、書肆ユリイカはよくぞ個性的な本を作ってくれた。この本にはそれを追いかけた著者の装丁への愛があふれている。
(掲載:『望星』2010年1月号、東海教育研究所)

2009/12/06

本は自由に読めばいい

 最近、子どもに読書が奨励されている。朝の10分間読書など、授業前に本を読ませる。自分で選んだ本でいい。そうすると静かに授業に入れるそうだ。私だったらたった10分しか本を読めないで続きは明日、なんて冗談じゃない。授業中でも読んでしまうだろう。国語の読解力がある子どもは算数・数学も成績が良い、ということが新聞記事などに載っていたらしい。そんなことは言い切れない。私は本は読んだが算数も数学もダメだった。今もダメだ。さらに両親に経済的余裕のある子どもは成績が良い傾向にあるが、親が読み聞かせをする、ニュースについて話をする、家に本がたくさんある、といった子どもは親の所得による成績の格差を緩和できる、とのことも掲載されていたらしい。子どもに本を読ませれば読解力、言葉への理解力、思考力、分析力、想像力、他人の気持ちになって考える心などが育ち、成績が良くなり良い子になる、いいことづくめだそうだ。

 バッカじゃないの?!
 私の小さいころは、まわりに図書館も本屋もなかった。学校の図書室も新しい本を買う余裕もなく、担当の教師もいなかった。読んだのは家にあった世界の昔話の本、伝記、そしてなぜか母が買ったものの読まないでもてあましていた大人向けの世界名作全集、学校の図書室にあったひめゆり学徒隊の本など。本を読んでいると「本なんか読んでないで外でみんなと遊んでらっしゃい」「スポーツでもしなさい」などと言われた。親にも教師にも読書を勧められたことはない。私の小さいころだけではない。昔は豊かな家庭の子でもない限り、本を手に取ることはなかなかできなかったはずだ。
 それでも本の好きな子はいた。その子たちは自分で本をできうるかぎり探して読んだ。そして興味のある分野にのめりこんだ。本は読まされるものではなく、自分で探して読むものだ。

 なぜ今更のように子どもに本を読ませるのか、推測してみた。OECD生徒の学習到達度調査( - せいとのがくしゅうとうたつどちょうさ、Programme for International Student Assessment, PISA)は先進各国の児童生徒が数学、読解力、科学のテストを受けるもの。このなかで日本は近年、読解力の落ち込みが激しく、他教科でもかんばしくない。そして2006年の調査のベスト2まですべてフィンランドが占めることとなった。教育界はフィンランド研究に走った。そして国会議員や文部科学省では読解力に力を入れ、授業に読書を取り入れ子どもに本を読む習慣をつければ、学力大国日本をとりもどせると考えたのだろう。
 折しも時は出版不況。とくに新聞業界が苦しい。業界団体の後押しもあったのではないか。出版不況とは人々が本を買わないからではなく、出版点数、出版部数を増やして供給過多にした大手出版社が自らの首を絞めた結果だ。それでも町中の中小書店には大手出版社の流行本しか出回らず、中小出版社の本がならぶことはあまりない。
 
 本は読まされるものではない。自分で読むものだ。心のなかの想像の王国を他人に支配されたい人がどこにいるだろうか。自分で選んだと思った本が他人の誘導の結果、手に取ったものだとしたら。図書館が勧める良い子どもの本は「楽しい本」「読んでいて幸せになる本」「人生のためになる本」らしい。では江戸川乱歩は? シャーロック・ホームズは? グリム童話は? 本は明るい面ばかりあるのではない。人間の奥底の暗黒を映し出すものでもあるのだ。
 
 本を多く読む子は成績が上がるか。幸せになれるか。逆に本を読まない子は感性や理解力が不足しているのか。頭が悪いのか。将来は不幸か。そんなことはない。どんなにまわりが動いても本が好きな子は読むし嫌いな子は読まないだろう。本が嫌いな子はほかの好きなことを見つけるだろう。読書が強制され読む本が制限されるとしたら、レイ・ブラッドベリの『華氏451』と同じだ。読書は個人のものであり、個人の自由だ(ただし研究書は該当しない。個人の好みにかかわらず読まなければならない本があるからだ)。

 私が書評なるものを書くのは、読書が私の衝動で存在意義だからだ。おもしろいと感じた本に魅入られると『攻殻機動隊』の主人公草薙素子のように「ゴーストのささやき」を感じる。そうして書いた書評も「ぜひ読んでください」という押しつけるのではなく『クレヨンしんちゃん』の次回予告のように「読めば〜」という感じ。書評は本の紹介で、読むのはそれをおもしろいと感じた人の自由にゆだねる。本を読むのは心の自由のためなのだ。

2009/11/16

『ラウィーニア』アーシュラ・K・ル=グウィン著、谷垣暁美訳

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ラウィーニア
アーシュラ・K・ル=グウィン著
谷垣暁美訳
河出書房新社、2,310円

 ローマ以前の遠い過去のイタリア。ラティウムの王女ラウィーニアは一族の聖地で、はるか未来の詩人ウェルギリウスの幻影と出会う。ウェルギリウスは告げる。遠いトロイアの王子、トロイア戦争の英雄アエネーアスがここに安住の地を求めてやってくる。あなたはアエネーアスと婚約する。あなたがたの婚約をめぐってあなたの求婚者たちと彼はこの地に血みどろの戦争を繰り広げる。だがアエネーアスは勝利し、あなたは彼の妃となる。あなたがたはここに第二のトロイアを築き、子孫の都は栄華を極めるだろう。その都の名は「ローマ」…。
 この『ラウィーニア』のもととなったのは、古代ローマの詩人ウェルギリウスが皇帝アウグストゥス(カエサルの後継者オクタウィアヌス)の一族の血統を讃えてささげた叙事詩「アエネーイス」。物語はだいたい前半と後半に分かれ、前半部分はアエネーアスのトロイアからの敗走、流転が描かれる。『ラウィーニア』は「アエネーイス」の後半部分からル=グウィンが想像をふくらませてつくった物語。
 「アエネーイス」でラウィーニアはイタリアの王の娘としか出てこず、チョイ役に過ぎない。それをル=グウィンは一人の女性の成長物語にした。思慮深く自分をしっかりと持った勇気ある女性。「アエネーイス」はアエネーアスの勝利で終わっているが、『ラウィーニア』でル=グウィンは、そのあとのラウィーニアの結婚生活、子どもへの愛、一族との確執を乗り越えていく姿を描く。
 ローマ時代の詩人ウェルギリウスと彼の想像の産物にすぎない古代イタリアの女性ラウィーニアとの対峙。作者を作中人物が幻影として見る、それを現代アメリカの作家ル=グウィンが書くという入れ子構造。さすがル=グウィン。
 

『子どもたちに語るヨーロッパ史』ジャック・ル・ゴフ著、前田耕作監訳、川崎万里訳

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子どもたちに語るヨーロッパ史 (ちくま学芸文庫)
ジャック・ル・ゴフ著
前田耕作監訳、川崎万里訳
筑摩書房、1,155円

 ジャック・ル・ゴフはフランスの歴史の大家。社会学、経済学、人類学などの考えを取り入れ時代の民衆の心にせまる歴史研究をめざすアナール派の中核となって、西欧の中世史を研究してきた。著書に『煉獄の誕生』など多数。アナール派の歴史研究は日本の歴史学にも大きな影響を与えた。
 ル・ゴフは80歳を越えて、ヨーロッパ全史を子どもたちにわかりやすく語る、という試みにでた。それがこの本だ。
 ヨーロッパ。その名は、ギリシャ神話で大神ゼウスにさらわれたアジアの王女エウロパに由来する。ユーラシア大陸の西端に位置するヨーロッパ。端から端に旅するにも人の足でさほど日数がかからないほど狭い地域だ。古くから街道がつくられ、河や海の交通ルートも発達し、多くの人々が行き来してきた。古代、地中海世界でのギリシャ人の繁栄。そしてローマ帝国の領土拡大によってヨーロッパ各地にローマ人が植民。ヨーロッパには広くケルト人が住んでいた。やがてゲルマン人が、スラブ人、アジア系諸民族が、ノルマン人が移動してきて、中世のヨーロッパ各国を形づくった。
 人間の交錯は発展の源泉、と著者は言う。混血するのが人間社会のさだめなのだから、民族的純血などという主張は不毛であり、本来存在しないものなのだ。混血から生じた民族は文明や制度の面から見てより豊かでたくさんのものを生み出す。たとえばフランスはケルト人、ローマ人、ゲルマン人の交雑によって形づくられた。
 中世は通説では5世紀から15世紀まで、ル・ゴフの説では18世紀まで続く長い時代だった。キリスト教と教会の成立、それぞれの民族の言語の文字化。そして国王と臣下による近代国家の時代へ。そのなかで民主主義が誕生した。
 ヨーロッパは豊かな文化や技術を育んだ、と同時にたくさんの愚行を犯した。十字軍、世界の他の地域の植民地化、何度も起こったユダヤ人の迫害、虐殺。二つの世界大戦、ヒトラーやスターリンの独裁。そして現在ヨーロッパは民主共同体としてEUを形成している。
 ヨーロッパは統一されるのだろうか。ル・ゴフは多様なヨーロッパを認めながらヨーロッパ統一への希望をEUに託す。
 ル・ゴフは、未来を準備するためには過去を知り、ヨーロッパのよき伝統を発展させ、過ちと罪を繰り返さないようにしなければならない、歴史は担うべき重荷でも、暴力を正当化する危険な助言者でもない、歴史は時代に真理をもたらし、進歩に役立つものであるべきだ、と説く。歴史学界の重鎮の言葉が重い。
(掲載:『望星』2009年12月号、東海教育研究所より改変)

2009/10/17

『かくして冥王星は降格された 太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて』ニール・ドグラース・タイソン著、吉田三千世訳

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かくして冥王星は降格された―太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて
ニール・ドグラース・タイソン著
吉田三千世訳
早川書房 2,100円

 最初に学校で習ったとき、太陽系は、太陽と月と9つの惑星「水金地火木土天海冥」だった。ところが2006年8月、国際天文学連合は冥王星を準惑星と決め太陽系惑星グループから外した。
 冥王星は、アメリカ人の発見した初めての惑星だ。1930年、アメリカ人天文学者クライド・トンボーが発見した。冥王星(英語でプルート)は、ミッキーマウスの飼い犬プルートとともにアメリカ人から深く愛されてきた。
 現在の天文学では、惑星には地球、水星、金星、火星のような岩石でできた地球型惑星と木星、土星、天王星、海王星のようなガスでできた木星型惑星があるが、冥王星にはどちらも当てはまらない。ほとんど氷でできているのだ。大きさも、月や土星の衛星タイタンなどより小さい。また海王星の外にはカイパー・ベルトという小型の氷天体がひしめく帯があることがわかってきた。冥王星はカイパー・ベルト天体の方に近いと思われた。こうした研究結果から、2000年、この本の著者、アメリカ自然史博物館のヘイデン・プラネタリウムの長を勤める宇宙物理学者タイソンは自館の展示の模様替えの際、冥王星を惑星のグループからカイパー・ベルトのグループに入れた。
 これが新聞に取り上げられ「冥王星を惑星から引きずり下ろすな」という抗議のメールが、アメリカ中からタイソンのもとに押し寄せた。小学校では子どもたちが「大好きな冥王星を惑星にしておいて」と手紙を送ってきた。天文学者たちは、冥王星とは何か、惑星とはどういう特徴をもつ天体なのかを巡って激しい議論を戦わせた。
 2006年、国際天文学連合の決定で冥王星は準惑星となった。アメリカでは、冥王星の「降格」を皮肉る記事が書かれ、かわいそうな冥王星に同情する歌が作られた。ディズニー・カンパニーは「冥王星が惑星の地位を追われたとしてもプルートはやはりディズニーの『犬のスター』だ」と公式なプレスリリースを発表した。
 「冥王星騒動」は収まったようだ。新しい事実が発見されれば、宇宙の姿はまた変わるだろう。そのとき感傷的にならず理論で受け入れることができるだろうか。
 この騒動のあと、著者タイソンはディズニーワールドを訪れ、犬のプルートに面会した。プルートは礼儀正しく迎えた。本には著者とプルートが仲良く肩を組んだ写真が載っている。
(掲載:『望星』2009年11月号、東海教育研究所に加筆)

2009/09/15

『第七官界彷徨』尾崎 翠著

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第七官界彷徨 (河出文庫)
尾崎 翠著
河出書房新社
651円

 尾崎翠(おさきみどり)は長い間、忘れられた作家だった。1970年代から見直され、全集や選集が発行された。今回、代表作『第七官界彷徨』が初めて一本立てで文庫化された。
 尾崎翠とは誰か。1896年鳥取県生まれ。上京して『新潮』ほかの文芸誌に小説を発表。まだ無名の林芙美子らと友人になる。そして昭和初期『アップルパイの午後』『第七官界彷徨』『地下室アントンの一夜』など代表作を精力的に書く。しかし頭痛に悩まされ鎮痛剤を飲み過ぎるようになった。さらに幻覚を見るようになり、36歳で、兄により故郷へ連れ戻された。翌年『第七官界彷徨』の単行本が発行。だが東京から引き離された時に翠の作家人生は絶たれた。その後、妹たちの子の面倒を見つつ故郷で人生をおくり、74歳で病没。最後の言葉「このまま死ぬのならむごいものだねえ」。
 「悲劇の女性作家」とも言われる尾崎翠。彼女が描く独特の幻想世界には、女性の愛読者が多い。翠の作品世界のキーワードは「少女」。萩尾望都や大島弓子の少女マンガに通じる少女の幻想世界があるという。
 『第七官界彷徨』だが、「第七官」とは人の視覚聴覚などの五感、虫の知らせとも言う第六感、それを超えた第七の感覚のこと。ある少女が人の第七官に響く詩を書こうという思いを秘め、東京にやって来て、兄や従兄の借家に炊事係として住み込む。長兄は分裂心理、次兄はコケの恋愛の研究をしている。従兄は音楽学校をめざして調子外れのピアノを弾いている。変人ばかり。みな片恋に悩んでいる。そんななかで少女もひとつ恋をする、という物語。
 尾崎翠の物語は片恋の話が多い。片恋は少女の特権。翠の小説を読むには字面ばかりを追っていっては迷子になる。現実と幻想が融け合っている世界。哀しい明るさに満ちていてそこにひたるのが心地よい。翠の物語は世代を超えて少女の心の第七官に響く。
(掲載:『望星』2009年10月号、東海教育研究所)

2009/08/17

『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界 ムーミントロールの誕生』冨原眞弓著

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トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界―ムーミントロールの誕生
冨原眞弓著
青土社
3,990円

 ムーミンはカバではないことは、もう誰しもおわかりだろう。ムーミンはフィンランドの作家で画家のトーヴェ・ヤンソンが、北欧の妖精トロールをヒントに生み出した。ではムーミンはどんな状況で生まれたのか。それはフィンランドの暗い戦争の時代のなかでだった。
 トーヴェの母、シグネ・ハンマルステン・ヤンソンはフィンランドの風刺雑誌『ガルム』に風刺画を描いていた。ガルムとは北欧神話での冥府の番犬のこと。1923年の創刊号の表紙はシグネの描いたガルム、ブルドッグのようなギョロ目と大きな牙を剥きだした黒犬が飾った。
 当時フィンランドは東のソ連、西のスウェーデン、南のドイツに圧迫され、必死に独立を保っていた。国内でも保守派、共産主義者、フィン人の優位を叫ぶ民族派などがせめぎあっていた。そのなかで『ガルム』は、国内の少数派スウェーデン人に向けてスウェーデン語で発行されていた。どの勢力にもつかず、どの勢力にも独自の視点から噛みついた。
 トーヴェにとって母はたのもしいムーミンママだった。画学生だったトーヴェも15歳で『ガルム』に風刺画を描くようになる。
 やがて、第二次世界大戦が始まった。フィンランドでは、ソ連の侵攻と戦う「冬戦争」それに続く「継続戦争」の暗い時代がやってきた。トーヴェの風刺画も暗いものとなる。そんななか、トーヴェの絵に奇妙な動物が登場する。はじめはしかめっ面をしていたが、だんだん愛嬌を見せるようになった。これがムーミントロールだ。トーヴェはムーミンを主人公に童話を書き始めた。かくて、今やムーミンは世界の人気者だ。
 ムーミン谷の面々、とくにスナフキンとミイに反骨心と皮肉をみるのは『ガルム』がトーヴェに残した牙なのか。ムーミンは戦争の暗闇のなかで夢見る希望として誕生した。
(掲載:『望星』2009年9月号、東海教育研究所)

2009/07/20

『ガルシア・マルケスひとつ話』書肆マコンド著

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ガルシア・マルケスひとつ話
書肆マコンド著
エディマン
3,360円

 この本は作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの世界を探求したもの。こむずかしい批評ではない。どこから読んでもおもしろいガルシア=マルケス百科だ。
 ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』は日本をはじめ世界中を魅了している。彼が『百年の孤独』を描いたのは1967年、40歳の時。これが出世作となりノーベル文学賞を受賞した。以降、『予告された殺人の記録』『迷宮の将軍』などのさまざまな作品を書き続けている。
 見てきたような嘘、嘘のようなまことが交錯しラテンアメリカの地に色鮮やかに、ときには暗い情熱で物語が織られるのが、ガルシア=マルケス作品だ。『百年の孤独』で語られるのは、架空の村マコンドの創始者ブエンディーア一族の物語。マコンドはガルシア=マルケスが生まれた南米コロンビアの村アラカタカがモデルだといわれる。彼のほかの作品の舞台にもなっている揺籃の地だ。物語で、一族の絶世の美女、小町娘のレメディオスは洗濯物を干している最中、生きたまま天に召される。
 「小町娘のレメディオスの体が、ふわりと宙に浮きあがった。ほとんど盲に近かったが、ただ一人ウルスラだけが落着いて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。…彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後4時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥さえ追っていけないはるかな高みへ永遠に姿を消した。」幻想の極み。
 さて、この本『ガルシア・マルケスひとつ話』の著者、その名も書肆マコンド。ガルシア=マルケス作品に耽溺するあまり、本でガルシア=マルケスのワンダーランドをつくってしまった。読んでいると、マコンドを散歩しているような気分になって楽しい。巻末にマコンドの地図がある。
(掲載:『望星』2009年8月号、東海教育研究所)

2009/06/15

『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最後の日々』デイヴィッド・リーフ著、上岡信雄訳

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死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々
デイヴィッド・リーフ著
上岡信雄訳
岩波書店、1,890円

 スーザン・ソンタグはアメリカで批評、小説、エッセイなど幅広く輝かしい活躍をした。代表作に『隠喩としての病い』『写真論』『他者の苦痛へのまなざし』がある。9・11テロ、アメリカ軍のイラク侵攻には、時のブッシュ政権を激しく非難した。
 さて2004年の3月、ソンタグ71歳。ソンタグの息子で母のマネージャーをしていたデイヴィッド・リーフは、母の求めに応じて病院にいっしょに行くことになった。「たぶん何でもないわ」。
しかし医師の宣告は2人を戦慄させた。ソンタグは骨髄異形成症候群を患っており、それは間違いなく急性骨髄性白血病を起こし、彼女を死に至らしめるだろう、と。骨髄移植だけが有効な手段だが、成功の確率は極めて低い。帰宅する車のなかで、彼女はつぶやいた。「ワオ」。
 突然の死の宣告は、ソンタグを恐怖とパニックに陥れた。だが彼女は自分が死ぬということを決して信じなかった。何て言ったって、自分はかつて、治る見込みが低い乳がんと子宮がんから生還したことがあるのだ、と。闘いが始まった。自分の病気の情報をかき集め、食いつくように読み、治る見込みをほのめかす文章には線を引いた。ソンタグは自分の存在と知性と理性を信じていた。自分の人生と世界を愛していた。それに敗北することを許さなかった。少しでも長く生きられるようもがき続けた。骨髄移植も受けたが、失敗に終わった。
 その様子は息子デイヴィッド・リーフが見ていて痛々しいものだった。愛は死に直面した人には役に立たなかった。死の海を泳ぐ人は孤独なのだ。9ヵ月後、薬の副作用に苦しみながらソンタグは死んだ。息子には信じられなかった。母を助けるために何もできなかったなんて。
 死に対面したときの勇気ある行動とは何か。死を受け入れ周りの人々に感謝しながらそのときを待つか。それとも死に抗い闘いつづけるか。
(掲載:『望星』2009年7月号、東海教育研究所)

2009/05/16

『ソングライン』ブルース・チャトウィン著、北田絵里子訳、石川直樹 写真・解説

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ソングライン (series on the move) (series on the move)
ブルース・チャトウィン著
北田絵里子訳
石川直樹 写真・解説
英治出版、2,940円

 これは旅の本。観光や計画的な旅行の本ではない。旅する人生についての本だ。
 著者ブルース・チャトウィンはイギリスの作家。有名な美術品オークション会社サザビーズで働いていたが、旅に焦がれ、南米大陸の最南部、パタゴニアへと旅だった。このときの旅行記『パタゴニア』が出世作となり旅の作家として一躍名をはせた。
 この本で彼が旅したのはオーストラリア。定住せず移動生活をする民アボリジニを訪ねた。アボリジニの世界では、大地はその地それぞれ「夢」と呼ばれる物語をもっている。その夢は歌となって歌いつがれる。歌は、大地を移動するための道を指し示す。この道が「ソングライン」だ。チャトウィンは新大陸オーストラリアに流れ着いた白人たちに案内され、ソングラインを歌いついでいるアボリジニたちと出会う。
 砂漠を移動しつづける民アボリジニにとって移動は日常から離れた「旅」ではなく、あくまで生活の一部に過ぎない。しかし定住民のヨーロッパ人チャトウィンにとって、旅は異世界への憧れであり、ひとところに居たくない、放浪したい、という衝動だ。本の途中、彼は大昔から人間が持っている旅への思いを、古今東西の格言や偉人の言葉から引き、自分の旅への情熱と重ねあわせている。ブッダの言葉「たゆまず歩みつづけよ」。この言葉のとおりチャトウィンは歩きつづける。そして遙かな人類の過去に思いをはせる。人間の進化は過酷な環境での移動生活から始まったのではないか、と。
 チャトウィンは旅先での病がもとで1989年、48歳でこの世を去った。永遠の旅人と言われている。定住している私たちは、旅に出て異世界に身を浸してみたい思いに駆られる。荒野を歩きたくなる本だ。
 表紙は写真家の石川直樹の写真。巻末に自分とチャトウィンと旅について一文を寄せている。
(掲載:『望星』2009年6月号、東海教育研究所)

 

2009/04/18

『根をもつこと』シモーヌ・ヴェーユ著、山崎庸一郎訳

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根をもつこと
シモーヌ・ヴェーユ著
山崎庸一郎訳
春秋社
2,625円

 この本『根をもつこと』は『シモーヌ・ヴェーユ著作集』の第5巻を新装版にしたもの。長い間入手が困難だった。
 シモーヌ・ヴェーユはフランスの思想家。日本語では「ヴェイユ」と表記されることの方が多い。究極の理想主義者とも言える。
 1909年生まれ。哲学教師として人生を歩み始める。やがて労働者の苦労を実体験しようと工場で働く。しかし病弱でいつもひどい頭痛に悩まされ、しかも不器用な彼女には長く続かなかった。だが機械の歯車のように働く労働者の姿を見て、後の思想の基となる「根こぎ」を見いだした。
 1936年、スペイン内戦が起こると共和国側の義勇兵として参加。炊事班に配属されるが、煮え立った鍋に足を突っ込んでしまい大やけどを負って戦線を離れた。
 30歳の時、第二次世界大戦が始まりフランスはドイツに占領される。ヴェーユはロンドンに赴き、ド・ゴールを頭とする対独レジスタンス組織、自由フランスに参加。ここでヴェーユはフランスのための国家論『根をもつこと』を書く。しかし自由フランスを離脱。結核を患い、医師に栄養の補充を勧められるが、戦時下のフランスで配給されている食糧以上のものは食べないと拒否。1943年、34歳で死去。
 ヴェーユは理性的な哲学者だが、キリストへの深い信仰と哲学、政治は彼女のなかで一つになる。『根をもつこと』で書かれた「根こぎ」とは、人が人間性と自分の根幹を奪われること。人間としての尊厳を破壊され心のよりどころを失うこと。労働者は人として扱われないような労働で根こぎにされ、失業によって二重に根こぎにされる。戦争で根こぎにされたフランス人。彼らの国への愛は、国家を完全なものとしてあがめるのではなく、郷土を壊れやすい不完全なものとして「憐れむ」ことであるべき、それが国に根づくことになる、と語る。
 ヴェーユは理想を高く掲げたが、その生き方はあまりに不器用だった。組織に属すことを嫌って一人立つ人だった。彼女の清冽な人生と理想は夜空の星のように輝く。
(『望星』2009年5月号、東海教育研究所より加筆修正)

2009/03/04

『アラブ、祈りとしての文学』岡 真理著

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アラブ、祈りとしての文学
岡 真理著
みすず書房
2,940円

 かつてサルトルは、アフリカで子どもたちが飢えて死んでいるのに文学は何ができるか、と問うた。現代アラブ文学の研究者である著者、岡真理もこの問いに直面している。パレスチナでパレスチナ人がイスラエル軍に追い詰められ殺戮されているのに、文学は何ができるか、と。
 2006年、パレスチナの難民キャンプで著者が出会った青年は
「ぼくらは檻の中の猿だ」
と呟く。分離壁に閉じ込められた狭い街。イスラエル領内への立ち入りが禁じられているため働くことすらできない。イスラエル兵から受ける屈辱。若い青年には残酷すぎる飼い殺しのような人生。絶望のあまり他の青年のいくらかは自爆テロに走る。何があなたに自爆を思いとどまらせているの、という著者の問いに
「ぼくは生きたい、……どこにどんなとは言えないけれど……希望はあると信じています」。
 アラブ世界でも小説はたくさん書かれている。貧しく小さき人々の言葉を取り上げた小説もある。岡真理は、第三世界フェミニズム思想の研究者でもあるため、抑圧されていると言われているイスラム教徒の女性を描いた小説にも注目する。パレスチナ人男性作家イブラーヒム・ナスラッラーの小説『アーミナの縁結び』はイスラエル軍のパレスチナ侵攻が最も激化した2002年のガザに住む女性たちの悲しみと狂気を物語った。
 抑圧され死のふちまで追いやられ根拠のない希望にすがって祈るしかない人に文学はできることがあるのか。ある、と岡は答える。絶望している人々の心に寄りそい彼らのことについて書くことは祈ることなのだ。それが文学というかたちになって人々に知らしめられ共感を呼ぶ。
 絶望している人々について書くことが祈りなら、それを読むこともまた祈りなのではないだろうか。読むこととは共感することだ。
(掲載:『望星』2009年4月号、東海教育研究所)

2009/01/31

『『話の話』の話 アニメーターの旅 ユーリー・ノルシュテイン』クレア・キッソン著、小原信利訳、ユーリー・ノルシュテイン跋

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『話の話』の話―アニメーターの旅 ユーリー・ノルシュテイン
クレア・キッソン著、小原信利訳
ユーリー・ノルシュテイン跋
未知谷、3,150円

 膨大な数の絵によって、絵を動いているように見せる「動画」すなわち「アニメーション」。その動く絵を描く人を「アニメーター」という。今、日本政府は、アニメを金の取れる輸出産業ともてはやしている。だがそれを作るアニメーターが長時間労働低賃金の悲惨な生活をしているのはあまり知られていない。
 ユーリー・ノルシュテインはロシアのアニメーター。『アオサギとツル』『霧の中のハリネズミ』などの主に30分以内の短編を作ってきた。切り絵アニメーションといって、切り絵を少しずつ動かして撮影するという手法をとっている。その世界は素朴で詩情豊か。抑えた色調と流れるような動きで世界を紡ぎだす。
 ノルシュテインの代表作『話の話』。1979年の発表以来、世界のアニメーションで第1位の座に推されている。1980年、ザグレブ国際アニメーションフェスティバルで1位になったほか、さまざまな賞を獲得した。
 『話の話』とはどんな話なのか一概には言えない。古いロシアの子守歌

「ねんねんころり、端っこには寝ないでね、灰色の仔狼がやってくるから」

をもとに、ノルシュテインの幼い頃の思い出、第2次世界大戦後の時代をちらつかせる映像が現れては消える。ひとりぼっちの狼の子、無心に乳を吸う赤ん坊、タンゴを踊る人々、戦争の暗示。これを発表前に見た当時ブレジネフ政権下のソ連の官僚たちは面食らった。ソ連国民を導くのに良い映画なのか。ソ連映画省はノルシュテインに改変の圧力をかけたが、彼は断固として応じなかった。
 『話の話』制作後、現在ノルシュテインは忙しいなかゴーゴリの小説『外套』のアニメーションを制作中だ。
 ものを作る人を大切にしない文化は滅ぶ。ノルシュテインのような「作る人」を尊敬してやまない。
(掲載:『望星』2009年3月号掲載、東海教育研究所)

2008/12/30

『サンパウロへのサウダージ』クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太著、今福龍太訳

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サンパウロへのサウダージ
クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太著
今福龍太訳
みすず書房
4,200円

 2008年11月で100歳になった学者クロード・レヴィ=ストロース。1960年代、フランスにて構造主義をかかげて新たな民族学をうちたてた。構造主義は現代思想の大きな波となってさまざまな学問を席巻した。学術界の伝説の人。
 現在ブラジル最大にして南半球最大の都市サンパウロ。レヴィ=ストロースは1935年、27歳のとき前年できたばかりのサンパウロ大学へ教授としてフランスから赴いた。このときともにフランスからサンパウロ大学に赴任した一人に歴史家フェルナン・ブローデルがいた。当時サンパウロは建設ラッシュに沸く新興都市だった。そこに彼は家族とともに居をかまえ、講義と原住民調査を行った。レヴィ=ストロースのブラジルでの調査旅行については、著書『悲しき熱帯』『ブラジルへの郷愁』にくわしい。構造主義はこのころ育まれたのだろう。
 1939年にフランスに帰国するも第二次世界大戦が始まった。フランスはドイツに敗戦。ユダヤ人であるレヴィ=ストロースはニューヨークに逃れた。1950年に博士論文『親族の基本構造』を携えてフランスに帰国。論文は審査を通過、発刊された。自身も神話学者ジョルジュ・デュメジルの紹介で職を得、精力的に研究を進めていく。だがフランスにおける学問・教育の頂点に位置する国立の高等教育機関コレージュ・ド・フランスの1951年の教授選に学閥争いで敗れ、落選。『悲しき熱帯』は1955年この不遇の時期に書かれた。フランスでの出世街道から離れ遠国に流れたブラジル時代の自分と南米奥地で滅びゆく文化のなかで暮らす原住民が、「悲しみ」で当時の逆境へとつながっている。『悲しき熱帯』はセンセーションを巻き起こした。そして3度めの教授選で、ようやく1959年に教授となった。
 レヴィ=ストロースはそれからブラジルへは1985年につかのま訪れただけだ。この本『サンパウロへのサウダージ』は失われた昔のサンパウロの思い出を込めて1996年に発刊された。「サウダージ」とは日本語の「あわれ」に意味の近いポルトガル語だという。もう見ることのない、はかなく過ぎ去ったものへの想いだ。レヴィ=ストロースが暮らしていた当時、サンパウロはぶらぶら歩くのに良いところだったという。レヴィ=ストロースは写真マニアだった父親と争うように写真を撮った。この本には、レヴィ=ストロースが歩きながら撮った写真が収められている。ちょうど手に収まるようなフイルムカメラが出回るようになったころだ。サンパウロは急成長中の街だったが、彼には、新築の輝いていた時代を過ぎすでに古びはじめたうら寂しさが目についた。
 ブラジル滞在のあとレヴィ=ストロースは研究に写真を使っていない。彼は、学者が、獲物を捕るように原住民の写真を撮るのを嫌ったのだ。
 その65年後、日本の文化人類学者、今福龍太がサンパウロ大学で教鞭をとるために訪れた、彼はサンパウロでのレヴィ=ストロースの足跡をたどり、同じ風景を写真に撮った。昔の風景がわずかに残っている。彼は同じ文化人類学者としてレヴィ=ストロースの思考に思いをはせた。
 今福龍太はある本を紹介している。レヴィ=ストロースの調査旅行に同行したブラジル人民族学者が後に書いた本だ。それによると、レヴィ=ストロースはフィールドワーカーとしてはあまりに不器用だったという。フィールドでいつも思考を遊ばせ、フィールドワークに必要な実用的な技能や機転にはまったく欠けていたらしい。そのことから今福は、レヴィ=ストロースの研究方法と理論形成をかたちづくったものを見つける。
 「西欧人エリートという社会的立場、民族学者の視線、文明人の依拠する透明な理性……。ひとつの視点からすればすべて限界づけられたものでしかないこうした条件のなかで、ブラジルの現実との間の距離を測り、それを調停する手段として、レヴィ=ストロースは写真を選び取った。だがこの不器用な視線は、その動きの限界は、別の視点から見ればその限界こそが可能性なのでもあった。この、力の探求の英雄的な試みが不器用さによって破綻していく実践こそが、ひとつの固有な輝きを持った「民族学」の行使だった。現実の行動の不器用さは、彼をして神話の観念的思考が実現する器用仕事の探求へと向かわせ、全アメリカの無限の神話群のあいだにはたらく緻密な構造体系がブラジル以後の彼のフィールドとなった彼の頭脳を起点に、内界と外界は反転した。人間とはそもそもはじめから不器用な敗者として宿命づけられた存在なのではないだろうか。人間の世俗的現実における不器用さが、神話的思考の器用さによって埋め合わされる……。この二者の統合こそが「人間」である。レヴィ=ストロースはそのように語りつづけているように、私には思われる。」
 この本の写真は、たぐいまれな眼がのちの世界都市の一時をとらえた貴重なものだ。偉大な頭脳のますますの長寿を言祝いで。
(掲載:『望星』2009年2月号、東海教育研究所に加筆、訂正)

2008/12/02

『図書館 愛書家の楽園』アルベルト・マングェル著、野中邦子訳

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図書館 愛書家の楽園
アルベルト・マングェル著
野中邦子訳
白水社
3,570円

 日本語で図書館と訳される英語Libraryは、ただ図書館をさすだけでなく、本を集めてある状態、または場所のことも意味する。書斎や書庫、鞄に入った数冊の本、コロンビアでロバの背にのせて山村を運ばれる巡回文庫も、この世のすべての書物を収集するという大望で作られた古代エジプトのアレクサンドリア図書館も、コンピュータのファイルも、この本の著者アルベルト・マングェルが夢想を巡らす場である3万冊の本を収めた書斎も、ライブラリーなのだ。
 この本の原題は「夜の図書館」。古今東西の図書館について、著者が夜に思いを巡らせた本の宇宙への思考の旅だ。著者マングェルはアルゼンチン生まれの作家。幼少時から各国を転々とし、現在はフランスに住む。著書『読書の歴史 あるいは読者の歴史』がフランスで賞を受賞。マングェルは、高校生のときブエノスアイレスの書店でのアルバイトで、伝説的な作家にしてアルゼンチン国立図書館館長、本の世界の盲目の巨人ホルヘ・ルイス・ボルヘスに本を朗読する仕事をしていた。その影響か、マングェルの本への愛と知識は世界中のありとあらゆる歴史を網羅する。
 著者いわく「昼のあいだ、書斎は秩序に支配されている…夜になると蔵書目録の定める秩序はもはや通用しない。影のなかでは、その威力も保たれないのだ」。夜の図書館で彼は本の世界を冒険する。メソポタミアの碑文、中国の莫高窟にしまわれた書物、破壊されたマヤの文書、ナチスの強制収容所のわずかな蔵書、ロビンソン・クルーソーが孤島に流れ着いたときに持っていた数冊の本などなど。
 「この世の存在をたえず確認(そして証明)するために、私たちはこの世について語りつづける。人の理解がおよばない、不可解さと混沌のうちにありながらも首尾一貫した何か、また、私たちもその一部をなす何か—そのイメージのなかにこそ、人間とこの世界が作られているのではないかという問い。かつて爆発をへた宇宙と、宇宙の塵たる私たち人間には、言葉で表せない意味や秩序があるにちがいないという希望。私たちが読む本、そして私たち自身が読まれる本としての世界、それを指し示す古い比喩を何度も語りなおすときに感じる喜び。人が現実から知りうるものは、言語で組み立てられた想像の産物ではないのだろうかという思い—これらすべてが図書館と呼ばれる人間の自画像のなかに具現化され、形をなしている。そして人が書物に注ぐ愛、もっと多くの本を見たいという欲望、果てしない喜びを約束してくれる本がぎっしり詰まった書架のあいだを歩くとき、豊かな教養を秘めた書庫に対して感じる誇らしさは、何よりも胸を打つ瞬間であり、最高に幸福な所有の喜びを示している。人生には悲惨なことや悲哀があふれているが、この狂気の裏にはなんらかの筋道があるはずだという確信、嫉妬深い神々の意のままにはなるまいとする意志のなかに、私たちを慰め、救いとなってくれる力強い信念が込められているのだ。」
 この世界と同じく、図書館は混沌から生まれた。その混沌を愛する多くの人々に創造され秩序を与えられ維持されてきた。世界を知る幸せのために。
(掲載:『望星』2009年1月号、東海教育研究所より加筆修正)

2008/10/31

『阿部謹也 最初の授業・最後の授業 附・追悼の記録』阿部謹也追悼集刊行の会編

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阿部謹也最初の授業・最後の授業―附・追悼の記録

阿部謹也追悼集刊行の会編
日本エディタースクール出版部
2,520円

 歴史家、阿部謹也氏は日本の歴史学界の大きな星だった。ドイツ中世史を中心に幅広く歴史を見つめてきた。1935年生まれ。一橋大学で長く教鞭をとった。著書『ハーメルンの笛吹き男』で、謎の笛吹き男が街中の子どもを連れ去ったという有名な伝説を史料文献や学者たちの論説から綿密に考察し、当時の歴史背景から1つの説を得た。そのほか『中世の窓から』『社会史とは何か』で中世ヨーロッパの社会を民衆の立場から掘り下げ、また広く見渡し、日本の歴史学において中世ヨーロッパ社会史を育てた。
 また歴史家の視点で日本を昔から現在まで見て著書『世間とは何か』で独自の世間論を打ち上げた。日本では、西洋で定義できない「世間」というものが「社会」と似て異なる形で支配している。その変遷と人との関わりから日本における「個人」の在り方を掘り出した。
 2006年病没。この本は阿部氏のご家族と教え子が作った追悼の本だ。氏の最初の授業と最後の授業を講義ノートから採録し、そして各界から寄せられた追悼の言葉などを収めている。
 最初の授業は1965年、小樽商科大学で行った「歴史学」の授業。日本におけるヨーロッパの学問の受容から始まり、ヨーロッパ人歴史家の自分たちの歴史についての思想を概観しヨーロッパにとって中世とは何かを考えることで歴史学へ導くもの。大学生には難しかっただろう。最後の授業は2006年、東京藝術大学で行った「自画像の社会史」の授業。西洋と日本の画家が描いた自画像を見ながら、社会のなかの個人の表現を語った。
 阿部氏の歴史を見つめるレンズは、個人の小さな出来事から社会の大きな流れまで幅広い。そのレンズから語られる世界は遠い過去のものでも私たちの共感を呼ぶ。広い世界を見せてくれる人を失ってしまった。
(掲載:『望星』2008年12月号、東海教育研究所)

2008/10/01

『〈不在者〉たちのイスラエル 占領文化とパレスチナ』田浪亜央江著

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〈不在者〉たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ
田浪亜央江著
インパクト出版会
2,520円

   

 1948年5月、イスラエルは独立を宣言した。ユダヤ人にとって喜びのその日は、パレスチナに住んでいたアラブ人にとってナクバ(大災厄)の日となった。ユダヤ人の軍によって、たくさんのアラブ人が虐殺され土地を追われた。軍はアラブ人の町や村を破壊し、イスラエル政府はアラブ人を「不在者」居ない者として土地や財産を没収、ユダヤ人に与えた。そこにはユダヤ人が住むことになった。
 著者、田浪亜央江は中東地域の若い研究者。シリア留学のあとイスラエルに留学した。そこでユダヤ人とアラブ人の不可思議な「共存」を目の当たりにした。
 多くのユダヤ人は、明るくきさくだ。ポップでキッチュなユダヤ人文化。独立記念日にはあちこちに国旗を飾り付け、フォークダンスを愛する人々。だがアラブ人への侮蔑の言葉が出ることが多い。アラブ人を抑圧しているという自覚がないのだ。大学にはイスラム教徒のための礼拝所がない。またラマダン(断食月)の間は昼間飲食ができないイスラム教徒への配慮がなく、レストランで飲食するユダヤ人の給仕をラマダン中のアラブ人がする、ということがままある。
 ユダヤ復興と社会主義の象徴だったキブツ(集産主義的共同農場)は実はアラブ人を追い出したあとの土地に作られたところが多い。追い出されたアラブ人はかつて住んでいた土地の近くに村をつくって暮らしているが、電気も水道も不便で学校も整備されてない。アラブ人も若い世代にはユダヤ人の自由な気風に染まる人もいる。著者はルームメイトのアラブ人女性の自堕落さを嘆く。一方でイスラム原理主義への傾倒も増えている。
 著者は若い女性らしい目で、不平等な「共存」を凝視する。著者が親しみを覚えるのは、やはりアラブ人だ。自分の国に居ながら不在者扱いされるアラブ人。その悲喜に寄りそう。
(掲載:『望星』2008年11月号、東海教育研究所) 
 

2008/09/01

『大西成明写真集 ロマンティック・リハビリテーション』大西成明著

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大西成明写真集 ロマンティック・リハビリテーション
大西成明著
協同医書出版社・編集協力
ランダムハウス講談社・発行、2,940円

 
 リハビリテーションとは「本来あるべき状態への回復、再生」などの意味がある。病気で失われた感覚や身体を取り戻す。または残った力で障害とともに生活するために適応していく。それは本人の心をも変えるのだ。
 この本の著者で写真家、大西成明は20人のリハビリテーションに関わる人々を訪ね、それぞれの再生を撮し彼らの言葉をつづる。
 ピアニスト、舘野泉は脳溢血で右半身の感覚を失った。だが音楽から離れることができなかった。そこで左手だけで弾けるようにアレンジした曲で演奏を続けている。「音楽に必要なものは何一つなくなっていなかったんだね」。
 整形外科医、ノンフィクション作家の山田規畝子は高次脳機能障害。思考力は落ちていないが行動に障害があらわれる。脳が壊れて世界が変わったという。壊れた脳と共に生きつつ、高次脳機能障害への理解を呼びかけている。「私のように二つの世界に足を突っ込んでいる人間が結構お役に立てるんです」。
 免疫学者、多田富雄は脳梗塞で右半身が麻痺。話すことも食べ物を飲み下すこともままならなくなった。国のリハビリテーション医療費の削減に怒りを燃やす。障害をもったとき、自分自身のものだけとは思えない多くの無名の怒りが宿った、と感じた。左手でパソコンを打つ。「巨悪に向かって足を失った者は手で這って進み、手をもがれた者は大地を噛んで進む。歯を抜かれた者は眼光で見透かす。五体の半分の力を失った私のリハビリ闘争にはまだ左手の指と言葉という武器がある。私を滅ぼすことはできない」。
 他にアルコール中毒、薬物中毒の人々、義肢装具士、岩盤浴で体を癒すガン患者など、さまざまな人が自分を語る。
 世界とつながるための体。体と脳をつなぐ五感。人によって感じる世界は違う。そのつながりの変化から人は別な世界を発見する。リハビリテーションとは世界で生きるための再生。
(掲載:『望星』2008年10月号、東海教育研究所)

2008/08/17

『死に魅入られた人びと ソ連崩壊と自殺者の記録』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、松本妙子訳

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死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著
松本妙子訳
群像社、2,100円


 1991年、ソ連が崩壊した。共産党一党独裁下の社会主義体制と15の共和国からなる連邦体制は崩れ去った。国民は資本主義という未知の体制下で生きることとなった。
 そして、WHOの調査によると、そのころからロシアの自殺率は急激に上昇しはじめ、1994年ごろにピークとなる。2004年のロシアの自殺率は世界で第2位。人口10万人あたり38.7人の自殺者がいたことになる。そのなかには、国の体制の大きな変化が精神的な負担になっていたケースが少なくない。何せ、今まで社会主義でレーニン、スターリン崇拝、国家によって個人の人生が定められていたのが消えてしまい、金がものをいう社会にほうりだされたのだから。
 著者、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、ソ連時代についてのドキュメンタリーを発表し続けるジャーナリスト。この本は14歳の少年から87歳の老人まで、17人の自殺者もしくは自殺志願者自身、親や友人へのインタビューが収録されている。すでに著者のシナリオによって映画化された。
 人生の全てを共産党に捧げてきた老党員。共産主義が描く皆が豊かで幸せな未来を創るため、ひたすらに戦場で戦い職場で働いてきた、その未来は祖国の崩壊とともになくなってしまった、自分には何も残されていない…。彼は自殺した。そのほか、息子に祖国と戦争のことばかり教えていた母親。息子は自殺した。今は老人となった元兵士は言う。
 「私は共産主義者として死にたい、ソヴィエト人として死にたい。(泣く)われわれの世代が去るのを待ってください、かつて社会主義のもとで、戦争中に生きていた世代が去るのを……。」
 国家と主義に翻弄され、死に魅入られた人びと。小さな叫び。
(掲載:『望星』2006年3月号、東海教育研究所)

2008/07/31

『鉄腕ゲッツ行状記 ある盗賊騎士の回想録』ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン著、藤川芳朗訳

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鉄腕ゲッツ行状記―ある盗賊騎士の回想録
ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン著
藤川芳朗訳
白水社、2,625円

 
 「騎士」といえば弱きを助け悪をくじく、というイメージが離れない。だが中世も終わる頃、騎士道華やかなりし時代は遠くなった。ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは16世紀前半ドイツ、当時の神聖ローマ帝国に活躍した帝国直属騎士で、地方の小貴族。当時ドイツは大貴族が支配地を広げ大都市が富を蓄えていた。かたや騎士の権威は下がりつつあった。騎士でなくても使える鉄砲や大砲や弩が開発され、また傭兵が使われるようになり、戦争での騎士の価値は低くなった。
 豊かでない騎士は盗賊まがいのことを稼業にする者もいた。ゲッツもその一人。「フェーデ」と称して旅の貴族や商人などを襲い、金品を奪い人質をとる。さらに身代金を要求する。フェーデとは本来ゲルマン民族の法の、自分で自分を守る権利に基づいていて、自分や自分の親族が他者から損害を被ったら戦うことができるというものだったが、ゲッツたちはこれを都合良く解釈していたようだ。
 「鉄腕ゲッツ」と彼は呼ばれていた。戦場で失った右手に精巧な義手をはめ、フェーデで名をあげていった。この本は晩年のゲッツが語った回想録。これをもとに、18世紀ゲーテが戯曲「鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」を書き、古き良き素朴な騎士ゲッツを讃えたが、本当の彼はどんな人だったのか。
 若い頃からゲッツはフェーデに励んだ。襲撃、強奪そして身代金をせしめる。そのあげく大貴族、大都市、果ては大司教をも敵に回した。そして宗教改革の波が来て、農民たちが領主や教会に反旗を翻したドイツ農民戦争では、なぜか頭目に担ぎ出されてしまう。
 剛胆にして狡猾、一本気にして老獪。自分では神の御心のままに戦った、と言っているが、見事な悪漢ぶり。中世と近代の間の動乱の時代をしたたかに生きた魅力あふれる男の物語だ。
(掲載:『望星』2008年9月号、東海教育研究所より加筆)

2008/07/20

『東アジアに新しい「本の道」をつくる』『本とコンピュータ』編集室編

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東アジアに新しい「本の道」をつくる―東アジア共同出版(日本語版)
『本とコンピュータ』編集室編
トランスアート
2,000円

 日本、朝鮮半島、中国、台湾はかつて漢字を母字としており、やわらかな紙に木版印刷した本が行き来していた。これをブックロード、本の道という。たくさんの経典や物語がこの道によって運ばれ、国境を越えて共有されてきた。
 2002年、本の道を現代によみがえらせ、東アジアで本を交流させよう、という試みが始まった。そうして2004年にできたのがこの本だ。日本、韓国、中国、台湾の共同出版。日本は津野海太郎(当時『本とコンピュータ』編集長、現、和光大学教授)と加藤敬事(元みすず書房社長)、韓国は韓淇皓(韓国出版マーケティング研究所)、中国は劉蘇里(万聖書園)、台湾は郝明義(大塊文化出版)ほか各国の出版界で活躍する人々が参加して、この本をつくりあげた。韓国、中国、台湾でも各国語で出版される。
 季刊誌『本とコンピュータ』はデジタル化が進む世界で、本と本づくりはどんな道をたどるのか、未来を探るプロジェクトとして、1997年から2005年まで刊行された。
 日本ではいわゆる「かたい本」をはじめ本が売れなくなっている。その犯人を、取り次ぎ業者、新古書店、図書館などとしている向きもある。人々の本や書店に求めるものが変わってきているのだ。出版界と書店は変質を迫られている。
 韓国では、3、40代の386世代、日本でいうところによる全共闘世代にも似た1980年代の学生運動を担っていた世代が、政府に制限されない自由な出版を引っ張っている。
 中国では、これまで国営の出版業者や書店が中心だったが、民間の業者の進出も盛んになり、出版の自由度も上がる一方、経済自由化によって市場経済の困難に直面している。
 台湾では、中国大陸との出版の交流がおこなわれ、大陸の純文学を発行する一方、流行小説を大陸に提供している。
 四カ国の出版事情はそれぞれ違う。が「和して同ぜず」の心をもって、互いの交流を深め、東アジアの本の文化を高めよう、という意気込みが、この本にはあふれている。
(掲載:『望星』2004年8月号、東海教育研究所)

2008/07/07

『快楽の本棚 言葉から自由になるための読書案内』津島佑子著

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快楽の本棚―言葉から自由になるための読書案内 (中公新書)
津島佑子著
中央公論新社
798円

 
 有名な小説家だったという父親をおぼえていない子ども。教育ママだった母親は、子どもを父親のいた文学の世界に近づけまいとした。しかし子どもは、そんな危険でいかがわしい文学の世界をこわいもの見たさでのぞき込んだ。子どもはやがて本を読む少女となり、そして小説家となった。この本は太宰治の娘、小説家津島佑子の読書の軌跡である。読んだ本はその人の人生を物語る。
 少女と呼ばれる年齢になると、女にならなければいけない、ということに違和感を感じ、少女小説に出てくる可愛らしく家庭におさまっている少女像に共感できない。その反発から大人の小説の世界に入っていく。
 性への興味に動かされて、モーパッサンの『ベラミ』、井原西鶴の『好色一代男』、発禁処分にされたD・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』、さらに同性愛者とされるサッポーやオスカー・ワイルドの著作から、社会のタブーと文学という視野が拓く。
 社会の隠された部分を日の目に出す文学。これが規制されるのでは「言論の自由」が保障されているとは言えない。戦前のプロレタリア文学や、社会の規範を打ち砕こうとした近代の女性作家たちの活躍も文学の自由を目指したものだったのだろう。さらに眼はトニ・モリスンら黒人の女性作家や旧植民地出身の作家へ、そして世界の口承文芸へと広がる。
 「私」が何かを見て感じるとき、性別はほとんど存在しない、しかしそれを言葉にしようとすると「私」の「性別」が大きく影響する、この言葉の束縛から自由になるために「文学」という言葉と戦う場がある、と著者は言う。人間と言葉のつながりから生まれた、現実にそったもうひとつの世界「文学」に耽溺し言葉と格闘する快楽。本を読む喜びを思い起こさせてくれる。
(掲載:『望星』2003年5月号、東海教育研究所)

2008/06/26

『中世ヨーロッパの書物 修道院出版の九○○年』箕輪成男著

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中世ヨーロッパの書物―修道院出版の九〇〇年
箕輪成男著
出版ニュース社
3,150円


 世界的ベストセラーになったウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』は中世北イタリアの修道院が舞台。そこはキリスト教世界最大の蔵書を持ち、また修道士が写本を筆写、製作する写本製作所でもあった。
 西欧では本とキリスト教は切り離して語ることができない。キリストの語った言葉は弟子へと伝えられ、弟子がそれを書き残し、あるいは弟子の弟子が書き記した。それらは書き写され写本となった。美しい彩飾をほどこされて教会に収められたり、または異教徒への布教のために遠く旅に出たりした。
 著者は出版学の研究者。この本で、出版の発展に大きく関わった修道院での出版活動へと読者を導く。
 西欧でのキリスト教の発展とともに本も広まっていった。6世紀、修道院成立初期から写本製作は始まった。紙ではなく、羊や山羊から作る皮紙の本である。聖ヒエロニムスの教え「いついかなる時も目と手を書物から離すな」に忠実に修道士たちは読み、そして書いた。
 9世紀、フランク王国のカール大帝のもと学芸の保護が行われた。これが、カロリング・ルネッサンスと呼ばれる文化の一大隆盛をもたらした。修道院も大規模になり、スイスのザンクト・ガレン修道院など大修道院は西欧の学術センターとなった。多くの修道士がやってきて蔵書を筆写しては自分の修道院に持ち帰った。またキリスト教の本も、聖書はもちろん祈祷書、典礼書、賛美歌集と増えた。写本は売買のできるものとなり、修道院は出版元として活動した。
 12世紀になると学術の中心は大学へと移った。写本の工房が都市にいくつも作られ、出版活動もまた大学に移った。
 著者は出版人の立場から中世の出版事情を語っている。印刷技術が発達する前の写本文化も、出版の歴史にとって実り多いものだったのだ。
(掲載:『望星』2007年2月号、東海教育研究所)

2008/06/18

『ぼくが見てきた戦争と平和』長倉洋海著

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ぼくが見てきた戦争と平和
長倉洋海著
バジリコ
1,890円

 

 
 
 フォト・ジャーナリスト長倉洋海氏の写真で心惹かれるのは、人々の笑顔だ。屈強なイスラム戦士が、苦境にある人々が、笑顔をはじけさせている。この写真を撮っている人も笑顔をうかべているんだろうな、と思わせる。
 長倉氏は26年間世界の紛争地を巡り、さまざまな人に出会い、写真を撮ってきた。この本で長倉氏は若い人に自身のたどった道を見せつつ、語りかける。
 大学時代、長倉氏は探検部に入り仲間と共に無謀な冒険に挑戦していた。卒業後、通信社に写真部員として職を得たものの、世界の戦争の最前線を撮りたいという思いを捨てきれず、1980年退職。紛争地を巡るなか、長倉氏は戦争のなかで懸命に生きている人に強く引きつけられるようになった。中米エル・サルバドルでの取材が転機だった。
 そして1983年、アフガニスタンで、当時ソ連と戦っており「獅子」と呼ばれていた武装勢力の指導者マスードに、共に生活しながらの長期取材を申し込む。遠い国からたった一人でやってきた長倉氏を、同じ年齢のマスードは受け入れた。こうして長倉氏は、マスードとイスラム戦士たちとの友情を育むようになる。
 マスードは2001年、内戦の終わらないアフガニスタンで暗殺された。だが、思慮深く自分の運命を神に委ねていたマスードへの、長倉氏の敬愛は今も変わらない。マスードのほか、エルサルバドルで、アマゾンで、コソボで生きる人々は長倉氏に人生を教えてくれた。写真には、出会った人、そして自分自身が写っている、その一コマ一コマがぼくの人生を作り上げ、同時に世界を作り上げた一瞬なのです、と長倉氏は言う。
 最近、海外の危険地帯で誘拐されたり殺されたりする日本人の若者がいる。それを「無謀」「自己責任」と冷ややかに突き放す日本の政治家。長倉氏は、若者たちに自分の若い頃を重ねて言う。政治家なら「若者が悲惨な事件に巻き込まれないように世界を平和なものに変えていきたい」というべきだ、と。
 長倉氏の我が道を行く地を這うような人生は、昨今流行っている生き方上手で小器用な人生とは大違いだ。熱い男の生き様である。
(掲載:『望星』2007年8月号、東海教育研究所に加筆)

2008/06/11

『百年の愚行』小崎哲哉ほか編

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百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY [普及版]
小崎哲哉ほか編
紀伊国屋書店
2,520円

 
 1枚の写真。海辺で抱き合う恋人たち。その足下はごみだらけ。だが、彼らはそれに気づかない。今の地球と人類を象徴するような光景だ。
 この本は、そんな人類の愚行の光景を集めた写真集だ。環境破壊、戦争、飢餓、病気、人種差別、過剰生産など20世紀に溢れ出た悲劇の写真が百枚ある。企画、発行はNPO、Think the Earthプロジェクト。「エコロジーとエコノミーの共存」を目指して、環境問題や人道援助に取り組んでいる。21世紀になった今、人類がどんな地点まで来てしまったのか、どんな場所に立っているのか、振り返ってみるために、この本を作った。クロード・レヴィ=ストロース、アッバス・キアロスタミ、池澤夏樹らが前世紀を振り返り、新しい世紀を見据えたエッセイを寄せている。
 決して見ていて楽しい本ではない。丸坊主にされた森、密猟されたたくさんの象牙、工場の廃液が流される水俣の海。大量の放射性廃棄物。人間が自然に対してふるった暴力が目の前に突き出される。さらに人間が人間に行った暴力も見せつけられる。原爆のきのこ雲、アウシュヴィッツのガス室。エイズの少年の潤んだ目、棄てられたルワンダ難民の幼児。20世紀の人類の愚かな行為の数々がそこにある。
 レヴィ=ストロースが述べているが、20世紀初めには世界の人口は15億ほどだったが、現在は約60億。この爆発的な増大とともに、人間による生産も破壊もあまりに過剰になってしまった。そして、新世紀となった今も、その状況は少しも明るい方向に向かっていない。
 この本の送るメッセージは、あまりに暗く重い。不気味な警鐘を鳴らしている。
(掲載:『望星』2002年8月号、東海教育研究所)


2008/06/01

『酒づくりの民族誌 増補―世界の秘酒・珍酒』山本紀夫編著

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酒づくりの民族誌 増補―世界の秘酒・珍酒
山本紀夫編著
八坂書房
2,520円

 
 
 
 酒はおいしい。酒は楽しい。味わうは快感。酩酊は極楽。
 この本はワインやウイスキーなどの高級酒ではなく、世界の民族の地酒、主に家でつくる酒、その数30以上を取り上げる。そのつくり方、楽しみ方を人類学者、農学者たちが取材した。とは言っても論文ではなく肩のこらない読み物だ。1995年に発刊された『酒づくりの民族誌』の増補改訂版。前書が品切れとなり古本市場から高値でしか手に入れられない状況を見かねての発刊だそうだ。
 世界の多くの民族が土地にふつうにある作物で酒をつくっている。果実、蜂蜜、芋、穀類などさまざま。酒は糖分があれば、何ででもつくることができるのだ。酒づくりの原型と言われるのは口嚙みの酒だ。原料を嚙んで唾液に含まれる酵素でデンプンを分解し糖分に変えてからアルコール発酵を待つ。口嚙み酒は中南米のほか奄美、沖縄、台湾、北海道、中国各地で盛んにつくられていた。日本本土にもあった可能性がある。西表島では大正末期までうるち米を使った口嚙み酒が祭に出されていた。
 中南米のエクアドル・アマゾンでは口嚙み酒がまだ残っている。カネロス・キチュアの人々の酒づくりはキャッサバという芋が原料。皮をむいて茹でたキャッサバを潰しながら、その一部を口に入れもぐもぐぺっとやる。こうしてできたものを3、4日寝かせ水を加えてできあがり。これがチチャという酒。水をそのまま飲む習慣のないカネロス・キチュアの人々にとってチチャは水代わり。大人も子どもも飲む。おもてなしの飲み物でもあり、宴会を楽しくまわす。
 また芋焼酎は日本の代表的な庶民の酒。だが、サツマイモは南米が原産地だ。江戸時代、琉球から日本に伝わり各地に広まった。すてきな出会いだ。八丈島の芋焼酎にはこんな逸話がある。薩摩の商人丹宗庄右衛門は禁制を犯し八丈島に島流しになった。当時の八丈島では禁酒令が布かれていた。食糧事情の悪いこの島で、酒のために大量の穀類を潰すことはできなかったのだ。しかし、島民の祝い事には酒が欠かせない。そこで庄右衛門は島民に呼びかけてサツマイモを供出させ、本場薩摩の焼酎をつくった。サツマイモは穀類から除外されていたので禁酒令には触れないし、量産できる。島民はこぞってこの製法を教えてもらい、芋焼酎は島中に広まった。そして島には明るさが戻ってきたという。庄右衛門の功績を讃えて八丈島役場の裏には「島酒之碑」が立っている。
 そのほかリュウゼツランの花の蜜からつくられるメキシコの地酒プルケ、穀物や果実などからつくりスープのもとにもなる東スラブの軽い酒クワス、アフリカからインド、東南アジア、太平洋と広くつくられているヤシ酒など、土地土地の酒についていろいろ語られている。数々あるがどれも人の和を醸すのが酒の技。
(掲載:『望星』2008年7月号、東海教育研究所に加筆)

2008/05/21

『女子の古本屋』岡崎武志著

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女子の古本屋
岡崎武志著
筑摩書房
1,470円

 
 女性店主の古本屋さんがある。古本屋はこれまで「女には向かない職業」とされてきたので、ワクワクである。この本は13店の古本屋とそこの女性店主を紹介している。
 20から50代の方たちだが、皆さんそれぞれ何度も転職し、何度も転んで苦い水を飲み、そして何かに引かれるように古本屋を開業し、営業が軌道に乗るようになった。ただの文学少女のなれのはてではないのだ。
 例えば、仙台にある古書カフェ「火星の庭」の店主、前野久美子さんはすごい。18歳で調理師学校へ進学し調理師免許を取る。そして太宰治の生家、斜陽館へ「働かせてください」と飛び込む。しかし月給75,000円。そこで1年働くが、ある日、雑誌で六本木で京料理の店がオープンする記事を見つけ、雇ってほしいと訪ねていく。そしてその店を切り盛りすることになる。そこで1年。その後、今度はドイツの料理店で2年働き、故郷に帰る。しかし、すでに父親とは絶縁状態。仙台でホステスになるが体を壊し入院。退院後、出版社で働く。こんな猛スピードで20代が過ぎた。そしてパートナーと出会い、二人でヨーロッパを半年かけて巡る。ここでたくさんのブックカフェに出会う。書店勤めを経て1999年に仙台で古書カフェ「火星の庭」をオープンした。「やりたい」ではなくすぐ「やる」、迷いのない人生。「火星の庭」は半分が古本屋、半分がカフェ。古書もメニューも充実している。
 一方、西荻窪の古本屋「興居島屋(ごごしまや)」の店主、尾崎澄子さんは古本店主とシルクスクリーン制作の二足のわらじを履いている。デザイナーを志し広告会社に入ったものの劣悪な仕事環境から1年で辞めた。25歳を目前に上京。多くのアーティストを輩出している「美學校」に通いシルクスクリーンを学ぶ。しかし結婚、夫に引きずられるような形でいっしょに古本屋を開業する。やがて夫と離婚。経営上のパートナーというかたちで今もつきあっている。シルクスクリーン制作は夫の姓の石丸澄子の名前を使う。そして昼12時から夜11時までは「興居島屋(ごごしまや)」を開き、閉店後、シルクスクリーンの図案を練る。
 13人の女性店主を見るに老舗古書店で長年修行のうえ独立、という人はほとんどいない。異業種の経験があるからこそ、新しい店をつくることができるのかもしれない。たくさんの女性が、自分だけの小さな店を持ちたい、という夢を見ている。そのなかで13人の女性たちは「自分は古本屋という道で生きるんだ」という決意で古書業界に飛び込んだ。著者岡崎武志はこんな言葉を引いている。「『価値のあるもの』を買うのではなく、『自分で価値を作れる』人間は強い」。
 いろいろな店主が増えて、古本屋がもっと多様な、もっとなじみになれるところになればいい。

2008/05/14

『無国籍』陳 天璽著

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無国籍
陳 天璽著
新潮社
1,470円

 
 著者、陳天璽はある日、在日台湾華僑の両親といっしょに台湾を訪れた。しかし日本で生まれ育った彼女だけ、ビザが無い、と入国を拒否された。しかたなく日本へ戻ると、再入国許可の期限切れ、とまた入国を拒否された。だが、幸いなんとか入国できた。あやうく映画『ターミナル』のように空港から出られなくなってしまうところだった。なぜか。それは彼女が両親と違い、台湾の戸籍に入っていない「無国籍」だったからだ。
 著者は華僑などのマイノリティーの問題の研究者。この本で自らの経験をもとに無国籍者問題を取り上げている。
 両親は、中国大陸から第2次世界大戦後の内戦を逃れて台湾に来た。やがて、日本に移住。苦労して横浜中華街に店を持った。日本で生まれた末っ子が著者。キリスト教の洗礼名からララと呼ばれた。
 しかし1972年、日本は中華民国ようするに台湾と断交した。華僑が選択できる国籍は「日本」と「中国」しかない。「中国」には中華人民共和国も台湾も含まれる。両親には日本にも共産党の中国にも抵抗があった。一方、日本と台湾には国交がない。両親が日本生まれの娘に選択したのは「無国籍」。
 彼女は幼いころから、自分の国は、居場所はどこだろうと悩んできた。やがて研究者の道を進み華僑について研究するようになる。だが華僑とくくっても、住む国やルーツによってそれぞれ違う。研究は日本と世界の無国籍者に向かった。アメリカ軍基地の落とし子たち。日本人の父親から捨てられたフィリピン人女性の子ども。複数の国を背負った彼らを取材していくうちに、彼女は悟る。人間は、国籍だけでなく、生まれた土地や、話す言葉など、いろいろなもので繋がっている、と。
 この本は、マイノリティーの女性が自分のアイデンティティーを探す物語でもある。結局、彼女は無国籍の不便さから日本国籍を取った。でも「私は横浜中華街のララ」。それが彼女が見つけた自分だ。
(掲載:『望星』2005年4月号、東海教育研究所)

2008/04/30

『Googleとの闘い 文化の多様性を守るために』ジャン-ノエル・ジャンヌネー著、佐々木勉訳

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Googleとの闘い―文化の多様性を守るために
ジャン-ノエル・ジャンヌネー著
佐々木勉訳
岩波書店、1,680円


 フランスの歴史学者にして、前フランス国立図書館長の著者ジャン-ノエル・ジャンヌネーは警告する。2004年、アメリカの世界最大のインターネット企業グーグルは世界の本を電子化し、ネット上に流通させることを計画したのだ。「グーグル・ブック・サーチ」。いくつかの出版社と大学図書館が参加し、本と画像のデータを提供した。ネットで本を読むことができるほか、著作権の関係で読めない場合は購入先や所蔵している図書館を案内するようになっている。
 「ググる」という言葉が普通に使われているように検索エンジン、グーグルはネット検索にはもはや欠かすことができない。しかしグーグルも万能ではない。検索結果はコンピュータの自動制御で、すでに評価を得ているサイトから順番に並んで表示する、とされている。だがその順番に何の作為もないとは解らない。ネット情報は当然英語のものが多い。フランスの文豪ユゴーの作品を検索してもフランス語のものが一番に出てくるわけではない。何よりグーグル社は広告収入で動いている企業なのだ。検索結果の右側には商業広告がいくつも並ぶ。
 著者ジャンヌネーはグーグル社の戦略をネットのグローバル化だと強く批判している。アメリカからの情報、英語のデータがヨーロッパのそれを押しのけてしまうだろうと注意を喚起する。そしてこれからはヨーロッパ各国が手を結んでヨーロッパ独自の検索エンジンを作り、自分たちの文化遺産を守ろうと訴える。このために現在フランスでは「クエロ計画」が進んでいる。フランス国立図書館には電子図書館ガリカがある。しかし、同時に紙による蔵書の保存にも力を入れてきた。この二重保存の長所をヨーロッパで生かせばネットでの動向に左右されることなく、本を保存できるだろう。
 ネットも本もグローバリゼーションとは無縁ではないのだ。本という文化遺産をいかにネット上で普通の人に利用してもらい、後世に残すか。ネットは意外に狭いのかもしれない。
(掲載:『望星』2008年6月号、東海教育研究所)

2008/04/22

『ミノタウロス』佐藤亜紀著

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ミノタウロス
佐藤亜紀著
講談社
1,785円
 
 この本は昨年出版されたもの。私は佐藤亜紀氏のデビュー作『バルタザールの遍歴』のころからのファンだ。出版されるとさっそく買って読み始めた。だが、あまりの、殺す、犯す、殺す、犯す、の連続にぐったりして途中で投げ出し、1年ほどそのままにしてしまった。
 その後、がんばって読み直した。そうしたら、暴力と殺人の連続の果てに、なんというか何かの極北?のようなものが見えた。
 舞台はロシア革命のときのウクライナ。主人公ヴァシリは片田舎ミハイロフカの地主の次男坊。父は一代で財を成した。母は気取った都会女ですぐ首都キエフに帰ってしまった。兄は母の溺愛を受けて育ち軍人になったが砲弾で顔半分を吹き飛ばされて前線から帰ってきた。革命の波を受けて、地方政府は崩壊。オーストリアの侵攻。赤軍と白軍の戦い。これまでの秩序は形を無くした。その泥沼のような世の中を、農民あがりのごろつきたちが徒党を組んで武装し、戦闘、略奪、強姦と荒らし回った。鼻っ柱は強いが出来の悪いヴァシリは、父と兄の死後、土地と家屋敷を失い、元オーストリア兵で教養人のウルリヒ、臆病者だか抜け目のないフェディコとともにそのなかに突入し、蛮行の限りをつくす。

 「ぼくは美しいものを目にしていたのだ─人間と人間がお互いを獣のように追い回し躊躇いもなく撃ち殺し、蹴り付けても動かない死体に変えるのは、川から霧が漂い上がるキエフの夕暮れと同じくらい、日が昇っても虫の声が聞こえるだけで全てが死に絶えたように静かなミハイロフカの夜明けと同じくらい美しい。…それ以上に美しいのは、単純な力が単純に行使されることであり、それが何の制約もなしに行われることだ。こんなに単純な、こんなに簡単な、こんなに自然なことが、何だって今まで起こらずに来たのだろう。誰だって銃さえあれば誰かの頭をぶち抜けるのに、徒党を組めば別の徒党をぶちのめし、血祭りに上げることが出来るのに、これほど自然で単純で簡単なことが、何故起こらずに来たのだろう。」

 人が互いに殺し合うのは獣になったからだろうか。いや人間だからこそ際限なく殺し合い、強姦する。ミノタウロスとは頭は牛、体は人間の怪物のこと。限りなく獣に近い人間たちが殺戮の荒野を走る。
 佐藤氏の小説の魅力は、その文章の強さだ。ちまたにあふれる、やさしさと癒しなんて糞食らえとばかりに大鉈をふるう。
 吉川英治文学新人賞受賞作。

2008/04/11

『戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在』藤原帰一著

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戦争を記憶する―広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)
藤原帰一著
講談社
714円


 さまざまな国やさまざまな人が合意する歴史認識をつくりあげるのは絶望的なほどに困難なことだ。第二次世界大戦については、それぞれが忘れてはいけない記憶として語り伝えてきたことに、埋めることのできない溝がある。例えば原爆投下は、日本では一般人を虐殺した絶対悪だが、アメリカにとっては、戦争を終結させ多くの自国民と日本人や中国ほかのアジア人の命を救った平和と勝利のシンボルである。
 国際政治学者の著者、藤原帰一は、戦争が記憶として人々の心に刻みつけられ、そしてその記憶が国家の根幹を成す主義や社会に浸透する思想となっていくことについて冷静な目で考察する。
 ホロコーストは、第二次世界大戦では原爆投下と並ぶ一般人への虐殺行為だが、日本で「ヒロシマ」が掲げる反戦のメッセージとは違ったメッセージをアメリカでは発している。人々を虐げる国家に対して戦う責任を問う、すなわち正義の戦争「正戦」のメッセージである。この反戦、正戦の思想は日本とアメリカの国家の根幹となる。しかし被爆都市ヒロシマと、唯一の被爆国として平和を祈念する日本というメッセージには、広島の悲劇を日本国民の経験として記憶を共有する、ということが前提となっていて、他の民族への視点が抜け落ちている。こうした自国中心の平和主義が国の柱となる一方、自国中心の栄光の物語を「正しい歴史」とする思想が育ってきており、多くの人に支持されている。著者はこれらの思想の成立過程を検証し、その弱点をつく。
 さまざまな国の人に受け入れられる歴史認識はつくることができないのか。それには、自国民の悲劇を思いやると同じように、かつての交戦国の人々を襲った悲劇を思いやる心が必要だ。
(掲載:『望星』東海教育研究所)

2008/04/04

『古本屋を怒らせる方法』林 哲夫著

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古本屋を怒らせる方法
林 哲夫著
白水社
2,100円

 趣味が「古本探し」「古本屋めぐり」というと本好き上級といったところだろう。だが、さらなるつわものの古本好きは古本屋をまわって本を探すだけではない。古本屋から蔵書目録を取り寄せ、各地の古本市で目をこらし、掘り出し物を探すのだ。
 著者、林哲夫は画家で本の装丁も手がける。一方、無類の古本好きで、古本関連の同人誌『SUMUS』を編集している。この本はそんな彼の古本の日々を集めたエッセイ。
 古本屋のヘンクツおやじにコケにされる叱られるは日常茶飯事。店の真ん中に置いてある本を触ろうとしたら「触ったらアカン! 売りもんとちゃう」シッシ、とやられたこともある。未整理の本に触るのは嫌われるのだ。また、買った本を返品するのも嫌われる。何度も同じ店の品を返品して、店から「二度と注文しないでください。あなたには売りません」と絶交状を送り付けられた人もいる。古本屋でのマナーは、まず傘、コートはたたんで入る、ショルダーバッグは肩から外す、風邪をひいているときには行かない、などなど。最も嫌われるのが次々に本を抜き出して値段だけを確認することだそうだ。
 さて、古本屋や古本市をめぐっていると、古本好きの友人も増える。なかには「ゴッドハンド」神の手を持つ人、すなわち掘り出し物の本をつかむ確立が高い人もいる。その秘訣は「よく歩くこと」。まめに古本屋や古本市を覗くために歩きまわることらしい。神の手ならぬ、神の足を持つ人か。
 つわもの古本好きは自分にとって貴重な本を見つけるために日夜目を光らせているのだ。数百円の本を見つけて喜び、数万の値のつく本をなんとか安く手に入れようと算段する。大人の愉しみだ。
(掲載:『望星』2008年5月号、東海教育研究所)

2008/03/27

『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』土方正志著

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ユージン・スミス―楽園へのあゆみ
土方正志著
偕成社
1,470円

 ユージン・スミスは太平洋戦争から日本の水俣公害までさまざまな渦中のなかの人々を写してきたフォト・ジャーナリスト。今も世界の多くの写真家の尊敬を集めている。この本は別冊東北学編集室代表、土方正志氏が1993年に佑学社から発刊したユージン・スミスの伝記を、今回加筆、訂正して新たに刊行したものだ。フォト・ジャーナリストの長倉洋海氏が解説を寄せている。
 ユージンが駆け出しのカメラマンの時、太平洋戦争が始まった。南太平洋へ戦争取材に飛び出したユージンが見たのは、むき出しの人間が殺し合う戦場だった。子どもなど弱い者が真っ先に犠牲になった。アメリカ軍の進行ともに沖縄に上陸したユージンは前線で日本軍の砲弾を浴びて重傷を負った。このときの後遺症が彼を一生苦しめることになる。
 もう写真の仕事はできないのか、と絶望していたユージンは、傷に耐えながらある1枚の写真を撮った。彼の子どもたちが木立の暗がりから日向へと歩きだそうするワンシーン。あたかも絶望の暗闇から希望の光への歩きだそうとしているかのようだ。この写真が彼の代表作の1つ「楽園へのあゆみ」だった。
 以後ユージンは戦場に行くことはできなくても、世界の片隅で働いている名もない人々を取り上げ発表し続けた。
 フォト・ジャーナリストとして名をなしたユージンは、日本で公害病に苦しんでいる漁村があると聞いた。水俣だった。さっそく赴き住み込んで、3年間もかけて精力的に取材し、被害者とその家族の生きる苦しみと喜びを写真に撮った。これが写真集「水俣」へと結実した。ここには障害を負った娘を抱きかかえて風呂に入れる母親や、そのほか水俣の人々の日常がとらえられている。
 ユージンは聖人ではなかった。頑固で周りの人を巻き込んでまで自分の写真への信念を貫き通した。だが弱い者へのまなざしは温かかった。彼は戦う人だった。
(掲載:『望星』2006年5月号、東海教育研究所)

2008/03/20

『アストリッド・リンドグレーン 愛蔵版アルバム』ヤコブ・フォシェッル監修、石井登志子訳

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アストリッド・リンドグレーン―愛蔵版アルバム
ヤコブ・フォシェッル監修
石井登志子訳
岩波書店、7,560円

 子どものころ、『長くつ下のピッピ』が大好きだった、という人は多いだろう。赤毛でそばかすだらけの世界一強い女の子。ほかスウェーデンの田舎の子どもたちの楽しい日々を描いた『やかまし村の子どもたち』。「ちいさいロッタちゃん」などなど、スウェーデンの作家アストリッド・リンドグレーンの書いた物語は、子どもには夢を見せ、大人には懐かしい思い出を与えた。この本は2002年に94歳で亡くなるまでのアストリッドの人生を、貴重な昔の写真でつづったもの。
 アストリッド・リンドグレーンは1907年、スウェーデン南部、スモーランドの町ヴィンメルビーの農場で生まれた。深く愛しあっていた両親のもと兄と2人の妹がいた。この本の冒頭にはアストリッドが書いた両親の物語『セーヴェーズトルプのサムエルーアウグストとフルトのハンナ』が収録してある。
 兄妹たちは野山を駆け回り、自然のなかでのびのびと遊んで育った。やかまし村の子どもたちのように。
 だがアストリッドは18歳のとき、望まない妊娠でシングルマザーになる。1人で首都ストックホルムへ行き、生まれた息子のために必死で働いた。やがて息子の父親とは別の男性と結婚。娘をもうけた。
 娘の風邪の看病の最中、『長くつ下のピッピ』のプロットが浮かんだ。36歳のとき書き上げて出版社に送ったが拒否された。別の出版社に小説『ブリット-マリはただいま幸せ』を懸賞に送ったところ2等賞になり、これがデビュー作となった。翌年同出版社の懸賞に『長くつ下のピッピ』を送ったところ1等賞となった。ここからアストリッド・リンドグレーンの作家としての快進撃が始まる。『ピッピ』3部作はベストセラーとなり、世界中の言葉で出版された。
 こうして国民的作家となったアストリッドだが、「わたしにとって、わたしはいつでもヴィンメルビーの農場の娘。少し年をとって、ちょっと分別がついただけよ。」彼女は大人になっても子どものように遊ぶのが大好きだった。ブランコを漕いだり木に登ったり、子どもたちや孫たちを喜ばせては自分も楽しんでいた。だが国民的作家としての影響力は大きかった。時の政権が課した高額の納税に抗議し、書いた風刺物語が新聞に載せた。これが賛同を呼び、半年後、与党は政権を降り、税率も下がった。
 アストリッド・リンドグレーンは社会と積極的に関わっていったが、夢見ることも忘れなかった。彼女にとっていつも心にあったのはふるさとの農場だった。

2008/03/14

『畏れ慄いて 』アメリー・ノートン著、藤田真利子訳

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『畏れ慄いて』
アメリー・ノートン著
藤田真利子訳
作品社、1,575円(品切れ)

 会社員なら誰でも最初は、会社の掟の不条理に、「どうして?」と思う。だがやがてそれにからめ取られ、そして、からめ取られていることすら忘れてしまう。
 その不条理を皮肉と上品な笑いでつづったのがこの本だ。著者アメリー・ノートンは日本で生まれ育ったベルギー人で、フランスでは人気の小説家だ。彼女は日本の商社でのOL体験をこの本で小説にした。フランスで50万部を超える超ベストセラーとなり、日本の「カイシャ」の生態が注目を集めている。
 この本の主人公アメリーくんは、生まれ育った日本でとある商社に入社した。語学力を買われて入社したはずなのに、仕事はお茶くみとコピーとりばかり。だがあるとき他の部の部長から重要な報告書の作成を頼まれ、喜び勇んで書き上げる。しかしこの「直接の上司の許可もなく、他の部の仕事を、新入社員の分をわきまえずに行なう」という「カイシャ」の掟に反する行動が上司の怒りを買う。それから彼女の受難の日々が始まった…。
 この本では「カイシャ」のタテ社会の構造の不条理がマンガ的に描かれている。立派な社長、醜悪な副社長、小心な部長、そして美しい大和撫子だが冷酷な女性上司。彼らの上意下達の絶対構造を、おちこぼれOLアメリーくんは鋭く見抜くのだ。著者はこう書いている。「この本は小説です。わたしの体験をありのままに書いたものだとは思わないでください。しかし、かつて日本の大商社に勤務した体験をもとにしており、カイシャの真実の姿を描いたつもりです。」
 もしアメリーくんがバリバリのキャリアOLで、声高に「日本は変だ!」と叫ぶ物語だったなら、こんなにおもしろいものにはならなかっただろう。まあアメリーくんは計算能力が欠如しているなど、あまりにも会社やビジネスに向いていない。おそらくベルギーやフランスの会社でもダメだっただろう。
 ちなみにこの本を元サラリーマンの父と元OLの女性数人に読んでもらった。父は、この本に書いてあったことは「あり得るよ」と言った。一方、女性たちは「あり得ない!」「おかしい!」とのことだった。どうして? 女性の方がアメリーくんに共感すると思ったのに。
 このアメリーくんのカイシャ感、どう思われますか?
(掲載:『望星』2000年、東海教育研究所に加筆)

2008/03/07

『死を生きながら イスラエル1993-2003』デイヴィッド・グロスマン著、二木麻里訳

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死を生きながら イスラエル1993-2003
デイヴィッド・グロスマン著
二木麻里訳
みすず書房、2,940円

 
 朝、父親が息子を起こすと、訊かれる。「今日のテロってもう、起きたの?」。若いカップルが将来について話し合う。「結婚して3人子どもをもつ。そうしたら1人死んでも2人残るから」。これがイスラエルのユダヤ人の日常だ。死とテロについて考えずにはいられない。
 著者デイヴィッド・グロスマンはイスラエルの首都エルサレムに住むユダヤ人作家。これまで『ヨルダン川西岸』『ユダヤ国家のパレスチナ人』などでユダヤ人から見たパレスチナ人を描き、和平と共存を訴えてきた。この本は、1993年から2003年までのイスラエルとパレスチナの戦闘と和平への取り組みと苦闘について、彼の目から見たエッセイを収録している。
 1993年のオスロ合意。平和への道ができたかに見えたが、不完全でパレスチナ側に不利なものだったため、挫折。自爆テロと爆撃の応酬が日常となる。そしてシャロンの首相就任。強硬派が台頭してくる。平和の道は未だ見えない。
 自分の民族が他の民族を迫害しているといううしろめたさ。それによって起こるテロへの恐怖。もし、故郷を追われたパレスチナ人に帰還権を認めたら、数十年で自分たちは少数民族となり、迫害されるのではないか、という不安。平和を願うユダヤ人にもこのような懊悩がある。だが、著者は言う。「合意をあきらめるという〈贅沢〉はわたしたちに許されていない。」ともに生き残るためには、話し合うしか道がない。そして、エルサレムとガザとラマラのすべての壁にこう落書きしたいと吐き出す。「気ちがいども、殺すのをやめて話をはじめろ!」
 その後、アラファトは死にシャロンは政界を退いたが、なおも状況は悪化するばかりだ。テロと砲撃の応酬は止まらない。
 平和とは戦いや祈りで得られるものではなく、自分たちと異なる者とのねばり強い対話と交渉によって得られるのだ。
(掲載:『望星』2004年9月号、東海教育研究所)
 

2008/02/29

『魂との出会い 写真家と社会学者の対話』大石芳野・鶴見和子著

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魂との出会い―写真家と社会学者の対話
大石芳野・鶴見和子著
藤原書店
3,150円

 鶴見和子氏、社会学者。西洋の「対立、伝統の破壊」の社会に対し、アジアの視点からの地域発展論「内発的発展論」で、「共生、伝統の継承」の社会を唱えた。柳田国男や南方熊楠の研究から水俣病と社会の関連についての研究まで幅広く活躍。1995年に脳出血で左半身麻痺となりながらも執筆を続けていた。
 大石芳野氏、写真家。ニューギニアで原始の人々の取材が始まり。そして沖縄、ベトナム、アフガニスタン、コソボなどで戦争の傷跡に苦しむ人々を取材。代表作『パプア人 いま石器時代に生きる』『ベトナム凜と』など。弱い者、老人や女性、子どもに目を向けてきた。
 2003年、大石氏は鶴見氏の住まいを訪れた。2人は旧知の仲で、大石氏は鶴見氏の情熱的な生き方を尊敬してきた。この本は、この時の2人の対談集。
 大石氏の写真は、人のまなざしをとらえたものが多い。写される人の心が目に現れる瞬間をつかむ。つまり出会いだ。これは、鶴見氏が唱えたもう1つの理論「萃点(すいてん)」に通ずるものがある。人と人との縁が交差する点のことだ。
 鶴見氏「社会をいい方向に変えていくためには、人間の自立ということが一番大事な原点です。大石芳野さんは写真を通して一人一人の魂が現れるような写真を、一人一人について撮っている。」これは「内発的発展論」に通ずるものがあるかもしれない。「だからあなたの写真は歴史なのよ。歴史の積み重ねの、それぞれの層なのよ。」大石氏の写真が鶴見氏の言葉によって新たに姿を現し、2人の言葉が魂を持って交流する。
 鶴見氏はその3年後、亡くなった。鶴見氏の短歌。
 「ベトナムの子らの瞳凜と撮したる大石芳野の瞳は凜凜と」。
 強い意志を持つ2つの魂の対話は、希有な時間だったのだ。
(掲載:『望星』2008年4月号、東海教育研究所)
 

2008/02/23

『琉球布紀行』澤地久枝著

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『琉球布紀行』
澤地久枝著
新潮社
2,310円(絶版)

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琉球布紀行 (新潮文庫)
澤地久枝著
740円

 
 沖縄島を中心として広がる鹿児島県下の島々から台湾近くの島々は、琉球弧と呼ばれる。本土とは違った文化を持つ。この島々にはまた独自の織り、染め、模様の布がいくつも昔から受けつがれている。
 昭和史を描いてきたノンフィクション作家、澤地久枝は2年あまり沖縄に住み、布の作り手たちを訪ね歩き、取材した。沖縄にやってきたのは、もともとは沖縄の戦後史を学ぼうと大学で聴講するのが目的だったという。しかしこれらの布に魅せられ、島から島へ旅することなった。この本は、月刊誌『シンラ』に1999年の1年間連載したものをもとに新たに書きおろしたもの。
 北は鹿児島県の奄美大島から南は台湾のとなりの与那国島までの、さまざまな伝統の布とその作り手がカラー写真入りで紹介される。華麗な絵柄の紅型、精緻な模様の紬や絣。芭蕉の繊維から織った布もある。これらの布は、本土からの布製品の流入や先の戦争による物資不足などにより消滅の危機にさらされてきた。なかには作る技術が長いこと失われていたものもあった。この危機を乗り越えて伝統を守り、また失われた技術をよみがえらせたのが紹介されている作り手たちだ。多くは女性。著者は布たちがくぐった戦火をたどり、作り手たちの上を通過した戦争にふれる。作り手たちは戦火で破壊された自分たちの生活を立て直すなか、布の伝統も立て直し、さらに自分の作品として発展させた。そして伝統を受けつぐ後継者を育てている。
 布を訪ねての著者の旅は、作り手たちの人生を訪ねる旅だった。作り手たちの強い人生。ものを作る人が一番強い。
(掲載:『望星』東海教育研究所)

2008/02/17

『緑の影、白い鯨』レイ・ブラッドベリ著、川本三郎訳

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緑の影、白い鯨
レイ・ブラッドベリ著
川本三郎訳
筑摩書房、3,675円

 

 
 1953年、33歳のレイ・ブラッドベリはアイルランドを訪れた。税関で訪問理由を問われると彼は言う。
 「狂気です。2種類あります。文学的狂気と心理学的狂気です。まず、私がここに来たのは白い鯨の皮をはいで脂をとるためです。」
 新進作家のブラッドベリは著書『火星年代記』を映画監督ジョン・ヒューストンに贈呈していた。ヒューストンは『マルタの鷹』『アフリカの女王』などを手がけ、すでに巨匠だった。ブラッドベリはヒューストンに見込まれて映画『白鯨』の脚本の依頼を受けた。そして彼の住まうアイルランドへ、その原稿を書きにアメリカからやってきたのだ。
 西のはての島アイルランド。鮮やかな緑を見せたかと思うと突然嵐がやってくる。憂鬱な空に憂鬱な人々。滞在した首都ダブリンでブラッドベリは、あるパブの常連になる。そこに集うのはシニカルで饒舌な呑んべえたち。ほかにもさまざまな人に出会う。世にも悲しげで悲惨な運命をたどる辻音楽師。天使のような赤ん坊を演じる40歳の物乞い。
 一方、ジョン・ヒューストン監督はかなりな難物だった。らんちき騒ぎ好きで女好き。派手なことが大好きで酒豪。乗馬と狩りが好きでブラッドベリにもむりやりやらせようとする。人生海千山千の彼にとって若いブラッドベリは、かっこうの遊びの種だった。ブラッドベリはヒューストンにからかわれ、だまされ、泣き出してしまうこともしばしば。彼にとってヒューストンはエイハブ船長と白鯨モビーディックを会わせたくらい怖ろしく、扱い難く、そして魅力的な男だった。
 そんななかでもブラッドベリは『白鯨』の原作者ハーマン・メルヴィルが降臨してきたように脚本に没頭した。
 ブラッドベリはパブの仲間に演説。
 「偉大なる神よ、あなたは間違っている。あなたはどこにおられるんです? どこでもない場所から北に9,000マイルのところにある小さなしみのような島のどこに!! ここにどんな富があるというんです? 何もない! 天然資源は? たったひとつ、あるだけ。私の会ったすべての人の、豊かな資源にあふれた才能、黄金の心! 目を通して外を見つめる心、針の穴ほどのささいな出来事にも反応して舌からころがり出る言葉!」
 それはブラッドベリの人生の一季節だった。緑の島とそこに住む人々、そして恐怖の白い鯨とそれに執念を燃やす荒々しい魂との格闘。確かにそのときブラッドベリは手を焼きながらも彼らの虜になったのだ。

2008/02/08

『アレクセイと泉』本橋成一撮影・著

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アレクセイと泉
本橋成一撮影・著
小学館、3,570円

 
 1986年にウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故では、隣国ベラルーシも放射性物質に汚染され、広い地域が住むには危険な地域になった。たくさんの子供たちが放射能に侵され、死んだ。その地域の人々は政府の勧告により移住し、多くの村々が廃村となった。
 だがいくつかの村では、老人たちが故郷を離れることを拒否して暮らしている。写真家本橋成一は、そうした人々を写真集『チェルノブイリの風』『無限抱擁』『ナージャの村』でとらえてきた。この本『アレクセイと泉』はそうした彼の仕事の一つ。同名の映画の制作と平行して、この写真集を作った。
 チェルノブイリの北東180キロにある小さな農村ブジシチェ村。かつて600人もの人々が住んでいたが、原発事故で危険地域に指定されたため、多くの住民、とりわけ若い世代が村を離れ、老人たちと一人の青年アレクセイだけが暮らしている。村の中心には「百年の泉」と呼ばれる泉が湧き出ており、その水からは、奇跡のように放射能が検出されない。村人たちは、全てを清める聖なる泉として毎日飲み、家畜にもあたえ、時には薬として使っている。アレクセイは唯一の若い者として、老いた父母や村の老人たちを助ける。水汲み、作物の収穫、薪取り、大工仕事。
 純朴なアレクセイを中心に、泉と大地の恵みを受けたのどかな農村の暮らしが、煙るように美しいモノクロームの写真で詩のようにつづられてる。が、写真を見ている側からは、汚染地域だという緊張が頭から離れない。
 『ナージャの村』で、ある老人が「どこへいけというのか。人間の汚した土地だろう。」と言った。アレクセイは「この村以外の、いったい何処へ?」。大地を汚すのも人間、その恵みを受けるのも人間。
 この本ができてから6年たった。アレクセイたちはどうしているだろう。
(掲載:『望星』2002年、東海教育研究所より改変)

2008/02/01

『書肆アクセスという本屋があった 神保町すずらん通り1976—2007』岡崎武志・柴田信・安部甲 編著

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書肆アクセスという本屋があった―神保町すずらん通り1976-2007
岡崎武志・柴田信・安部甲:編著
発行:「書肆アクセスの本」をつくる会、発売:右文書院、1,200円

 東京の神田神保町の靖国通りを脇道に入ると、すずらん通りという小ぶりな通りがある。個性的な本屋が建ち並ぶ。そこに書肆アクセスという本屋はあった。今はもうない。昨年11月に閉店した。たくさんの人に愛された本屋だった。
 現在、本や雑誌は一般の流通ルートでは、一部の大手出版社のものしか普通の書店に並ばない。しかし、そういうルートの乗ることができないが、本や雑誌で独自の情報を発信している地方出版社、小規模出版社は多い。そうした本や雑誌を流通させるために、地方・小出版流通センターが設立された。書肆アクセスは、その小売・展示センターとして1976年にオープンした。
 狭い店内には、東京で見ることのできない地方の歴史、自然などの本。詩、民俗学、考古学、旅などのマニアックな本。タウン誌や趣味のミニコミ誌。普通の書店にはない品揃えの不思議な空間は、大勢の本好きな人を惹き寄せた。地方出版社や小規模出版社の人々も、よく訪ねてきた。そうした人々を畠中理恵子店長とスタッフは温かく迎えた。岡崎武志いわく「書肆アクセスは旅人が憩う一本の木だった」。
 だが経営は赤字となり、閉店が決まった。それを聞いた有志が「書肆アクセスの本」をつくる会を結成し、書肆アクセスとの別れを悲しむ80人の寄稿と30人のメッセージをまとめた。それがこの本だ。それぞれの書肆アクセスとの思い出を語る。みな書肆アクセス閉店に心に穴が空いたような寂しさを味わっている。「私の“本好き”の一割くらいは『書肆アクセス』でできていることを、誇りに思っています。」と店長とスタッフに感謝する、おなじみさん。
 書肆アクセスが無くなる代わりに、その機能は三省堂書店神保町本店4階の地方出版・小出版物コーナーに移される。でも、すずらん通りの書肆アクセスという小宇宙はもうない。確かにそこは本の旅人が憩う大きな木だった。その木は切り倒されてしまった。
 1997年から1990年と2005年の「神田神保町路地裏マップ」が付録についている。
(掲載:『望星』2008年3月号、東海教育研究所に加筆)


2008/01/22

『パレスチナ問題』エドワード・W・サイード著、杉田英明訳

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パレスチナ問題
エドワード・W・サイード著
杉田英明訳
みすず書房、4,725円

 著者エドワード・W・サイード、パレスチナ人。文学研究者、文学批評家。2003年9月、ニューヨークで亡くなった。白血病を患い、長い闘病生活の末のことだった。
 サイードはエルサレムに1935年生まれ、少年時代、イスラエルの拡大から逃れて家族でカイロに難民となって移住した。16歳で単身アメリカに渡って高校、大学と進み、以来アメリカを拠点として、大学で教鞭をとる。そしてパレスチナ人の「声」をその著作で発表してきた。代表作『オリエンタリズム』『戦争とプロパガンダ』シリーズなど。イスラエルのパレスチナ人への暴力と排斥に鋭い言葉で抵抗、非難し、それを支持するアメリカ政府を批判し続けた。
 この本はサイードのもう一つの代表作である。原書は1979年に発行されたが、2004年ようやく邦訳が出た。
 著者はこの本で、イスラエル建国の原動力となったシオニズム(ユダヤ人がシオンの地すなわちパレスチナに民族の郷土を建設しようとする運動)の歴史を、その犠牲となり、劣った者とされてきたパレスチナ人の側から語り直す。彼はシオニズムは、オリエンタリズム—西洋は異質な東洋より優れており支配すべきとした思想—と結びついたとしている。イスラエル建国のために、パレスチナに住んでいたパレスチナ人は「いないもの」とされ、せいぜいテロリストとして扱われてきた。サイードは言う。
 「私たちはパレスチナと呼ばれる土地にいた。たとえナチズムを生き抜いたヨーロッパのユダヤ人残存者を救うためであっても、ほとんど何百万もの同胞にパレスチナからの離散を余儀なくさせ、私たちの社会を雲散霧消させてしまったあの土地奪取と私たちの存在抹消とは、いったい正当化される行為だったであろうか。いかなる道徳的・政治的基準によって、私たちは自らの民族的存在や土地や人権に対する主張を捨て去るよう期待されているのだろうか。一民族全体が法律上存在しないと告げられ、それに対して軍隊が差し向けられ、その名前すら抹消するために運動が繰り広げられ、その『非存在』を証明すべく歴史が歪曲される。そんなとき、何の議論も沸き起こらない世界とは何なのだろうか。」
 一方彼は、ユダヤ人を非難、告発するだけではなく、パレスチナ人とユダヤ人の和解と共存の道を模索する。このパレスチナ問題を亡くなるまで著作や政治活動でもって情熱的に戦った。
 サイードがこの本を書いたときよりも、現在は両民族のなかで、和解するために互いに歩み寄ろう、という人々が増えている。だが、テロと爆撃の応酬もまた続いている。彼が死ぬまで願った共存と平和へは遠い。
(掲載:『望星』2004年6月号、東海教育研究所より改変)

2008/01/15

『デジグラフィ デジタルは写真を殺すのか?』飯沢耕太郎著

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デジグラフィ―デジタルは写真を殺すのか?
飯沢耕太郎著
中央公論新社
1,575円

 最近は、カメラと言えば当然のようにデジタルカメラのことだ。だが、光によって画像をフイルムに焼き付けるアナログカメラの写真と、電気信号によってデジタルデータとして保存されるデジタルカメラの写真とは、できあがりこそ似ていても、中身はまったく違う。
 著者の写真評論家、飯沢耕太郎はアナログカメラの写真=フォトグラフィに対し、デジタルカメラの写真を「デジグラフィ」と呼び、この本でデジグラフィの現在を通して、フォトグラフィ、デジグラフィの未来を考える。
 報道写真では、デジタルカメラを使うことによって、画像を新聞社や通信社にすぐに多量に送信し、より早く公開できるようになった。しかし、デジタル写真はアナログ写真よりも簡単に加工できる。2003年、『ロサンゼルス・タイムズ』紙に載ったイラク戦争の写真で、イギリス軍の兵士が住民に避難を呼びかけている場面を撮した写真があった。だが、実は2枚の写真を合成したものだった。
 しかし簡単に加工できるということは、デジグラフィの利点だ。デジタルカメラで撮影され加工された写真が、アートとして発表されている。魔術的リアリズムを醸し出す作品たち。また最大の利点は、簡単にウェブにのせられることだ。日常をアートとしてホームページにのせた写真の数々。デジタルアーティストの活躍は、ますます広がっている。
 だがデジタル写真は、アナログカメラで撮ったモノクロ写真の、白から黒へのけむるように美しいグラデーションには、とうていかなわない。
 高級デジタル一眼レフカメラがバカ売れしている、携帯電話のカメラを友達とやりとりし日々のブログに貼り付ける、デジタル画像を普通の人が操れるようになった、現在。フォトグラフィとデジグラフィは絵画と写真のように別な道をたどるのか。フォトグラフィは、絵画のように生き残ることができるか。
 生き残って欲しい。
(掲載:『望星』2004年7月号、東海教育研究所より加筆)

2008/01/10

『続和本入門 江戸の本屋と本づくり』橋口候之介著

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和本入門 続 (2)
橋口候之介著
平凡社
2,310円

 本の街神田神保町の老舗、誠心堂書店。創業1935年の和本、古典籍などを扱う古書店だ。店主橋口候之介は、1984年に創業者である岳父のあとを継いで店を取り仕切ってきた。そして前書『和本入門 千年生きる書物の世界』に続いて、この本で和本の世界にいざなう。
 前書は和本そのものの基礎知識を説いていたが、今回は中級編といったところ。江戸時代の出版、流通、販売についてである。現在は出版社、印刷会社、取次会社、書店から成り立っているが、江戸時代は「本屋」で全て行った。さらに古本の販売や貸本も扱った。この本では、職人たちの手当や出版に関わるさまざまな雑費を調べ、当時の出版原価計算もとっている。またインターネットで公開されているデータベース「日本古典籍総合目録」を使って年ごとの書物成立も表にしている。江戸時代の出版文化を知るうえの貴重な資料だ。
 江戸時代、江戸、京都、大阪の三都で出版文化が花開いた。板にページを彫って印刷する木版印刷の本は江戸時代に多く作られた。その版木を管理するのも本屋の仕事だった。本と版木は本屋の市場で流通した。この時代は文字を読める人も増え、読書が楽しみとなっていった。17世紀までは、いわゆるカタイ本を「物之本」として「書物屋」や「物之本屋」と呼ばれるところで売られていた。だが18世紀後半からは実用書や小説、趣味の本、旅の本など楽しみのための本が「草紙屋」という別の本屋から売られるようになった。江戸では「地本問屋」と呼ばれた。
 『北越雪譜』は越後国塩沢の縮商人、鈴木牧之が地元雪国での生活や風俗習慣を描いた本だ。1836年に江戸の本屋、丁字屋平兵衛が発行した。鈴木牧之の文章に戯作者山東京山が読みやすく加筆修正し、山東京山の息子、岩瀬京水が描いた挿絵は二色刷り。この本の出版のために牧之は当時一流の戯作者と絵師に文と絵を任せることにこだわった。書き手は最初、山東京伝を頼んだが果たせず、次に曲亭馬琴もだめ。そして山東京伝の弟の京山が協力を申し出た。なった。そして最初の構想から30年以上の紆余曲折をへて発行となった。これが大当たりし、6年後に続編が出た。ここまでのすったもんだとなったのは、本屋の採算という問題と、あと鈴木牧之の文章で読者を惹きつけられるかということにある。そこで一流の戯作者が必要だったのだ。江戸時代も今も出版は、馬琴が「おのれ一人おもしろがりてハ売物にならず」と言ったように採算との戦いだった。
 江戸時代は自費出版(あるいは同人誌?)ともいうべき「私家版」も盛んに作られた。後の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えた国学者、平田篤胤の著作は、驚くべきことにほとんど私家版だったのだ。危険な政治思想などは、本屋から普通に出版できなかった。
 さらに手書きの本、いわゆる写本も木版印刷の本に負けないくらい作られた。「忠臣蔵」など幕府の采配に異をとなえる物語も普通には出版できなかったので、写本によって世の人に親しまれるようになった。世俗的な読み物は写本が多かった。「八百屋お七」の物語も写本だった。
 こうしてたくさんの本が世の人に親しまれたが、本は一人の読者のもとで終わるのではなく、多くの人の間を渡り歩くものだった。本は人々のなかを巡るあいだに書き込みや注釈を入れられた。人々のなかを巡って成長する本。
 本の世界は広大だ、とくらくらする。
(掲載:『望星』2008年2月号、東海教育研究所より加筆)

 

2008/01/02

リバーベンドへ

 今回、紹介する本『バグダッド・バーニング』(2004年発刊)『いま、イラクを生きる』(2006年発刊)はイラク人女性「リバーベンド」がイラク戦争のさなか2003年からバグダッドで書いたブログを集めたものです。彼女が実在する人かどうかはわかりません。この書評は彼女へのお手紙です。
 2008年1月2日現在、あれからブログは2007年10月22日、彼女とその家族がシリアへ逃れたことを書いたところでとぎれています。彼女の無事を祈りつつ。
(日本語訳はhttp://www.geocities.jp/riverbendblog/)


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バグダッド・バーニング―イラク女性の占領下日記
リバーベンド著、リバーベンド・プロジェクト訳
アートン、1,575円

 
 親愛なるリバーベンド。お元気ですか。かの地はどんなにか大変でしょう。
 書店でこの本を見たとき、正直とまどいました。著者の素性がほとんど不明、この本は日記ブログ、リバーベンドとはハンドルネーム。本名も、素性のわからない人の本の情報なんて信用できるんだろうか、と思ってしまいました。
 あなたについての数少ない情報では、あなたはバグダッドに住む24歳のイラク女性。大学出のバイリンガル。プログラマーとして働いていた。だが戦争の混迷の中でイスラム原理主義勢力が台頭してきて、一人で外に出る女性を攻撃するようになり会社を解雇された。そしてそれまでイラク女性は、ヒジャーブつまりイスラム教徒女性の髪を覆うベールをかぶることは公に強制されていなかったけど、安全上かぶるべきか悩んでいる、と。
 日々の暮らしも大変ですね。水の確保。相次ぐ停電。恐ろしいのは、強盗、武装勢力、そして米軍。近所の人や親戚や友人に降りかかる暴力と殺戮。
 インターネットで、あなたがブッシュ大統領と彼の政府を「何が解放よ」と、アメリカべったりのイラク統治評議会を「無能」と怒りに燃えて罵る。たちまち賛成と脅迫のメールが返ってくる。もう一つの戦争。そもそもリバーベンドって本当に存在するのか。どこかの政治団体のでっち上げではないのか。そんなことを言う人もいるでしょう。このイラク戦争にもたくさんの嘘があるでしょう。しかし重要なのは、リバーベンドが何者かということより、あなたの文章の内容であり、こういうことを書いて世界に配信する人がいる、という事実です。
 あなたが書き続けることを祈りつつ。(日本語訳はhttp://www.geocities.jp/riverbendblog/)
(掲載:『望星』2005年1月号、東海教育研究所)


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いま、イラクを生きる―バグダッド・バーニング〈2〉
リバーベンド著、リバーベンドブログ翻訳チーム訳
アートン、1,470円

 
 リバーベンド、また本で会えましたね。
2003年から始まったあなたのブログ「バグダッド・バーニング」がまだ続いているか心配でした。占領下のイラク市民の現状を伝えるあなたのブログとその本は、各国でさまざまなノンフィクションの賞を受けたそうですね。おめでとう。
 リバーベンド、バグダッドに住む20代のイスラム教徒女性。海外で暮らした経験がある。戦争のあおりを受けて勤めていた会社をクビになり、現在は家族とともに戦争を生き延びるための雑事に追われる日々。身の危険を恐れて本名をださない。あなたについてわかるのは、あいかわらずこのくらい。本当に実在するのかもわからない。
 バグダッドは前にも増して酷い状態のようですね。1日数時間しか水道が使えず、水の確保がたいへん。電気も同じく数時間しか通じない。ガソリンの買い出しに長蛇の列。イラクは産油国で戦前は水よりも安かったのに。「イラク治安部隊」を名乗るごろつきどもの凶行。突然市民の家に押し入り、家をめちゃめちゃにし、男性を殴り連行していく。そして米軍の占領。誤射、誤爆、強制連行は日常茶飯事。ファルージャでの虐殺。アブグレイブ収容所での虐待。傀儡政権下での国民投票。ブッシュ大統領の再選。
 さらに。強まるイスラム原理主義のためこれまでアラブ諸国では自由な方だった女性の権利がどんどん弱くなっていること。スカーフなしではとがめられ、働くこともままならない。
 戦争前より良くなったことなんてひとつもない、米軍は出て行ってよ、と怒るリバーベンド。どうぞ怒りを忘れないでください。家の中でも外でもあふれる戦争のために絶望に囚われないで。あなたが怒り続けていることに、イラクの平和を願う世界中の人々はイラク人の強さを見るのだから。
(掲載:『望星』2006年11月号、東海教育研究所)

2007/12/27

『父のトランク ノーベル文学賞受賞講演』オルハン・パムク著、和久井路子訳

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父のトランク―ノーベル文学賞受賞講演
オルハン・パムク著
和久井路子訳
藤原書店、1,890円

 ある日、作家オルハン・パムクの仕事場に父がやってきた。父は小さな黒いトランクを持ってきていた。父は言った。「ちょっと見てくれ」とやや恥ずかしそうに「何か役に立ちそうなものがあるかもしれない、その中に。もしかしたら死後、お前が選んで出版しても」。トランクの中身は、父が若い頃から書きためていた文章だった。父は作家になりたいと思ったことがあったが、結局ならなかったのだ。
 オルハン・パムクは、トルコの作家。『私の名は紅』などの作品で知られる。2006年、トルコ人で初めてノーベル文学賞を受賞した。この本の表題作「父のトランク」はノーベル文学賞受賞講演である。この本には他に、書くことと作家をテーマとした講演が2つ、ノーベル賞授賞式直前インタビュー、来日した際に催されたパムクと作家佐藤亜紀との特別対談が収めてある。
 オルハン・パムクはイスタンブールの裕福な家に育った。父は西洋に憧れ、フランス文学に傾倒していた。1,500冊からなる書庫があり、パムクはそれに親しんで育った。父は文学を愛していたが、人生を楽しむことも愛していた。人と話し笑い合うことを楽しんでいたのだ。
 息子パムクはそうしたものに背を向けて、孤独のなかで自分に向き合ってひたすら書き続けた。なぜ書くのか。書きたいから書くのだ。自分にとって書くことは表現であり習慣であり信念であり怒りであり現実に耐えるためだ。夢の中でのように、行くべきところがありながらいつも行き着けない、そんな思いから救われたいから書くのだ。どうしても幸せになれないために、また、幸せになるために書くのだ。
 そうしたパムクに父は反対しなかった。パムクは部屋にこもって書き続け、やがてできた第1作を真っ先に父に見せた。読み終わった父はパムクをしっかりと抱きしめた。
 父はトランクをパムクの仕事場に持ってきた2年後に亡くなった。
 作家にならなかった父と作家になった息子。父と息子の郷愁は洋の東西を問わずか。
(掲載:『望星』2007年11月号、東海教育研究所を改変)

2007/12/19

『誓いの精神史 中世ヨーロッパの〈ことば〉と〈こころ〉』岩波敦子著

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誓いの精神史 中世ヨーロッパの<ことば>と<こころ> (講談社選書メチエ)
岩波敦子著
講談社(講談社選書メチエ) 、1,575円

 
 西洋世界での声に出して言う「誓い」の言葉というと、日本で一番多く目にするのはキリスト教式結婚式での新郎新婦の誓いだろう。
 西洋では、伝統的に口に出して言う誓いはとても重いものだ。人が一度口に出して言った誓いの言葉はその人と周囲を呪縛し、取り消すことができない。それには社会での信頼と名誉を懸かっている。中世の西欧世界では、誓いを破ったり偽りの誓いを述べたりすると神の罰と社会的制裁が待っていた。だからこそ裁判には原告、被告、証人の宣誓が不可欠なのだ。この本では西欧中世における誓いとそれをめぐる社会、政治、人々の心を西洋史家、岩波敦子が語る。
 西欧の中世初期、裁判で原告と被告の宣誓が違っていて穏便に解決できない際は神明裁判、すなわち神の意志にゆだねる裁判が行われた。多くの場合は原告と被告の決闘である。古いゲルマンの慣習に根をもつ。神の意志にそって正しい者が勝つとされた。しかし現代の日本人から見れば、それでは嘘の宣誓をしていたら、決闘で正しくない者が勝ったら、と思うだろう。西欧中世でも口にした誓いが真実であるかどうかが重視されていくようになった。そしてキリスト教の浸透は神明裁判を制限し、誓いを神と聖人、聖遺物にかけてするものに変えた。書き物が普及するにつれ、裁判では証言と同じく証文が重視されるようになった。やがて近代化によって裁判や決闘は国家が取り締まるところとなり、現在では神明裁判は過去のものとなった。
 それでも西洋世界では、今日までも誓いは重要だ。「言葉には魂が宿る」、つまり言霊は日本の伝統にもある。しかしそれを厳しく人を律するものと見る西欧と、あいまいさを持たせる日本。言葉とは使い方によってこうも違う。
(掲載:『望星』2007年12月号、東海教育研究所より一部改変)

2007/12/10

『悪魔に魅入られた本の城』オリヴィエーロ・ディリベルト著、望月紀子訳

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悪魔に魅入られた本の城 (シリーズ愛書・探書・蔵書)
オリヴィエーロ・ディリベルト著
望月紀子訳
晶文社、1,995円

 本を手に入れるのは、実はたいへんなのだ。多種多様な書店がある東京に住んでいるのならいざしらず、ベストセラー以外の本は、地方の近所の本屋さんでは容易に見つからない。研究書や洋書だったら、なおさらだ。今はインターネット通販で手に入れることもでき、ありがたいが、中身を見たこともない本を買うのは心配がある。やはり手にとって読んでみて、これ、と決めて買うのが本を買う醍醐味だろう。だがこうして苦労して手に入れた本は、買う本人以外からは愛着をもってはもらえない。
 この本は、ノーベル文学賞に輝くドイツ人歴史家テオドール・モムゼンの大量の蔵書の数奇な運命をたどったものだ。
 モムゼンは、19世紀に活躍した古代ローマ史の大家。歴史学者で法学者だった。彼の書庫には私有の本ばかりでなく、公有財産である古書や写本も入っていた。それが、彼の不注意でろうそくから火がつき燃え広がり、蔵書の大半が焼失もしくは修復不可能になってしまった。
 失意のどん底のモムゼンに弟子、友人、文化機関などが手をさしのべた。モムゼンの蔵書を再建しようと本を贈呈したのだ。完全とまでいかなかったが、多くの同じ本が戻り、モムゼンは研究を再開した。だが23年後、再び書庫はモムゼンの不注意から火事になった。本の被害は一部にとどまったものの、彼自身は重傷を負った。同年彼は死んだ。
 遺族は蔵書の処理に困るものだ。モムゼン蔵書は、遺族によってばらばらに売られた。蔵書の一部は、購入者によってボンの芸術考古学博物館に寄贈された。今もボン大学などに保存されている。大部分はベルリンの国立図書館に贈られた。だが第二次世界大戦の際、戦火のなかでモムゼン蔵書は散逸した。
 しかし近年、イタリアのあちこちで、モムゼンの蔵書だったことを示すモムゼンの蔵書印を押された本が見つかった。いったいどのような運命がモムゼンの蔵書たちを見舞ったのか。
 著者ディリベルトはイタリア人。ローマ法史の研究者で、政治家、そして愛書家である。本の探偵さながら、モムゼン蔵書の行方を追っていく。そこで彼が出会うのは、モムゼン蔵書の価値も解らずに手放してしまう相続人や図書館員、そしてモムゼン蔵書を救う目利きの古書店主や理解ある研究者、図書館員だ。
 研究書の価値は少数の専門家しかわからない。モムゼンのような大家の蔵書ですらこの有様なのに、一個人の蔵書への愛着などは本人しか解らず、家族にとってはただの場所ふさぎにしか思われないだろう。そして捨てられるのだ。本への愛をつらぬきたいなら、「私が死んだら本もいっしょに焼いてください」と遺言するしかないか。
(掲載:『望星』2005年5月号、東海教育研究所)

2007/12/03

『さよなら僕の夏』レイ・ブラッドベリ著、北山克彦訳

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さよなら僕の夏
レイ・ブラッドベリ著
北山克彦訳
晶文社、1,680円

 アメリカ文学の大御所レイ・ブラッドベリ。『華氏四五一度』など詩的な文章で書かれる作品はジャンルの枠を越える。彼は37歳のときの名作『たんぽぽのお酒』の続編を80歳代後半で書いた。それがこの『さよなら僕の夏』だ。
 『たんぽぽのお酒』は、南北戦争の記憶がまだ老人たちから消えない1928年、古き良きアメリカの話。中西部イリノイ州の小さな町グリーンタウンが舞台だ。12歳の少年ダグラスの一夏をとおして町の住人たちの心が現れる。主人公が少年だというのに、多くの老人たちの老いや死への恐れや達観が描かれている。
 『さよなら僕の夏』はブラッドベリが55年間、温めていた物語だ。前作から1年後、初秋のグリーンタウンとダグラス。グリーンタウンには気難しいクォーターメイン老人を筆頭に老人たちの集団がいる。ダグラスと仲間の少年たちは、ちょっとしたいざこざからクォーターメインと「戦争」をすることになってしまう。
 「老人たちは僕らとは全く別の生き物だ。あいつらは僕たちの時間を盗んで成長させようとしてるんだ。僕らはぜったい成長して大人になんかならない」。頑固なクォーターメインも負けてはいない「反抗的な悪党どもめ、戦争だ!」と息巻く。
 彼らは若さと老いを巡って世代間抗争を始めるのだ。ついにダグラスたちは、時間の進行を司る元凶として、町の中心にある時計台をバラバラにしてしまう。
 「若さ」と「老い」の間に「時」が立つ。この2つはどんなふうに和解するのか。クォーターメインの友人は言う。
 「あんたの若さは次にまわすのだよ。ほんのしばらくの間、わしらに貸し与えられているだけなんだからな」。
 瑞々しい感性や詩的な語り口で老いや死という重いテーマを描く。ぜひ年配の人に読んでほしい。
(掲載:『望星』2008年1月号、東海教育研究所)

2007/11/26

『サイボーグ化する私とネットワーク化する世界』ウィリアム・J・ミッチェル著、渡辺俊訳

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サイボーグ化する私とネットワーク化する世界
ウィリアム・J・ミッチェル著
渡辺俊訳
NTT出版、3,780円

 「サイボーグ」だのいう言葉を見てSF小説だと思う方もいるかもしれないが、そうではない。
 マサチューセッツ工科大学教授の著者ミッチェルが言うところによると「サイボーグ化する私」とはこういうことになる。人間はもはや生まれたままの姿では生きていけない。寒さをしのぐため服を着る。時間を見るために腕時計をする。目の悪い人は眼鏡をかけたりコンタクトレンズをつけたりする。テレビでニュースを見る。パソコンを使う。そして携帯電話を持ち歩く。体の一部のように使いこなしている。話し、メールを交わし、インターネットを覗く。人間はもはや自分以外の物体と一体となり、それなしではいられないのだ。これが「サイボーグ化」である。
 人は電気、ガス、上下水道、電話回線などのネットワークを必要とするようになった。さらにインターネットに接続して、各国のさまざまな情報をその場を動くことなく見えない手を伸ばしてつかむ。著者いわく「私はネットワークの一部であり、ネットワークは私の一部である。我繋がる、故に我あり。」
 近年、ケーブルなし、すなわち無線でインターネットに接続するのが一般的になっている。いつでもどこでもインターネットほかの情報ネットワークに接続できる環境「ユビキタス」が可能なのだ。
 著者が描く未来はすぐそこに来ている。だがユートピアとは限らない。インターネットを通して遠い国の人とかんたんに交流できるということは、インターネットを通してウィルスなどの攻撃をかんたんに受けやすくなるということだ。
 文明の行きつく未来はスローライフとはかけ離れているように見える。この未来に一個人の選択の余地はあるのだろうか。
(掲載:『望星』2006年6月号、東海教育研究所)

2007/11/19

『古本暮らし』荻原魚雷著

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古本暮らし
荻原魚雷著
晶文社
1,785円

 著者の住んでいる高円寺界隈の中央線沿いは、個性的な古本屋が多い。中央線で古本屋のメッカ神田神保町に向かう。古本屋での心躍る本との出会い。至福の瞬間だ。
 「手にとった瞬間、わけもわからずほしくなる。心の針がふりきれる。値段がいくらだろうが、財布の中にはいっている金額で買えるなら買う。足りないときは取り置きしてもらう。そんな本にめぐりあうのは、一年に一度あるかどうかだ。」
 著者の守備範囲の本は、大正、昭和の文学者の随筆など。この本は、著者が文学者に心重ねる日常をつれづれなるままに書いたエッセイだ。
 若いころより世の中からはみ出て暮らす日々。古本を片付け、売りに出し、また古本を買う。好きなことをして生きているが、それでも生きにくさを感じる。と、つい、文学者の心情に共感してしまう。著者が引用している吉行淳之介の文章より。
「どんな世の中になっても(…)、詩人とか作家は、やはり追い詰められ追い込まれて、そういうものになってしまうのが本筋ではあるまいか、と私はおもう。人生が仕立ておろしのセビロのように、しっかり身に合う人間にとって、文学は必要ではないし、必要でないことは、むしろ自慢してよいことだ。」
 のんきな暮らしをしていて何を言う、と思われる向きもあるかもしれない。だがこれも人生だ。生きにくくても、好きに生きなければ損なのだ。酒を飲んだ後の、おいしいお茶漬けのようなエッセイである。
(掲載:『望星』2007年9月号、東海教育研究所)

2007/11/07

『センセイの書斎』内澤旬子著

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センセイの書斎―イラストルポ「本」のある仕事場
内澤旬子著
幻戯書房
2,310円

 本を置く場所を確保するのは、ふつうの人にはむずかしい。ましてや書斎を持つことなどは夢のような話だ。しかし、この本に出てくる作家、研究者など31人のセンセイたちはそれぞれ個性的な書斎を持っている。
 作家、林望の書斎は22畳もの部屋に図書館にあるような移動式書棚が10数台並び、1万冊以上の本が収まっている。一方、評論家、辛淑玉の書斎は現在仕事に使っている本しかおいていない。使い終わった本は必要なところだけビリビリと破ってとっておく。シンプル・イズ・ベスト。なかには2つ3つと書斎を使い分ける猛者もいる。しかしさらに上をいくのが、作家、小嵐九八郎の書斎。放浪生活に本を詰め込んだダンボールの山がついてまわる。放浪の書斎なのだ。対照的なのが日本近代文学研究者の曾根博義の書斎。本のための家なのだ。家にぐるりと巡らせた塀のなかに書棚が並んでいる。家本体も2階は本がぎっしり。こうして5万冊もの本を収容している。まさに本とともに暮らしているのだ。
 それぞれがそれぞれなりに本を愛している。だが、持ち主が死んだら蔵書はどうなるのだろう。バラバラに売られるか。捨てられるか。
 センセイのなかには蔵書と幸せな別れ方をした人がいる。国語学者、金田一春彦の蔵書は主の死後、山梨県の北杜市金田一春彦記念図書館の蔵書として第二の生を送っている。また、ある中国の宋の時代の貴重書は、愛書家に守られて時代の波を乗り越え、キズもなく世田谷の静嘉堂文庫に収められている。
 著者の精緻なイラストが、センセイ方と書斎の情景を楽しく伝えている。本棚を見ればその人が解る、というが、書斎は大きくても小さくても、持ち主の思考のミクロコスモスでありまたカオスでもあるのだ。
(掲載:『望星』2006年12月号、東海教育研究所)

2007/10/29

『滝山コミューン一九七四』原武史著

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滝山コミューン一九七四
原 武史著
講談社、1,785円


 1970年代に小学生だった人は、この本に懐かしさと苦さを味わうだろう。 
 著者原武史は『大正天皇』などの本で知られる政治学者。1974年には東京都東久留米市の滝山にある小学校の6年生だった。これは著者が、そのころ小学校で起きた「事件」を自分の記憶と級友や教師からの取材と教育界などの文献に基づいて書きおこしたものである。
 その小学校の子どもたちは、ほとんどが団地の中流サラリーマン家庭の子ばかりだった。そこへ若く理想に燃える一人の教師が赴任してきた。彼は日教組のなかから生まれた全国生活指導研究協議会、略して全生研の影響を受けていた。当時、全生研の掲げていた教育方針は、集団主義によって子どもたちに民主的集団を作らせ民主主義に至らせるというものだった。つまり具体的な例ではこのようなものだ。クラスをいくつかの班に分け、1つの目標に向かって競争させる。そのなかで子どもたちは互いに議論し合い仲間意識を育てる。しかし競争でビリになった班にはクラス中から批判が浴びせられる。この教師の方針はクラスの子どもたちの母親にも支持された。
 この教師の後押しによって彼のクラスから生徒会への立候補者が続出するようになった。原少年にとって学校は、みんなでひとつ、という思想を押しつける抑圧的なところになった。そして1974年の夏、6年生の林間学校では、集団主義的班編成が全クラスに取り入れられることとなった。コミューンの確立である。
 この本は日教組を批判するものではない。当時の子どもたちは、一人の人間である自覚よりも集団のなかの一員である意識が求められた。だが美しい理想を掲げても、個人を抑圧して成る集団はおぞましい。教育とは、子どものためと唱いながら、結局、大人の都合で決まるのだ。
(掲載:『望星』2007年10月号、東海教育研究所)

2007/10/15

『われらはみな、アイヒマンの息子』ギュンター・アンダース著、岩淵達治訳

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われらはみな、アイヒマンの息子
ギュンター・アンダース著
岩淵達治訳
晶文社、1,890円

 アドルフ・アイヒマンはナチスドイツのユダヤ人絶滅計画の総責任者だった。戦後アルゼンチンに逃亡し、家族とともに隠れ住んでいた。だがイスラエルの情報機関によって、1960年ついに彼は捕まり、イスラエルで公開裁判にかけられた。そして1962年絞首刑となった。
 アイヒマンの息子クラウス・アイヒマンへ哲学者で著述家、反核運動家のギュンター・アンダースは1964年と1988年に公開書簡の形で手紙を送った。それがこの本に収録されている。
 ギュンター・アンダースはドイツ出身のユダヤ人だ。最初の妻は20世紀を代表する哲学者ハンナ・アーレント。彼女もドイツ出身のユダヤ人。アイヒマンの裁判を取材し、著作『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』として生み出した。
 公開裁判でさらけ出されたアイヒマンの実像は、勤勉で凡庸な一役人だった。自分は、ただ上からの命令に従って職務を全うしたに過ぎない、と言った。
 アンダースは、アイヒマンの息子クラウスにこう書いている。あなたの父上は家では優しい父親だったのだろう、その優しい人物が悪を行ったのだ。巨大な機械のような組織で歯車のように働く人々は自分の仕事しか見ず、世界の実像と他人の苦しみに無関心になってしまう。このような良心を失ったたくさんのアイヒマンが、組織に盲従して職務を遂行する。われわれはアイヒマンの子なのだ。やがてもっと巨大な機械の帝国が人類を囲い込み、人間は歯車に組み込まれるだろう。働かない人、仕事の能力のない人は屑と扱われるだろう、と。
 現在、アンダースの言う機械の帝国はいたるところにある。そこで私たちがどうやって世界に目を向け、他人の痛みを感じながら生きるか。解説を哲学者、高橋哲哉が寄せている。
(掲載:『望星』2007年7月号、東海教育研究所)

2007/10/01

『古本道場』角田光代・岡崎武志著

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古本道場
角田光代・岡崎武志著
ポプラ社
1,470円

 「古本屋めぐりが趣味」という人は、たんなる「趣味は読書」な人とは違って、その道の上級者である。古本のなかから、自分にとって価値ある一冊を選び出すのだ。やがて古本の目利きになっていく。
 さて、本をこよなく愛する作家角田光代は、古本の道をのぞいて見るべく、古本道を究めた書評家でフリーライターの岡崎武志、またの名を岡崎武之進の古本道場に入門した。この本は角田光代がその修行のなかで遭遇する、めくるめく古本の世界を描いたものだ。
 師匠武之進の古本心得。自分がいいと思ったもの、好きなものが絶対一番。買いたいと思ったときに本はなし、積極的に何でも買おう。
 獅子が我が子を千尋の谷につきおとすがごとく、師匠武之進から弟子角田へと次々を指令が与えられる。「王道の神保町で、子ども時代に愛読した本を探せ!」「古本屋の未来形、代官山、渋谷で本の見せ方を学べ!」かくて弟子角田は古本の世界を右往左往する。古本屋で有名な街なら古本のメッカ神保町、学生街早稲田、サブカルチャー発信地西荻窪。その他、意外な街の古本屋も訪れる。代官山、渋谷、東京駅、銀座、青山、田園調布、鎌倉などちょっと「お高い」イメージなところにも古本屋があるのだ。
 そして弟子角田は発見する。古本屋はその街を映し出す。代官山ではおしゃれな雑貨屋のよう。鎌倉では静かな店内に鎌倉文士たちの小説がパラフィン紙をかけられてきちんを収まっている。本は、消費され、忘れられ、消えてしまう、無機質な物質ではなくて、体温のある生きものだ、と実感してほっとするのだ。人の住むところ、どこにでも本はある。
 古本に興味を持つ人に、もってこいの入門書。古本屋めぐりって楽しいんだなと思わせる。
(掲載:『望星』2005年10月号、東海教育研究所)

2007/09/24

『ファンタジーと言葉』アーシュラ・K・ル=グウィン著、青木由紀子訳

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ファンタジーと言葉
アーシュラ・K・ル=グウィン著
青木由紀子訳
岩波書店、2,520円

 アーシュラ・K・ル=グウィン。「西の善き魔女」とあだ名される作家。代表作は1968年の発表から今なお読みつがれるシリーズ『ゲド戦記』。SFでの代表作は『闇の左手』。アメリカSF界の賞、ヒューゴー賞とネビュラ賞と同時受賞した。今もなお精力的に活動中。『西のはての年代記』シリーズが最新作だ。このうち『ギフト』『ヴォイス』が2007年9月の時点で邦訳が刊行されている。続編『パワー』も原書で発行されており、邦訳が待たれるところだ。
 ル=グウィンの父はネイティヴ・アメリカン研究の先駆で文化人類学者のアルフレッド・クローバー。母は作家のシオドーラ・クローバー。夫のネイティヴ・アメリカンの友人イシの半生を描いた『イシ』が有名だ。この両親とネイティヴ・アメリカンたちはル=グウィンの人生に深い影響を与えた。
 この本はル=グウィンのエッセイ集だ。
 ル=グウィンは言う。「アメリカ人は竜をこわがっている」。竜とは想像力の結晶のこと。想像力を抑圧し、こんなものは子どもっぽい、柔弱だ、むだなうえに道徳的に疑わしいといって拒絶するのだ、と。批評家や教師たちの大半が「文学」と呼ぶものは、いまだに近代主義リアリズムで、他のすべての形式のミステリー、SF、ファンタジーなどはジャンル小説として片づけられる。わたしは想像力から生まれた、これまで一度も見たことのないものを感じたい。それが変身をもたらす想像力の炎につつまれながら自分に飛びかかってくるのが見たい。それは想像力の結晶である竜。「わたしは本物の竜が見たいのです。」
 この本の原題である「心のなかの波」はヴァージニア・ウルフの言葉から取られている。心のなかの波、これこそが想像力と創作と言葉よりもっと心の奥底にあり、これを見いだすことなしに言葉を紡ぎ出し物語を描くことはできない、とル=グウィンは考える。波はやがて岸に砕け言葉という飛沫と飛び散らすと。
 ル=グウィンの言葉と文章は、隠喩と知性に富み、波に砕ける飛沫のようにときどき捕らえがたい。こちらの想像力が試されているようだ。
(掲載:『望星』2006年9月号、東海教育研究所より加筆訂正)

2007/09/17

『ヨーロッパ 本と書店の物語』小田光雄著

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ヨーロッパ 本と書店の物語 (平凡社新書)
小田光雄著
平凡社
798円

 活版印刷の聖書がドイツ人グーテンベルクによって作られたのが1455年。本はしだいにヨーロッパの民衆に読まれるようになった。スペインの田舎紳士ドン・キホーテが、行商人が売る騎士道物語の本にのめり込んだのが1605年。フランスのボヴァリー夫人が貸本屋の恋愛小説を読みふけったのが1857年。本の市場の拡大に伴い、本に取りつかれた人々が増えていった。
 著者、小田光雄は出版社経営に携わっている。一方で『出版社と書店はいかにして消えていくか』などの著作で、これまでの出版社と書店、それらを仲立ちする取次からなる日本の出版流通を検証ししてきた。この本ではヨーロッパの出版流通機構の成立と拡大を描く。
 1774年、ゲーテが25歳で『若きヴェルテルの悩み』を発表。ヨーロッパ中に一大センセーションを巻き起こした。彼は一躍時代のスターとなった。文学者が名士となる先駆けだった。大勢の若者が成功を夢見て、文学者となるべく自分の作品を抱えて、発行し販売してくれる出版社や書店を探して走り回った。
 19世紀のバルザックも、そんな一人だった。しかし、書き手にとっては我が身を文学の神に捧げて書いた珠玉の作品でも、出版社や書店にとってはあくまで投機の対象となる商品に過ぎない。彼らが欲しいのは大衆のうける商品なのだ。バルザックは数々の出版社や書店に翻弄され、3回破産した。この経験を彼は小説『幻滅』に描いた。主人公は最後に悟る。「金なのだ!」と。
 20世紀、ようやく作品と商品を両立させ、時代の精神と共にある出版社や書店が現れる。パリの女性モニエは1915年、本の友書店を開店した。彼女の目指したのは、新しい時代の精神に目を向けた、書店と貸本屋を兼ねた店だった。店は作家や未来の書き手を惹きつけ、フランス文学を担うサロンとなった。ジッドやボーヴォワールも常連だった。
 近くにはアメリカ人女性ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店があり、ヘミングウェイやフィッツジェラルドが入りびたった。ビーチはジョイスの『ユリシーズ』刊行にほとんど無償で尽力した。モニエもビーチも経済的には恵まれなかったが、多くの作家を育てた。
 そして今、本の大量生産、大量消費の時代、出版と文学の危機が叫ばれている。作者と読者は切り離され、売れるか売れないかだけを原則とする流通と販売市場に支配されている。
 日本でもそれは同じだ。売れる本ばかりが流通し、そのほかのたくさんの本は読者に出会うことができない。本の書き手と読者をつなぎ、未来の書き手を育てる、そんな出版社や書店が増えてほしい。
(掲載:『望星』2004年11月号、東海教育研究所)

2007/09/11

『本棚の歴史』ヘンリー・ペトロスキー著、池田栄一訳

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本棚の歴史
ヘンリー・ペトロスキー著
池田栄一訳
白水社、3,150円

 自宅で本の置き場に困っている方も多いだろう。「本をどうやって置くか」「限られたスペースに、本を減らさずにどうやって収めるか」。本好きには悩ましい問題だ。
 この本は、「本をどうやって置くか」という問題に人類がいかに取り組んできたかということともに、本そのもの歴史も描いている。著者ペトロスキーは土木環境学、建築土木史の研究者。その著書『鉛筆と人間』『フォークの歯はなぜ四本になったか』『ゼムクリップから技術の世界が見える』などで、人間とモノの関わり合いの歴史に取り組んできた。今度は、進化する情報体「本」とそれを収納する脇役「本棚」の歴史を古代から現代に至るまで、読者に披露する。
 西洋の本は手書きのパピルスの巻物に始まる。ラベルをつけられ、棚に置かれていた。それが折り合わされて冊子の形になったのは、紀元前後だった。
 羊皮紙で作られるようになった本は、中世にはキリスト教の修道院で書かれ、読まれ、保存された。本が神や知識の言葉を伝える宝物だった時代、重くてかさばる本は、箱にしまうか、机の上に平積みにするか、手前側の天板が下がった書見台に立てかけるかされた。そして貴重な本は紛失や盗難を防ぐため、鎖で机や書見台につながれた。
15世紀、活版印刷が発明され本の大量生産が可能になると、たくさんの本をいかに置くかが問題になった。こうして、現在のように本を立てて本棚に置くようになったのである。しかし本を鎖で本棚につなぐことは17世紀まで続いた。
 「本をどうやって置くか」と悩むのは本への愛情からだ。きっと、この本の著者も読者も、部屋に本が散乱しているだろう。本を愛する人が楽しめる本だ。
(掲載:『望星』2004年5月号、東海教育研究所)

2007/09/03

『イスラエル 兵役拒否者からの手紙』ペレツ・キドロン著、田中好子訳

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イスラエル 兵役拒否者からの手紙
ペレツ・キドロン著
田中好子訳
日本放送出版協会
1,470円

 
 イスラエルでは徴兵制がしかれている。18歳以上の国民は、男性が3年間、女性が1年9ヵ月の兵役につく義務がある。さらに予備役として、男性は45歳になるまで毎年3週間兵役につかなければならない。これは外を敵国に囲まれ、内ではパレスチナ人を敵とする国家、イスラエルの国民の神聖な義務とされる。国民は、最初の兵役を終えてはじめて完全な社会人と認められるのだ。
 しかし最近、この兵役を拒否する人々が増えてきている。パレスチナ人への非道な行動を命令する軍務には従えないと。
 兵役を拒否し投獄された元砲兵隊長が上官に宛てた手紙より。
 「私はイスラエル軍の実戦士官として、西岸地区およびガザでの軍務に服してきた。私は世の中がどんなものかを知っているつもりだ。生き残るために人を殺さなければならないときもある。イスラエル国家のために、私は石を投げてきた子どもたちを追いかけた。…外出禁止令を出した。…手錠をされた捕虜をジープに乗せて運んだ。暴徒に向けて発砲した。…これは避けられない戦争なのだと信じていた。今になってみると、平和を追い求めていたが何一つ達成できなかった。私たちは百を超える入植地を作ってきた。20万の入植者を送り出した。私たちは兵士を、子どもを、母親を亡くした。すべては国家防衛のためだった。すべては平和のためだった。新たな自爆者を出さないためだった。…もうたくさんだ。」
 この本にはこのような手紙が、かつての歴戦の兵士から、はじめての兵役に拒否する若者のものまで集められている。編集したペレツ・キドロンも、兵役拒否者の一人だ。命令に従って殺してしまってから後悔して泣くよりも、自分の良心に従おうとする人々。彼らの意志が、終わり無き流血を変えることができるか。
(掲載:『望星』2003年9月号、東海教育研究所)

2007/08/28

『記憶のゆくたて デジタル・アーカイヴの文化経済』武邑光裕著

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記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済
武邑光裕著
東京大学出版会
3,990円

 物語や歌をはじめ、あらゆることはその時代の人々の記憶に残る。そして後の時代の人々に伝えるために記録される。最初、記録は、石や粘土板、木の板などに刻まれた。やがて紙が使われるようになり、そしてカメラやビデオが発明された。
 デジタル・アーカイヴとは、歴史的な絵画、映像、音楽や貴重な文書、伝統文化財や伝統工芸品、伝統芸能に至るまでをデジタル情報として記録し、保存、管理するものだ。「アーカイヴ」とは「記録保管庫」のこと。博物館、美術館、図書館の役目を持つ記憶の集積。
 それを人々はインターネットなどを通じて、いつでもどこででも見ることができる。記録が残っていれば、アフガニスタンやイラクの戦争でのように文化財が破壊されても複製を作ることもできる。現在、世界で文化財のデジタル・アーカイヴ化が推し進められているのだ。
 武邑光裕はサイバーメディア文化の研究者で、日本の伝統文化のデジタルアーカイヴを作成する「デジタル・ジャパネスク」プロジェクトに参加している。この本では、デジタル・アーカイヴという新しい歴史の記録方法を解説し、それを核として「記憶」と「記録」を創造していくことについて語る。
 インターネットやサイバーメディアはもとより、児童文学の名作『ニルスのふしぎな旅』、ベンヤミンの『パサージュ論』、『古事記』『日本書紀』、マンガ『ヒカルの碁』、そして沖縄の「平和の礎」などなど、あらゆる「記憶するための記録」を駆使し、古代から現代を見渡しながら未来に向かって展望。過去の誰かが今の誰かへ、さらに未来の誰かへ手渡す「記憶」。あふれる情報の海を泳ぎ渡ると、記憶とサイバーメディアをめぐる著者の世界観がマンダラのように広がる。
(掲載:『望星』2003年、東海教育研究所)

2007/08/20

『石神井書林日録』内堀弘著

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石神井書林 日録
内堀弘著
晶文社
2,100円

 本の世界には、普通の明るい書店の本のようにピカピカの本があるばかりではない。年月を経て怪しい雰囲気を醸し出すに至った不思議な本もあるのだ。
 「石神井書林」は店舗のない古本屋である。古書目録を顧客に送り、注文を受けて販売している。近代の詩歌についての本や雑誌が専門だ。ここの店主である著者の、古本屋の主としての日々の悲喜こもごもを描いたのが、この本である。
 古本屋の店主とは、いつも本に埋もれそうになって、店の奥に座っているのではない。ぜひ目録に載せたい本を探すため、各地の古書市場や古書展へと東奔西走するのだ。「古書と親の仇は出会い頭に行き当たるもの」という言葉があるそうだ。古本市場では入札によって本を仕入れる。目的の本を手に入れては喜び、逃しては落ち込む。目録作りも重要である。その古本屋の個性と店主の古本とその専門分野への知識の深さが表れる。
 著者は、近代の、特に大正、昭和初期の詩歌の本を探求するうちに、さまざまな詩人や文筆家などの痕跡やつながりに出会う。たくさんの小出版社が乱立し、それぞれ個性的な本や雑誌を出版した時代である。かつての豊かな活字文化がそこに広がる。古本屋の主は古本を集めることによって、過去のおもしろい世界を甦らせ、古書目録にそれを発表し客に示すのである。
 その労苦を著者は楽しげに語る。こんな会話がある。「なんで、古い詩集を売って食べていけるの」「なんとなく、だと思いますよ」。本好きな人なら、古本屋さんていいな、と思ってしまうだろう。
 この本は本の世界の深いところにある怪しさを読者に見せてくれる。そしてその怪しさに取りつかれた人々を描いている。そう、本とは本来、健全なものではなくて怪しいものなのだ。
(掲載:『望星』2002年、東海教育研究所)

2007/08/13

『和本入門 千年生きる書物の世界』橋口候之介著

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和本入門 千年生きる書物の世界
橋口候之介著
平凡社
2,310円

 江戸時代、日本の出版文化が花開いた。それまで中国の本の翻訳本が大多数だったのが、江戸時代になると日本人の筆者によるものが増え、仏書、漢籍から庶民の読み物までに広がった。読書が多くの人々の楽しみになった。和本の発行は明治初期まで続けられ、今日あるような洋本にとって代わられた。和本は日本の歴史的史料にして芸術品とも言える。
 著者、橋口候之介は和本・文科系学術書の専門古書店である神田の誠心堂書店の店主だ。岳父が1935年に開いた店である。1974年の入店以来、1984年に店主になってからも、和本の古書を商ってきた目利きだ。この本では、専門家に偏りがちは和本の世界をふつうの人に広げて見せ、丁寧に解説する。
 和本の出版は、活字一つ一つをページに組んでいく活版印刷に始まった西洋とは違い、ページ1枚に一つの版木を彫る木版印刷が主流だ。版木は百年以上も保つので何度となく増刷された。
 江戸時代の18世紀中頃、出版物の巻末に刊行年月日や発行者を記す、いわゆる奥付が、大岡越前守が定めた出版条目によって制度化された。ふつうはこの奥付を見れば何年に発行されたかわかることなのだが、とんでもない落とし穴がある。版木が長持ちしたため、人気のある本は何回でも増刷されたのだが、発行年月日は初版のままで何十年も発行されてしまった。版木はだんだんすり減っていくので初版と増刷版が古書市場に出ると、値段が大きく違ってくる。このあたり目利きの眼力がものをいう。著者たちのような目利きのおかげで歴史的史料にして芸術品たる和本は守られているのだ。
 日本には「魁星」という本の神様がいるそうだ。和紙は丈夫で長持ちする。きちんと保存すれば千年も保つ。この本は、和本について知りたい人に親切な教科書だ。
(掲載:『望星』2006年4月号、東海教育研究所)

2007/08/06

『千の太陽よりも明るく 原爆を造った科学者たち』ロベルト・ユンク著、菊盛英夫訳

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千の太陽よりも明るく―原爆を造った科学者たち (平凡社ライブラリー)
ロベルト・ユンク著
菊盛英夫訳
平凡社
1,680円

 1945年、世界初の核実験の際、原爆研究所所長ロバート・オッペンハイマーは、明るい火の玉が天地をつつんでしまうのではないかと思うくらい大きくなっていくのを見て、古代インドの詩の一文を思い浮かべたという。
 千の太陽の光が一時に突如として天空にきらめき出ることがあれば
 そはかの荘厳なる者の光輝にも似ん…。
ところがやがて不気味な巨雲が立ちのぼったとき、別の詩の一文が頭に浮かんできた。
 おれは何もかも奪い取る死神
 宇宙を揺すぶり動かす者ぞ。
まさしく死神を世に送り出した瞬間にふさわしいエピソードである。
 この本の著者ロベルト・ユンクはドイツ生まれのノンフィクション作家。原子力の危険性を著作のみならず講演活動でも訴えてきた。この本の初版は1958年文藝春秋より発刊されている。
 第2次世界大戦前、科学者たちは国境を越えて未知のエネルギー原子力の解明に取り組んできた。が、大戦勃発によって彼らはそれぞれの国の国策に従わざるをえなくなる。やがてアメリカでは原爆製造計画が進められ、科学者たちもそれに参加することになる。やがて原爆が完成。日本に投下されるが、科学者たちは自分たちが造り出したもののもたらした惨劇に恐怖する。だが数年後ソ連も原爆の開発に成功。核開発競争が始まる。
 そんななかで、それぞれが善良な人間である科学者はどう考えたか。科学を前進させたという誇り、巨大な力を生みだしてしまったという苦悩。こうした二つの思いをこの本は描き出している。
 核兵器を削減または制限する条約ができた今でも核の恐怖はなくならない。
(掲載:『望星』2002年、東海教育研究所)

2007/07/30

『アイスランドへの旅』ウィリアム・モリス著、大塚光子訳

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アイスランドへの旅
ウィリアム・モリス著
大塚光子訳
晶文社 2,520円

 


 この本の著者ウィリアム・モリスは19世紀イギリス文化の巨人である。壁紙や織物の装飾デザイナー、詩人、社会主義運動家で、さらに理想の本を造るために印刷所を設立、現在の造本にも影響を与え、そして晩年に書いた小説は今のファンタジー文学の先駆とされる。
 モリスは、若い頃から中世アイスランドで書かれた一連の物語「サガ」に傾倒していた。サガには王、英雄、農民たちの栄光、確執、謀略、復讐、愛が乾いた言葉づかいで描かれている。モリスはサガの舞台となったアイスランドの地に憧れ続け、ついに1871年の夏、37歳の時にそこを訪れることになった。この本はその旅行で彼がつけた日記がもとになっている。
 車も飛行機もない当時、30頭もの小さいが頑丈なアイスランド馬を連ねて旅をする。アイスランドは「火と氷の島」と言われるように溶岩質の土地の上にところどころ氷河がある。岩山と溶岩原と灌木や苔や草の荒野が広がる不思議な景色。川は急流が多い。夏でも日本の三月ほどの気候で、天気が変わりやすい。そこをモリスたちは六週間かけてキャンプをしたり、地元の農場にやっかいになったりしながら、サガの舞台を訪れる。モリスは少年のようにワクワクして憧れの地を訪ね、過去に思いをはせる。かつてサガに描かれた情熱と勇気は、今では平和でつつましい農民の生活にとって代わられていた。それでもモリスは書く。「アイスランドはすばらしい、美しい、そして荘厳なところで、私はそこで、じっさい、とても幸せだったのだ。」
 モリスのアイスランドへの憧憬は、現在私たちが歴史や文学に描かれた地に憧れるのと同じだ。この本はモリスの人柄がよく表しているが、それと同時にアイスランドやサガを知るための手がかりとなるだろう。
(掲載:『望星』2001年、東海教育研究所)

2007/07/23

『活きている文化遺産デルゲパルカン チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』池田巧、中西純一、山中勝治共著

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活きている文化遺産デルゲパルカン―チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在
池田巧、中西純一、山中勝治共著
明石書店、3,150円

 中国西部の四川省の、さらに西北部、チベット自治区と隣り合うチベット人の多く住む地域、豊かな森林が広がる標高3,220mの山中のデルゲの町。人口5,000人ほど。ここにチベット文化圏の数少ない大蔵経の木版印刷所デルゲパルカンがある。18世紀に創立され、チベット仏教の伝統を伝えてきた。現在でも、手作業で経典を印刷している。
 大蔵経とは仏教聖典の総称とされる。チベット大蔵経は古代インドの仏教を色濃く残しているという。しかし今、機械印刷による経典が安く出回るようになり、デルゲパルカンの経典が売れなくなってきている。資金難、職人不足も問題だ。映像作家中西純一と言語学者池田巧、植物学者山中勝次はデルゲパルカンの施設、印刷物、版木、それを作る職人の技術や作業など、すべてを「活きた文化遺産」として保護すべきだとうったえる。
 デルケパルカンに保存されている版木は仏教経典ばかりではない。歴史、医学、文学、宗教画など。その数、27万枚あまり。まさに地域の図書館、美術館、博物館にも相当するのだ。紙漉き職人や版木の彫り師や印刷職人が代々伝えてきた芸術的な伝統技術もある。技術はふつう親から子へ受け継がれる。周辺の山に生える草や木を使って紙を漉き、版木を彫る。そして流れ作業の手仕事で素早く何枚も印刷していく。さらにデルゲパルカンは地元の信徒の信仰の対象でもある。朝、建物の周りをお経を唱えながら歩く人々が見られるという。デルゲパルカンは文化遺産でありながら、今でも「活きて」いるのだ。
 山深い秘境で、昔ながらの手仕事の印刷、出版が代々行われてきている、というと、何かロマンを感じてしまう。信仰とは、こういう素朴な仕事に根ざすのかもしれない。こうした遺産を失ってはならない。
(掲載:『望星』2003年12月号、東海教育研究所)

2007/07/17

『アフガニスタン 山の学校の子どもたち』長倉洋海著

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アフガニスタン 山の学校の子どもたち
長倉洋海著
偕成社
1,890円
 
 長年、アフガニスタンを撮り続けてきた写真家、長倉洋海氏が山の学校の子どもたちに出会ったのは2002年のことだった。アフガニスタン北部のパンシール、長倉氏の敬愛する北部同盟の指導者マスードの故郷。訪れたのは、彼の死の翌年だった。
 アフガニスタンにはめずらしい男女共学の学校。地元の人たちが建てた石造りの校舎。だが窓ガラスも扉もなく、子どもたちは地面にはいつくばってノートをとっていた。長倉氏は、翌年からこの学校の支援活動を始めた。マスードの夢の一端を担うかのごとく。
 この本にあふれるのは、山の学校の子どもたちの笑顔、笑顔。生まれたときから戦争に囲まれて、平和な時代をあまり知らない子どもたちの笑顔。笑いさざめきながらの通学。授業中の真剣な瞳。休み時間のサッカー。寄り道しながらの楽しい帰り道。
 さらに子どもたちは家の手伝いをしなければならない。羊追い、子守。そして家族みんなでの楽しい夕餉。お客さんを招いての晩餐。
 しかし子どもたちの父親48人が亡くなっているのだ。アフガニスタンは全て平和になったわけではない。ある子は、隣の家に隠してあった爆薬が爆発して死に、門番のおじさんは地雷を踏んで片足となった。医療の後れも深刻だ。
 なにより、全ての子どもたちが学校に来ることができるわけではなく、来ている子どもたちも毎日来ることができるわけではない。家で人手がたりない。遠くの町に働きに行かなければならない。
 さまざまな事情を抱えながら、一生懸命に翼を広げて飛び立とうとしている子どもたち。それを長倉氏は子どもたちの視線から温かく見守っている。
(掲載:『望星』2007年1月号、東海教育研究所)

2007/07/10

『他者の苦痛へのまなざし』スーザン・ソンタグ著、北條文緒訳

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他者の苦痛へのまなざし
スーザン・ソンタグ著
北條文緒訳
みすず書房、1,890円

 戦争の犠牲者、死体や苦痛にあえぐ傷ついた人々、恐怖と絶望の中にいる人々の写真が、戦争の真実を伝えるためにテレビ、新聞、インターネット、または報道写真展など、いたるところで公開されている。それを見て、写真のなかの人々の苦しみに心を痛める、というのが普通だ。だが、ときどき思う。自分はこの人たちの苦しみを本当に感じとり理解することができるのか、理解しているふりをしているだけじゃないか、他人の苦しみに心を痛めている善良な自分を再確認したいだけの偽善者じゃないか、と。
 アメリカの作家であり批評家でもあるスーザン・ソンタグは、戦争写真の撮られる側と見る側の埋められない深い溝を、この本で鋭く突いている。
 映像を操作して事実を作り上げることが可能な現在の戦争報道において、戦争の犠牲者たちを映した写真は、カメラマンやフォト・ジャーナリストの誠実さにかかっている。しかし、それを見る側はどうだろう。恐ろしい写真から目をそらしてしまえばそれで済んでしまう。また、人には残酷なものが見たい、という欲望がある。確かに戦争写真には、苦痛と同時に美しさを感じさせるものもある。一方、戦争で癒しがたい苦しみを味わった人々は、この経験をしたことのない人には自分たちの苦しみは理解できない、と言う。
 この撮られる側と見る側の絶望的な距離について、著者は一片の希望を投げかける。写真に映った他人の苦痛を理解することはできないが、苦しんでいる人がいることを知り、記憶することはできる。そこから道を歩き始めることができるのだ、と。
 他者の苦しみをただかわいそうと思うだけでは意味がない。そうなった原因を知ろうとしなければ感傷にすぎない。
(掲載:『望星』2003年10月号、東海教育研究所)
 

2007/07/02

『ヴォイニッチ写本の謎』ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル共著、松田和也訳

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ヴォイニッチ写本の謎
ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル共著
松田和也訳
青土社、2,940円

 ある西洋写本がある。わけのわからないものが描かれている。浴槽のようなものに浸かった女性たち、黄道十二宮図らしきもの、植物。だがその植物はよく見るとこの世には存在しないものだ。さらに判読不能な文字で文章が書いてある。
 これがヴォイニッチ写本だ。一九一二年、ポーランド人古書商ウィルフリド・ヴォイニッチにより発見。現在はアメリカのイェール大学に保存されている。十三世紀イギリスの哲学者ロジャー・ベーコンの作であると称された。
 それからたくさんの言語学者、暗号専門家などが、この写本の解読に挑んできた。ペンシルヴァニア大学教授の哲学者ニューボールドもその一人だ。彼はヴォイニッチ写本の文字を拡大鏡で見、小さな文字のかたまりであるとし、解読にこつこつととりくんだ。そして望遠鏡の発明、銅の精錬法、火薬の発明などもベーコンの業績である、と読んだ。
 しかし、ニューボールドの血と汗の結晶であるこの研究はもろくも崩れる。彼が発見したと思っていた文字のなかの小さな文字は、きめの粗い羊皮紙に生じたたインクのひび割れにすぎない、と他の学者から突かれたのだ。
 それから多くの学者がヴォイニッチ写本の解読に挑んだが成功していない。
 そもそもヴォイニッチ写本がロジャー・ベーコンの作かどうかも疑問視されている。贋作だと。第一の容疑者は十六世紀の錬金術師エドワード・ケリー。だがこの本では写本の発見者ヴォイニッチも疑われている。古書商として辣腕をふるい、詐欺まがいの手口で古書を手に入れていた彼もまた怪しい。
 現在もヴォイニッチェロと呼ばれる研究家たちが、この怪しい本に魅せられ、解読にとりくんでいる。なぜ、とも思うが、読めない本に価値を見いだすのも、また人なのだ。
(掲載:『望星』2006年7月号、東海教育研究所)

2007/06/25

『醜い日本の私』中島義道著

41gpp55wr3l_aa240__1醜い日本の私 (新潮選書)
中島義道著
新潮社
1,050円

 

 

 中島義道。通称「戦う哲学者」。哲学の探究のため、言葉を武器に俗世間と戦い続けている。
 この本は以前の著作『うるさい日本の私』の続編である。オビにはでかでかと「『美しい国』が好きなひとには、読んでいただかなくても結構です」。
 著者には日本の「醜さ」がとても苦痛なのだ。まず商店街。極彩色の看板や幟が立ち並び、セルロイドの造花が翻る。さらに拡声器から大音量で「いらっしゃい! いらっしゃい!」。ヨーロッパのすっきりとした商店街に比べ、なんと醜いことか。さらに「街をきれいに」「スリに気をつけましょう」などの、ああせいこうせいという標語が看板に書かれ、拡声器から流れる。駅も同様に「黄色い線まで下がってください」「忘れ物にお気をつけください」と轟音が鳴り響く。街は電柱だらけ。空を見上げれば無数の電線が横切っている。醜いことこの上ない。日本人は美的感覚に優れているのに、なぜこんなになるのか。
 さらに店での馬鹿ていねいな接客ぶり。
「お客さまは神さまです」と言わんばかり。客は暴君のように無礼にふるまう。なぜこんな非人間的なことになるのか。
 そして、日本人は言葉に真実がない。表面を取り繕う儀礼的な言葉しかない。言葉をそのまま信じる者は「おとな」ではないと嘲笑される。
 著者には、こうした日本の醜さが耐え難い。しかし、大多数の人にはごく当たり前のことなのだ。故に著者のような少数派は「わがまま」「おとなじゃない」と言われる。日本の社会は大多数が少数派を抑圧し無視する社会なのだ、と著者は訴える。
 大多数の人から見れば著者のような感覚の少数派は「お気の毒さま」というようなものだろう。だからこそ著者の戦いはまだまだ続くのだ。
(掲載:『望星』2007年5月号、東海教育研究所)

 

2007/06/13

『ブックストア ニューヨークで最も愛された書店』リン・ティルマン著、宮家あゆみ訳

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リン・ティルマン著
宮家あゆみ訳
晶文社
2,625円

 

 いい本と出会うためには、いい書店が欠かせない。あらゆる種類の本がずらりと並んでいる大きな書店がいいわけではない。小さくても、書店スタッフによって選りすぐられた珠玉の本があるのがいい書店だ。
 ニューヨークの書店「ブックス・アンド・カンパニー(本と仲間)」は、地元の人はもとより、スーザン・ソンタグ、ポール・オースター、ウディ・アレンなど多くの知識人に愛された。アメリカでは大型チェーン書店のほかに、それぞれ特色のある独立系書店、いわば「我が街の本屋さん」があり、多様な文化の基盤となっている。この本は、ニューヨークの「我が街の本屋さん」ブックス・アンド・カンパニーと店主ジャネット・ワトソンの軌跡を多くの顧客やスタッフたちの証言でつづったものである。
 ジャネット・ワトソンは、1978年、ニューヨークのマディソン街に、この書店を開店した。書店経営について全くの初心者だった彼女は、優秀なスタッフたちに助けられて、悪戦苦闘しながら店を作り上げていく。店の名物「ザ・ウォール」では、壁一面の書棚に、シェイクスピアから現代作家にいたるまで古今の名作文学を網羅。また、定期的に作家の朗読会を開催。店は作家と読者をつなぐ文化サロンとなった。しかし家賃の値上がりと赤字のため、1997年、惜しまれつつ閉店した。
 スーザン・ソンタグは語る。「私は自分が手に入れたいとわかっている本だけを買いたい人間ではない。自分の知らない本や作家を発見したいのだ、すばらしい書店ではそれができる。」日本でも大型チェーン書店や新古書店などのため、「街の本屋さん」が苦境に立たされている。ベストセラーや雑誌ばかりでない、選り抜きのいい本を売るいい書店を応援したい。
(掲載:『望星』2003年6月号、東海教育研究所)

2007/06/04

『ムーミンのふたつの顔』冨原眞弓著

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冨原眞弓著
筑摩書房
1,575円

 

 ムーミンはカバではない。北欧の昔話に出てくる妖怪「トロール」をもとに、フィンランドの作家で画家でもあるトーベ・ヤンソンが創作したキャラクターだ。素朴なムーミン、冒険好きなムーミンパパ、しっかりもののムーミンママ、毒舌家のミイ、孤独を愛する旅人スナフキンなどと、彼らが住まう自由でおおらかなムーミン谷は、1945年にムーミン童話シリーズが発表されたときから今に至るまで、世界中で愛されてきた。
 ムーミンというと、日本では本のムーミン童話とアニメが有名だが、ヨーロッパでは1954年にイギリスの新聞に連載されたマンガ『ムーミン・コミックス』がムーミン人気の火付け役になった。ムーミンはさまざまな媒体で発表されたのだ。この本では『ムーミン・コミックス』とムーミンより後のトーベ・ヤンソン作品の訳者冨原眞弓が、ムーミンの持つさまざまな顔にせまる。
 『ムーミン・コミックス』はトーベ・ヤンソンと弟のラルスの共作だった。やがて連載のスケジュールに疲れたトーベはコミックスから手を引き、後半はラルス一人の作品となる。
 一方、日本ではアニメ『ムーミン』が1969年に放映され、子どもたちに大人気となった。しかし、あまりに現代風日本的にアレンジされたこのアニメは、トーベには気に入らなかった。しかしその後、再度アニメ化の企画が起き、トーベの綿密なチェックのもと1990年に『楽しいムーミン一家』が放映された。このアニメはフィンランドでも放映され、子どもたちに人気を得た。今のフィンランドの子どもは、ムーミンというとこのアニメを思い浮かべるという。
 ムーミンはいろいろなかたちで作られた。そして、世界中の人がそれぞれ自分たちのやり方で自分のムーミンとその世界を愛しているのだ。
(掲載:『望星』2005年11月号、東海教育研究所)

2007/05/27

『古書修復の愉しみ』アニー・トレメル・ウィルコックス著、市川恵理訳

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アニー・トレメル・ウィルコックス著
市川恵理訳
白水社
2,520円


 壊れた本をどうするか。ページや表紙が破れたり取れたり、しみができたり変色したりした本だ。紙が発明されて以来、本は歴史や物語、公的記録、時には神の言葉を伝える物として、読まれ、保存されてきた。本は文章だけが重要なのではない。その時代の技術の粋をつくして美しい装飾をほどこされた本は工芸品だ。
 書籍修復家という人々がいる。絵画などの修復と同じく、古書を直し、作られたときの状態にできるだけ近づける仕事をする職人だ。著者アニー・トレメル・ウィルコックスは書籍修復家に弟子入りした。現在は自らも書籍修復家として活躍している。この本は、彼女が自分の徒弟修行を愉しく思いおこしたものだ。
1983年のある日、アメリカのアイオワ大学で、著者は、ひょんなことから有名な書籍修復家ビル・アンソニーの講義を聴くことになった。やがて彼女は書籍修復を本格的に学びたいと思い、彼のもとに弟子入りする。
 この本には西洋の書籍修復がくわしく描かれている。壊れた本を一度分解する。ページをかがっていた糸を切り、バラバラにし、ページを特殊な溶液に浸してしみ抜きをする。そして破れたページをつなぎ、再びページをとじ合わせ、必要に応じて新しい表紙を作る。修理には日本のでんぷん糊や和紙が使われることもある。さまざまな道具を使いこなさなくてはならない。ナイフを自分で使いやすいように作る。へらも自分で削って形を整える。熟練を必要とする、まさに職人の技だ。著者はアンソニーの温かい指導と、日本の建具職人が自分の修行時代を描いた手記に導かれて、書籍修復家として成長していく。
 彼らのような職人のおかげで、過去の言葉や歴史、またそれを残す本を作る技術が今日まで伝えられてきた。そしてそれは未来まで残る。
(掲載:『望星』2005年2月号、東海教育研究所)

2007/05/20

『アラーの神にもいわれはない ある西アフリカ少年兵の物語』       アマドゥ・クルマ著、真島一郎訳

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アラーの神にもいわれはない―ある西アフリカ少年兵の物語
アマドゥ・クルマ著
真島一郎訳
人文書院
2,520円

 「アラーの神さまだってこの世のことすべてに公平でいらっしゃるいわれはない」が、このタイトルの意味だ。西アフリカの大西洋に面した国、リベリアとシエラレオネ。戦火が絶えることがなかった。いくつもある武装勢力は、子どもを徴兵または誘拐して兵士として使ってきた。2000人もの死者が出た2003年7月、8月のリベリアの首都での市街戦。そこを映した映像には、銃を持って闊歩する十代らしき子ども兵が映っている。
 著者アマドゥ・クルマはリベリアの隣国コートディヴォワール出身。「闘うグリオ(語り部)」と呼ばれる西アフリカ屈指の作家だ。政変に巻き込まれ何度も国を追われてきた。叙事詩のような歴史物語で知られる彼は、七十代半ばになって、子どものつたない語り口で語られるリベリアとシエラレオネの凄惨な現実に基づいた寓話物語を描いた。この本はフランスで二つの有名な文学賞を得ている。
 少年ビライマは10歳か12歳。父はすでに亡く、母は病気で苦しみながら死んでいった。ビライマは縁者の「おばさん」を頼るべくリベリアに渡る。子ども兵になれば、食いっぱぐれることがなく、欲しい物は何でも手に入る、ということを聞いて。そしてさらにシエラレオネへ。行く先々でビライマは武装勢力の子ども兵組織に入り、仲間たちと襲撃を繰り返す。麻薬づけにされ、大人より残酷に殺し、使い捨てにされていく子ども兵。身よりも頼る人もない子どもたちには子ども兵になるしか道はない。
 「くそったれでいまいましいぼくの人生」とたった10歳くらいのビライマが言う。クーデターと殺戮が反復する世界から逃げられないビライマはただ世界を罵倒することしかできない。それは作者の思いなのか。西アフリカの政治への絶望が伝わってくる、寓話にしては、あまりに重い本だ。
(掲載:『望星』2003年11月号、東海教育研究所)

2007/05/14

『ゆの字ものがたり』田村義也著

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ゆの字ものがたり> 田村義也著
新宿書房
3,150円



 「田村義也は、装丁家ではないし、絵かきでも図案家でもない、一個の編集者であるに過ぎない。」作家、安岡章太郎の言葉。
   だが、この本の著者、田村義也は一個の編集者としてはあまりある業績を残した。1948年、岩波書店入店。多大な本の編集と装丁を手がけ、一方、岩波書店にて言論誌『世界』の編集長も務めた。
 装丁のポリシーは「書名と著者名がよく見えること」。デザインと化した文字を大胆かつ緻密に配置する。骨太、素朴でしかも華麗な画面。本の内容を知り尽くした装丁だ。
 1986年に岩波書店を退職した後も精力的に仕事を続けた。その影響力は周りに人を集め、いわば「田村学校」をつくりあげていたという。2003年死去。生涯現役だった。
 この本は田村の死後、発行されたエッセイ集。その内容は編集と装丁の話はもちろんのこと、担当した久保栄や金達寿をはじめとする作家たちとの深い交流、旅行記、好きな食べ物、酒への一家言などなど。
 本を編集、装丁するにあたって、著者とこれでもかというくらい話し合い、何かいい図案はないかと探し回り、一文字一文字の形にこだわる。そして昭和の始めの、装丁にも手をかけて作られた本を称え、色の表現に優れているが重厚感に欠けるオフセット印刷全盛の今を嘆き、活版印刷の文字組みを懐かしむ。
 また、酒については醗酵、醸造学の世界的権威、坂口謹一郎の薫陶を受けただけあって、愛着以上のものがうかがえる。
 田村義也は本を編集するうえで装丁も手がけるといったオールマイティな編集者である一方、本作りにとことんこだわる職人だった。編集職人というべきか。昭和の出版全盛期はこうした人物に支えられていたのだ。
(掲載:『望星』2007年6月号、東海教育研究所)