2016/04/02

『図書館大戦争』ミハイル・エリザーロフ 著 / 北川和美 訳

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図書館大戦争
ミハイル・エリザーロフ 著
北川和美 訳

河出書房新社、3,024円

 本には人を夢に誘う力がある。そんな本の魔力を、国の激変に翻弄され打ちのめされた、社会の底辺にいる人々が求めたら…。

 小説『図書館大戦争』。日本で人気の小説とそっくりのタイトルだが、まったくちがう。原タイトルを直訳すると「司書」。作者ミハイル・エリザーロフはウクライナ生まれ、ロシア在住の作家でミュージシャン。この本でロシア・ブッカー賞を受賞した。若いころにソ連崩壊を体験した彼は、作品でソ連時代へのノスタルジーを描く。

 舞台はソ連崩壊後のロシア。発端は過去のソ連時代の埋もれた作家グロモフの書いた一連の小説だ。グロモフの小説にはソ連社会の理想どおりの祖国愛と同胞愛に満ちている。描かれるのは努力、友情、勝利。主人公は共産主義者の工場長か集団農場の議長や帰還兵で、ひたむきに労働に励み仲間たちと力をあわせて職務を成し遂げるのがお決まりの平凡な物語。
 
 そしてソ連が崩壊した現代、グロモフの名も一連の小説も長い間忘れられていたが、ひょんなことから読んだ人に特別な力を与えることがわかった。グロモフの本の力に目覚めたのは新時代に虐げられたインテリ、社会から見捨てられた元犯罪者とホームレス、かつては労働の最前線にいた老女たち。それぞれの小説はタイトルではなく、読んだ人に与える特別の力の効果から、力の書、権力の書、憤怒の書などと呼ばれるようになる。そして本を中心に司書というリーダーのもと図書館、読書室を名乗る団体が組織され、グロモフ界の覇権を争いだす。そんなところへウクライナからやって来たアレクセイ。彼は小さな読書室の司書に祭りあげられて、本と権力をめぐった血で血を洗う苛烈な抗争に巻き込まれていく。

 本にとりつかれた人々は、ソ連が掲げた地上の楽園国家という共同幻想を未だ見ている。それは現実にはすでに崩壊し奪われてしまったものだ。恐ろしく、やがて悲しい夢の残骸。

(掲載:『望星』2016年3月号、東海教育研究所 に加筆訂正)

『戦争と読書 水木しげる出征前手記』水木しげる / 荒俣 宏 著

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戦争と読書 水木しげる出征前手記
水木しげる / 荒俣 宏 著
KADOKAWA(角川新書)、864円

 去年11月に逝去した漫画家水木しげる氏は『ゲゲゲの鬼太郎』など妖怪マンガの大家としておなじみだが、一方『総員玉砕せよ!』などで先の大戦での自分の従軍体験を描き続けた。水木氏は21歳で徴兵されて南方ニューギニアのラバウルの激戦地で左腕を失っていた。

 この本は、最近見つかった水木氏の出征前の手記を採録、それを水木氏の第一の弟子、作家の荒俣宏氏が、水木氏と同じ年代で戦地に送られた青年の心情や当時の世相を交えて解説している。

 手記は太平洋戦争開戦の翌年、昭和17(1942)年10月、武良茂(水木氏の本名)20歳が、徴兵審査をうけたあと召集令状がいつ届くかという状況で、死地に向かうであろう己の心情を吐露するものだ。18歳のころから読書に没頭してさまざまな哲学書や小説を読み、とくにドイツの文豪ゲーテの言葉をつづった詩人エッカーマン『ゲーテとの対話』を座右の書としていた。読書によって自己に目覚め、心のなかは生きるための思想に浸りながら、国や世間からは死ぬことを要求される。軍国日本でまさに自分が死ななければならないのか、と懊悩。ゲーテほかニーチェやキリスト、漱石の言葉を思う。

「こんなところで自己にとどまるのは死よりつらい。だから一切を捨てゝ時代になってしまうことだ。」

 だが茂は出征のとき『ゲーテとの対話』を持って行った。

 荒俣氏によると、昭和のはじめは出版ブームで、東西の教養書や学術書が発行されて若者に影響を与えた。武良茂と同年代の出征した青年の多くは同じような思いを抱き、死に直面して悩む文章を書き残している。出版物が制限された戦争中、人々は「読むこと」に飢えた。

 人の心が、読書で得た自己の自由な思考と社会の抑圧的な要求との間で引き裂かれる。こんな悲痛なことは起こってほしくない。

(掲載:『望星』2016年2月号、東海教育研究所 を訂正)

 

2016/04/01

『“ひとり出版社”という働きかた』 西山雅子 編

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“ひとり出版社”という働きかた
西山雅子 編
河出書房新社、1,836円

 本屋に行っても読みたい本がない、つまらない、とお嘆きの方もいるかもしれない。本の売り上げが落ちているなか、出版社は、確実によりたくさんの人に売れる企画を取り上げて本を作らざるを得ない。また、本は人に渡っていくのに手間のかかる情報媒体だ。情報媒体なのと同時に商品なので、まず市場に出て小売店である書店の売り場にならばなければならない。ところが書店も限られた売り場には確実によりたくさんの人に売れる本をならべたい。だが、売れる本がいくつもならんだ書店の棚は個性に欠けるかもしれない。そんな本は手に取ってみても買う気が起こるほど惹きつけられないかもしれない。

 そういった流れから外れて、自分がおもしろいと信じる企画から本をつくるために、ひとりかわずかな人数で本を出版し書店に売り込む出版社が読者を獲得しつつある。この本はその“ひとり出版社”の本のつくり手たちのそれぞれの本にのせる思いを語る。小さい書房、土曜社、里山社、港の人、ミシマ社、赤々社、サウダージ・ブックス、ゆめある舎、ミルブックス、タバブックス、夏葉社、沖縄の小さな出版社の本を売る、市場の古本屋ウララ、絵本専門書店とギャラリーでさらに出版もするトムズボックスほか。
 
 名前だけでも個性的な会社でひとり奮闘する人々。テレビ局にいた人、広告代理店にいた人、文化人類学者を志していた人も。大人むけの絵本、亡くなった作家の埋もれていた名作の復刻、「売れない」と言われる詩歌の本などを、読む人がいることを信じて、少ない部数を発行し小出版社の本を扱う取次や書店に託す。

 作者の小さな声を拾って遠くまで届く本。大勢ではなくひとりひとりの読者へ。本は本来、個と個をつなぐ自由な情報媒体であることを、このつくり手たちは思い出させてくれる。

(掲載:『望星』2016年1月号、東海教育研究所)

2016/01/21

『声』アーナルデュル・インドリダソン 著 / 柳沢由美子 訳

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アーナルデュル・インドリダソン 著
柳沢由美子 訳

東京創元社
2,052円


 アイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソンのレイキャヴィーク警察犯罪捜査官エーレンデュル・シリーズ邦訳第3作。未訳の作品を含めると第5作めになる。犯罪ミステリ小説というより、孤独な人々の家族小説だ。

 クリスマスのレイキャヴィーク。外国からの観光客で満室の一流ホテルに刺殺死体。死んだのはドアマンのグドロイグル。ショーのためにサンタクロースの格好をして、長年住んでいたホテルの地下室で発見された。エーレンデュルたちは捜査をはじめるが、従業員のだれもグドロイグルのひととなりを知らなかった。

 だがホテルに滞在しているレコード蒐集家から、グドロイグルが少年時代の短い間、奇跡の声と言われたボーイソプラノの歌手だったと聞いた。グドロイグルの遺族、父と姉がよばれたが、なにも悲しみもせず面倒事のように憮然としていた。ただ、グドロイグルが歌手をやめたのは変声期を迎えたため奇跡の声が失われボーイソプラノ歌手として使いものにならなくなったため、とだけ語った。

 その後、グドロイグルの故郷で調べたところ、彼の過去が解き明かされた。父親がグドロイグルを有名な歌手にすることを夢見て厳しく扱っていたこと、子どもスターというせいで学校で酷くいじめられていたこと、はじめての大きなコンサートで、歌いだしたとたんに無惨に声変わりしたこと、夢が叶えられなくなった父親と決裂したこと……。

 この物語のテーマは「子どもの傷」だ。エーレンデュル自身の子どものころ、吹雪の山でいっしょにいた弟を失った傷。エーレンデュルの娘エヴァ=リンドの、父エーレンデュルが母と離婚後、自分と会おうとしなかったという傷。父と娘は互いの傷をもっと知ろうとする。

 時間はどんな傷も癒しはしない。ただ、傷の痛みをともに感じ、共有してくれる人がいることだけが救いになる。

(掲載:『望星』2015年10月号、東海教育研究所に加筆訂正)

『凍える墓』ハンナ・ケント 著 / 加藤陽子 訳

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凍える墓
ハンナ・ケント 著
加藤陽子 訳
集英社(集英社文庫)
1,015円

 「幸福な国」と知られているアイスランド。男女平等指数は世界第1位だ。

 この本は1830年にアイスランドで最後に死刑となったひとり、アグネス・マグノスドウティルという女性の記録を、オーストラリアの作家ハンナ・ケントが丹念にたどり、物語にしたものだ。

 デンマークの統治下のアイスランド北西部。地味に乏しい土地で人々は牧畜を営んでいる。背の低い灌木しか生えていない地では木材は贅沢品なので、家は芝土で作られている。壁は崩れ落ちやすく人々は土ぼこりで肺を蝕む。燃料は家畜の糞。貧しい人々が農場を渡り歩いて使用人をしていた時代。

 短い夏が始まる6月、行政官ヨウンの農場に死刑囚アグネスが運ばれてきた。北にある農場の使用人だったアグネスは、もうひとりの使用人の少女と近所の少年とで共謀し農場主ナタンとその友人を惨殺したという。県の行政長官はヨウンに、刑務所がないので刑の執行まで彼女の身柄を管理するよう命じたのだ。殺人犯を家に置くことに怖気をなすヨウンの妻マルグレット。

一方、若い牧師補トウティは行政長官から、アグネスが自分の教誨師にトウティを名指ししたので刑の執行までに彼女を悔い改めさせるように、と要請される。アグネスに会った覚えのないトウティは、未熟な自分が殺人犯に何かできるのか、と不安をつのらせる。

 アグネスは絶望のなか半生を振り返っていた。そしてマルグレットとトウティに自分のことを少しずつ語り始める。マルグレットとトウティはアグネスの打ち明け話を聞くうちに、心を寄せていく。

 庶子として生まれ、幼いころからあちこちの農場で働いてきたアグネス。当時の女性の幸せは農場主と結婚し農場の女主人になることだけ。医術にたけ外国へ行ったこともあるという謎めいた男ナタンに惹かれ、幸せを夢見た。

 小さく閉じた世界で、もがき、切り裂かれた女性。誰かの妻でなければ魔女とされた時代だった。だが今は違う、とは言い切れまい。

(掲載:『望星』2015年6月号、東海教育研究所に加筆、訂正)

2015/12/04

『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』平野義昌 著

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海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録
平野義昌 著
苦楽堂
 2,052円

 2013年9月30日、神戸市にある老舗書店、海文堂書店が閉店した。99年間、地元で信頼され愛された。地元の同人誌や古書店も応援していた。全国にも海事専門書が豊富にあることで知られていた。人々が集まる大きな樹のような本屋さんだったのだ。閉店までの数日、別れを惜しむたくさんの人が押し寄せた。

 著者は他の書店を経て2003年に海文堂に入社、閉店まで人文社会の本の担当として働いた。海文堂の歴史をつくった社長や店長たち、いっしょに働いた仲間たち、通ってくれたお客さんたちを語る。だが「愛された本屋さんのいい話」で終わらずに、海文堂への強い愛着とその閉店への深い嘆きを吐露している。

 海事専門書の出版社と販売店としてスタートした海文堂。書店社長が島田誠氏の代には児童書ほか一般書の拡充、美術ギャラリーの併設、書店PR誌や郷土誌の発行、地元文学同人誌関係の本など、神戸の文化発信の場として活動を広げていった。1995年1月17日の阪神淡路大震災でも幸い店舗の被害が小さかったため、25日には再オープンし被災者の心を支えた。しかし震災が古くからつづく神戸の街のにぎわいに与えた打撃は、海文堂をも長く蝕んだ。

 店員は書店の本を熟知しており本を探すお客さんをすぐに案内できた。また出版取次の販売情報に頼らず、それぞれの分野の本の担当が工夫して独自の棚づくりに努めた。長年の顧客も多く、小さいころから通った人も、よその書店で見かけた本を海文堂で購入する人もいた。

 なので閉店を知ったお客さんの悲しみは大きかった。

「これからどこで買え、言うねん!」

 著者をはじめ店員はもっと深い悲しみと嘆きに沈んだ。

 大きな樹が倒れると根が枯れて地盤が弱くなる。街から本屋さんがなくなることも同じ。街の本屋が閉店すると人々は近所で本に出会う場がなくなりつつあることにはじめて気づくのだ。

掲載:『望星』2015年11月号(東海教育研究所)に加筆

『本屋会議』本屋会議編集部 編

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本屋会議
本屋会議編集部 編
夏葉社
 1,836円
 
 本は米や魚や肉や薬と違って生活必需品ではない。確かに本が好きで読むことが好きで、本がないと死んでしまう、と言う人はいる。だが常に少数派だ。教科書や参考書のような勉強道具としての本を除くと、多くの人にとって本は暇なときの愉しみの道具だ。別の愉しみがあれば本がなくてもかまわない。今のような、趣味やファッションの情報は雑誌で見るのではなくインターネットで見る時代では。

 町の本屋さん、つまり商店街にある小規模な書店が、日本中でどんどんつぶれている。書店のない地域もある。

 この本『本屋会議』は、2013年に『本屋図鑑』を作った出版社の夏葉社代表、島田潤一郎氏と編集者でライターの空犬太郎氏、そして東京の往来堂書店店長の笈入建志氏が書いた。

 2014年の1月、島田氏と笈入氏を発起人として、「町には本屋さんが必要です会議」という公開会議がはじまった。全国の本屋さんを主な舞台にさまざまな書店員さんをゲストに招いて「本屋さんのいま」について話し合われた。これまで売れていたものが売れなくなっている。特に雑誌。雑誌を立ち読みする子どもたちがいなくなった。代わりに、子どもたちはスマホや携帯を見ている。

 町に本屋さんが必要な理由はなんだろう。それは、子どもから、地元の本屋さんの本棚の前に立ち、どの本を手に入れようかな、と、わくわくする機会がなくなってしまう、ということ。島田氏いわく、「本屋さんを必要としている人は子どものころから本屋さんを必要としていたからこそ、本屋さんが必要であるともいえる。」町の本屋さんが地域で踏んばらねば、本も読者も消えてしまう。個性的な本屋さんでなくていい。ふつうの町の本屋さんが必要なのだ。

 最終章、本好き中学生が物置同然だった学校図書館を立て直した奮闘記に救われる。

(掲載:『望星』2015年8月号、東海教育研究所)

2015/11/14

『私たちは〝99%〟だ ドキュメント ウォール街を占拠せよ』『オキュパイ! ガセット』編集部 編、『オキュパイ! ガセット』編集部 編  肥田 美佐子 訳 / 湯浅 誠 解説 

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私たちは〝99%〟だ ドキュメント ウォール街を占拠せよ
『オキュパイ! ガセット』編集部 編 
肥田 美佐子 訳 / 湯浅 誠 解説
岩波書店 2,160円

 だれもが、幸せになりたい、と思っている。クビになる心配のない安定した給料がでる職場と、給料で充分確保できる居心地のいい住まいはもちろん必要だ。ほか、高すぎない学費、病気のときの援助、老後の支えなども欠かせない。だが、このなかのすべてを確実に得ることができる人がどれだけいるのか。

 アメリカには、経済的に恵まれない99%の人々と、資産が増加し続けている1%の富裕層がいるという。2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動に参加した人々は「私たちは99%だ」と叫ぶ。この本は人々の訴えや運動の記録をまとめたものだ。彼らは民主主義と富の平等を求めてデモ行進を繰り返した。警官隊と衝突し負傷者もでた。だが運動はワシントンD・C、フィラデルフィア、シカゴ、シアトルなど全米各地の大都市にも広がっていった。言語学者ノーム・チョムスキー、映画監督マイケル・ムーア、哲学者スラヴォイ・ジジェクなど著名人も応援した。運動参加者はウォール街近くのズコッティ公園を本拠地として寝泊りし、そこでは公共のマナーを守るようにルールが作られ、清掃や洗濯も共同で行われた。本を持ち寄った野外図書館まで作られた。

 だが、人々は人種も職業も多様だった。ルールが破られることもあった。周辺の住民から騒音への苦情も相次いだ。しかし、Twitterによると小規模にはなったが現在も運動は続いているようだ。

 この本にスラヴォイ・ジジェクがこんな文をよせている。極端に不公平な社会ができたのは、社会のシステムそのものがとっくに自壊していたからだ、民主主義と資本主義の結婚は終焉を迎えた、かといって共産主義はとっくに破綻している、変革はなされうるのだ、と。

 このことは日本でも同じだ。未来を変えるために変革を。

(掲載:『望星』2013年2月号、東海教育研究所)

2015/11/13

図書館法における司書の存在の耐えられない軽さ 

 図書館法では司書の図書館における立場があいまいである。

図書館法
昭和25(1950)年4月30日法律第108号
最終改正:平成23(2011)年12月14日法律第122号

法律の目的は下記の通り。

第1条  この法律は、社会教育法(昭和24年法律第207号)の精神に基き、図書設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。

図書館法では、図書館をこう定義する。

第2条  この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設で、地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室 を除く。)をいう。
2  前項の図書館のうち、地方公共団体の設置する図書館を公立図書館といい、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人の設置する図書館を私立図書館という。

日本図書館協会は、こう書いている。

自治体が設置する「公立図書館」と、法人等が設置する「私立図書館」を総称して「公共図書館」と呼んでいます。
日本図書館協会HP「図書館について」

図書館法における図書館とは公立図書館と私立図書館を総称して一般に言われている公共図書館。学校図書館、大学図書館は含まない。法律では学校図書館は学校図書館法、大学図書館は大学設置基準で定められている。

図書館奉仕、つまり図書館の仕事における図書館職員の役割についてはこう書いてある。

第3条 3 図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること。

司書と司書補については

第4条  図書館に置かれる専門的職員を司書及び司書補と称する。
2 司書は、図書館の専門的事務に従事する。
3 司書補は、司書の職務を助ける。

第5条には司書と司書補の資格をもつ者について、資格取得の条件と方法をあげている。

第5条  次の各号のいずれかに該当する者は、司書となる資格を有する(長いのでリンク先参照)。

司書と司書補の研修についても定めてある。

第7条  文部科学大臣及び都道府県の教育委員会は、司書及び司書補に対し、その資質の向上のために必要な研修を行うよう努めるものとする。

一方、図書館職員の配置については「第2章 公立図書館」第13条にある。図書館法では、私立図書館の職員についての規定がない。

第13条  公立図書館に館長並びに当該図書館を設置する地方公共団体の教育委員会が必要と認める専門的職員、事務職員及び技術職員を置く。

 「専門的職員」は司書なのか。どのような資格や技術をもつ者なのかは書かれていない。専門的職員を司書とみなすこともできるが、確としたところはわからない。自治体では図書館設置条例や管理運営についての規則でこれを定めている。だがその内容、正規職員の司書を図書館専任職員とするかどうか、図書館業務を担当する職員は司書資格所持者とするか、どのような雇用条件とするか、は自治体によってまちまちになっている。図書館運営業者への業務委託や指定管理の場合は、その業者の雇用条件となる。

 つまり、司書の立場は雇われる先によって違うのだ。非正規司書の契約更新回数も自治体によってまちまち。また、自治体が図書館を直営から指定管理にすることで、正規司書なら異動、非正規司書なら契約終了になる。指定管理運営の図書館の司書なら、指定管理業者が管理期間終了で入札に外れた場合、職場が変わるか仕事がなくなるか、となってしまう。

 かくて非正規司書には、契約終了に怯えつつ長年同じ職場で働く司書もいれば、いろいろな図書館を渡り歩く「渡り司書」というか「流しの司書」「野良司書」もいるのだ。

2015/11/04

『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』ナット・ヘントフ 著 / 坂崎麻子 訳

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『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』
ナット・ヘントフ 著 / 坂崎麻子 訳
集英社(集英社文庫コバルト・シリーズ)、1986

 現代の図書館は民主主義における人間の重要な権利〈表現の自由〉と〈知る権利〉の現れとしてつくられたものだ。この本『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』は、そのことを提起している。原題は、"THE DAY THEY CAME TO ARREST THE BOOK(彼らが本を逮捕した日)、発行は1982年。作者ナット・ヘントフはアメリカの作家でジャズ評論家。少年時代は黒人ミュージシャンに憧れてジャズプレイヤーになりたかったそうだ。代表作に、ジャズへの熱い思いに満ちた『ジャズ・カントリー』『ジャズ・イズ』や、自由を訴える『ぼくらの国なんだぜ』『アメリカ、自由の名のもとに』がある。

 マーク・トゥエインの小説『ハックルベリー・フィンの冒険』は現在も、アメリカ文学の古典として評価され、読み続けられている。アメリカ南部の田舎町の浮浪児ハックが、飲んだくれの父から逃れて、逃亡奴隷ジムと逃避行を繰り広げる。当時、人間として扱われずハックもはじめはバカにしていた黒人のジムと友情を結び、彼の知恵に助けられて、悪党や奴隷追跡者から嘘や狡知を使って逃れ、捕らえる者のいない自由の地をめざす、というアウトサイダーの物語。ハックは、堅苦しい19世紀で自由を真摯に求める。そして奴隷制度下の南部社会で、逃亡奴隷ジムを通報するという「善いこと」をすべきか、それとも自分の心に生まれたジムへの友情を貫いてジムの逃亡を助けるという当時の社会では「悪いこと」をすべきか葛藤し、「地獄に落ちてもいいからジムを助ける」と決断する。この浮浪児のなかの自立した健全な心が、今でも大勢の心を捉えている。だが同時に、奴隷制度のあった時代の南部での黒人の扱いをあからさまに描き、奴隷制度を明白には否定していない、という現代のポリティカル・コレクトネスに合わない点などが、今日まで、学校で授業の教材図書になったり、教材には不適当との抗議を受けて教材からはずされたりと、常に文学としての評価が問われ続けている作品だ。トウェイン自身はそんな評価を予測してか、序文にこんな文章を書いた。

 「警告
この物語に主題を見つけようとする者は、告訴されるであろう。教訓を見つけようとする者は、追放されるであろう。プロットを見つけようとする者は、射殺されるであろう。」

(マーク・トウェイン 著 / 大久保 博 訳『ハックルベリー・フィンの冒険』KADOKAWA〔トウェイン完訳コレクション〕、2004)

 アメリカで起こっていた『ハックルベリー・フィンの冒険』の検閲をもとに小説にしたのが、この『誰だ ハックにいちゃもんつけるのは』だ。ナット・ヘントフ自身はユダヤ系アメリカ人。もちろん人種差別主義者ではなく、ジャズを作り上げた黒人ミュージシャンたちに深い尊敬の念を抱いている。ヘントフは、この本や他の著作で、「ファースト・アメンドメント」を繰り返し言及する。《アメリカ合衆国憲法修正第一条》「ファースト・アメンドメント」はアメリカ合衆国憲法のなかで〈表現の自由〉を定めたもの。アメリカの自由のよりどころだ。

《アメリカ合衆国憲法修正第一条》(信教・言論・出版・集会の自由、請願権、一七九一年成立)
 「連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、 ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。」

(THE EMBASSY OF THE UNITED STATES IN JAPAN , ”About America "
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-constitution-amendment.html )


 この本には、学校図書館からの特定の本の排除を訴える側の論理とそれに反対する側の論理、その衝突が起こした問題についてリアルに描かれている。著者ナット・ヘントフは、本の排除に反対する側に立って物語を語っているが、かと言って、排除を訴える側を悪役にしてはいない。悪役は、本の排除の訴えが起こらないように密かに図書館の本を検閲する校長だ。この校長の姿が、醜くまぬけに描かれすぎている観はある。

 ジョージ・メイソン高校の新学期。バーニー・ロスは17歳。生徒新聞「ジョージ・メイソン・スタンダード」紙の新入りの記者。友人ルークといっしょに登校中、女子生徒ケイトから、バーニーとルークは、学校図書館の司書カレン・ソルターズが辞職し、そのことに校長マイケル・ムーア、通称マイティー・マイクが関わっていたことを聞く。

 一方、新任の司書ディアドリー・フィッツジェラルドは歴史教師ノラ・ベインズから前任の司書カレン・ソルターズが辞職したいきさつを説明される。校長が生徒の保護者たちの学校図書館の蔵書への訴えを内密に処理するために、司書に当の本を閉架にするようにつぎつぎと命じ、その圧力についに、

 「本を人からとりあげるために、わたしは司書になったわけじゃないわ」

と叫んで辞職したのだった。

 さて新学期、ノラ・ベインズの歴史の授業で19世紀アメリカについて学ぶための副読本としてマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を指定した。このことに黒人生徒ゴードン・マクリーンと父親カール・マクリーンから抗議があがる。この本のいたるところに“黒んぼ(ニガー)”と黒人に対する差別用語があることと、黒人への差別が公然とあること、作中で人種差別が否定されていないことが理由だった。カール・マクリーンは『ハックルベリー・フィン』を授業だけでなく、学校図書館、学校のすべてのところから追放するように校長に迫った。

 ムーア校長はこの歴史教師ベインズに、この抗議から『ハックルベリー・フィン』を授業からはずして、おおっぴらにならないように処理するように言う。ベインズは

 「誰も傷つけない本があるんですか? あったら見せていただきます。そしたら、それは誰ひとりきちんと読んだこともない本だと証明してさしあげます」

と、『ハックルベリー・フィン』をめぐってあがった抗議を公にして判断を教育委員からなる調査委員会にかけるように訴えた。一方、学校図書館にある『ハックルベリー・フィン』を生徒にわからないように隠す、つまり閉架にすることを校長に命じられた司書ディアドリー・フィッツジェラルドも、

「本を隠し、それを捜しにきた子供たちに嘘をつくために、わたくしは司書になったのではございません」

と、はねつけた。教員と司書が校長に真っ向異論をとなえるとは、日本ではあまりなさそうだ。

 こうして、校長の願いとは裏腹に、ハックへの糾弾は表沙汰になっていく。かくしてジョージ・メイソン高校に『ハックルベリー・フィンの冒険』を置くことを認めるか否か、高校のホールで公開討論会が開かれた。教育委員会議長と調査委員会、教員、生徒と保護者、ほか街の多くの人々が参加しての討論となった。調査委員会は教員、生徒の保護者、弁護士、ジャーナリストなど。この事件は街中からアメリカ全国に知れわたる事件になる…。

 さまざまな民族や主義が存在するアメリカでは、本への検閲は日本よりもはるかに大きな問題だ。そのため、本を学校や学校図書館でどのように扱われるべきかを市民によって公に討論されている。公開と公正を理想とするアメリカのデモクラシーの現れだ。

 歴史教師ノラ・ベインズの言葉。

 「検閲を相手に闘うなら、はじめのはじめからのできごとをすっかり光の中にさらけだすことよ。そうすれば必ず新聞や、テレビや、ラジオがとりあげる。くりかえし、くりかえし、それをやる。マイティー・マイクが、今まで本を閉じこめながら、まんまと逃げおおせた理由はね。それを暗闇の中でやったからです。外にいる人間には、なにひとつ、わからなかった」

 バーニーも同じようなことを言っている。

 「虚偽に対する最良の方法は、はっきりそれを人目にさらし、明るい所にひきだすことだって」

 この本はまた「図書館に置く本はどのようであるべきか」という論争も扱っている。
だれが見ても正しいとする本だけを置くべきか。多様な意見の本を置き、読者に判断をゆだねるか。

 「時間は、よい本を読むために使うべきよ。よい本てのは、まぎらわしいことの書いてない本、事実を伝える本よ―事実だけをね」

 「まちがったもの、邪悪なもの、なにもかもひっくるめて授業にとり入れ、図書館におく。これは、教育の神聖な定義をけがすものです。ここにいる生徒は、一連の人間的学習の途上にある。ということは、教養を修得しようとしているのであって、人間の無知から生まれた病的な毒々しい汚物を身につけることではないのです…きみは、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)などなかった、と書いてある本を、この高校で使うのを許すわけですか?」

 「まさにそのとおりです…そういう本も使う。そして史実とつき合わせてみる。生徒は恐ろしい事実に対立する虚偽を調べることで、ほんとうは何が起こったかをよりしっかりと把握できる。そればかりじゃない、非常に重要なことを学ぶことができます。ユダヤ人排斥者とか、あらゆる狂信者が、否定できないものをどこまでも否定しようとしているのを知るわけです。若い人が、このような病的異常を身をもって知るのは、有益なことです…選択の幅を狭めておいて、自由であれというのは無理です」

「自由というものは、ですな…。学んで身につけるものなのです。無秩序とは違うんですから。人間は年齢によって、程度の違うとが書かれていてもいいってことですか? もし、学校が、なにが正しいかを教えないなら…自由を持つ。われわれが後継者を学校に入れるのは、そのためです。ここにおられる生徒さんは、高校生ですが、わたしが申したような本は、ちょうど伝染病の保菌者が隔離されるように、学校に入れてはいけないのだ、というような重大な選択をその時どきに責任をもって行えるほどには成長していないのであります」

「自由って、人をまどわせる言葉です。危険な言葉にもなり得ます。思考の自由という名のもとで、学校は、黒人やユダヤ人や東洋人への偏見を押しつけて、子供の精神を毒していいのでしょうか? 思考の自由とは、学校では、先生はどんなことを言ってもいいのでしょうか? 学校で使われる本に、どんなこ学校なんか、なんのためにあるんですか? そして学校が、何が正しいかを教えるためにあるなら、当然、この本は間違っている、有害である、教室や図書館では許されないと言明する権威を持つべきです。それを検閲と呼ぶひともいるけど、あたしは、それこそ、言葉遊びだと思うわ」

 司書ディアドリー・フィッツジェラルドは「知る自由」と「思考の自由」を主張する。

 「自由は危険なものであり得ます。実際にとても危険です。けれども、自由の反対はさらに危険です。何千倍も危険です。国民が、何を言っていいか、何を読んでいいか、悪いかを政府が決めている、いろいろな国をお考えください。自分のほんとうに内面的な考えまで、人に知られ、それを踏みにじられることを国民が恐れているたくさんの国をごらんください。
 わたくしたちが、このような絶望と束縛の中でくらすことがないようにと…この国を建った人々は自由を選んだのです。危険を承知の上で選んだのです。建国者たちが選んだ自由の、最も危険な部分は何だとお考えになりますか?
 建国者たちは、それからのアメリカ国民が、さまざまに異なる意見のるつぼの中で、自分自身で決定できると信じていたのです。たとえ、言論の自由を利用して、この国の政府が何を読んでいいか悪いかを決めてしまうような国にしてしまおうと誘惑する人間が現れた時でも、なお、自由であり続けることができると信頼したのです。
 建国者たちの、わたくしたちへのこのような信頼、合衆国憲法と、権利宣言を書き、制定した人々のこのような信頼は正しかったわけです。わたくしたちは、今も、自由ですから。今回の闘争も、まったくそのためのものです。つまり、わたくしたちは、これからもずっと自由であり続けるか? という闘いです」


 そして、学校は何が正しいかを教えるためにあるのであって何がまちがっているかをわざわざ見せるためにあるのではない、たとえそれが自由を制限することになっても学校には正しい本を置くべきでまちがった本は排除すべき、という意見について、

 「それは独裁者の教育理念です。わたくしたちのものであるはずがない。この国では、考え方を制限するのは、先生や司書の役目ではありません。むしろ、その役目は、その考えを、よいものも悪いものも、説明し、分析して、生徒が将来、自分でそれができるようにすることです。生徒たちが自分の考え方をつかむように導くことです。これがなにが正しいかを教えることではありませんか? 思考の独立ということを教えることだからです」

 この言葉は、作者ナット・ヘントフの主張そのものだ。アメリカ建国の精神、自由と民主主義への賛同と、知る自由と思考の自由を求める精神、そして良書主義や検閲への反論がこの言葉にはある。

 この本は残念なことに日本語訳は版元品切で絶版状態。図書館で借りるか古本か原書を買うかになってしまう。原書は紙媒体でも電子書籍でも入手可能。たくさんの人々に読んでほしい本のなので日本語訳を再発行してほしい。

(書き下ろし)

2015/10/17

『華氏451度〔新訳版〕』レイ・ブラッドベリ 著 / 伊藤典夫 訳

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華氏451度〔新訳版〕
レイ・ブラッドベリ 著
伊藤典夫 訳
早川書房(ハヤカワ文庫SF)
929円

 『華氏451度』。アメリカ文学の幻想の魔術師レイ・ブラッドベリの代表作にして、現代社会に警鐘を鳴らす問題作。旧訳版より読みやすくなっている。

 華氏451度は紙の燃えだす温度。現実に似た世界。モンターグは“昇火士(ファイアマン)”〔旧訳では“焚書官”〕。本を焼きつくすのが仕事だ。本は忌まわしく邪悪なもの。人々はいつも家の大型スクリーンに映るテレビショーを観て笑い、超小型ラジオを耳に入れて音楽を聴き愉快に暮らしている。かんたんに得られる刹那的な楽しみや情報だけしか目に入らず、過去を記憶する間もなく忘れる。辺りをつつむ戦争の気配も気にしない。

 モンターグはわずかな人々が隠し持っている本を燃やす仕事を愉しんでいた。だが純心な少女が投げかけた社会への素朴な疑問に心を動かされ、“昇火”の現場で、自ら蔵書とともに焼かれて死んだ老女におののいて、本を家に持ち帰ってしまう。それを知った老学者は教える。

「昇火士などほどんど必要ないのだよ。大衆そのものが自発的に、読むのをやめてしまったのだ。」

多くの人々が権力者に強いられてではなく自ら本を読まないことを望んだ社会で、本の言葉、本の語ることにのめり込んでいくモンターグは今度は自分が昇火士に追いつめられる。

 著者ブラッドベリは、この小説のテーマは「文化の破壊」だと言う。本は物語や思考を距離や時代をこえて届ける記憶の船。文化をつくる一片。本を読むことは楽しいばかりではなく、悲しみを呼び起こされたり苦悩に沈んだり深い思考が必要になったりする。それを怖れ厭う人々も現実にいるのだ。

電子記憶媒体やインターネットが普及した現代で、本はもはや唯一の記憶の船ではない。だが、記憶を守るために失うわけにはいかないものだ。

(掲載:『望星』2015年1月号、東海教育研究所を加筆修正)

2015/08/22

『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』 伊勢﨑賢治 著

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本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る

伊勢﨑賢治 著
朝日出版社
1,700円

 伊勢﨑賢治氏は国連PKO活動に参加し東ティモール・シエラレオネ・アフガニスタンの武装解除を手がけてきた自称「紛争屋」。現在、大学で各国の学生に「平和と紛争」学を教え研究している。

 2012年、東日本大震災の翌年に伊勢﨑氏は福島市にある福島県立福島高校を訪れ、2年生たちに自らの国際紛争での仕事と体験を講義した。震災で福島高校のふたつの校舎が使用不能で会場はプレハブ仮設校舎。生徒たちは被災者であり、東日本大震災と福島原発事故という脅威を日本人として伊勢﨑氏と共有していた。この講義は、そんな彼らと国際紛争という日本人には非日常的な世界をどこまで共有できるか、という伊勢﨑氏の試みだった。それをまとめたのがこの本だ。

 伊勢﨑氏の関わった紛争国はまだ平和と言えない。どうして日本は平和ダと思う、と高校生に問う。またアルカイダの指導者オサマ・ビンラディンが当時アメリカに協力していたパキスタンの首都近くでアメリカ特殊部隊に殺害されたことから、もしアメリカの同盟国日本の新宿歌舞伎町で同じことが起きたらどう思う、そもそもビンラディンのようなテロリストと呼ばれるのはどんな人々だと思う、と尋ねる。

 さらに伊勢﨑氏は生徒たちに、「日本は戦争でアメリカに負けたから、日本人は自分たちと同じようにアメリカに不信感を持っているんだろう」という「美しい誤解」を海外で抱かれがちということを説明する。それを生かし、日本には憲法九条があるので戦争をしない、と海外に広め、自衛隊が非武装で紛争国の武装解除や戦後復興などにあたれば、相手国の信頼を得て独自の国際貢献ができるのではないか、と持論を説く。実際、日本は戦争をしない憲法をもつ平和国家として、戦争の絶えない国の人々から憧れられている。

 紛争を終わらせ生活を取り戻すには、国々の複雑な対立構造に取り組んで和解を目指さねばならない。だが、それは本当に成しがたいことだ。日本は紛争国に「戦争をしないこと」を期待されている。
(掲載:『望星』2015年4月号、東海教育研究所に加筆)


2015/04/08

『鹿の王 (上)生き残った者/(下)還っていく者』 上橋 菜穂子 著

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鹿の王 上  生き残った者鹿の王 下  還っていく者
上橋 菜穂子 著
KADOKAWA
上下 各1,728円

 『精霊の守り人』に始まる『守り人』シリーズ、『獣の奏者』など、児童書の枠に収まりきらないハイ・ファンタジーを書き、優れた子どもの本の作家に贈られる国際アンデルセン賞を2014年に受賞した作家で文化人類学者、上橋菜穂子氏の最新作。

 東の帝国東乎瑠(ツオル)に併呑された山と森と草原の遊牧民の国アカファ。その敗軍の将ヴァンは捕らえられ奴隷となった。ヴァンは40歳。「飛鹿(ピュイカ)」という鹿を駆る氏族で生まれ育ったが、流行り病で妻子を亡くし死を望み、同様に死に場所を探す男たちの戦士団「独角」を率い、勝てない戦でできるだけ有利な立場で負け、氏族を存続させるために戦っていた。戦士団は全滅。アカファは限られた自治を保つことができた。東乎瑠は自国の辺境民をアカファの遊牧民の土地へ移住させた。アカファは先住の飛鹿の民やトナカイの民、「火馬」という駿馬を駆る民と、麦を育て牛や羊を飼う東乎瑠の民が混在して暮らす地となっていった。

 岩塩鉱で奴隷として過酷な日々をおくっていたヴァン。ある夜、一群の犬たちが岩塩鉱に襲来。人間たちすべてを牙で傷つけていった。死ぬほどでなかった傷だったが数日後、皆、高熱にたおれて死んだ。生き残ったのはヴァンと名の知れぬ幼子だけ。ヴァンは幼子を背負い逃亡する。病を運ぶ犬たちは、東乎瑠とアカファの王族にまで襲いかかった。アカファの古い医家出身の医師ホッサルは、200年以上前にこの地にあった国を滅ぼした病と同じではないかと疑う…。

 これは「守る者」たちの物語。子どもだけに向けられた物語ではない。戦と疫病に恐怖する世界で、ヴァンはかつて愛する者たちを守れなかった痛みを抱え幼子を守って戦う。燎原の火のように広がる疫病から人々を守るために戦う医師ホッサルほか、王侯も民草も家族や大切なものを守っている。ヴァンの姿は、藤沢周平の小説の主人公、寡黙だが腕が立つ武士を思わせる。父親である大人の男性にも読んでもらいたい。

祝 2015年本屋大賞受賞。

(掲載:『望星』2014年12月号、東海教育研究所に加筆)


 

2015/01/04

『図書室の魔法』上・下, ジョー・ウォルトン 著 / 茂木 健 訳

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図書室の魔法』上・下
ジョー・ウォルトン 著 / 茂木 健 訳
東京創元社(創元SF文庫)
上下巻  各929円

 

 物語は人を自由にする。物語を読むことは自由になること。耐えられない現実の中でも本を読んでいる間は自由なのだ。

 この本の舞台は1979年のイギリス。語り手モリはウェールズ地方で生まれ育った15歳の少女。闇に落ちた魔女である母親が起こした交通事故で最愛の双子の妹を失い、自分も歩くのに杖が必要な体となった。モリは母親から逃れ、顔も知らない父親とその姉である3人の伯母に引き取られる。父親を支配する伯母たちはモリをイングランドの名門女子寄宿学校に転入させてしまう。イングランドの上流階級の生徒たちのなかでウェールズの労働階級で育ったモリは異端者。父親の車のブランドばかりを気にする生徒たちと規則に縛られた学校で、モリが信じられるのはフェアリーと魔法そして本、特にSF。

 モリはフェアリーの力を借りて魔法を使い、母の魔の手から身を守る。心は幼いころに読んだ『指輪物語』と共にある。読書は絶望と孤独のなかで自己を手放さないための彼女のサバイバル手段。本から得た知恵と想像力は生きるための魔法。モリは学校図書室と公立図書館の本に没入し、ハインライン、ル・グィン、ティプトリーなどSFファンには懐かしい小説や、さらにプラトンやマルクスも読破してしまう。そして公立図書館でのSF読書クラブで心から結ばれる仲間と出会い、自分の生きる世界を見いだす。

 この本はあくまでモリの眼から見た物語なので、魔法やフェアリーなどは少女の夢想にすぎないかもしれない。だがモリの故郷ウェールズはアーサー王伝説の故郷であり、古くから妖精や魔法が語り継がれている。また少女が成長するとき、それを阻む母親がいれば恐ろしい魔女に見えることもあるだろう。

 モリは成長してひとりの人間となるために本を読みつづける。母への恐怖や妹の死の悲しみを乗り越える力を本から得る。この本は大人になった「本の虫」たちへのメッセージでもある。

 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、英国幻想文学大賞受賞作。

(掲載:『望星』2014年11月号、東海教育研究所に加筆訂正)

2014/10/22

『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』矢野久美子 著

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ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者

矢野久美子 著

中央公論新社

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 昨年10月マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の映画「ハンナ・アーレント」が単館上映されたが、中高年を中心に大勢が観に来たという。

 

 ハンナ・アーレントは1906年、ユダヤ人としてドイツで生まれた。大学で哲学をハイデガーとヤスパースに学ぶ。ナチス政権下、フランスに亡命。一時収容所に入れられた。が、脱走しアメリカに亡命した。生活苦と英語習得の苦労のなか多くの友人に恵まれ、哲学者としてスタートする。1951年、代表作『全体主義の起源』を発表。19世紀と20世紀の巨大壁画が展示されている美術館を訪れるようなもの、と言われるこの大著は哲学者アーレントの名を不動のものにした。「反ユダヤ主義」「帝国主義」「全体主義」からなるこの本でアーレントは、社会からはじき出され倫理を欠きだまされやすい「モッブ」なる人々、人種によって人の優劣を決め支配し排斥する人種主義、人の個別性を否定し組織の歯車に組み込む官僚制とそれに組み込まれた思考しない大衆をあぶり出した。

 

 映画で描かれた、ナチスでユダヤ人絶滅計画の責任者だったアドルフ・アイヒマンのイスラエルでの裁判を傍聴したアーレントの著作『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』もその考えに基づく。世紀の悪を成したアイヒマンは命令を実行しただけの役人に過ぎなかった。官僚主義のなか、自分のやることがどんな結果をもたらすか考えない、自分のない陳腐な人間だった。ユダヤ人にとって「悪魔」だった人間を「平凡な小役人で、ユダヤ人に特別な悪意を持っていたわけではない」と断じたアーレントは、アメリカ言論界、イスラエル、ユダヤ人団体のみならず古くからの友人からまで、凄まじい非難を浴びた。だが、この見解を撤回することはなかった。

 

 アーレントは暗い時代から目をそらさない現実主義者だ。彼女の「いかなる状況でも個として思考する」考えは、愚直に組織に尽くす人間を良しとする日本で浸透するだろうか。

 

 この本はアーレントの生涯と難解な思想をわかりやすく描いている。アーレントの哲学の入門書としてはうってつけだ。

(掲載:『望星』201410月号、東海教育研究所より加筆訂正)


2014/07/28

『教育委員会 何が問題か』 新藤宗幸 著

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『教育委員会 何が問題か』
新藤宗幸 著
岩波書店(岩波新書)
821円

 教育委員会が主体となっている地方教育行政に、自治体の首長がリーダーシップを発揮できるようにする改革の導入が問われている。だが、教育行政へ政治が介入し首長の独善に振りまわされることへの懸念がある。

 教育委員会も問題を抱えている。2011年の大津中学校いじめ自殺事件で市教育委員会のいじめを隠蔽するような対応。2012年、島根県松江市で市教育委員会がマンガ『はだしのゲン』を学校図書館での閲覧を制限するよう校長会で要請。2013年、首都圏の自治体の教育委員会が公立高校の日本史教科書採択について、ある出版社の教科書を採択しないように校長に求めた。

 この本の著者は行政学者。教育委員会がどのような問題を抱え、国と自治体の教育行政がどのようにあるべきかを問う。

  教育委員会は、教育の政治的中立を確保するために素人統制のもと、自治体首長から独立した地方教育行政の最高機関である。だが、市町村教育委員会の上に都道府県教育会があり、その上に文部科学省初等中等教育局、というタテ構造になっている。教育委員のうち、常勤は職員で教育委員会事務局の長である教育長で、その他は非常勤。実は教育委員会が行うとされる地方教育行政は、自治体職員からなる教育委員会事務局が担っており、教育委員会は案を認証するにすぎない。事務局職員のほとんどは教員経験者。学校現場の多くのこと、教員の人事や管理指導も事務局が掌握している。教員との断絶は深い。

 著者は、戦後の文部省(現在の文部科学省)と教育委員会制度の成り立ちから、教育委員会の問題点を追っていく。そして、素人統制を謳いながら文科省の管理下にあり、実務は事務局で一部の教員経験者が行っている教育委員会を、閉鎖的と批判する。その上で、教育行政をそれぞれの学校と地域住民に解放するために住民参加の教育組織の作成と、それによる文部科学省、教育委員会事務局、各学校からなる上意下達のタテ構造の破壊を提案する。

 教育委員会改革は著者の考えと違う形になりそうだ。上意下達の教育は子どもを幸せにできない。

 (掲載:『望星』2014年7月号、東海教育研究所より加筆改変)

2014/06/23

『善き書店員』 木村 俊介 著

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善き書店員
木村 俊介 著
ミシマ社
1,944円

 書店の経営が苦しい、という話が出て久しい。その現場に立つ書店員さん6人へのインタビューを収めたのがこの本だ。職場は大規模チェーン書店から独立書店、立場も店長から非正規社員まで、さまざまな普通の書店員さんの紆余曲折を、インタビュアー木村俊介氏が記録した。

 どの書店にどの本が置かれるかは、実は書店の立地や規模、売り上げによって出版取次(卸売業者)にある程度決められている。売れると見込まれて多く入荷した本がそれほど売れずに返品したり、また本によっては全く入荷しなかったり、入ってもわずか、ということもよくあるのだ。その制約のなかで、書店員さんは自分の店で置きたい本、売れそうな本を探し店頭に並べ、お客さんに手にとってもらえるように苦闘する。

 登場する書店員さんが書店でたどってきた道はいろいろ。ずっと非正規社員の人、勤めていた書店が倒産して今の職場へたどり着いた人、傾いていた家業の書店を立て直した人など。業界は安楽ではない。辞めていく仲間も多い。それでも本を愛し、それ以上にお客さんに本を手渡すことを愛して試行錯誤、七転八倒しながら己の職を全うしようとする「善き」人々なのだ。
 
 ある書店員さんがこんなことを言っている。「遠い未来、社会のなかで書店は、今あるもので例えると『木桶』のようなものになるかもしれない。ほとんどの人が日常的に使わなくても、たまには使ったり好きな人は使い続けているもの。そんな木桶のように書店員も残るだろう。」と。
 
 そんなことはない。書店と書店員さんは木桶のように他のものにとって代わられるものではない。書店と書店員さんが存在しないなら誰も本と出会えない。
 
 著者は、今働く普通の人々をインタビューという形で記録に残したいと、この本を書いた。本を読む幸せは普通の善き人々に支えられている。

(掲載:『望星』2014年3月号、東海教育研究所に訂正)

2014/04/29

『話してあげて、戦や王さま、象の話を』マティアス・エナール 著、関口 涼子 訳

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話してあげて、戦や王さま、象の話を

マティアス・エナール 著

関口 涼子 訳

河出書房新社

1,944円

 イタリアのシスティーナ礼拝堂の天井画のなかに描かれた「アダムの創造」。神がアダムに命を吹き込む瞬間、神とアダムが互いに手を伸ばし指先を触れ合わそうとする瞬間を描いた絵。イタリア・ルネサンスの巨匠、画家で彫刻家、建築家ミケランジェロの作品。この本は、彼の若き日に「あったかもしれない」異国の人々との触れ合いを描いている。

 1506年、ミケランジェロはローマ教皇の冷遇に腹を立て、教皇の敵であるトルコ皇帝の招きを受けトルコの都コンスタンティノープルへ赴いた。皇帝はミケランジェロに、コンスタンティノープルの金角湾にかかる橋の設計を依頼してきたのだ。彼は、自分と並び称される天才ダ・ヴィンチが同じくこの依頼を受けたが設計案を却下された、と聞く。それで、あのうすのろの成し得なかったことを成功させてやろう、と思ったのだ。先代のトルコ皇帝に征服されたばかりの都は西欧人トルコ人ほかスペインから追い出されたアラブ人など、イスラム教徒とキリスト教徒を問わず、さまざまな民族が行き交い共に暮らす大都市だった。異国の人々、異国の動物、ラクダ、象などに興味津々のミケランジェロ。

 ミケランジェロは皇帝の廷臣の秘書メシヒと知り合う。彼は優れた詩人でもあった。片言の言葉で語り合ううち、ミケランジェロはメシヒに深い友情をおぼえる。一方、メシヒはこの高慢な天才にすっかり魅了される。だが、ミケランジェロのトルコ行きはローマ教皇の知るところとなった。一刻も早く帰らないとキリスト教世界から破門されてしまう…。

 時代の政治に翻弄されるミケランジェロとメシヒの交流。神とアダムのように手をのばし触れ合うことができるのか。もろい心の橋の物語。フランスで、2010年度「高校生が選ぶゴンクール賞」受賞。

(掲載:『望星』2013年6月号、東海教育研究所)

2014/04/16

『本屋図鑑』得地直美 / 本屋図鑑編集部 著

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本屋図鑑

得地直美/本屋図鑑編集部 著

夏葉社

1,836円

 町の書店の存続危機が言われ始めて何年もたつ。最近は独立系書店が閉店になっていくのとうらはらに、蔦屋書店など大型書店チェーンの進出が目立つ。


 この本は、本と書店を愛する面々、1人で出版社夏葉社を経営する島田潤一郎氏と編集者の「空犬」氏が企画、島田氏が全国を旅し取材、「空犬」氏ともに執筆、イラストレーター得地直美氏が書店の店がまえから本棚の細部まで描いた緻密だけど素朴なイラストを描いた。「書店図鑑」とせずに「本屋図鑑」としたのは「本屋」という言葉への愛着ゆえ。


 町の大きな書店から小さな書店まで72もの本屋さん。なかには出版後に閉店してしまった神戸の海文堂書店もある。海事関係の本の品ぞろえで有名だった。自分の町の懐かしい我が家のような本屋さん。小さいけれども、すてきな本ばかりある本屋さん。私のお勧めの本屋さんは、鎌倉駅江ノ電口にある、たらば書房。一般の小説や雑誌もあれば歴史・哲学・心理学・評論など選びぬかれた学術書もある。ふつうの人に間口は広くマニアには奥行きは深い本屋さんだ。ほか、本好きのあこがれ神田神保町の東京堂書店、選びぬかれた新刊書をぐるっと並べた新刊平台、通称「軍艦」もある。日本で一番南の本屋さんは石垣島にある山田書店。さらに南の島へ「少年ジャンプ」1冊でも届けに行く。本の流通システムや、戦後からの書店の歴史、書店業界用語辞典も書かれている。


 大型書店チェーンも独立系の小さな書店でも、良い町の本屋さんとは、ベストセラーと地域ならではの地方出版社の本を用意してお客さんを満足してもらい、なおかつ店がおもしろいと思って選んだ本を「こんな本はどうですか」と店頭に並べて、それをお客さんもおもしろいと思い興味をもって楽しむ店ではないだろうかと思う。本屋さんで本に出会う楽しみを店とお客さんが共有できれば最高だ。


 「町には本屋さんが必要です」と筆者たちは言っている。我が町の本屋さんがなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまうのだ。

 

(掲載『望星』2014年2月号、東海教育研究所に加筆)

2014/02/02

『緑衣の女』アーナルデュル・インドリダソン 著 / 柳沢 由実子 訳

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緑衣の女
アーナルデュル・インドリダソン 著
柳沢由実子 訳
東京創元社
1,890円

 北欧アイスランド、首都レイキャヴィーク郊外の新興住宅地。子どもが建設現場で拾った石は人の骨だった。こんなショッキングな出だしで物語は始まる。この本はアイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソンの小説の邦訳2作目。前作『湿地』同様に、海外で推理小説に送られる数々の賞を受賞している。主人公は前作と同じく50代の寡黙な警察官エーレンデュル。

 通報にかけつけたエーレンデュルたち。人骨はおおよそ60年から70年前に埋められたものらしい。第二世界大戦中、アイスランドがイギリス軍、後にアメリカ軍に占領されていた時期だ。捜査のさなか、エーレンデュルの携帯電話が鳴り一言で切れた。「助けて。お願い」。娘のエヴァ=リンドだった。疎遠だったエーレンデュルと怒鳴りあって飛び出したまま行方がわからなかったのだ。娘は妊娠しているのにドラッグを絶てずにいた。

 一方、もう一つの物語も語られる。夫に暴力をふるわれる妻と恐れおののく子どもたちの生活。夫を恐れ自分を失い闇に閉じこもる妻に希望は訪れるのか。この二つの物語がからみあって進んでいく。

 首都レイキャヴィークには現在、総人口約32万人の約4割が住む。昔は小さな港町だったが、イギリス・アメリカ軍の占領期に仕事を求めて地方からきた人々が住まい、拡大した。人骨が見つかった、かつての片田舎を呑み込むほどに。
 
主人公エーレンデュルも幼いころ地方から移住した一人だ。街になじめず、妻にも子どもたちにもうちとけることができずに離婚した。彼女らも孤独のなかにある。エーレンデュルは言う。「時間はどんな傷も癒しはしない」。

 物語の人々は、みな幼いころの傷を抱えて生きている。孤独は孤独しか生まず、暴力は暴力しか生まない。推理小説というには重い家族小説だ。

祝 第2位『ミステリが読みたい!2014年版』海外編
祝 第2位『週刊文春 2013年ミステリーベスト10』海外編
どうして1位じゃないんだろうか…。
(掲載:『望星』2013年10月号)


『アイルランドモノ語り』栩木 伸明 著

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アイルランドモノ語り
栩木伸明 著
みすず書房
3,780円

 アイルランドと言えば、アメリカのケネディ家の父祖の地。少しむかしではジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『静かなる男』で田舎のお人好しな人々があたたかく描かれ、現在では民族舞踊を取り入れた華麗なダンスショー「リバーダンス」が人気を集めている。で、アイルランド本国はというと残念なからそれほど知られていない。

 著者のアイルランド文学研究者、栩木伸明氏は1年間アイルランドの首都ダブリンに住み、なじみの街から田舎まで巡り歩いた。そしてその先で見つけたいろいろな「モノ」の物語を探ろうとする。

 アイルランドは緑に恵まれているが土壌は貧しい。異民族からの侵略に絶えず脅かされ17世紀からイギリスの植民地にされた。1845年に主食だったジャガイモの疫病で大飢饉となりケネディ家の先祖をはじめ多くの人々がアメリカなど海外に移住した。だが激しい独立運動を経て1921年に北アイルランド六州を除いて自治領に、1937年アイルランド共和国として独立した。しかし北アイルランド問題は解決したわけではない。

 アイルランドには至るところに歌と物語がある。その内に歴史と人々の心がある。古代の英雄から独立運動の闘士の勲、ふつうの人の恋や醜聞。著者が見つけたポプリ入れにはシャムロック(クローバー)が彫り込まれていた。聖パトリックが、小さなシャムロックよ、と呼びかけたと歌にあるが、実はシャムロックは支配者イギリスに抵抗する者の象徴なのだ。ダブリンの一角で著者が見つけた銘板には、反アパルトヘイトのためにスーパーで南アフリカ産物の販売を拒否し続けた女性店員へ南アフリカ大統領からの感謝の言葉が刻まれていた。この女性を讃え経営者を揶揄する歌も歌い継がれている。

 アイルランドでは今でもほめ歌や呪い歌が社会に影響を及ぼしている。言霊を信じる人々の国なのだ。

祝 第65回読売文学賞 随筆・紀行賞受賞。

(掲載:『望星』2013年9月号)

2013/12/17

『本の未来』 富田倫生 著

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本の未来
富田倫生 著
BinB store
無料
   
 電子書籍が華々しく宣伝されているが、肝心の書籍の中身、紙の本から文章をパソコンや電子書籍リーダーに読み込めるようにしたテキストデータがまだ少ない。

 
 青空文庫は著作権が切れたり著者の許諾を得た本をテキストデータ化し、無料でインターネットに公開しつづけている。この本の著者、富田倫生氏はその創立メンバーのひとりだった。今年八月に逝去。電子出版社ボイジャーは富田氏の死を悼んで、青空文庫にあったこの本を、電子書籍用アプリケーションを使わずにインターネットが使えれば読むことができるシステムBinBで無料配信している。

 
 この本『本の未来』は1997年にアスキー出版局から紙の本として発行されたが品切再版未定、つまり、売れなかったのでもう出版しませんよ、と絶版扱いになっていた。こういって消えていく本はたくさんある。富田氏は売れない本が消えていく出版業界の実状に疑問を持っていた。大量に生産し大量に消費されないと成り立たない市場。もっと人々の声を自由に気軽に発表することはできないだろうか。昔のガリ版印刷のように。富田氏が見いだしたのが電子書籍だった。パソコンが一般化し始めた頃だった。

 富田氏の言葉。
 「人々の考えや思いや表現は、電子の流れに乗って一瞬に地球を駆けめぐる。そうなってなお、考えをおさめる器が紙の冊子であり続けるとは、私には思えない。
 本はきっと、新しい姿を見つけるに違いない。

 そんな本の新しい姿を、私は夢見たいと思う。

 たとえば私が胸に描くのは、青空の本だ。
 高く澄んだ空に虹色の熱気球で舞い上がった魂が、雲のチョークで大きく書き記す。
 「私はここにいます」
 控えめにそうささやく声が耳に届いたら、その場でただ見上げればよい。
 本はいつも空にいて、誰かが読み始めるのを待っている。

 青空の本は時に、山や谷を越えて、高くこだまを響かせる。
 読む人の問い掛けが手に余るとき、未来の本は仲間たちの力を借りる。
 たずねる声が大空を翔ると、彼方から答える声が渡ってくる。
 新しい本の新しい頁が開かれ、問い掛けと答えのハーモニーが空を覆う。

 夢見ることが許されるなら、あなたは胸に、どんな新しい本を開くだろう。
 歌う本だろうか。
 語る本だろうか。
 動き出す絵本、読む者を劇中に誘う物語。
 それとも、あなた一人のために書かれた本だろうか。
 思い描けるなら、夢はきっと未来の本に変わる。」

 紙の本から電子書籍へ転生したこの本は、紙の本で育った私には正直読みにくい。だが生まれたときからインターネットがあった世代は難なく読むかもしれない。本は写本から木版や活版、電算写植へと転生してきた。新しい転生によって本は市場から自由になれるだろうか。
(掲載:『望星』2013年12月号、東海教育研究所に加筆)

2013/09/08

『図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情』 宮田 昇 著

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図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情
宮田 昇 著
みすず書房
2,310円

 退職後、若いころ味わった読書の楽しみを思い出し、近所の図書館に通うようになった年配者は多い。この本の著者、宮田昇氏もその一人だ。だが宮田氏はただの読書好きではない。編集者、洋書店勤務を経て著作権事務所を設立。その一方「内田庶(うちだ ちかし)」のペンネームで児童向け読みものを執筆、また外国の推理小説やSF小説を児童向けに翻訳した。小学校や中学校の図書室や図書館の児童コーナーにあったシャーロック・ホームズシリーズの多くは宮田氏の手によるものだ。この本で、ただものではない本のプロ宮田氏は、首都圏の公立図書館に通い本を探し借り読む日々で気づいた現在の公立図書館の姿について語っている。

 宮田氏は図書館で有名作家の初期作品集を取り寄せたり、エンターテイメント小説の新刊を読み最近の作家のレベルの高さに驚いたりして読書を楽しんでいる。しかし同時に図書館の本の汚さに辟易し、運営する地方自治体が「ただで本を貸してやる」と思っているのか、だから図書館の予算が減らされ汚れた本を買い直すことができないのではないか、と想像する。また出版界が公立図書館を「公立無料貸本屋」と揶揄し本の売上を妨げるものと嫌うことへの配慮もあって同じ本を複数購入しないのだろうと推測する。

 図書館は「公共無料貸本屋」であっても、必要な知のインフラである。そして読書は、教養であると同じくらいに娯楽である。おりしも宮田氏の住まう県では、財政難を理由に県立の2つの図書館の縮小と廃館が検討されていた。宮田氏は願う。図書館にいま必要なのは読書指導よりも読書情報の提供。出版社は図書館と互いに協力して本の情報を提供し、図書館は本の情報をできうる限り利用者に知らせるべきだ。図書館は活字離れを防ぐ役割を果たしていることはあっても、活字離れを増やしている現実はない。出版社は「公共無料貸本屋」として図書館を貶め、その予算を地方公共団体が減らすのに力を貸さないでほしい。

 また、宮田氏は願う。「さらに、これからのころでもうひとつお願いがある。それは図書館通いで知った多くの優れたエンターテイメントを書く日本の作家たちに、子どもたち、小学校上級から中学生が娯(たのし)める小説を書いてもらいたい。読書は娯しみなだけでなく、そこから想像力をかきたてさせるものがある。人の喜びも悲しみも痛みも深く知ることができる。携帯やその他の端末でも読めるジュナイブル・エンターテイメントは、かつてのものとはちがうかもしれない。また親たちの忌み嫌うものかもしれない。しかしそれを経ることで、読書の幅は広がるはずである。学校図書館では学校教育を補充する調べ物や読解力の向上に、あるいは文学性の高いものに重点をおき、指導している気がしてならない。」

 なんと、このただものではない本の宮田氏は学校図書館とライトノベルをも視野に入れているようだ。さすがのやわらかあたまだ。

 公立図書館は地方自治体にとって利益生まない鬼っ子だった。だが住民にとって不可欠なインフラとなったいま、再構築がせまられている。

(掲載:『望星』2013年8月号、東海教育研究所に加筆・訂正)

2013/08/19

『はだしのゲン』、松江市小中学校図書室で閲覧制限・児童生徒への貸出禁止の件について

松江市教育委員会が『はだしのゲン』を市内の全小中学校へ学校図書室で閲覧制限したのみならず貸出禁止を求め、全校がそれに応じた、と?

表現の自由、出版の自由、思想の自由を妨げる検閲だ。教育委員会とは、「教育」が名ばかりの上だけを見ている役人たちの機関。

学校は、なぜそれにはいはいと従う? 学校図書室の責任者は、または司書は、それに異議を申し立てることをしたのか? 申し立てることができる強い立場ではなかったのだろうが。それとも学校図書室に責任者を置いていなかったのか?

「それをおまえ大事にしていたか? 少しは守ろうとしたか?」(『シュトヘル』のセリフ)

学校図書室から知る自由が失われてからでは遅い。現在の日本の公共図書館や学校図書室は、教育委員会という政治からの独立性がまったくない部署の傘下にある。これらの図書館では、もう知る自由は司書が努力しても望めないかもしれない。


はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」
毎日新聞 2013年08月16日 19時22分(最終更新 08月17日 14時24分)

 漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。

 ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。

 松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

 現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。

 これに対し、汐文社の政門(まさかど)一芳社長は「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいと描かれた作品。閉架で風化しないか心配だ。こんな悲しいことはない」と訴えている。

 「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話 作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。

 教育評論家の尾木直樹さんの話 ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。【宮川佐知子、山田奈緒】

ウソばかり書いているネット百科事典「アンサイクロペディア」にウソニュースとして出たんだけれども

「注:アンサイクロペディアは、嘘と出鱈目にまみれています。ここに書かれた内容も嘘や出鱈目である可能性が高いです。…と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……以上のニュースは全て事実なのである。申し訳ありませんm(_ _)m 事実があまりに凄すぎるので,嘘が書けません!」

って書いたくらい、嘘と思いたいホントなのか? っていうニュース。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/UnNews:教育委員会が、在特会の圧力に屈する

2013/07/27

『歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア』ウンベルト・エーコ 著、リッカルド・アマデイ 訳

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歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア
ウンベルト・エーコ 著
リッカルド・アマデイ 訳
岩波書店 3,045円

 哲学者、中世研究者および著書『薔薇の名前』で有名な小説家でもあるウンベルト・エーコ。この本は彼が2000年から2005年にイタリアの雑誌に連載した記事をまとめたものだ。

 おりしも9.11テロからアメリカがアフガニスタンとイラクへの攻撃を呼びかけ、戦争を始めたころ。熱い戦争が再び始まった。不寛容がアメリカをつつみ、政治家や民衆が「我々と同じ考えでないならおまえは敵だ」と、極端でヒステリックな愚言を言う。エーコは、まるでキリスト教徒とイスラム教徒がぶつかった中世の十字軍の時代にもどったようだと皮肉とユーモアを交えて辛辣に批判する。 

 かつて戦争とは敵国にいるのは敵国人、自国にいるのが味方で、勝つためには大量の犠牲者がやむをえないものだった。しかし現在は敵国にこちらに味方し自分の政府に反対する人々がおり、こちらにもこの国に生まれた敵国出身の人々がおだやかに暮らしている。かつ民衆は味方の大量の犠牲の上に立つ勝利を認めない。現代において戦争に勝者などいないのだ。

 エーコには現代世界へのあきらめも見える。それでも学者の使命についてイタリアの思想家ノルベルト・ボッビョの文章を引用して書く。

 「『動くんじゃない、すべては丸く収まるのだから』をモットーとする楽観主義者と、『ともかく、やるべきことをやるのだ。たとえ物事がこれからますます悪くなるとしても』と反論する悲観主義者のうち、私は後者を選ぶ。世界がよくなる保証も要求せず、褒賞はおろか認知さえ望まず、善意を尽くす人間を、私は高く評価し尊敬する。よき悲観主義者だけが先入観なしに、確固たる意志をもって、謙虚な気持ちで、そしておのれの任務に全身全霊を捧げて行動できる状態にあるのである。」

 これが「歴史を知る者」としてのエーコの仕事の原動力だ。

(掲載:『望星』2013年5月号、東海教育研究所)


2013/01/19

『書店の棚 本の気配』 佐野 衛

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書店の棚 本の気配
佐野 衛
亜紀書房   1,680円

 書店に入る。目にとまった本を開いて、数行読む。頭のなかに文章が描写する風景、人物、理論が起ちあがる。本から目を離して、棚の、その本のあったあたりを見渡す。たくさんの本のタイトルが頭のなかでつながり、世界をつくりだす。著者は書く。「書店は自分が空間的な広がりを獲得してようなもので、その内容は古今東西に渡っているのだから、時間的にも共感できる場に居合わせていることになる。つまり書店は共時的空間と通時的空間が交差している場なのである。」

 この本の著者、佐野衛氏は東京の神田古書店街にある東京堂書店の店長を長らく務めた、本の世界の大ベテランだ。東京堂書店は本好きな人々のなかで、一番好きな書店にあげられるほどの書店。この本は佐野氏の本と書店への思いと、退職までの何年かの東京堂書店の日々を書いた、本のエッセイである。

 佐野氏は本の声を聴き、本と本のつながりをつくって棚にならべていく。これが書店で「棚をつくる」ということだ。書店はなにかおもしろい本を探そうというのにはとても便利だが、目当てのただ一冊の本だけを探すのには向いていない。最近の大きな書店には店内の本の所在がわかる検索用コンピュータが置いてあるところが多いが、本の位置が少しずれてしまうともうわからなくなる。そのかわり、ある本を見つけると、それに関連するテーマの本がそばに並んでいるのでつぎつぎと欲しくなる。これが書店の棚のつくりで、人の思考に合わせた本のならびになっている。本を分類順にきっちりならべてしまう図書館の棚とは違う。

 書店の棚に立ち、本の気配を感じ取る。本が語りかけてくる言葉を聴く。本と本のつながりを知る。どれだけ本と過ごせばそんなことができるのだろうか。佐野氏の、本という人間の営みへの愛がよくわかる。

(掲載:『望星』2013年1月号、東海教育研究所)

2012/12/19

『死と滅亡のパンセ』 辺見 庸 著

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死と滅亡のパンセ

辺見 庸 著
毎日新聞社

1,365円

 東日本大震災のあと、ジャーナリストで小説家、詩人でもある辺見庸氏は、故郷の宮城県石巻市に立ちつくした。手に取るようによく知っていた町がなにもない。友人たちはどうなったのか。瓦礫の中に、墓から流れでたのかそれとも津波の被害者のものなのか骨が入り交じっている。巨大な滅びの風景に辺見氏は言葉を失った。滅びをもたらした海は、今は静かに凪いでいた。悲しみというより虚脱感を覚え巨大な空虚が浮かんで見えた。

 この滅びに対面して日本で発せられた言葉はあまりに貧しかった、と辺見氏は言う。一般企業がCMを自粛し代わりに「こんにちワン ありがとウサギ」など空虚な文句が一日中テレビに流れ、マスコミは「国難」と表現し、被災者には「絆」「がんばろう」など耳障りのいい言葉を向ける。不穏な言葉は自粛され封じられた。日本の言葉はここまで貧しくなったのか、と辺見氏は暗澹たる思いにとらわれる。日本では個人それぞれの言葉をみな同じ方向に向けようとする強制力が社会の無意識下で働いている、と。

 その社会に対し、言葉を取り戻した辺見氏は声を上げる。自分は個である。震災で現れたのは非情なる死と滅亡である。「いったいわたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の破壊が意味するものはなんなのか。わたしはすでに予感してる。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれをおしえている。非常事態の名の下に看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理に根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなければならない。」

 辺見氏は、破壊された故郷を見つめ、滅びを考えつづける。自分の心の傷から眼をそらさないのだ。

(掲載:『望星』2012年10月号、東海教育研究所)

2012/10/20

『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』 デヴィッド・ハジュー 著 / 小野 耕世 / 中山 ゆかり 訳

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有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り
デヴィッド・ハジュー 著
小野 耕世 / 中山 ゆかり 訳
岩波書店
5,040円

 今、アメリカの映画ではバットマンなどアメリカンコミックから生まれたヒーローが活躍している。キッチュだけどかっこいいヒーローたち。彼らが生まれた1930年代から50年代初めはアメリカンコミックの黄金時代だった。コミックブックは安い紙に鮮やかな多色刷りで印刷され、町の雑貨屋に子どもも買うことができる10セントで売られていた。当時子どもだった人でコミックブックを懐かしむ人は多い。

  コミックブックは若いアーティストたちが出版社のなかのチームで製作していた。彼らは斬新なコミックを作るため熱意を傾けていた。ヒーローものから犯罪もの、ラブストーリーからホラーへとつぎつぎ新しいコミックを作りだした。第二次世界大戦前後の偽善的で窮屈な世の中で、アメリカンコミックはあらゆる権威や品格を蹴飛ばし、笑いのめし、奔放な世界を読者に広げて見せた。

 そんな出版物に子どもが熱中するのを厳格な規律と品位を重んずる人々が黙って見ているわけはない。「子どもたちを非行へ誘う俗悪でおぞましい病魔」と作家や教師、精神学者、保守派議員が排斥しだした。もっとも彼らはコミックブックなんて読んだこともなかったのだ。学校では教師と子どもたちがコミックブックを集めて燃やす焚書運動が盛んに行われた。子どもの頃、これに参加した人はひどく後悔した思い出を語っている。

 もっとも黙っておとなのいうことを聞いている子どもばかりではなかった。ある14歳の少年は新聞に抗議の手紙を送った。
 「守勢にまわっているぼくらは、ぼくらを攻撃する者同様に真剣にならねばならない時期にある。ぼくらの側がこの戦いを求めたわけではないが、しかしぼくらは、この戦いを集結させるべく挑んでいる。何百万という子どもたちの運命は予断を許さない状況にある。子どもたちが出会い、そして愛するようになった読み物を彼らが提供し続けるために、ぼくらには負うべき義務があるのだ。
 ワーサム博士(コミックブック撲滅を主導した有名な心理学者)は、おとなについては、それがどれほど低俗であろうと。不道徳であろうと、おとなであるというただそれだけの理由で、好きなものを読む完璧な権利をもつべきだと信じているようだ。他方、子どもたちは、無害な無菌状態の世界で生きる以外は、何から何まですべて完璧に無知の状態に留め置かれるべきと信じている。その世界のワーサム博士は、子どもたちを誕生から成人にいたるまで、囚人として閉じ込めておきたいと考えているのだ。これらすべてがもたらす純然たる結果は、子どもたちがいつかおとなになったときに、まったく異なる種類の世界へと押しこまれるということだ。おとなになった彼らは、暴力と残虐の世界、強制と競争の世界、そして非人間的な世界で、自分自身の闘いや怖れや不安や困惑と戦わなければならなくなる。
 子どもたちは、自分たちが何を望んでいるかを知っている。子どもは、自身の心を持ち、またいかなるものに対しても非常に明確な嗜好をもった、ひとりの独立した人間である。その子どもたちがたまたま自分の意見に同意しないからというだけ理由で、ワーサム博士は、子どもは判断のしかたを知らないのだと言う。今こそ社会は眼を醒まし、子どもたちは自分自身の意見を持った人間であること、そして何に対しても意見を訊ねられることもなく、ただそこかしこで命令されるだけの、脳みそのないロボットではないという事実に気づくときなのだ。」

  だがコミックブックへの圧力はますばかり。売上も落ちていった。コミック出版各社は、この魔女狩りを逃れるためにを厳しい自己検閲を行って健全な本として認められようとした。だが結局、売上の減少はとどまるところを知らず、コミックブックは廃刊。アーティストたちは失業した。

  だが、1960年代に小出版社などが発行したアンダーグラウンドコミックスがブームとなり、自由闊達なコミックが甦った。今日、再びコミックヒーローたちが活躍している。本をなくすことはできても、物語が育んだ夢は死ぬことはないのだ。

(掲載:望星2012年11月号、東海教育研究所に大幅加筆)

2012/10/06

『東アジアの記憶の場』板垣 竜太 / 鄭 智泳 / 岩崎 稔 編著

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『東アジアの記憶の場
板垣 竜太 / 鄭 智泳 / 岩崎 稔 編著
河出書房新社
4,410円

 東アジアの国々、日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾は古代から現在まで互いに影響しあい、交戦し、文化を交流してきた。この本では、国の歴史で扱えない東アジアで共有する文化、英雄的人物などの記憶を探求することを試みられた。1950年代から70年代に生まれた日本と韓国の若い歴史研究者や文学研究者たちが自由に思考している。

 日本、韓国、北朝鮮の共通した英雄で有名なのはプロレスラー力道山だ。日本の植民地時代に現在の北朝鮮領で生まれ日本で力士になったが、戦後プロレスに転向しアメリカ人プロレスラーをやっつける日本の国民的英雄となる。だが彼が朝鮮人であることは日本では隠され続けた。一方、韓国では自国が生んだ世界的プロレスラーとして英雄となった。北朝鮮でも烈士ともてはやされた。

 また詩人、尹東柱も日本、韓国、中国で愛されている。満州国に移住したキリスト教徒の朝鮮人家族に生まれ育った彼は、日本へ留学し同志社大学で学んだ。だが、朝鮮独立を企てたとして刑務所に収監され、29歳で獄死した。韓国では「民族詩人」「抵抗詩人」と英雄視され、ソウルに記念碑が建てられた。一方、彼の叙情的な美しい詩は日本でも愛され、同志社大学と京都造形大学に記念碑が建てられた。そして彼の生まれた中国朝鮮族自治州でも郷土が生んだ偉人として記念碑が建てられた。だが、日本も今の韓国も中国も彼の故郷ではない。彼に安住の地はなかった。

 その他、日本の国民教育のために行われた学校の運動会が、植民地だった韓国、台湾でも日本と同じように地域の楽しい祭りとなったことが取り上げられている。

 同じ人間や文化でも、東アジア各国で記憶は重なり合ったりずれたりしている。自分と同じでない他者を認めなければ東アジアに未来はない。

(掲載:『望星』2011年8月号、東海教育研究所)

2012/07/16

『「本屋」は死なない』石橋毅史 著

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 『「本屋」は死なない
石橋毅史 著
新潮社
1,785円

 「情熱を捨てられずに始める小さな本屋。それが全国に千店できたら、世の中は変わる。」

 これが、書店ひぐらし文庫店主、原田真弓が開店にあたって抱いた思いだった。渋谷にある大手書店の売り場担当を辞めて、売り場面積五坪のひぐらし文庫を始めたのだ。ここ数年、小さな町の書店はばたばたと消えている。人々は大きな町にある大手書店チェーンやインターネット通販で本を買う。なぜ彼女はお先真っ暗に見える書店業になぜ飛び込んだのか。

 この本の著者、石橋毅史は原田のような書店店主や書店員、いわゆる「本屋」を取材して廻った。2009年まで出版業界紙『新文化』の編集長を務め、現在フリーランス。著者は「本屋」を尊敬し、本と読者をつなぐ伝え手と信じてきた。「本屋」たちは何を信じているのだろう。 

 「本屋」は本を育てる人でもある。客が足を止めて見入るように本の並びを工夫し、これと見込んだ本は置き場所や見せ方を変えながら、またはお勧め本のPOPを立てて、売り上げを少しずつ伸ばしていくのだ。だが、取次が全国でどの本が売れているかの細かいデータを即時に把握できるようになり、効率よく売り上げるためにどこの書店にも同じに売れそうな本を送ってくるようになると、「本屋」の出番はなくなった。金太郎飴のように似通った書店ばかりになり、そのなかで資本力の弱い小規模書店は相争ってつぶれ、大規模書店が残った。

 「本屋のあるかもしれない未来をもう一度つくるのは、人間ひとりひとり。」 

 鳥取で定有堂書店を営む奈良敏行は言う。小さな本屋は客ひとりひとりと向きあって本を渡す方法を持っている、と。

 読者それぞれへ確実に本を手渡す小さな「本屋」が、不特定多数へ本を売るために巨大化して疲弊した書店業界の闇を照らすかもしれない。

(掲載:『望星』2012年5月号、東海教育研究所)

2012/06/02

『いまファンタジーにできること』アーシュラ・K・ル=グウィン 著、谷垣 暁美 訳

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いまファンタジーにできること
アーシュラ・K・ル=グウィン 著
谷垣 暁美 訳
河出書房新社
2,100円

  現在ファンタジーと呼ばれる物語は、かつては神話や昔話であり誰もが聞いて育ったものだった。そこから小説が生まれたのだが、近代、小説は現実の人間を描いてこそ良しとされるようになった。ファンタジーは子どもだましと見なされて児童文学に押し込まれた。しかし『ハリー・ポッター』シリーズのヒットで、ファンタジーは稼げるモノと目をつけられ、小説や映画などで量産されることとなった。それでもファンタジーを子どものものと決めつける評論家や教師は多い。

  この本の著者アーシュラ・K・ル=グウィンは長きにわたってファンタジーを紡ぎ続けている作家。だが代表作『ゲド戦記』シリーズは児童文学とも言われ、もう一つの代表作『闇の左手』はSFとも言われている。ル=グウィンは両方とも特定の年齢層に向けて書いていない。 

  ファンタジーとは何だろう。よくあるのが、登場人物たちは白人で舞台は中世ヨーロッパのような世界、主人公たち善の側が敵の悪の側と戦い勝利する、というもの。ファンタジーの金字塔『指輪物語』の影響だ。ル=グウィンは、この名作と作者トールキンを讃えてやまないが、ファンタジーとはそれだけではなく、想像力による文学、と広く定義する。書き手はこことは限らない世界と人間とは限らない主人公たちを持てる想像力を駆使して生みだし、読み手はそれを想像力を使って頭に再構成する。『シートン動物記』のような動物が自然を生きる現実を描いた物語でも想像力は必要だ。読者は他者の思考と心情を想像する。想像の記憶が子どもには強く刻み込まれる。

  物語は子どもにメッセージを示したりしない。作家がさしだすのは物語だけ。物語のなかに、とりわけファンタジーのなかに若い人は自分自身の道を見いだす。それならきっと大人でもファンタジーに見いだすものはある。

(掲載:『望星』2012年1月号、東海教育研究所))

2012/05/05

エライ人にはわからんらしい

  佐賀県武雄市の図書館が、指定管理者をTSUTAYAが運営する「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」にして、市民の希望に応えて365日9時 から21時まで開館し、蔵書を20万冊増やし本を手にとって見てもらえるようにするとのこと。お店と図書館の複合施設という感じだろうか。

武雄市立図書館、ツタヤに運営委託計画 21時まで開館(佐賀新聞 2012/5/4)

武雄新図書館構想発表記者会見 (Ustream 録画日時 : 2012/05/04 11:02 JST ) 

 TSUTAYA、公立図書館運営へ 佐賀・武雄市が委託 (西日本新聞  2012/5/5 00:12)

図書館をTSUTAYAのように…と市長が構想(読売新聞 2012/5/5  )

市図書館、ツタヤが運営…年中無休でカフェも(読売新聞 2012/5/5/09:18)

 

  でもなんか、どう見ても公務員のエライ人の考えることだなあ、と思えてならない。企画と施設のことについての説明が多い。図書の貸出件数で図書館 の良し悪しを決める人だ。蔦屋代官山店みたいな図書館にしたいらしいが、街の公共図書館と都会の書店とレンタルショップがひとくくりにできるわけがない。 代官山と武雄市では客層がかなり違うはず。同じような品揃えと売り方ではうまくいくわけがない。

  それに、市民の貸出希望が多かった雑誌は貸し出すんじゃなくて、同じ施設内で売る。近頃、雑誌が借りられる図書館も多いのにこれは不評だろう。図書館に来るお客は基本的に借りられるものは買わない。 

  カフェスペースをもうけて、のんびりと読書を楽しんでもらえる空間にするらしい。これだけはいいと思う。

武雄市長、会見で怒り露に「なんでこれが個人情報なんだ!」と吐き捨て (高木浩光@自宅の日記  2012/5/4)

「図書館で本を借りたらTポイント」TSUTAYAが公立図書館運営へ Facebok市長「本の貸出履歴は個人情報ではない」(マイナビニュース 2012/05/05) 

 

   本の貸出履歴は個人のプライバシーで、警察にもいうべきかどうか問題になっていることも知らなかったらしい。

  なにより! 図書館は入れ物と蔵書だけじゃない。「人は城、人は石垣、人は堀」。人こそだいじ。専門書の相談にのったり子どもの相手をしたりお年寄りといっしょに本を探したりクレーマーに怒鳴られたりと、どんな場合でも柔軟に対応しなければならない。図書館にはカルチュア・コンビニエンス・クラブのスタッフが配属されるとのこと。優秀な店員が集められるんだろうか。365日9時から21時まで開館するのに、設備にお金を使ったかわり人件費は安くあげようなどとならないでほしい。

2012/04/29

『越境する書物 変容する読書環境のなかで』 和田 敦彦 著

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越境する書物 変容する読書環境のなかで
和田 敦彦 著
新曜社 4,515円

  そこに本がある、というのはどういうことだろうか。その本はいつ、誰によって、どうやってもたらされたのか。本がある、ということは、購入する理由があり、資金の流れがあり、書物を運ぶルートがあり、手に入れた書物を整理し、使うノウハウがある、ということなのだ。

  この読書の環境を探るのがこの本の著者、和田敦彦氏がとりくんでいる研究、リテラシー史だ。和田氏はこの本の前書『書物の日米関係』で、太平洋戦争の前から後にかけてアメリカでは政府が情報戦略のための日本研究を主導し、たくさんの大学や研究機関で日本語図書を購入して研究者を育て、加えて日本語資料を整理する専門の司書を育て、のちの日本語図書文庫の充実と日本研究資料のデータベースの基礎を作ったことを書いた。今回の『越境する書物』では、同じく戦前から戦後の日米の図書の移動や輸出入も扱うが、よりリテラシー史につっこんで図書収集に携わった人々を取りあげる。

  戦前、ニューヨークに日本文化研究の拠点を作ろうと図書の収集に奔走した角田柳作。コロンビア大学に日本文化研究所を設立した。教え子にドナルド・キーンがいる。また戦後、日本に進出して和書の輸出、洋書の輸出入を手がけた書籍商、チャールズ・E・タトル。アメリカの大学の大規模な日本語図書収集を支えた。翻訳権販売も扱い、日本語書籍の英訳と海外書籍の日本語訳も手がけた。

  ほか、さまざまな図書の媒介者たちが人と書物のネットワークを作り日本語図書の読者と日本研究を育てた。

  近代の読書には読者の形成、図書の獲得、図書データの管理、図書の作成が必要で、その輪のなかで見えない媒介者たちが働いている。これを探求するリテラシー史では、さらに図書のデジタル化とデジタルネットワークにも目を向ける。図書とは流動する媒体なのだ。

(掲載:『望星』2012年3月号、東海教育研究所を訂正)

2012/01/22

『北の島 グリーンランド / 南の島 カピンガマランギ』長倉 洋海 著

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北の島 グリーンランド/ 南の島 カピンガマランギ
長倉 洋海 著
偕成社
各1,890円

 フォトジャーナリスト長倉洋海氏の最新刊。戦場に生きる人々の生活を撮ることが多かったト長倉氏が、今度は氷の島グリーンランドと常夏の島カピンガマランギで、古くからの生活を守り続ける人々を撮った。このふたつの島の共通するのは、地球温暖化の波にさらされているということだ。

 ほとんどが北極圏に入り、氷河に覆われたグリーンランド。住民の8割以上がイヌイットだが、現在はデンマークの自治領となっている。長倉氏はグリーンランド極北部の町カーナークから、さらに北極海の島ケケルタートへ、たくましい犬たちが曳く犬ぞりで向かう。そこで出会ったのは狩人とその家族。長倉氏はアザラシ猟を写真に撮る。獲物を狙う狩人の銃。アザラシから流れでる血で海と雪が赤く染まる。アザラシ肉の分け前をせがむそり犬たちも血に染まっている。20年以上前は家族で狩りをしたそうだ。だが今、子どもたちはテレビゲーム三昧。昔のほうがよかった、と狩人は言う。

 1950年代、カーナークの住民112家族はアメリカ軍のチューレ空軍基地建設のため、退去させられた。1968年、基地付近の北極海にB52爆撃機が墜落した。核爆弾1発は未だ回収できず、海は放射能汚染が疑われている。

 かつてホッキョクグマやアザラシの毛皮、イッカクの角は最大の輸出品だった。今は動物保護のため捕獲頭数が制限されて、狩りでは一家が食べていかれない。さらに温暖化で氷が溶け、狩りにも影響している。寒くて農業ができない土地で狩りをして暮らしてきた私たちはどう生きればいいんだ、という嘆きの声。それでも狩人は言う。「いつも命がけで、今日を生きることだけを考えて生活してきた。10年後、100年後のことよりも、今日を生きぬくことが第一だった。それが狩人だ。子どもたちは自分で、きっといい生き方を見つけていくだろう」。

 一方、太平洋のミクロネシア連邦、赤道近くのカピンガマランギ環礁のなかのウェルア島。青く透きとおった海と緑鮮やかな島。大学時代以来ひさしぶりに訪れた長倉氏を、島の人々は覚えていた。

 住民はポリネシア人。女性はタロイモ畑の世話、男性は漁とヤシの実とり。おとなも子どもも笑顔。ゆったりとした時が流れているようだ。だが楽園ではない。3カ月ぶりの雨を受けとめる子ども。島は波に浸食され小さくなっていく。島の海抜は平均1メートルしかない。「将来、島が沈んでしまうのではないかという不安はあるけれど、神さまがなんとかしてくれると信じている。この島が好きだから」。住民の祈りのような言葉。

 温暖化で失われてしまうかもしれない北の島と南の島の生活。生活という戦いを生きる人々。長倉氏はふたつの島の行く末を見守っている。

(掲載:『望星』2011年11月号、東海教育研究所に加筆掲載)
 

2011/12/31

『これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景』ダグラス・アダムス / マーク・カーワディン 著、安原 和見 訳

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これが見納め 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景
ダグラス・アダムス / マーク・カーワディン 著
安原 和見 訳
みすず書房
3,150円

 

 「絶滅危惧種をとりまく状況は最初から、身もふたもなく絶望的」。

 銀河をヒッチハイクしてまわる異星人と最後の地球人の、壮大で情けなく皮肉たっぷりのSFコメディ『銀河ヒッチハイク・ガイド』。その作者ダグラス・アダムスが動物学者マーク・カーワディンと世界の絶滅危惧種を見てまわった道中記がこの本だ。1990年に書かれたため今と違うこともあるが、彼のユーモアに秘めた鋭い視点は海外で評価が高い。

 大陸から孤絶した島マダガスカルに住むアイアイはサルの子孫である人類の遠い親戚。かつてサルに大陸を追われた。旧ザイールで出会った畏るべき生きものゴリラは人類のごく近い親戚だ。だがともに人類によって絶滅にひんしている。ニュージーランドのぶきっちょな鳥カカポ(フクロウオウム)。敵のいない楽園で何万年も暮らすうち飛ぶことも攻撃されたら逃げることも忘れてしまった。たまに思いだしたように木から飛びおりてみると、3kgを超えるほどのふとっちょが宙を飛ぶ姿はレンガのようで、ぐしゃっと着地するさまには優雅さのかけらもない。人類が外からつれてきたネコなどに殺されて激減。カカポ捜索人とカカポ捜索犬が探しては安全な場所へ保護している。だが、溺れ死んだ姫君の生まれ変わりという伝説のある中国は揚子江のヨウスコウカワイルカは今はもういないようだ。河を行き交う船のエンジン音のうるささに聴覚ででまわりを測ることができなくなり、しょっちゅう船にぶつかってしまうのだ。

 動物たちに会うたびにアダムスは自分がサルの子孫にすぎない人類なことに気づく。インドネシアのコモド島では、コモドオオトカゲが観光客への見せ物としてヤギを貪り食うさまを披露するはめになっているのを見たアダムスは、人類が生物を絶滅から救うためにホラーショーを演じさせる連中であることと、それを黙って見ていた臆病な自分に恥じいる。そして海岸で木に飛びつこうとはねているトビハゼを見ながら、人類は3億5000万年ほど前に陸に上がった魚の子孫だったことを思い、もしや3億5000万年後にこの魚の子孫が今の自分のようにカメラを首からさげて海辺に座っているのだろうか、そうなら人類のようにはならないで欲しい、と願う。 

 生きものを絶滅させないために大勢の研究者やスタッフが働いている。生きものの絶滅は生態系を破壊するだけでなく、世界をそのぶんだけ貧しく暗く寂しい場所にしてしまう。それで人類はだいじょうぶだろうか。

(掲載:『望星』2011年12月号に加筆、修正)

2011/10/16

『乾燥標本収蔵1号室 大英自然史博物館 迷宮への招待』リチャード・フォーティ 著、渡辺 政隆/野中 香方子 訳

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乾燥標本収蔵1号室 大英自然史博物館 迷宮への招待
リチャード・フォーティ 著
渡辺 政隆 / 野中 香方子 訳
NHK出版
2,625円

    自然史博物館に行ったことがある人は多くても、その裏側へ入った人は少ないだろう。そこは迷宮で、たくさんの謎の物体と、それを自然界に秩序をもたらすべく分類する迷宮の住人たちがいる。

 大英自然史博物館またはロンドン自然史博物館は、大英博物館の自然史部門が1881年に独立したもの。世界最大規模の自然史博物館で世界最高級の自然史研究機関だ。また誰にも開かれた博物館で開館当時から入館無料を貫いている。

 著者リチャード・フォーティは古生物学者。大英自然史博物館に主席研究員として長年勤めていた。この本で博物館の裏のめくるめく迷宮とそこに住まう個性豊かなナチュラリストたちを紹介する。

 大英帝国が栄華を極めた時代、未知の土地の宝物、動植物、化石、鉱物などを趣味人が収集した。そのなかで自然界に存在するものの種類や性質などの情報を収集、記録、整理、分類する学問、博物学が生まれ、大英博物館が誕生した。博物学は今では自然史と呼ばれている。

 大英自然史博物館は現在、古生物、動物、植物、昆虫、鉱物の部門に分かれている。「バットマン」はコウモリの専門家。「ビートルマン」は甲虫の専門家。著者は「三葉虫マン」。研究対象に似てくる。彼らは日夜、資料を収集し過去の研究の集積と照らし合わせて分類している。自然界に存在するものを系統だてて分類するのは生物の多様性を知り生態系を保護し、人々に「人間は自然に何をしてきたか」ということを示すための必要な仕事なのだ。資料は捨ててはいけない。どんなものも記録して保存するのが博物館の役目だ。そのために、秩序だてて分類され記録されるの待っているものであふれた迷宮となった。

 著者は近ごろ博物館が予算を削減されて職員が減り、娯楽施設のようにされていくのを嘆く。この本には、博物館の裏側で人知れず働き続ける人々への敬愛がこもっている。

(掲載:『望星』2011年9月号、東海教育研究所)

2011/09/20

『銀河ヒッチハイク・ガイド』ダグラス・アダムス 著、安原 和見 訳

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銀河ヒッチハイク・ガイド
ダグラス・アダムス 著、安原 和見 訳
河出書房新社 683円

 「星図にも載っていない辺鄙な宙域のはるか奥地、銀河の西の渦状腕の地味な端っこに、なんのへんてつもない小さな黄色い太陽がある。この太陽のまわりを、 だいたい1億5千キロメートルの距離をおいて、まったくぱっとしない小さい青緑色の惑星がまわっている。この惑星に住むサルの子孫はあきれるほど遅れてい て、いまだにデジタル時計をいかした発明だと思っているほどだ。」

 伝説のSF怪作。イギリスBBCテレビのSFコメディ『宇宙船レッド・ドワーフ号』にも似たノリの壮大なハチャメチャ話。著者は『モンティ・パ イソン』にもたずさわった脚本家ダグラス・アダムス 。『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、もとはBBCのラジオドラマとして始まった。

 アーサー・デントは、とくに取り柄も特徴もないイギリス人。ある日、友人フォード・プリーフェクトにつれられてパブでビールを飲んでいるあいだ に、銀河ハイウェイ建設のため、地球は取り壊されてしまう。宇宙の建築業者によると、通達は50年も前からアルファ・ケンタウリの出張所に貼りでていたと いう。地球で2番目に賢い生命体のイルカはとっくにそれに気づいていた。3番目の生命体である人間に警告しようとしたものの理解してもらえず、「さような ら、いままで魚をありがとう」と去っていってしまった。ただひとりの地球生命体になったアーサー・デントはフォード・プリーフェクトといっしょに銀河を ヒッチハイクしてまわる。フォード・プリーフェクトは、実はガイドブック『銀河ヒッチハイク・ガイド』の改訂版をつくるため取材中の宇宙人で、「フォー ド・プリーフェクト」という名前はフォード社の自動車の名前からとった偽名。自動車が地球の支配的種族だと思って平凡な名前にしたつもりだった。いきあたりばったりのヒッチハイクでカギを握るのは、地球で1番賢い生命体…。

 文章に笑えないギャグや皮肉がちりばめられている。寒いお笑いにいちいち腰を折られ、突っ転びそうになりながら読み通した。ちょっとつらかった。おもしろいけど寒い、寒いけどおもしろい。

 続編は
『宇宙の果てのレストラン』
『宇宙クリケット大戦争』
『さようなら、いままで魚をありがとう』
『ほとんど無害』
となっていて、さらに作者ダグラス・アダムスの死後、ほかの作者が続編を書いている。

 私はこれを読みつづけるべきか?
 読めるんだろうか???

2011/09/19

『王のパティシエ ストレールが語るお菓子の歴史』ピエール・リエナール/フランソワ・デュトワ/クレール・オーゲル 著、大森由紀子 監修、塩谷祐人 訳

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王のパティシエ ストレールが語るお菓子の歴史
ピエール・リエナール/フランソワ・デュトワ/クレール・オーゲル 著
大森由紀子 監修、塩谷祐人 訳

白水社 2,310円

 美食家というのは、おいしいものを食べて育った人が多いような気がする。この本の語り手でフランスのパティシエ、ニコラ・ストレールもそのひとりだ。彼は18世紀に始まるパリの老舗菓子店ストレールの創業者。この本は、現在のストレールのスタッフがニコラを語り手に西洋菓子の歴史とレシピを当時のフランス革命前夜の世相を背景に描いたもの。

 ニコラのパティシエとしてのキャリアは、フランスのアルザス地方の城に住んでいた元ポーランド王スタニスラス・レシチニスキに仕えたことから始まった。レシチニスキはたいそうな美食家で、彼にかわいがられてニコラは料理の舌と腕を成長させた。後にレシチニスキの娘マリーがフランス王ルイ十五世の王妃になると、ニコラは王妃に引き抜かれてヴェルサイユ宮殿のパティシエとなった。そののち、独立してパリに菓子店ストレールを開いた。王のパティシエだったニコラの店には客が押し寄せた。

 時がたち、ニコラは82歳。彼は幼い曾孫のために菓子の歴史とレシピを日記の形でつづることにした。日記は1788年に始まる。フランス革命の直前。経済破綻が国を揺るがし、気候不順で穀物は不作。国民の間に王家と国政への不満が広がっていた。小麦不足はニコラの店にもひびいた。レシピのなかに本来なら小麦粉を使うものをジャガイモで代用しているものがある。それでもニコラは王ルイ十六世と王妃マリー・アントワネットを敬愛していた。王妃の誕生日のレシピは「王妃のビスキュイ」だ。日記は1789年5月5日、三部会の開会の日で終わる。その約2カ月後にバスティーユ襲撃が起こりフランス革命が始まった。

 店の創業者についてスタッフが書いたにしてはただの創業者伝とは段違いにセンスがいい。歴史の本としても菓子の本としてもおもしろい。
(掲載:『望星』2011年6月号、東海教育研究所)

2011/08/22

『電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命』津野 海太郎 著

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電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
津野 海太郎 著
国書刊行会
1,890円

 今の子どもや若者は本を読まなくなった、という。たいがいの町には書店も図書館もある。インターネットで注文することもできる。だが出版社や書店の売り上げは下がり続けている。この本の著者、編集者にして本とコンピュータの関わりの未来を長年模索してきた津野海太郎によると「今の若い者は本を読まなくなった」という文句は、かなり昔から言われ続けてきたらしい。

 20世紀は紙の本の黄金時代だった。現在、書物史の第3の革命が起こっているという。第1の革命は口承を文字に書き残すようになったこと。第2の革命は印刷により本を大量生産するようになったこと。今や本は消費物となった。日本の出版市場は大量に出版し大量に売り上げなければ利益が上がらない自転車操業を繰り返している。このどんづまり状態を第3の革命、電子本が変える「かも」しれない。

 第3の革命の第1段階は本の電子化。1971年、著作権の切れた本を電子化して公開する電子公共図書館計画「プロジェクト・グーテンベルグ」が始まった。第2段階、印刷本の技術が電子本に取り入れられて印刷本の限界を越えた新しい本が出現し本が関わるすべての世界で変革がおきる。第3段階、電子本ができないことが明らかになる。例えば一冊一冊の姿がそれぞれ個性をもつこと。結果、紙の本の良さが再発見される。第4段階、紙の本と電子本の共存。まあ、著者の予言ではなく予感。

 紙媒体は情報を書きとどめる。電子媒体は情報を更新していく。紙媒体に最新ニュースから古典哲学まであらゆる情報を運ばせていたのは重荷すぎた。単なる情報の伝達なら電子媒体の方がはるかに速い。紙の本をそういう役割から解放して、本来の姿、人間に静かに語りかけるモノに戻してほしい。
(掲載:『望星』2011年4月号、東海教育研究所)

2011/07/26

『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』サーシャ・スタニシチ 著、浅井 晶子 訳

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兵士はどうやってグラモフォンを修理するか
サーシャ・スタニシチ 著
浅井 晶子 訳
白水社
2,835円

 1991年から2000年まで続いたのユーゴスラヴィア紛争。そのなかのボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争。著者、サーシャ・スタニシチは当時ボスニア・ヘルツェゴヴィナの町ヴィシェグラードに住んでいた。1992年「ヴィシェグラードの虐殺」と呼ばれる民族浄化がおきた年に、家族とともにドイツへ避難した。14歳のときだった。この本は著者の母語ではないドイツ語で書かれた。著者自身の体験のような物語が夢を語っているような言葉で綴られている。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの町ヴィシェグラードで育った少年アレクサンダル。大家族に囲まれ幸せだった。物語ることを教えてくれた祖父の思い出はアレクサンダルの人生に強く刻まれた。夢見るアレクサンダルにはメリー・ポピンズもジョン・ウェインも「同志」だ。ヴィシェグラードではセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒が近所づきあいをしていた。アレクサンダルも多民族の血が混ざってた。

 だがユーゴスラヴィア連邦が崩壊を始め、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言すると、ヴィシェグラードにはセルビア人勢力が侵攻してきた。戦場となった町。近所のイスラム教徒のおじさんおばさんや仲良しの少女アシーヤにも命の危機が迫った。アレクサンダルの一家はドイツに脱出した。

 ドイツに逃れてからアレクサンダルはアシーヤを探し続けていた。大人になった彼はヴィシェグラードを訪ねた。そこで再会したのは、虐殺の地獄を見た少年時代の親友、セルビア側の兵士となった叔父、変わってしまった故郷の人々と町。

 幸せな記憶もつらい記憶も少年時代の夢のように語られている。だがアレクサンダルや著者スタニシチにとって逃げ出した故郷の思い出は一生ついてまわる。大人の戦争は子どもに重い十字架を背負わせた。

(掲載:『望星』2011年7月号、東海教育研究所) 

2011/06/15

『エル・ネグロと僕 剥製にされたある男の物語』フランク・ヴェスターマン 著、下村 由一 訳

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エル・ネグロと僕 剥製にされたある男の物語
フランク・ヴェスターマン 著
下村 由一 訳
大月書店
2,520円

 オランダのフリージャーナリスト、フランク・ヴェスターマンは1983年当時大学生。スペインを旅行していた。が、カタロニア地方の博物館であるものを見て背筋が凍りついた。小さな黒人の剥製。エル・ネグロ、この黒人とよばれていた。エル・ネグロはなぜヨーロッパでただの黒人として展示されることになったのか。彼はエル・ネグロの数奇な道を探るうちに、ヨーロッパとアフリカ、白人と黒人の今も続くゆがんだ関係に気づく。

 大学で熱帯農業を専攻したフランクはジャマイカとペルーで開発援助に携わった。そこで、ヨーロッパ式の農業技術は現地の人々のつながりと暮らしに根ざした農業には何の役にも立たないと知った。彼は開発援助の仕事を辞め、新聞社に勤めた。調べたところエル・ネグロは一九世紀にフランスの剥製業者がアフリカ南部から持ち帰ったブッシュマンの死体らしかった。その剥製をスペインの獣医が町の博物館に収めた。エル・ネグロは白人の町のマスコットになった。 

 フランクは紛争中のアフリカ西部の国シエラレオネを訪ねる。シエラレオネは18世紀後半、ヨーロッパでの奴隷解放で父祖のアフリカに渡った黒人が建設した。だが19世紀、ヨーロッパ各国はアフリカ大陸をケーキのように切り分け植民地にした。黒人は白人より劣った種とされた。独立後もシエラレオネやアフリカの国々では民主主義は実を結ばず、内戦が絶えない。

 エル・ネグロの故郷らしき南アフリカ。アパルトヘイトを廃止したその国で、フランクは昔、自分の国オランダから入植した人々の末裔であるジャーナリスト、アンキー・クロッホに出会う。彼女は黒人と白人の違いを乗り越えるため黒人の考え方を身につけようとしていた。クロッホは言う。大半のヨーロッパ人のように未来志向で物事を考えるか、それとも大半のアフリカ人のように記憶を中心に人生を組み立てるか、と。つまりアフリカでは祖先の記憶が根本で死者は生命の一部なのだ。

 フランクはエル・ネグロの旅の終わりまで見届ける。そして自分たちヨーロッパ人は自分たちの文化が優れているという人種主義から、世界の他の人々に我々のようになれと押しつけているのではないか、と自らに問う。エル・ネグロとフランクの旅路から見える問題は山ほどある。

(掲載:『望星』2011年5月号、東海教育研究所に加筆訂正)

2011/05/01

『バウドリーノ』上・下、ウンベルト・エーコ 著、堤 康徳 訳

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バウドリーノ』上
ウンベルト・エーコ 著
堤 康徳 訳
岩波書店
各巻1,995円

小説『薔薇の名前』で世に名を知らしめた記号学者、小説家ウンベルト・エーコの邦訳最新小説。中世ヨーロッパを舞台に史実と幻想が踊る冒険物語。かんたんに言ってしまえばホラ話。
 時は1204年、ヴェネツィアに支援された西欧諸国からなる第4回十字軍が東欧ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させた。ビザン ツ帝国の書記官長で歴史家のニケタス・コニアテスは西欧人に蹂躙されていく都を逃げ惑うなか、バウドリーノと名乗る不思議な男に助けられる。逃避行のあい だ、ニケタスはバウドリーノの嘘とも真ともつかない遍歴の話を聞くことになる。
 バウドリーノは語る。自分はイタリア北西部の農民の子だった。14歳のとき、軍を率いてドイツから来た神聖ローマ皇帝フリードリヒ赤髭王(バル バロッサ)に語学と嘘つきの才を見いだされ、皇帝の養子として学問への道を開かれた。そして師、司教フライジングのオットーが語った話が彼の一生を決め た。エルサレムよりはるか東に司祭ヨハネが治めるキリスト教の国がある、と。
 バウドリーノは考えた。皇帝フリードリヒが司祭ヨハネと同盟を結べば皇帝の地位は西欧でゆるぎないものとなる。かくて彼は、司祭ヨハネから皇帝に宛てた親書を、歴史書と聖書を元にきらびやかな嘘で飾って捏造した。これが「司祭ヨハネの手紙」として歴史を変える…。
 この物語は史実に基づいている。ニケタスや皇帝フリードリヒなど多くは史実の人物だ。「司祭ヨハネの手紙」も残っており、西欧の「プレスター・ジョン伝説」のもととなった。
 やがてバウドリーノとゴロツキ仲間たちは司祭ヨハネに出会うべく、はるか東方に旅立つ。描かれている東の地は、中世ヨーロッパ人の信じていた世界観による荒唐無稽な異世界。石が流れる河。一本足でぴょんぴょん走る生き物。ピグミー。ユニコーンをつれた美女。
 嘘によってつくられる歴史。歴史のためにつくられる嘘。
 エーコは、歴史と想像のなかを嘘の名人バウドリーノを泳がせ、幻想の歴史の世界を創りあげた。歴史を知らなくても充分楽しめる物語だ。
(『望星』2011年2月号、東海教育研究所より加筆)

2011/03/19

アーシュラ・K・ル=グィンさんからのメッセージ

 アメリカの作家、偉大なる「西の善き魔女」アーシュラ・K・ル=グィンさんが、『なつかしく謎めいて』、『ギフト』『ヴォイス』『パワー』(『西のはての年代記3部作』)、『ラウィーニア』の日本語訳者、谷垣暁美さんのお願いに応えて、「日本の読者へのメッセージ」を公式サイトに掲載しました。

To my Readers in Japan

I wrote my translator-friend Akemi Tanagaki in Tokyo a brief email note. She answered,

    “Thank you for your concern.
   I’m all right and my family is all right.
  Only we feel so sad, helpless and worried.”

And she asked if I would put a brief and simple message on my site for my readers in Japan — “but I know that it is very difficult to find words with which to talk to those suffering very much.”

Yes, dear Akemi, it is difficult, it is impossible. But I am honored by your asking me to try.

To My Japanese Readers:

There is an ocean between us, yet that ocean joins us.

The great tsunami that struck Japan travelled on, growing weaker, until it came to the west coast of America. Here it did little harm. But with that wave came to us the great wave of your grief and suffering.

I hope you know that there are many, many people here who are thinking of you now, and crying for you, and praying that the worst will soon be past.

I admire, more than I can say, the quiet courage the ordinary people of Japan have shown amidst so much loss, suffering, and fear. Your strong and patient faces are beautiful to see. I look at them and cry. I wish you strength and the hope of better days.

With love,
Ursula
14 March 2011

http://www.ursulakleguin.com/Blog2011.html#ReadersInJapan

The official web site of author Ursula K. Le Guin.  http://www.ursulakleguin.com/


さかなさんのブログ"1day1book"に、谷垣暁美さんによる日本語訳が掲載されていますので引用させていただきました。


 わたしの翻訳者で友人のアケミ・タニガキ(東京在住)に短いメールを送った。返ってきたメールはこういう書き出しだった。

「心配してくださってありがとう。
わたしは大丈夫で、家族もみな、大丈夫です。
だけど、とても悲しくて、無力感と心配でいっぱいです」

 そして、そのメールには、日本のあなたの読者にあてた簡単で短いメッセージを公式サイトに載せてもらえないか、と書いてあった――「非常につらい目にあっている人たちにかける言葉を見つけるのが、とても難しいのは、よくわかっていますけれども」
 そのとおりです、アケミさん。それは難しい。不可能だと言っていいぐらい。でも、せっかく頼んでくれたのだから、がんばってやってみます。

 日本の読者の皆さんへ

 わたしたちとあなたがたの間には海があります。でも、その海で、わたしたちとあなたがたはつながっています。

 日本を襲った大津波は海を旅しながら、だんだん弱くなり、アメリカの西海岸に達しました。それはここではほとんど害をなしませんでした。けれども、あなたがたの悲しみと苦しみが大きな波となって、その小さな波とともに、わたしたちに届きました。

 こちらではたくさんの、とてもたくさんの人が今、あなたがたのことを考え、あなたがたのために泣き、最悪の時が早く過ぎ去るように祈っています。そのことをどうか知っていてください。

 このように大きな喪失の悲しみ、苦しみ、不安のさなかで、日本のごくふつうの人々が示す静かな勇気に、わたしは言葉にできないほどの賞讃をおぼえます。あなたがたのしっかりとした、忍耐強い顔を見ると、その美しさに打たれます。ひとりひとりの顔に目を向けると泣けてきます。あなたがたに力がみなぎり、よりよい明日への希望を胸に抱けるよう願っています。

愛をこめて
アーシュラ
2011年3月14日
(翻訳:谷垣暁美)

http://r2fish.cocolog-nifty.com/1day1book/2011/03/post-d47e.html
さかなさんのブログ"1day1book" http://r2fish.cocolog-nifty.com/1day1book/

2011/02/14

『私のフォト・ジャーナリズム 戦争から人間へ』長倉洋海 著

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私のフォト・ジャーナリズム 戦争から人間へ
長倉洋海 著
平凡社 945円

 フォト・ジャーナリスト長倉洋海氏の写真は人々の笑顔であふれている。世界各国の戦火や貧困に苦しむ人々も笑顔なのだ。なぜ長倉氏は苦しんでいる人の笑顔を撮ることができるのか。その笑顔は愛想笑いではなく、心からうれしい時の笑顔、心を許した相手に向ける笑顔だ。長倉氏はどんな人も心を許し笑顔にさせる不思議な人なのではないだろうか。
 長倉洋海氏は1952年生まれ。通信社勤務を経て、1980年にフリーランス写真家となる。戦場写真家を目指し世界の戦場の最前線を駆け回った。アフリカのローデシア(現ジンバブエ)、中東のレバノンそしてアフガニスタン。前線を奔走したものの、求める写真は撮れずマスコミにも評価されなかった。
 1982年、中米のエルサルバドルへ飛ぶ。戦場で死体を撮るうちに、そこで生活している人々の涙と喜びにふれ、自分に感動を与えるのは死体ではなく生きている人間そのものなのだ、と気づいた。
 1983年アフガニスタンで自分と同じ歳のゲリラのリーダーがソ連軍と戦っていると知り現地へ飛び、その人マスードに熱弁をふるい長期の同行取材を申し込んだ。マスードは快く受け入れ、以来、長倉氏とマスードは長い友情を育んだ。長倉氏の撮るマスードは知的で思慮深く穏やかだ。ほかのゲリラたちも若者らしい悲喜こもごもが写しだされている。2001年、マスード暗殺を知り、ゲリラたちと心から泣いた。
 また、エルサルバドル難民キャンプで会った少女ヘスースとの長い交流もあった。彼女が3歳の時から母親になるまで、父親のような気持ちで温かく見守った。
 苦境の人々と心をともにし、その生活を写真で世界に伝える。それが長倉洋海氏のフォト・ジャーナリズムだ。人に共感する心が、長倉氏の写真の源なのかもしれない。
(『望星』2011年2月号掲載、東海教育研究所)

2010/12/27

『隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民』上橋菜穂子 著

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隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)
上橋菜穂子 著
筑摩書房
735円
 
 オーストラリア先住民族、アボリジニ(英語で「原住民」という意味)と呼ばれる人々は、現在オーストラリア人口の2パーセントだけだ。かつて600以上の地域集団と200以上の言語があった。しかし18世紀からのイギリスの侵攻と植民地化で大勢が殺され、または疫病で死んだ。アボリジニと白人との混血児が増えると、政府は混血児を白人のように矯正するとして親から奪い政府の施設などに入れた。親から自分のルーツから離された人々を「盗まれた世代」という。
 今ではアボリジニの文化が色濃く残っているのは北部や内陸の砂漠のみ。白人の町に住み自分たちの言語も話せない人が多数だ。この本の著者、上橋菜穂子が出会ったのはそんな人々。上橋菜穂子は『精霊の守り人』『獣の奏者』などの本で有名な作家だが、アボリジニを研究する文化人類学者でもある。1990年から足かけ9年、西オーストラリアの小さな町のアボリジニたちとつきあい、大地とともに生きる自然人でない、現在のアボリジニの多数派の姿を見た。
 著者は2つの町でアボリジニの女性たちと知りあい、彼女らの親世代やその親戚たちの話を聞くことができた。町のアボリジニは白人のなかで働き白人のような生活をしているが、奥地に住む親族集団とのつながりは強く、親戚のしがらみに縛られ伝統の法や呪術師を恐れている。だが、ある年老いた母親は昔、子どもが政府に奪われるのを恐れて一族の言葉を教えなかったという。一方、白人社会になじまないアボリジニを疎ましく思う白人も多い。暴力沙汰やアルコール中毒、ドラッグ中毒などで警察に捕まるアボリジニもいる。貧しさから抜け出すことができないためなのか。多くのアボリジニは伝統の世界と白人の世界の間に落ちこんで身動きがとれないようだ。白人と同じに扱うことがアボリジニにとっては平等になることではないのだ、と著者は苦悩する。
 2008年、オーストラリア政府は盗まれた世代へ謝罪した。これが他の民族を良き隣人とすることへつながるか。
(『望星』2010年12月号、東海教育研究所より加筆)

2010/12/17

電子書籍は紙の本を駆逐するか

 「電子書籍元年」と言われたのは今年で3度目らしい。昔のワープロソフトには電子ブックリーダーがついていたのもあったし。
 
 すでに学術分野はオンラインジャーナルで英文論文を読むのが常識。いまさら電子書籍元年もない。だが一般書それも小説で電子書籍に本格的にとっかかり始めたのは今年からだ。紙の本でも売れる作品をわざわざ電子化して意味があるのか、と思う。でも作家さんに言わせると紙の本だと印税1割っていうのがかなり不満だったそうだ。だったら自分で電子化したら、あるいは別会社から電子書籍として売り出したら、もっと印税率が増えるのではないか、という考えらしい。確かに今の日本の出版界では著者は冷遇されている。
 
 売れない本、書店で手に入れにくい本こそ電子化すべきじゃないのか。今の出版流通は硬直化していて、書店で欲しい本が買えない。公共図書館にも置いていない本が多い。
 
 そもそもインターネットが開発されたのはアメリカ。PCのOSも主にアメリカ製。当然、英語に親和性が強い。オンラインジャーナルも英語中心。日本の大学図書館では論文を無料公開しているところもあるが、その論文はほとんど日本語。外国からアクセスできても論文が読めない。これでは日本の学術機関は外国の学術論文の消費者ではあるけれど、学術論文の発信者にはなれない。だから最近の研究者は論文を英語で書き発表する。ところが日本の一般読者に向けては日本語でないと読まれない。公立博物館のような、地元に情報を提供しないと存在価値がない、と言われる研究機関は苦しい。
 
 日本のオンラインジャーナルはPDFファイルが主体だ。紙の雑誌をスキャンしてPDFに落とす。これだと紙の本特有の段組みがそのままPCの画面に出るので、上から下にスクロールして読むPCでは読みにくい。XMLファイルでオンライン用に組み直すのが良いのだが、技術者が不足しているそうだ。日本語特有の組版の規則にしたがって組み直すのはむずかしいらしい。
 
 日本語を軽視するわけではない。日本人の外国語が上達しないのは、生活するうえで必要ないからだ。日本は自国語の本だけで出版業がなりたってしまうめずらしい国なのだ。外国の多くの国では自国語の本だけを発行してはいない(インドなど)。

 かつて世界には自国語のほかに学術公用語というのがあった。ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、中国語など。自国語と学術公用語の両立は可能なはずだ。
 
 だがいずれ電子化されるからといって、それ以外の資料を捨ててしまうのは愚行。オリジナルは保存すべきだ。
 
 紙の本から電子書籍へ移行するのではなく、メディアに新しいバリエーションが増えるだけ、と見る。いずれ学術誌、雑誌、新聞、ハウツー本はオンライン化されてしまうだろう。だが小説や思想、哲学書など思考の反芻が必要な本はそう簡単に電子化されないと思う。情報はオンライン化へ、物語は当分、紙媒体で発行されるだろう。ケータイ小説は携帯で読むことを前提に書かれたら、小説の中身まで限定されてしまった。
 
 電子書籍が一般に普及するのはまだだろう。ユーザーが育っていない。PCを使えない人、使える人でも画面で長文を読むのが苦手な人がまだたくさんいる。おりしもマルクス、エンゲルス、サルトル、ドフトエフスキーなどを若かりしころに読み、活字文化にどっぷり浸かった世代が定年退職し、読書の時間を持てるようになってきた。
 
 電子書籍元年うんぬんの話は、発信元がユーザーや市場を把握できていないような気がする。生まれた時にすでにPCと携帯があった世代が出版消費の中核を担うのはもう少し先だ。

2010/10/20

『寡黙なる巨人』多田富雄 著

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寡黙なる巨人 (集英社文庫)
多田富雄著
集英社
単行本 1,575円


 今年4月、免疫学の権威、多田富雄氏が前立腺がんで亡くなった。享年76歳。
 実は多田氏は前に1回「死んで」いる。2001年、脳梗塞で倒れたのだ。死の国を数日さまよったあげく、目を覚ました多田氏は自分の体から多くのものが失われているのに気づいた。右半身が全く動かない。声がでない。舌とのどの麻痺のため水すらも飲むことができない。
 多田氏は若いころから免疫学者として実績を順調に積み、1971年、「サプレッサーT細胞」を発見し賞賛と注目を浴び、世界の学会で活躍した。一方、免疫学を哲学の域まで広げた『免疫の意味論』ほか科学と人文学をつなげる多くの本を書いた。さらに能をたしなみ、アインシュタインを描いた新作能「一石仙人」を作った。
 なのに64歳、定年退職し、好きなことをやろう、と思っていたやさきに倒れ、動くことも食事もままならない体になった。挫折のない人生をおくってきた多田氏の絶望は深かった。何度も死を考えた。だが多田氏の多彩な頭脳は失われていなかった。リハビリを受け、介助があれば少し歩けるようになり不明瞭ながら言葉になる声をだせるようになった。多田氏は自分の中に失われた機能の代わりに新しい自分「鈍重な巨人」が目覚めつつあるのを感じた。ワープロの使い方を覚え、動く左手で著作を精力的に書いた。
 2006年、小泉政権下で厚生労働省は保険診療報酬改定を発表し、リハビリ診療について保険診療のできる期間を180日に制限した。これに多田氏は、リハビリ制限は弱者切り捨てだ、と怒り、反対意見を新聞に投稿した。賛同者は44万人にのぼり、反対署名を厚生労働省に提出した。この経緯は、多田氏の著書『わたしのリハビリ闘争』に詳しい。
 多田氏の中の「鈍重な巨人」は多田氏を変え、弱者へ共感を生んだ。挫折は再生の始まり。
(掲載:『望星』2010年11月号、東海教育研究所)

2010/09/19

『巡礼コメディ日記 僕のサンティアゴ巡礼の道』

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巡礼コメディ旅日記――僕のサンティアゴ巡礼の道
ハーペイ・カーケリング 著
猪俣和夫 訳
みすず書房
2,730円

 ハーペイ・カーケリングはドイツのコメディアン。40代も近づき、病気もするようになってきた。そのときふと思ったのは「神様っているのかな」「神様ってなんだろう」。まったく信心深くはなかった。が、一念発起して、有名なキリスト教の巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステラへ巡礼することにした。
 サンティアゴ・デ・コンポステラはスペイン北西部にある中世から続く伝統ある巡礼地。キリストの弟子ヤコブはローマで殉教し、その遺骸は海に流された。するとそれはスペインの彼の地で発見されたとのこと。そこには立派なサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂が建てられた。サンティアゴとは聖ヤコブという意味で、ヤコブは今でもスペインの守護聖人だ。
 巡礼者たちはホタテ貝のからを首に下げ、フランスからピレネー山脈を越えてスペインに入り800キロの道のりを行く。途中乗り物に乗ってもかまわないが、サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼証明書をもらえるのには、最終路を徒歩か馬で100キロ以上、自転車で200キロ以上行かなければならない。それでも巡礼路の始めから歩いて行くことを望む人は多い。巡礼を成し遂げればすべての罪が許される、との教えなのだ。巡礼路には街道ができ、要所要所に修道院や食堂が建ち並び巡礼者たちの寝泊まりや食事の便をはかっているが、それでもつらい道のりだ。命を落とした人も大勢いた。
 さて、ハーペイは巡礼の旅に出たものの、膝は痛い、荷物は重い、メシはまずい、と文句たらたら。旅人がこんなに軟弱な旅行記もめずらしい。地元の悪ガキどもの危険な遊びに巻き込まれ、ペルーの隠者につかまる。それでも途中で出会った旅の仲間とともにサンティアゴ・デ・コンポステラをめざす。
 これはハーペイが神を探す旅なだけではなく、自分探しの旅でもある。彼は自分も見つけることができるか。
 旅の終わりにハーペイは「何か」を見つけたことに気づく。
(掲載:『望星』2010年10月号、東海教育研究所)

2010/08/21

『カントリー・オブ・マイ・スカル 南アフリカ真実和解委員会〈虹の国〉の苦悩』アンキー・クロッホ著、山下渉登 訳、峯 陽一 解説

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カントリー・オブ・マイ・スカル―南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩
アンキー・クロッホ著
山下渉登 訳、峯 陽一 解説
現代企画室、2,940円

 2010年のサッカーワールドカップが南アフリカで開催されたなんて、20年ほど前だったら想像できなかっただろう。1991年、南アフリカのアパルトヘイト政策は廃止され、1994年、全人種が参加する初の選挙でネルソン・マンデラが大統領に選ばれた。南アフリカの人種の割合は黒人約8割、白人約1割、ほか混血、インド系など。マンデラは、南アフリカを「虹の国」たくさんの民族が協調する国、と呼んだ。そしてアパルトヘイト政策の暴虐をさらし国民の和解のために真実和解委員会の実行を指示した。
 南アフリカは、もともと多様な黒人部族が住んでいたところへ1652年、主にオランダの白人が入植した。彼らが後にアパルトヘイト体制の中心となるアフリカーナーだ。その後、イギリスとの戦争に負けて植民地とされた。1948年、政権を握ったアフリカーナーの国民党はアパルトヘイト体制をしいた。それは、人口の1割を占めるにすぎない白人が国土の9割を支配し、他人種の自由を制限する体制だった。
 国政を支配したアフリカーナーだが、その多くはプアホワイトで農民だ。この本の著者、アンキー・クロッホもアフリカーナー。アパルトヘイトを批判するラジオジャーナリスト。真実和解委員会の取材にはりついていた。真実和解委員会は委員長、デズモンド・ツツ大主教ほか17人の委員。1995年に発足し1998年に報告書を提出し終了した。
 委員会の会場で明らかになったことはすさまじいものだった。白人対黒人だけではなく白人同士、黒人同士の血まみれの暴力の応酬、リンチ、裏切り。手が血にまみれていない者はだれもいない。そこではアパルトヘイト体制に我が子を殺された母親が、アパルトヘイト体制を守っていた我が子を殺された母親の隣で嘆き悲しんでいた。著者アンキー・クロッホはその証言をリポートしていくなかで思いだす。幼いころの夜、家の農場から黒人の若者によって羊が盗まれ、それを2人の兄が銃をもって追いかけていったことを。フラッシュバックのように何度も。真実和解委員会のメンバーと取材者たちの精神は打ちのめされ、体調を崩していく。著者の心と体も悲鳴をあげながらリポートを続けた。
 ネルソン・マンデラの前妻ウィニー・マディキゼラ=マンデラが、彼女の主催するサッカークラブのメンバーに殺人を教唆した容疑で召喚された。アパルトヘイト時代、投獄されていたネルソン・マンデラを支えた妻として反アパルトヘイトのアイドルだった女性だ。長い証言と討論の末、委員長デズモンド・ツツは言った。「あなたを心から敬愛する者としたあなたに申し上げます。あなたに立ち上がって言ってほしい、『間違えたことがある』と」。ウィニー・マンデラは言った。「それが本当だとお答えします。ひどく間違えたことがあるし、それを引き起こしたいくつかの要因あるのにも気づいていました。それについては深くおわびいたします。」だが著者にはわかった。ウィニー・マンデラは女王としての名誉を守りつつ、その場を乗り切ることを選んだのだと。
 ツツは「ウブントゥ(個人と共同体の調和を強調するアフリカの古くからの概念)」の精神をもって国民の和解を図ろうとした。その結果、多くの加害者が恩赦を受け、罪を免れた。多くの殺人が隠れてしまった。
 かつて旧ソ連の作家ソルジェニーツィンは言ったそうだ。「過去の人権侵害に対処しないことで、犯罪者たちの高齢をただかばっているだけではない。それによって、次の世代の足元から正義の基盤を剥ぎ取っているのだ。」
 さまざまな人種が混在し、いろいろな国の考え方が混在する南アフリカ。真実の追求か国家再建のための和解か。その問いは繰り返される。
(掲載:『望星』2010年9月号、東海教育研究所より加筆、改変)


2010/07/18

『「死の舞踏」への旅 踊る骸骨たちをたずねて』小池寿子 著

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 『「死の舞踏」への旅―踊る骸骨たちをたずねて
小池寿子著
中央公論社
2,310円

 生きていれば死は日常。滅びは生活の一部。この忘れがちだがあたりまえなことを、人々が常に考えていた時代がヨーロッパにあった。「メメント・モリ(死を思え)」の言葉とともに15世紀、中世末期に最高潮となった。そのとき生まれた「死の舞踏」と呼ばれる絵や図像、詩が今日まで残っている。赤ん坊も若者も老人も、聖職者も貴族も貧乏人も、うじ虫に喰われぼろをまとった骸骨たちとならんでそぞろ歩き、踊る。どんな人間にも死は平等に訪れる、どんな人間も死の運命には無力だ、とそれは語る。
 人々が死に魅入られたのは、14世紀に始まるペストの大流行やフランスとイギリスの百年戦争による大勢の死と、加えてカトリック教会の長たる教皇がローマとフランスのアヴィニョンにそれぞれ分かれて立つという教会と政治の危機によって中世ヨーロッパキリスト教社会が崩れてきたせい、とされている。この本の著者、小池寿子は美術史家。若い頃、死の舞踏の痕跡が残る地を訪ね歩き、長年研究してきた。この本で、著者は再び死の舞踏を訪ねて旅をする。
 「いくら生を謳歌しても人はいつか死にゆくもの。それが定めというものさ」。
 死の舞踏と名付けられた絵図が描かれたはじめは、15世紀のパリ、サン・ジノサン墓地を囲む回廊だったといわれる。サン・ジノサンというのは、つまりジノサンとはイノセントすなわち幼児の意味で、新約聖書によるとイエス・キリスト誕生の時、救世主の誕生を知ったユダヤのヘロデ王が恐れのあまりにベツレヘムの2歳以下の幼児すべての殺害を命じ、殺された子どもたちは最初の殉教者となった、という話から名付けられたところだ。死の舞踏の回廊は今は残っていないが、当時の様子は木版本『死の舞踏』によってわかる。死者と生者の舞踏行列、死体に向かって語る説教師。生を善く終えるにあたり、死の尊大さを心に留めよ、と。
 著者は、本や教会の壁画などに描かれた死の舞踏をたずねてブリュッセル、ベルリン、プラハほか各地を旅する。そして旅そのものが人生であり、死の舞踏を踊ることなのだ、と感慨を深める。
 さまざまな病いを克服した現代でも、人の寿命を定める運命の女神の力にはあらがえない。死は人と共にある。それをいつも意識することが生きること。
(掲載:『望星』2010年8月号、東海教育研究所)

2010/06/16

『ハーモニー』伊藤 計劃 著

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ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
伊藤 計劃 著
早川書房
1,680円

 伊藤計劃(いとう けいかく)はSF作家としてわずか1年半ほどしか生きなかった。1974年に生まれ2009年に34歳で肺がんのため亡くなった。残した長編小説は『虐殺器官』(早川書房)、『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』(角川グループパブリッシング)、遺作『屍者の帝国』は未完に終わった。ほかに短編や評論をいくつか遺している。そしてこの『ハーモニー』。
 未曾有の世界的危機「大災禍(ザ・メイルストロム、原因は前作『虐殺器官』にくわしい)」で多くの人命が失われたのち、世界的な統治機構「生府」は高度な福祉を人々に与える確固と安定した社会を作り上げた。各個人は常に生体データを生府にモニタされ、怪我をしたり病気になったりしてもすぐに医療機器が治してくれる。健康で満ち足りた生活と優しい平穏な人間関係を保つ社会。死や健康を害すること(例えば喫煙)は反社会的とされる。もちろん他人の心身を害する、例えばいじめもない。
 そこで女子高生、霧慧トァンは一人きりでいる変わった少女、御冷ミァハと知り合う。独特の考えを持ち頭が切れ社会に反抗的なミァハに、もう一人の少女、零下堂キアンとともに心酔と言えるほどに魅せられていく。ある日、トァンとキアンはミァハに提案される。自殺してみない、社会のものにされてしまったわたしたちの体を奪いかえすの、と。3人は栄養をすべて遮断する薬を飲んだ。結果、トァンとキアンは生き残り、ミァハは死んだ、と伝えられた。
 数年後、大人になったトァンは生府の末端機関の仕事について海外を飛び回っていたが、ミァハのことは忘れがたく、人を束縛する社会にいらだっていた。日本に帰ったおり、零下堂キアンと再会する。2人で食事しているさなか、キアンは「うん、ごめんね、ミァハ」と言ったかと思うと、いきなりナイフで自分の頸動脈を切り裂いた。同じ日同じ時間同じように多くの人々が突然自死した。トァンは職権を使ってこの事件を調査し始める。御冷ミァハが関わっているのではないか、と。そしてテレビにミァハのものとおぼしき声明が流れる。
 「わたしたちは新しい世界をつくります。これから一週間以内に誰か一人以上殺してください。もしあなたが他の誰かの命を奪うことを躊躇したら。そのときにはわたしたちはあなたたちを容赦なく殺します。わたしたちはボタン一個でそれができるのです。」その声明が流れるやいなや、テレビキャスターは自分の右眼にペンを突き立て自死した。御冷ミァハは生きているのか、ミァハとは何者か。人々の意思が失われる前にトァンは何を見るのか。
 長々とストーリーを書いてしまった。作者は、手の切れるような鋭い文章を駆使して、この物語で追求する。幸福な社会とは何か、人とは何か、個人とは何か、意識とは、意思とは、心とは何か、生きているとは何かを。甘さのかけらもない。自分の死をいつも思っていたからだろうか。
 伊藤計劃という作家がもういない、ということが悲しくてならない。もっと書きたいことがあっただろう。もっと彼の世界にダイブしてみたかった。

『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』ローリー・スチュワート 著、高月 園子 訳

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戦禍のアフガニスタンを犬と歩く
ローリー・スチュワート著
高月園子訳
白水社
2,940円

 「なぜアフガニスタンを歩いて横断したのかと訊かれても、あまりうまく説明できない。たぶん、それが冒険だから、というのが理由だろう。」とこの本の著者スコットランド人ローリー・スチュワートは書く。当時30歳。元軍人で外交官だった。フォトジャーナリスト長倉洋海氏が、1983年アフガニスタンへのソ連の侵攻のさなか、ムジャヒディンの若きリーダー、マスードへ飛び込み同行取材を申し込んだのと同じ年頃だ。だが、そのころの長倉氏の熱い情熱に比べると淡々としている
 著者のは計画は最初、イランからネパールまで、西から東へと一人で踏破する予定だったが、タリバン政権下のアフガニスタンには入国ができなかった。しかしアメリカとイギリス他の有志連合の攻撃によるタリバン政権崩壊を聞いて、アフガニスタンへの一人旅を決意。2002年に出発。北西部のヘラートから北東部の首都カブールまで横断した。
 アフガニスタンは30年以上前から今も戦時下にある。どの村にも中世の礼儀作法と新しい政治イデオロギーが混在していた。パシュトーン人、タジク人、ハザラ人などたくさんの民族が住む国。そのなかでスチュワートは侵略者の国の者だ。充分な金も持っている。だが、一度も殺されかけたり誘拐されかかったりしたことはなかったという。脅されたりたかられたりされることはあっても多くの貧しい家庭でもてなされた。
 著者は、16世紀にアフガニスタンからインドに侵攻しムガール帝国を築いた一族の始祖バーブルに思い入れがありバーブルの手記を携えて旅し、この本のところどころに引用している。遺跡にもくわしく、アフガニスタン中部に残る遺跡「ターコイズ・マウンテン」を実際見て感動した。
 さて、スチュワートは現地で世話になったとある家でマスティフ犬を譲り受けた。狼と戦い羊を守る最強の犬種だが、いささか歳をとっていた。さっそくバーブルと名付けた。イスラム教徒はふつう犬を不浄と見なし、かわいがらない。一人と一匹は道連れになった。バーブルはケンカを売ってきた野良犬をなぎ倒し、著者は杖を振りかざしバーブルを守った。雪山でへばりがちなバーブルを引っぱって乗り越えた。異境をよそ者として一人で歩くことにこだわり他人を拒否してきた著者。かわいがられたことがなく誰も近づけさせなかった犬。一人と一匹に絆が生まれ、旅の仲間になった。
 この旅の後、スチュワートはさまざまな外交や政治の仕事を経て、現在、アフガニスタンにNPOターコイズ・マウンテン基金を創設、復興支援や職業訓練などに携わっている。やはり、若いころには旅をすべきだ。長倉氏の仕事もそうだが、一人の旅の経験は他の多くの人に何かを与える。「危険だから」「何かあったら自己責任」と旅に出ない出させないお利口さんたちとはこうも違う。
(掲載:『望星』2010年7月号、東海教育研究所より加筆、改変)

 

2010/04/25

『夜』エリ・ヴィーゼル著、村上光彦 訳

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エリ・ヴィーゼル著
村上光彦訳
みすず書房 2,940円

 ナチス・ドイツによるユダヤ人、ロマほかの絶滅のための強制・絶滅収容所、アウシュヴィッツ収容所。ポーランドのオシフィエンチムにかつてあった。数あるナチス・ドイツの収容所のなかでも人類の愚行の跡として世界遺産に登録されている。今年の1月、解放から65年を迎え、追悼式典が行われた。
 アウシュヴィッツ収容所の跡は、現在、ポーランド国立アウシュヴィッツ博物館が管理、運営しているが老朽化が進んでいる。博物館は永久保存運動のために約160億円の基金の寄付を募った。ドイツ政府は、これを受けて昨年12月に78億3千万円の拠出を発表した。ドイツのウェスターウェレ外相はこのことについて「われわれの歴史に対する責任だ」との声明を述べた。
 人類のために風化させてはいけない歴史。この本の著者、エリ・ヴィーゼルにとっては過去とならない記憶だ。この本の初版は1958年に発刊された。そして今回新たに新版、新訳となった。
 家族といっしょにアウシュヴィッツへ送られた1944年、ヴィーゼルはまだ15歳。ルーマニアのトランシルヴァニア地方に生まれ育った敬虔なユダヤ教信徒だった。それが地獄のようなアウシュヴィッツの日々で、神への信仰が崩れ落ちた。母や妹と離され、父と支え合って生きのびる日々。絞首刑を見ていた囚人は言う。「いったい《神》はどこにおられるのだ」。ヴィーゼルは、自分の心の中にこんな声を聞く。「どこだって? ここにおられる—ここに、この絞首台に吊されておられる……」。神が死に瀕した自分たちに何もしてくれないことへの絶望。一方、体調の悪い父を重荷に感じるようになった自分に気づき、苦しむ…。
 記憶は忘れ去られることはなく、心に刻まれるのだ。愚行の遺産でも、その痕跡を消してはならない。
(掲載:『望星』2010年5月号、東海教育研究所)

2010/03/15

『本は読めないものだから心配するな』管 啓次郎 著

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本は読めないものだから心配するな
管 啓次郎著
左右社 1,890円

 「本は読めないものだから心配するな。」
 この本を読め、この本はこう読め、成功する読書のすすめなどと、読書をしていかに得をするかというような本ばかり出まわるなかで、こう言われるとほっとする。ひとりの人生のなかで読める本、得られる情報の量など限られている。読まなければいけない本がたくさんある、本を読んでも理解できない、昔読んだはずの本の内容を忘れてしまった、と読書の悩みはかずかずある。
 文学研究者で翻訳家の著者、管啓次郎が言うところによると、読書とは、現在の時間を使って過去の痕跡をたどり、その秘密をあばき、未来への道を拓く行為。その時ものをいうのは記憶力。しかし人の記憶力ほどあてにならないものはない。読んだ本の内容を忘れてしまったら、読まなかったことになってしまうのか。いや再び読めば、最初に読んだときとは違う理解があるだろう。読書は道に迷いながら森を進むのに似ている。
 さらに一冊の本を読み終わったら読書は終わり、というわけではない。一冊の本は別の本と、その本はまた別の本と関係している。本は一冊では完結しないのだ。読書には終わりはない。
 著者は読書を「楽しい」とは思わない、と言う。この本はいちおう書評集で、多和田葉子、森山大道、ル・クレジオなどの作品にふれているが、書いてあるのは作家と作品についてよりも、著者自身が抱いている本とそれを読み解くことへのあふれるばかりの愛着だ。
 「いったいこの言葉は何なんだろうと驚くような言葉に出逢いたい。分からないことが星のようにキラキラちりばめられた空を旅してみたい」。
 本に出逢いたい。言葉を理解したい。すべてはこの思いのために本を探す。そして、その本と出逢うことから読書は始まる。
(掲載:『望星』2010年4月号、東海教育研究所)

2010/02/20

『パリ 地下都市の歴史』ギュンター・リアー/オリヴィエ・ファイ著、古川まり訳

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パリ 地下都市の歴史
ギュンター・リアー / オリヴィエ・ファイ著
古川まり訳
東洋書林 3,990円

 「花の都」と枕詞がつく都市パリ。2,500年もの歴史のあるパリは名所がたくさん。誰もが一度は訪れたいと思う街だ。しかし、その地下には知られていない世界が広がっている。ドイツ人作家リアーと同じくドイツ人フォトグラファー、ファイはパリの暗黒面、地下へもぐり探索する。パリの地下というと作家ヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』での迷路のような地下下水道が有名だが、それだけではない。
 ローマ帝国の植民都市として誕生したパリ。その地中の北からは上質の石膏が、南からは石灰石が採れた。あちこちの地下採石場から掘り出され、その上に街が造られた。街の下は巨大な穴だらけとなり、良くないやからや魔物がたむろすると言われた。それよりも深刻なのは崩落事故があちこちで起きたことだった。
 パリはさらに問題を抱えていた。教会の墓地が遺体でいっぱいになり腐臭に耐えられなくなったのだ。当時はみな土葬で、遺体はそのまま腐るにまかせていた。これを解決すべく、18世紀、遺骨を地下採石場跡に送り込んだ。そこでは遺骨は誰が誰ともわからずきれいに整列され、不気味なゴシックアートのような空間となった。この地下墓地はカタコンブと呼ばれ身分の上下を問わずたくさんの人々が見物に訪れた。ちなみにこのカタコンブツアーは今でも行われている。
 その後、19世紀パリは都市大改造が行われ、ユゴーが描いた地下下水道も一新された。だが地下の空間は残っている。そして、パリは今でも崩落の危険にさらされている。
 不気味な地下空間を愛する人々も長年存在する。パーティーをしたり探検したり堅苦しい地上世界から逃れてきたり。地上とは違う猥雑で自由な世界なのだ。
 華麗な都パリには、その長い歴史にふさわしい暗黒面もある。美女の知られざる顔を見た。
(掲載:『望星』2010年3月号、東海教育研究所)

2010/01/23

『よみがえれ! 夢の国アイスランド 世界を救うアイデアがここから生まれる』アンドリ・S・マグナソン著 森内 薫訳

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よみがえれ!夢の国アイスランド―世界を救うアイデアがここから生まれる (地球の未来を考える)
アンドリ・S・マグナソン著
森内 薫訳
NHK出版 1,785円

 2008年の金融破綻で初めてアイスランドを知った人もいるだろう。
 アイスランドは北大西洋に浮かぶ小さな島国。「火と氷の島」とよばれる。火山活動が活発な大西洋中央海嶺の真上にある火山島だ。島の10パーセントが氷河におおわれている。森も耕作できる土地もごくわずか。あの世を思わせる神秘的な荒野がひろがる。手つかずの自然があり、たくさんの渡り鳥たちが夏を過ごす。人口約30万人。そのうち約18万人がヨーロッパの都会のように便利な首都レイキャヴィーク周辺に集まっている。
 20世紀初頭まで漁業と牧畜に頼った貧しい国だった。だがその後、水産加工業などの発展から高い経済成長を遂げ、世界有数の裕福な国になった。ところが近年、金融業が突出、2006年にはGDPに金融、不動産の占める割合は26%までに達した。国中がマネーブームに沸いた。しかし2008年の金融破綻後、経済の危機に脅かされている。
 また、第二次世界大戦中アメリカとイギリスが進駐したことから、西部のケフラヴィークに米軍基地が置かれていた。基地はアイスランド人の雇用を産み出し、軍事もアメリカに依存していた。しかし冷戦終結でソ連の脅威がなくなったことでケフラヴィーク米軍基地は必要性がなくなり、2006年、米軍基地は閉鎖された。
 アイスランドは氷河から流れる豊かな水を利用した水力発電と火山を利用した地熱発電というクリーンな発電で電力をまかなっている。世界有数の電力が安い国だ。この安い電力に外国企業が目をつけだした。
 2003年、アメリカのアルミニウム製造会社アルコアは東部アイスランドにアルミ精錬所を建設し、アイスランドの国営電力会社ランズビルキンが水力発電による電力を供給する、という話が持ち上がった。新たにダムが造られることになった。ダムを造れば鳥の生息地を含む原野が水に沈む。アルミ精錬による公害も考えられる。しかし東部アイスランドは産業がなく貧しい。アルミ工場ができれば潤うだろう。環境派と開発派が対立した。会社側は持続可能性プログラムを、つまりアルミ精錬を続けながら環境を保全できる、と主張している。現在までこのようなアルミ工場建設計画が5つある。
 著者アンドリは、人々はアルミ工業に頼ることに囚われている、重工業以外の産業で、環境を守りつつアイスランドを発展させる方法があるはずだ、と訴える。経済成長ばかりが国の未来ではない、アイスランドが今の危機を乗り越えれば、他の国にも道筋を示すことができる、と。
 この小さな国に現在の経済危機と環境問題の縮図がある。持続可能な開発。それは本当に可能なのか。
(掲載:『望星』2010年2月号、東海教育研究所に加筆)

2009/12/28

『書肆ユリイカの本』田中 栞著

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書肆ユリイカの本
田中 栞著
青土社
2,520円

 西洋には本の装丁を凝って美しく作る伝統がある。日本の出版社、書肆ユリイカの作った本は、装丁の美しさで一世を風靡した。編集者、伊達得夫が興した1947年から彼が没した1961年までのわずか14年の間に、数々の珠玉の本を発行した。
 製本教室や豆本製本教室を開いている書物研究家、そして古本屋の奥さんでもある著者、田中栞はこの十年余り、装丁の美しさに魅せられ、書肆ユリイカの本を探し続けた。この本は著者渾身の「書肆ユリイカ戦記」。
 伊達得夫は1947年前田出版社の編集者として夭折の天才詩人、原口統三の『二十歳のエチュード』の発行を手がけた。この本は大ヒットとなった。同じ年、伊達は前田出版社を退職し、書肆ユリイカを設立。『二十歳のエチュード』を表紙、組版を変えて翌年発行した。これがかなり売れて順調に出版社として滑り出した。以降、稲垣足穂の『ヰタ・マキニカリス』のほか岸田衿子、大岡信など戦後詩人の詩集を出版した。どれもフランスの本のような装丁の美しさと斬新さで目を惹く。伊達は美的センスも格段だったのだ。白い布クロスに銀色の箔押しでタイトル。赤い紙装枡形本の中央に1文字だけの墨文字タイトル。色と材質と文字の配置が計算しつくされている。
 さて著者は書肆ユリイカの本を研究するにあたって、国立国会図書館、神奈川近代文学館などに足繁く通って閲覧した。同じタイトルの本でも何度も発行しているものは装丁が変わるので、書誌学上は別の本となる。著者はそうした細部を見逃さないように探す。さらに自分でも膨大な書肆ユリイカの古本を購入した。書肆ユリイカの古本は市場に出回ることがあまりない。出ても途方もない値段だ。貴重な古本が市場に出たとき、著者は思わず娘の大学入学準備金に手をつけそうになったそうだ。愛書には限りがない。
 戦後の物資不足の時代、書肆ユリイカはよくぞ個性的な本を作ってくれた。この本にはそれを追いかけた著者の装丁への愛があふれている。
(掲載:『望星』2010年1月号、東海教育研究所)

2009/12/06

本は自由に読めばいい

 最近、子どもに読書が奨励されている。朝の10分間読書など、授業前に本を読ませる。自分で選んだ本でいい。そうすると静かに授業に入れるそうだ。私だったらたった10分しか本を読めないで続きは明日、なんて冗談じゃない。授業中でも読んでしまうだろう。国語の読解力がある子どもは算数・数学も成績が良い、ということが新聞記事などに載っていたらしい。そんなことは言い切れない。私は本は読んだが算数も数学もダメだった。今もダメだ。さらに両親に経済的余裕のある子どもは成績が良い傾向にあるが、親が読み聞かせをする、ニュースについて話をする、家に本がたくさんある、といった子どもは親の所得による成績の格差を緩和できる、とのことも掲載されていたらしい。子どもに本を読ませれば読解力、言葉への理解力、思考力、分析力、想像力、他人の気持ちになって考える心などが育ち、成績が良くなり良い子になる、いいことづくめだそうだ。

 バッカじゃないの?!
 私の小さいころは、まわりに図書館も本屋もなかった。学校の図書室も新しい本を買う余裕もなく、担当の教師もいなかった。読んだのは家にあった世界の昔話の本、伝記、そしてなぜか母が買ったものの読まないでもてあましていた大人向けの世界名作全集、学校の図書室にあったひめゆり学徒隊の本など。本を読んでいると「本なんか読んでないで外でみんなと遊んでらっしゃい」「スポーツでもしなさい」などと言われた。親にも教師にも読書を勧められたことはない。私の小さいころだけではない。昔は豊かな家庭の子でもない限り、本を手に取ることはなかなかできなかったはずだ。
 それでも本の好きな子はいた。その子たちは自分で本をできうるかぎり探して読んだ。そして興味のある分野にのめりこんだ。本は読まされるものではなく、自分で探して読むものだ。

 なぜ今更のように子どもに本を読ませるのか、推測してみた。OECD生徒の学習到達度調査( - せいとのがくしゅうとうたつどちょうさ、Programme for International Student Assessment, PISA)は先進各国の児童生徒が数学、読解力、科学のテストを受けるもの。このなかで日本は近年、読解力の落ち込みが激しく、他教科でもかんばしくない。そして2006年の調査のベスト2まですべてフィンランドが占めることとなった。教育界はフィンランド研究に走った。そして国会議員や文部科学省では読解力に力を入れ、授業に読書を取り入れ子どもに本を読む習慣をつければ、学力大国日本をとりもどせると考えたのだろう。
 折しも時は出版不況。とくに新聞業界が苦しい。業界団体の後押しもあったのではないか。出版不況とは人々が本を買わないからではなく、出版点数、出版部数を増やして供給過多にした大手出版社が自らの首を絞めた結果だ。それでも町中の中小書店には大手出版社の流行本しか出回らず、中小出版社の本がならぶことはあまりない。
 
 本は読まされるものではない。自分で読むものだ。心のなかの想像の王国を他人に支配されたい人がどこにいるだろうか。自分で選んだと思った本が他人の誘導の結果、手に取ったものだとしたら。図書館が勧める良い子どもの本は「楽しい本」「読んでいて幸せになる本」「人生のためになる本」らしい。では江戸川乱歩は? シャーロック・ホームズは? グリム童話は? 本は明るい面ばかりあるのではない。人間の奥底の暗黒を映し出すものでもあるのだ。
 
 本を多く読む子は成績が上がるか。幸せになれるか。逆に本を読まない子は感性や理解力が不足しているのか。頭が悪いのか。将来は不幸か。そんなことはない。どんなにまわりが動いても本が好きな子は読むし嫌いな子は読まないだろう。本が嫌いな子はほかの好きなことを見つけるだろう。読書が強制され読む本が制限されるとしたら、レイ・ブラッドベリの『華氏451』と同じだ。読書は個人のものであり、個人の自由だ(ただし研究書は該当しない。個人の好みにかかわらず読まなければならない本があるからだ)。

 私が書評なるものを書くのは、読書が私の衝動で存在意義だからだ。おもしろいと感じた本に魅入られると『攻殻機動隊』の主人公草薙素子のように「ゴーストのささやき」を感じる。そうして書いた書評も「ぜひ読んでください」という押しつけるのではなく『クレヨンしんちゃん』の次回予告のように「読めば〜」という感じ。書評は本の紹介で、読むのはそれをおもしろいと感じた人の自由にゆだねる。本を読むのは心の自由のためなのだ。

2009/11/16

『ラウィーニア』アーシュラ・K・ル=グウィン著、谷垣暁美訳

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ラウィーニア
アーシュラ・K・ル=グウィン著
谷垣暁美訳
河出書房新社、2,310円

 ローマ以前の遠い過去のイタリア。ラティウムの王女ラウィーニアは一族の聖地で、はるか未来の詩人ウェルギリウスの幻影と出会う。ウェルギリウスは告げる。遠いトロイアの王子、トロイア戦争の英雄アエネーアスがここに安住の地を求めてやってくる。あなたはアエネーアスと婚約する。あなたがたの婚約をめぐってあなたの求婚者たちと彼はこの地に血みどろの戦争を繰り広げる。だがアエネーアスは勝利し、あなたは彼の妃となる。あなたがたはここに第二のトロイアを築き、子孫の都は栄華を極めるだろう。その都の名は「ローマ」…。
 この『ラウィーニア』のもととなったのは、古代ローマの詩人ウェルギリウスが皇帝アウグストゥス(カエサルの後継者オクタウィアヌス)の一族の血統を讃えてささげた叙事詩「アエネーイス」。物語はだいたい前半と後半に分かれ、前半部分はアエネーアスのトロイアからの敗走、流転が描かれる。『ラウィーニア』は「アエネーイス」の後半部分からル=グウィンが想像をふくらませてつくった物語。
 「アエネーイス」でラウィーニアはイタリアの王の娘としか出てこず、チョイ役に過ぎない。それをル=グウィンは一人の女性の成長物語にした。思慮深く自分をしっかりと持った勇気ある女性。「アエネーイス」はアエネーアスの勝利で終わっているが、『ラウィーニア』でル=グウィンは、そのあとのラウィーニアの結婚生活、子どもへの愛、一族との確執を乗り越えていく姿を描く。
 ローマ時代の詩人ウェルギリウスと彼の想像の産物にすぎない古代イタリアの女性ラウィーニアとの対峙。作者を作中人物が幻影として見る、それを現代アメリカの作家ル=グウィンが書くという入れ子構造。さすがル=グウィン。
 

『子どもたちに語るヨーロッパ史』ジャック・ル・ゴフ著、前田耕作監訳、川崎万里訳

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子どもたちに語るヨーロッパ史 (ちくま学芸文庫)
ジャック・ル・ゴフ著
前田耕作監訳、川崎万里訳
筑摩書房、1,155円

 ジャック・ル・ゴフはフランスの歴史の大家。社会学、経済学、人類学などの考えを取り入れ時代の民衆の心にせまる歴史研究をめざすアナール派の中核となって、西欧の中世史を研究してきた。著書に『煉獄の誕生』など多数。アナール派の歴史研究は日本の歴史学にも大きな影響を与えた。
 ル・ゴフは80歳を越えて、ヨーロッパ全史を子どもたちにわかりやすく語る、という試みにでた。それがこの本だ。
 ヨーロッパ。その名は、ギリシャ神話で大神ゼウスにさらわれたアジアの王女エウロパに由来する。ユーラシア大陸の西端に位置するヨーロッパ。端から端に旅するにも人の足でさほど日数がかからないほど狭い地域だ。古くから街道がつくられ、河や海の交通ルートも発達し、多くの人々が行き来してきた。古代、地中海世界でのギリシャ人の繁栄。そしてローマ帝国の領土拡大によってヨーロッパ各地にローマ人が植民。ヨーロッパには広くケルト人が住んでいた。やがてゲルマン人が、スラブ人、アジア系諸民族が、ノルマン人が移動してきて、中世のヨーロッパ各国を形づくった。
 人間の交錯は発展の源泉、と著者は言う。混血するのが人間社会のさだめなのだから、民族的純血などという主張は不毛であり、本来存在しないものなのだ。混血から生じた民族は文明や制度の面から見てより豊かでたくさんのものを生み出す。たとえばフランスはケルト人、ローマ人、ゲルマン人の交雑によって形づくられた。
 中世は通説では5世紀から15世紀まで、ル・ゴフの説では18世紀まで続く長い時代だった。キリスト教と教会の成立、それぞれの民族の言語の文字化。そして国王と臣下による近代国家の時代へ。そのなかで民主主義が誕生した。
 ヨーロッパは豊かな文化や技術を育んだ、と同時にたくさんの愚行を犯した。十字軍、世界の他の地域の植民地化、何度も起こったユダヤ人の迫害、虐殺。二つの世界大戦、ヒトラーやスターリンの独裁。そして現在ヨーロッパは民主共同体としてEUを形成している。
 ヨーロッパは統一されるのだろうか。ル・ゴフは多様なヨーロッパを認めながらヨーロッパ統一への希望をEUに託す。
 ル・ゴフは、未来を準備するためには過去を知り、ヨーロッパのよき伝統を発展させ、過ちと罪を繰り返さないようにしなければならない、歴史は担うべき重荷でも、暴力を正当化する危険な助言者でもない、歴史は時代に真理をもたらし、進歩に役立つものであるべきだ、と説く。歴史学界の重鎮の言葉が重い。
(掲載:『望星』2009年12月号、東海教育研究所より改変)

2009/10/17

『かくして冥王星は降格された 太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて』ニール・ドグラース・タイソン著、吉田三千世訳

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かくして冥王星は降格された―太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて
ニール・ドグラース・タイソン著
吉田三千世訳
早川書房 2,100円

 最初に学校で習ったとき、太陽系は、太陽と月と9つの惑星「水金地火木土天海冥」だった。ところが2006年8月、国際天文学連合は冥王星を準惑星と決め太陽系惑星グループから外した。
 冥王星は、アメリカ人の発見した初めての惑星だ。1930年、アメリカ人天文学者クライド・トンボーが発見した。冥王星(英語でプルート)は、ミッキーマウスの飼い犬プルートとともにアメリカ人から深く愛されてきた。
 現在の天文学では、惑星には地球、水星、金星、火星のような岩石でできた地球型惑星と木星、土星、天王星、海王星のようなガスでできた木星型惑星があるが、冥王星にはどちらも当てはまらない。ほとんど氷でできているのだ。大きさも、月や土星の衛星タイタンなどより小さい。また海王星の外にはカイパー・ベルトという小型の氷天体がひしめく帯があることがわかってきた。冥王星はカイパー・ベルト天体の方に近いと思われた。こうした研究結果から、2000年、この本の著者、アメリカ自然史博物館のヘイデン・プラネタリウムの長を勤める宇宙物理学者タイソンは自館の展示の模様替えの際、冥王星を惑星のグループからカイパー・ベルトのグループに入れた。
 これが新聞に取り上げられ「冥王星を惑星から引きずり下ろすな」という抗議のメールが、アメリカ中からタイソンのもとに押し寄せた。小学校では子どもたちが「大好きな冥王星を惑星にしておいて」と手紙を送ってきた。天文学者たちは、冥王星とは何か、惑星とはどういう特徴をもつ天体なのかを巡って激しい議論を戦わせた。
 2006年、国際天文学連合の決定で冥王星は準惑星となった。アメリカでは、冥王星の「降格」を皮肉る記事が書かれ、かわいそうな冥王星に同情する歌が作られた。ディズニー・カンパニーは「冥王星が惑星の地位を追われたとしてもプルートはやはりディズニーの『犬のスター』だ」と公式なプレスリリースを発表した。
 「冥王星騒動」は収まったようだ。新しい事実が発見されれば、宇宙の姿はまた変わるだろう。そのとき感傷的にならず理論で受け入れることができるだろうか。
 この騒動のあと、著者タイソンはディズニーワールドを訪れ、犬のプルートに面会した。プルートは礼儀正しく迎えた。本には著者とプルートが仲良く肩を組んだ写真が載っている。
(掲載:『望星』2009年11月号、東海教育研究所に加筆)

2009/09/15

『第七官界彷徨』尾崎 翠著

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第七官界彷徨 (河出文庫)
尾崎 翠著
河出書房新社
651円

 尾崎翠(おさきみどり)は長い間、忘れられた作家だった。1970年代から見直され、全集や選集が発行された。今回、代表作『第七官界彷徨』が初めて一本立てで文庫化された。
 尾崎翠とは誰か。1896年鳥取県生まれ。上京して『新潮』ほかの文芸誌に小説を発表。まだ無名の林芙美子らと友人になる。そして昭和初期『アップルパイの午後』『第七官界彷徨』『地下室アントンの一夜』など代表作を精力的に書く。しかし頭痛に悩まされ鎮痛剤を飲み過ぎるようになった。さらに幻覚を見るようになり、36歳で、兄により故郷へ連れ戻された。翌年『第七官界彷徨』の単行本が発行。だが東京から引き離された時に翠の作家人生は絶たれた。その後、妹たちの子の面倒を見つつ故郷で人生をおくり、74歳で病没。最後の言葉「このまま死ぬのならむごいものだねえ」。
 「悲劇の女性作家」とも言われる尾崎翠。彼女が描く独特の幻想世界には、女性の愛読者が多い。翠の作品世界のキーワードは「少女」。萩尾望都や大島弓子の少女マンガに通じる少女の幻想世界があるという。
 『第七官界彷徨』だが、「第七官」とは人の視覚聴覚などの五感、虫の知らせとも言う第六感、それを超えた第七の感覚のこと。ある少女が人の第七官に響く詩を書こうという思いを秘め、東京にやって来て、兄や従兄の借家に炊事係として住み込む。長兄は分裂心理、次兄はコケの恋愛の研究をしている。従兄は音楽学校をめざして調子外れのピアノを弾いている。変人ばかり。みな片恋に悩んでいる。そんななかで少女もひとつ恋をする、という物語。
 尾崎翠の物語は片恋の話が多い。片恋は少女の特権。翠の小説を読むには字面ばかりを追っていっては迷子になる。現実と幻想が融け合っている世界。哀しい明るさに満ちていてそこにひたるのが心地よい。翠の物語は世代を超えて少女の心の第七官に響く。
(掲載:『望星』2009年10月号、東海教育研究所)

2009/08/17

『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界 ムーミントロールの誕生』冨原眞弓著

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トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界―ムーミントロールの誕生
冨原眞弓著
青土社
3,990円

 ムーミンはカバではないことは、もう誰しもおわかりだろう。ムーミンはフィンランドの作家で画家のトーヴェ・ヤンソンが、北欧の妖精トロールをヒントに生み出した。ではムーミンはどんな状況で生まれたのか。それはフィンランドの暗い戦争の時代のなかでだった。
 トーヴェの母、シグネ・ハンマルステン・ヤンソンはフィンランドの風刺雑誌『ガルム』に風刺画を描いていた。ガルムとは北欧神話での冥府の番犬のこと。1923年の創刊号の表紙はシグネの描いたガルム、ブルドッグのようなギョロ目と大きな牙を剥きだした黒犬が飾った。
 当時フィンランドは東のソ連、西のスウェーデン、南のドイツに圧迫され、必死に独立を保っていた。国内でも保守派、共産主義者、フィン人の優位を叫ぶ民族派などがせめぎあっていた。そのなかで『ガルム』は、国内の少数派スウェーデン人に向けてスウェーデン語で発行されていた。どの勢力にもつかず、どの勢力にも独自の視点から噛みついた。
 トーヴェにとって母はたのもしいムーミンママだった。画学生だったトーヴェも15歳で『ガルム』に風刺画を描くようになる。
 やがて、第二次世界大戦が始まった。フィンランドでは、ソ連の侵攻と戦う「冬戦争」それに続く「継続戦争」の暗い時代がやってきた。トーヴェの風刺画も暗いものとなる。そんななか、トーヴェの絵に奇妙な動物が登場する。はじめはしかめっ面をしていたが、だんだん愛嬌を見せるようになった。これがムーミントロールだ。トーヴェはムーミンを主人公に童話を書き始めた。かくて、今やムーミンは世界の人気者だ。
 ムーミン谷の面々、とくにスナフキンとミイに反骨心と皮肉をみるのは『ガルム』がトーヴェに残した牙なのか。ムーミンは戦争の暗闇のなかで夢見る希望として誕生した。
(掲載:『望星』2009年9月号、東海教育研究所)

2009/07/20

『ガルシア・マルケスひとつ話』書肆マコンド著

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ガルシア・マルケスひとつ話
書肆マコンド著
エディマン
3,360円

 この本は作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの世界を探求したもの。こむずかしい批評ではない。どこから読んでもおもしろいガルシア=マルケス百科だ。
 ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』は日本をはじめ世界中を魅了している。彼が『百年の孤独』を描いたのは1967年、40歳の時。これが出世作となりノーベル文学賞を受賞した。以降、『予告された殺人の記録』『迷宮の将軍』などのさまざまな作品を書き続けている。
 見てきたような嘘、嘘のようなまことが交錯しラテンアメリカの地に色鮮やかに、ときには暗い情熱で物語が織られるのが、ガルシア=マルケス作品だ。『百年の孤独』で語られるのは、架空の村マコンドの創始者ブエンディーア一族の物語。マコンドはガルシア=マルケスが生まれた南米コロンビアの村アラカタカがモデルだといわれる。彼のほかの作品の舞台にもなっている揺籃の地だ。物語で、一族の絶世の美女、小町娘のレメディオスは洗濯物を干している最中、生きたまま天に召される。
 「小町娘のレメディオスの体が、ふわりと宙に浮きあがった。ほとんど盲に近かったが、ただ一人ウルスラだけが落着いて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。…彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後4時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥さえ追っていけないはるかな高みへ永遠に姿を消した。」幻想の極み。
 さて、この本『ガルシア・マルケスひとつ話』の著者、その名も書肆マコンド。ガルシア=マルケス作品に耽溺するあまり、本でガルシア=マルケスのワンダーランドをつくってしまった。読んでいると、マコンドを散歩しているような気分になって楽しい。巻末にマコンドの地図がある。
(掲載:『望星』2009年8月号、東海教育研究所)

2009/06/15

『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最後の日々』デイヴィッド・リーフ著、上岡信雄訳

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死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々
デイヴィッド・リーフ著
上岡信雄訳
岩波書店、1,890円

 スーザン・ソンタグはアメリカで批評、小説、エッセイなど幅広く輝かしい活躍をした。代表作に『隠喩としての病い』『写真論』『他者の苦痛へのまなざし』がある。9・11テロ、アメリカ軍のイラク侵攻には、時のブッシュ政権を激しく非難した。
 さて2004年の3月、ソンタグ71歳。ソンタグの息子で母のマネージャーをしていたデイヴィッド・リーフは、母の求めに応じて病院にいっしょに行くことになった。「たぶん何でもないわ」。
しかし医師の宣告は2人を戦慄させた。ソンタグは骨髄異形成症候群を患っており、それは間違いなく急性骨髄性白血病を起こし、彼女を死に至らしめるだろう、と。骨髄移植だけが有効な手段だが、成功の確率は極めて低い。帰宅する車のなかで、彼女はつぶやいた。「ワオ」。
 突然の死の宣告は、ソンタグを恐怖とパニックに陥れた。だが彼女は自分が死ぬということを決して信じなかった。何て言ったって、自分はかつて、治る見込みが低い乳がんと子宮がんから生還したことがあるのだ、と。闘いが始まった。自分の病気の情報をかき集め、食いつくように読み、治る見込みをほのめかす文章には線を引いた。ソンタグは自分の存在と知性と理性を信じていた。自分の人生と世界を愛していた。それに敗北することを許さなかった。少しでも長く生きられるようもがき続けた。骨髄移植も受けたが、失敗に終わった。
 その様子は息子デイヴィッド・リーフが見ていて痛々しいものだった。愛は死に直面した人には役に立たなかった。死の海を泳ぐ人は孤独なのだ。9ヵ月後、薬の副作用に苦しみながらソンタグは死んだ。息子には信じられなかった。母を助けるために何もできなかったなんて。
 死に対面したときの勇気ある行動とは何か。死を受け入れ周りの人々に感謝しながらそのときを待つか。それとも死に抗い闘いつづけるか。
(掲載:『望星』2009年7月号、東海教育研究所)

2009/05/16

『ソングライン』ブルース・チャトウィン著、北田絵里子訳、石川直樹 写真・解説

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ソングライン (series on the move) (series on the move)
ブルース・チャトウィン著
北田絵里子訳
石川直樹 写真・解説
英治出版、2,940円

 これは旅の本。観光や計画的な旅行の本ではない。旅する人生についての本だ。
 著者ブルース・チャトウィンはイギリスの作家。有名な美術品オークション会社サザビーズで働いていたが、旅に焦がれ、南米大陸の最南部、パタゴニアへと旅だった。このときの旅行記『パタゴニア』が出世作となり旅の作家として一躍名をはせた。
 この本で彼が旅したのはオーストラリア。定住せず移動生活をする民アボリジニを訪ねた。アボリジニの世界では、大地はその地それぞれ「夢」と呼ばれる物語をもっている。その夢は歌となって歌いつがれる。歌は、大地を移動するための道を指し示す。この道が「ソングライン」だ。チャトウィンは新大陸オーストラリアに流れ着いた白人たちに案内され、ソングラインを歌いついでいるアボリジニたちと出会う。
 砂漠を移動しつづける民アボリジニにとって移動は日常から離れた「旅」ではなく、あくまで生活の一部に過ぎない。しかし定住民のヨーロッパ人チャトウィンにとって、旅は異世界への憧れであり、ひとところに居たくない、放浪したい、という衝動だ。本の途中、彼は大昔から人間が持っている旅への思いを、古今東西の格言や偉人の言葉から引き、自分の旅への情熱と重ねあわせている。ブッダの言葉「たゆまず歩みつづけよ」。この言葉のとおりチャトウィンは歩きつづける。そして遙かな人類の過去に思いをはせる。人間の進化は過酷な環境での移動生活から始まったのではないか、と。
 チャトウィンは旅先での病がもとで1989年、48歳でこの世を去った。永遠の旅人と言われている。定住している私たちは、旅に出て異世界に身を浸してみたい思いに駆られる。荒野を歩きたくなる本だ。
 表紙は写真家の石川直樹の写真。巻末に自分とチャトウィンと旅について一文を寄せている。
(掲載:『望星』2009年6月号、東海教育研究所)

 

2009/04/18

『根をもつこと』シモーヌ・ヴェーユ著、山崎庸一郎訳

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根をもつこと
シモーヌ・ヴェーユ著
山崎庸一郎訳
春秋社
2,625円

 この本『根をもつこと』は『シモーヌ・ヴェーユ著作集』の第5巻を新装版にしたもの。長い間入手が困難だった。
 シモーヌ・ヴェーユはフランスの思想家。日本語では「ヴェイユ」と表記されることの方が多い。究極の理想主義者とも言える。
 1909年生まれ。哲学教師として人生を歩み始める。やがて労働者の苦労を実体験しようと工場で働く。しかし病弱でいつもひどい頭痛に悩まされ、しかも不器用な彼女には長く続かなかった。だが機械の歯車のように働く労働者の姿を見て、後の思想の基となる「根こぎ」を見いだした。
 1936年、スペイン内戦が起こると共和国側の義勇兵として参加。炊事班に配属されるが、煮え立った鍋に足を突っ込んでしまい大やけどを負って戦線を離れた。
 30歳の時、第二次世界大戦が始まりフランスはドイツに占領される。ヴェーユはロンドンに赴き、ド・ゴールを頭とする対独レジスタンス組織、自由フランスに参加。ここでヴェーユはフランスのための国家論『根をもつこと』を書く。しかし自由フランスを離脱。結核を患い、医師に栄養の補充を勧められるが、戦時下のフランスで配給されている食糧以上のものは食べないと拒否。1943年、34歳で死去。
 ヴェーユは理性的な哲学者だが、キリストへの深い信仰と哲学、政治は彼女のなかで一つになる。『根をもつこと』で書かれた「根こぎ」とは、人が人間性と自分の根幹を奪われること。人間としての尊厳を破壊され心のよりどころを失うこと。労働者は人として扱われないような労働で根こぎにされ、失業によって二重に根こぎにされる。戦争で根こぎにされたフランス人。彼らの国への愛は、国家を完全なものとしてあがめるのではなく、郷土を壊れやすい不完全なものとして「憐れむ」ことであるべき、それが国に根づくことになる、と語る。
 ヴェーユは理想を高く掲げたが、その生き方はあまりに不器用だった。組織に属すことを嫌って一人立つ人だった。彼女の清冽な人生と理想は夜空の星のように輝く。
(『望星』2009年5月号、東海教育研究所より加筆修正)

2009/03/04

『アラブ、祈りとしての文学』岡 真理著

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アラブ、祈りとしての文学
岡 真理著
みすず書房
2,940円

 かつてサルトルは、アフリカで子どもたちが飢えて死んでいるのに文学は何ができるか、と問うた。現代アラブ文学の研究者である著者、岡真理もこの問いに直面している。パレスチナでパレスチナ人がイスラエル軍に追い詰められ殺戮されているのに、文学は何ができるか、と。
 2006年、パレスチナの難民キャンプで著者が出会った青年は
「ぼくらは檻の中の猿だ」
と呟く。分離壁に閉じ込められた狭い街。イスラエル領内への立ち入りが禁じられているため働くことすらできない。イスラエル兵から受ける屈辱。若い青年には残酷すぎる飼い殺しのような人生。絶望のあまり他の青年のいくらかは自爆テロに走る。何があなたに自爆を思いとどまらせているの、という著者の問いに
「ぼくは生きたい、……どこにどんなとは言えないけれど……希望はあると信じています」。
 アラブ世界でも小説はたくさん書かれている。貧しく小さき人々の言葉を取り上げた小説もある。岡真理は、第三世界フェミニズム思想の研究者でもあるため、抑圧されていると言われているイスラム教徒の女性を描いた小説にも注目する。パレスチナ人男性作家イブラーヒム・ナスラッラーの小説『アーミナの縁結び』はイスラエル軍のパレスチナ侵攻が最も激化した2002年のガザに住む女性たちの悲しみと狂気を物語った。
 抑圧され死のふちまで追いやられ根拠のない希望にすがって祈るしかない人に文学はできることがあるのか。ある、と岡は答える。絶望している人々の心に寄りそい彼らのことについて書くことは祈ることなのだ。それが文学というかたちになって人々に知らしめられ共感を呼ぶ。
 絶望している人々について書くことが祈りなら、それを読むこともまた祈りなのではないだろうか。読むこととは共感することだ。
(掲載:『望星』2009年4月号、東海教育研究所)

2009/01/31

『『話の話』の話 アニメーターの旅 ユーリー・ノルシュテイン』クレア・キッソン著、小原信利訳、ユーリー・ノルシュテイン跋

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『話の話』の話―アニメーターの旅 ユーリー・ノルシュテイン
クレア・キッソン著、小原信利訳
ユーリー・ノルシュテイン跋
未知谷、3,150円

 膨大な数の絵によって、絵を動いているように見せる「動画」すなわち「アニメーション」。その動く絵を描く人を「アニメーター」という。今、日本政府は、アニメを金の取れる輸出産業ともてはやしている。だがそれを作るアニメーターが長時間労働低賃金の悲惨な生活をしているのはあまり知られていない。
 ユーリー・ノルシュテインはロシアのアニメーター。『アオサギとツル』『霧の中のハリネズミ』などの主に30分以内の短編を作ってきた。切り絵アニメーションといって、切り絵を少しずつ動かして撮影するという手法をとっている。その世界は素朴で詩情豊か。抑えた色調と流れるような動きで世界を紡ぎだす。
 ノルシュテインの代表作『話の話』。1979年の発表以来、世界のアニメーションで第1位の座に推されている。1980年、ザグレブ国際アニメーションフェスティバルで1位になったほか、さまざまな賞を獲得した。
 『話の話』とはどんな話なのか一概には言えない。古いロシアの子守歌

「ねんねんころり、端っこには寝ないでね、灰色の仔狼がやってくるから」

をもとに、ノルシュテインの幼い頃の思い出、第2次世界大戦後の時代をちらつかせる映像が現れては消える。ひとりぼっちの狼の子、無心に乳を吸う赤ん坊、タンゴを踊る人々、戦争の暗示。これを発表前に見た当時ブレジネフ政権下のソ連の官僚たちは面食らった。ソ連国民を導くのに良い映画なのか。ソ連映画省はノルシュテインに改変の圧力をかけたが、彼は断固として応じなかった。
 『話の話』制作後、現在ノルシュテインは忙しいなかゴーゴリの小説『外套』のアニメーションを制作中だ。
 ものを作る人を大切にしない文化は滅ぶ。ノルシュテインのような「作る人」を尊敬してやまない。
(掲載:『望星』2009年3月号掲載、東海教育研究所)

2008/12/30

『サンパウロへのサウダージ』クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太著、今福龍太訳

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サンパウロへのサウダージ
クロード・レヴィ=ストロース、今福龍太著
今福龍太訳
みすず書房
4,200円

 2008年11月で100歳になった学者クロード・レヴィ=ストロース。1960年代、フランスにて構造主義をかかげて新たな民族学をうちたてた。構造主義は現代思想の大きな波となってさまざまな学問を席巻した。学術界の伝説の人。
 現在ブラジル最大にして南半球最大の都市サンパウロ。レヴィ=ストロースは1935年、27歳のとき前年できたばかりのサンパウロ大学へ教授としてフランスから赴いた。このときともにフランスからサンパウロ大学に赴任した一人に歴史家フェルナン・ブローデルがいた。当時サンパウロは建設ラッシュに沸く新興都市だった。そこに彼は家族とともに居をかまえ、講義と原住民調査を行った。レヴィ=ストロースのブラジルでの調査旅行については、著書『悲しき熱帯』『ブラジルへの郷愁』にくわしい。構造主義はこのころ育まれたのだろう。
 1939年にフランスに帰国するも第二次世界大戦が始まった。フランスはドイツに敗戦。ユダヤ人であるレヴィ=ストロースはニューヨークに逃れた。1950年に博士論文『親族の基本構造』を携えてフランスに帰国。論文は審査を通過、発刊された。自身も神話学者ジョルジュ・デュメジルの紹介で職を得、精力的に研究を進めていく。だがフランスにおける学問・教育の頂点に位置する国立の高等教育機関コレージュ・ド・フランスの1951年の教授選に学閥争いで敗れ、落選。『悲しき熱帯』は1955年この不遇の時期に書かれた。フランスでの出世街道から離れ遠国に流れたブラジル時代の自分と南米奥地で滅びゆく文化のなかで暮らす原住民が、「悲しみ」で当時の逆境へとつながっている。『悲しき熱帯』はセンセーションを巻き起こした。そして3度めの教授選で、ようやく1959年に教授となった。
 レヴィ=ストロースはそれからブラジルへは1985年につかのま訪れただけだ。この本『サンパウロへのサウダージ』は失われた昔のサンパウロの思い出を込めて1996年に発刊された。「サウダージ」とは日本語の「あわれ」に意味の近いポルトガル語だという。もう見ることのない、はかなく過ぎ去ったものへの想いだ。レヴィ=ストロースが暮らしていた当時、サンパウロはぶらぶら歩くのに良いところだったという。レヴィ=ストロースは写真マニアだった父親と争うように写真を撮った。この本には、レヴィ=ストロースが歩きながら撮った写真が収められている。ちょうど手に収まるようなフイルムカメラが出回るようになったころだ。サンパウロは急成長中の街だったが、彼には、新築の輝いていた時代を過ぎすでに古びはじめたうら寂しさが目についた。
 ブラジル滞在のあとレヴィ=ストロースは研究に写真を使っていない。彼は、学者が、獲物を捕るように原住民の写真を撮るのを嫌ったのだ。
 その65年後、日本の文化人類学者、今福龍太がサンパウロ大学で教鞭をとるために訪れた、彼はサンパウロでのレヴィ=ストロースの足跡をたどり、同じ風景を写真に撮った。昔の風景がわずかに残っている。彼は同じ文化人類学者としてレヴィ=ストロースの思考に思いをはせた。
 今福龍太はある本を紹介している。レヴィ=ストロースの調査旅行に同行したブラジル人民族学者が後に書いた本だ。それによると、レヴィ=ストロースはフィールドワーカーとしてはあまりに不器用だったという。フィールドでいつも思考を遊ばせ、フィールドワークに必要な実用的な技能や機転にはまったく欠けていたらしい。そのことから今福は、レヴィ=ストロースの研究方法と理論形成をかたちづくったものを見つける。
 「西欧人エリートという社会的立場、民族学者の視線、文明人の依拠する透明な理性……。ひとつの視点からすればすべて限界づけられたものでしかないこうした条件のなかで、ブラジルの現実との間の距離を測り、それを調停する手段として、レヴィ=ストロースは写真を選び取った。だがこの不器用な視線は、その動きの限界は、別の視点から見ればその限界こそが可能性なのでもあった。この、力の探求の英雄的な試みが不器用さによって破綻していく実践こそが、ひとつの固有な輝きを持った「民族学」の行使だった。現実の行動の不器用さは、彼をして神話の観念的思考が実現する器用仕事の探求へと向かわせ、全アメリカの無限の神話群のあいだにはたらく緻密な構造体系がブラジル以後の彼のフィールドとなった彼の頭脳を起点に、内界と外界は反転した。人間とはそもそもはじめから不器用な敗者として宿命づけられた存在なのではないだろうか。人間の世俗的現実における不器用さが、神話的思考の器用さによって埋め合わされる……。この二者の統合こそが「人間」である。レヴィ=ストロースはそのように語りつづけているように、私には思われる。」
 この本の写真は、たぐいまれな眼がのちの世界都市の一時をとらえた貴重なものだ。偉大な頭脳のますますの長寿を言祝いで。
(掲載:『望星』2009年2月号、東海教育研究所に加筆、訂正)

2008/12/02

『図書館 愛書家の楽園』アルベルト・マングェル著、野中邦子訳

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図書館 愛書家の楽園
アルベルト・マングェル著
野中邦子訳
白水社
3,570円

 日本語で図書館と訳される英語Libraryは、ただ図書館をさすだけでなく、本を集めてある状態、または場所のことも意味する。書斎や書庫、鞄に入った数冊の本、コロンビアでロバの背にのせて山村を運ばれる巡回文庫も、この世のすべての書物を収集するという大望で作られた古代エジプトのアレクサンドリア図書館も、コンピュータのファイルも、この本の著者アルベルト・マングェルが夢想を巡らす場である3万冊の本を収めた書斎も、ライブラリーなのだ。
 この本の原題は「夜の図書館」。古今東西の図書館について、著者が夜に思いを巡らせた本の宇宙への思考の旅だ。著者マングェルはアルゼンチン生まれの作家。幼少時から各国を転々とし、現在はフランスに住む。著書『読書の歴史 あるいは読者の歴史』がフランスで賞を受賞。マングェルは、高校生のときブエノスアイレスの書店でのアルバイトで、伝説的な作家にしてアルゼンチン国立図書館館長、本の世界の盲目の巨人ホルヘ・ルイス・ボルヘスに本を朗読する仕事をしていた。その影響か、マングェルの本への愛と知識は世界中のありとあらゆる歴史を網羅する。
 著者いわく「昼のあいだ、書斎は秩序に支配されている…夜になると蔵書目録の定める秩序はもはや通用しない。影のなかでは、その威力も保たれないのだ」。夜の図書館で彼は本の世界を冒険する。メソポタミアの碑文、中国の莫高窟にしまわれた書物、破壊されたマヤの文書、ナチスの強制収容所のわずかな蔵書、ロビンソン・クルーソーが孤島に流れ着いたときに持っていた数冊の本などなど。
 「この世の存在をたえず確認(そして証明)するために、私たちはこの世について語りつづける。人の理解がおよばない、不可解さと混沌のうちにありながらも首尾一貫した何か、また、私たちもその一部をなす何か—そのイメージのなかにこそ、人間とこの世界が作られているのではないかという問い。かつて爆発をへた宇宙と、宇宙の塵たる私たち人間には、言葉で表せない意味や秩序があるにちがいないという希望。私たちが読む本、そして私たち自身が読まれる本としての世界、それを指し示す古い比喩を何度も語りなおすときに感じる喜び。人が現実から知りうるものは、言語で組み立てられた想像の産物ではないのだろうかという思い—これらすべてが図書館と呼ばれる人間の自画像のなかに具現化され、形をなしている。そして人が書物に注ぐ愛、もっと多くの本を見たいという欲望、果てしない喜びを約束してくれる本がぎっしり詰まった書架のあいだを歩くとき、豊かな教養を秘めた書庫に対して感じる誇らしさは、何よりも胸を打つ瞬間であり、最高に幸福な所有の喜びを示している。人生には悲惨なことや悲哀があふれているが、この狂気の裏にはなんらかの筋道があるはずだという確信、嫉妬深い神々の意のままにはなるまいとする意志のなかに、私たちを慰め、救いとなってくれる力強い信念が込められているのだ。」
 この世界と同じく、図書館は混沌から生まれた。その混沌を愛する多くの人々に創造され秩序を与えられ維持されてきた。世界を知る幸せのために。
(掲載:『望星』2009年1月号、東海教育研究所より加筆修正)

2008/10/31

『阿部謹也 最初の授業・最後の授業 附・追悼の記録』阿部謹也追悼集刊行の会編

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阿部謹也最初の授業・最後の授業―附・追悼の記録

阿部謹也追悼集刊行の会編
日本エディタースクール出版部
2,520円

 歴史家、阿部謹也氏は日本の歴史学界の大きな星だった。ドイツ中世史を中心に幅広く歴史を見つめてきた。1935年生まれ。一橋大学で長く教鞭をとった。著書『ハーメルンの笛吹き男』で、謎の笛吹き男が街中の子どもを連れ去ったという有名な伝説を史料文献や学者たちの論説から綿密に考察し、当時の歴史背景から1つの説を得た。そのほか『中世の窓から』『社会史とは何か』で中世ヨーロッパの社会を民衆の立場から掘り下げ、また広く見渡し、日本の歴史学において中世ヨーロッパ社会史を育てた。
 また歴史家の視点で日本を昔から現在まで見て著書『世間とは何か』で独自の世間論を打ち上げた。日本では、西洋で定義できない「世間」というものが「社会」と似て異なる形で支配している。その変遷と人との関わりから日本における「個人」の在り方を掘り出した。
 2006年病没。この本は阿部氏のご家族と教え子が作った追悼の本だ。氏の最初の授業と最後の授業を講義ノートから採録し、そして各界から寄せられた追悼の言葉などを収めている。
 最初の授業は1965年、小樽商科大学で行った「歴史学」の授業。日本におけるヨーロッパの学問の受容から始まり、ヨーロッパ人歴史家の自分たちの歴史についての思想を概観しヨーロッパにとって中世とは何かを考えることで歴史学へ導くもの。大学生には難しかっただろう。最後の授業は2006年、東京藝術大学で行った「自画像の社会史」の授業。西洋と日本の画家が描いた自画像を見ながら、社会のなかの個人の表現を語った。
 阿部氏の歴史を見つめるレンズは、個人の小さな出来事から社会の大きな流れまで幅広い。そのレンズから語られる世界は遠い過去のものでも私たちの共感を呼ぶ。広い世界を見せてくれる人を失ってしまった。
(掲載:『望星』2008年12月号、東海教育研究所)

2008/10/01

『〈不在者〉たちのイスラエル 占領文化とパレスチナ』田浪亜央江著

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〈不在者〉たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ
田浪亜央江著
インパクト出版会
2,520円

   

 1948年5月、イスラエルは独立を宣言した。ユダヤ人にとって喜びのその日は、パレスチナに住んでいたアラブ人にとってナクバ(大災厄)の日となった。ユダヤ人の軍によって、たくさんのアラブ人が虐殺され土地を追われた。軍はアラブ人の町や村を破壊し、イスラエル政府はアラブ人を「不在者」居ない者として土地や財産を没収、ユダヤ人に与えた。そこにはユダヤ人が住むことになった。
 著者、田浪亜央江は中東地域の若い研究者。シリア留学のあとイスラエルに留学した。そこでユダヤ人とアラブ人の不可思議な「共存」を目の当たりにした。
 多くのユダヤ人は、明るくきさくだ。ポップでキッチュなユダヤ人文化。独立記念日にはあちこちに国旗を飾り付け、フォークダンスを愛する人々。だがアラブ人への侮蔑の言葉が出ることが多い。アラブ人を抑圧しているという自覚がないのだ。大学にはイスラム教徒のための礼拝所がない。またラマダン(断食月)の間は昼間飲食ができないイスラム教徒への配慮がなく、レストランで飲食するユダヤ人の給仕をラマダン中のアラブ人がする、ということがままある。
 ユダヤ復興と社会主義の象徴だったキブツ(集産主義的共同農場)は実はアラブ人を追い出したあとの土地に作られたところが多い。追い出されたアラブ人はかつて住んでいた土地の近くに村をつくって暮らしているが、電気も水道も不便で学校も整備されてない。アラブ人も若い世代にはユダヤ人の自由な気風に染まる人もいる。著者はルームメイトのアラブ人女性の自堕落さを嘆く。一方でイスラム原理主義への傾倒も増えている。
 著者は若い女性らしい目で、不平等な「共存」を凝視する。著者が親しみを覚えるのは、やはりアラブ人だ。自分の国に居ながら不在者扱いされるアラブ人。その悲喜に寄りそう。
(掲載:『望星』2008年11月号、東海教育研究所) 
 

2008/09/01

『大西成明写真集 ロマンティック・リハビリテーション』大西成明著

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大西成明写真集 ロマンティック・リハビリテーション
大西成明著
協同医書出版社・編集協力
ランダムハウス講談社・発行、2,940円

 
 リハビリテーションとは「本来あるべき状態への回復、再生」などの意味がある。病気で失われた感覚や身体を取り戻す。または残った力で障害とともに生活するために適応していく。それは本人の心をも変えるのだ。
 この本の著者で写真家、大西成明は20人のリハビリテーションに関わる人々を訪ね、それぞれの再生を撮し彼らの言葉をつづる。
 ピアニスト、舘野泉は脳溢血で右半身の感覚を失った。だが音楽から離れることができなかった。そこで左手だけで弾けるようにアレンジした曲で演奏を続けている。「音楽に必要なものは何一つなくなっていなかったんだね」。
 整形外科医、ノンフィクション作家の山田規畝子は高次脳機能障害。思考力は落ちていないが行動に障害があらわれる。脳が壊れて世界が変わったという。壊れた脳と共に生きつつ、高次脳機能障害への理解を呼びかけている。「私のように二つの世界に足を突っ込んでいる人間が結構お役に立てるんです」。
 免疫学者、多田富雄は脳梗塞で右半身が麻痺。話すことも食べ物を飲み下すこともままならなくなった。国のリハビリテーション医療費の削減に怒りを燃やす。障害をもったとき、自分自身のものだけとは思えない多くの無名の怒りが宿った、と感じた。左手でパソコンを打つ。「巨悪に向かって足を失った者は手で這って進み、手をもがれた者は大地を噛んで進む。歯を抜かれた者は眼光で見透かす。五体の半分の力を失った私のリハビリ闘争にはまだ左手の指と言葉という武器がある。私を滅ぼすことはできない」。
 他にアルコール中毒、薬物中毒の人々、義肢装具士、岩盤浴で体を癒すガン患者など、さまざまな人が自分を語る。
 世界とつながるための体。体と脳をつなぐ五感。人によって感じる世界は違う。そのつながりの変化から人は別な世界を発見する。リハビリテーションとは世界で生きるための再生。
(掲載:『望星』2008年10月号、東海教育研究所)

2008/08/17

『死に魅入られた人びと ソ連崩壊と自殺者の記録』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、松本妙子訳

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死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著
松本妙子訳
群像社、2,100円


 1991年、ソ連が崩壊した。共産党一党独裁下の社会主義体制と15の共和国からなる連邦体制は崩れ去った。国民は資本主義という未知の体制下で生きることとなった。
 そして、WHOの調査によると、そのころからロシアの自殺率は急激に上昇しはじめ、1994年ごろにピークとなる。2004年のロシアの自殺率は世界で第2位。人口10万人あたり38.7人の自殺者がいたことになる。そのなかには、国の体制の大きな変化が精神的な負担になっていたケースが少なくない。何せ、今まで社会主義でレーニン、スターリン崇拝、国家によって個人の人生が定められていたのが消えてしまい、金がものをいう社会にほうりだされたのだから。
 著者、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、ソ連時代についてのドキュメンタリーを発表し続けるジャーナリスト。この本は14歳の少年から87歳の老人まで、17人の自殺者もしくは自殺志願者自身、親や友人へのインタビューが収録されている。すでに著者のシナリオによって映画化された。
 人生の全てを共産党に捧げてきた老党員。共産主義が描く皆が豊かで幸せな未来を創るため、ひたすらに戦場で戦い職場で働いてきた、その未来は祖国の崩壊とともになくなってしまった、自分には何も残されていない…。彼は自殺した。そのほか、息子に祖国と戦争のことばかり教えていた母親。息子は自殺した。今は老人となった元兵士は言う。
 「私は共産主義者として死にたい、ソヴィエト人として死にたい。(泣く)われわれの世代が去るのを待ってください、かつて社会主義のもとで、戦争中に生きていた世代が去るのを……。」
 国家と主義に翻弄され、死に魅入られた人びと。小さな叫び。
(掲載:『望星』2006年3月号、東海教育研究所)

2008/07/31

『鉄腕ゲッツ行状記 ある盗賊騎士の回想録』ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン著、藤川芳朗訳

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鉄腕ゲッツ行状記―ある盗賊騎士の回想録
ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン著
藤川芳朗訳
白水社、2,625円

 
 「騎士」といえば弱きを助け悪をくじく、というイメージが離れない。だが中世も終わる頃、騎士道華やかなりし時代は遠くなった。ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは16世紀前半ドイツ、当時の神聖ローマ帝国に活躍した帝国直属騎士で、地方の小貴族。当時ドイツは大貴族が支配地を広げ大都市が富を蓄えていた。かたや騎士の権威は下がりつつあった。騎士でなくても使える鉄砲や大砲や弩が開発され、また傭兵が使われるようになり、戦争での騎士の価値は低くなった。
 豊かでない騎士は盗賊まがいのことを稼業にする者もいた。ゲッツもその一人。「フェーデ」と称して旅の貴族や商人などを襲い、金品を奪い人質をとる。さらに身代金を要求する。フェーデとは本来ゲルマン民族の法の、自分で自分を守る権利に基づいていて、自分や自分の親族が他者から損害を被ったら戦うことができるというものだったが、ゲッツたちはこれを都合良く解釈していたようだ。
 「鉄腕ゲッツ」と彼は呼ばれていた。戦場で失った右手に精巧な義手をはめ、フェーデで名をあげていった。この本は晩年のゲッツが語った回想録。これをもとに、18世紀ゲーテが戯曲「鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」を書き、古き良き素朴な騎士ゲッツを讃えたが、本当の彼はどんな人だったのか。
 若い頃からゲッツはフェーデに励んだ。襲撃、強奪そして身代金をせしめる。そのあげく大貴族、大都市、果ては大司教をも敵に回した。そして宗教改革の波が来て、農民たちが領主や教会に反旗を翻したドイツ農民戦争では、なぜか頭目に担ぎ出されてしまう。
 剛胆にして狡猾、一本気にして老獪。自分では神の御心のままに戦った、と言っているが、見事な悪漢ぶり。中世と近代の間の動乱の時代をしたたかに生きた魅力あふれる男の物語だ。
(掲載:『望星』2008年9月号、東海教育研究所より加筆)

2008/07/20

『東アジアに新しい「本の道」をつくる』『本とコンピュータ』編集室編

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東アジアに新しい「本の道」をつくる―東アジア共同出版(日本語版)
『本とコンピュータ』編集室編
トランスアート
2,000円

 日本、朝鮮半島、中国、台湾はかつて漢字を母字としており、やわらかな紙に木版印刷した本が行き来していた。これをブックロード、本の道という。たくさんの経典や物語がこの道によって運ばれ、国境を越えて共有されてきた。
 2002年、本の道を現代によみがえらせ、東アジアで本を交流させよう、という試みが始まった。そうして2004年にできたのがこの本だ。日本、韓国、中国、台湾の共同出版。日本は津野海太郎(当時『本とコンピュータ』編集長、現、和光大学教授)と加藤敬事(元みすず書房社長)、韓国は韓淇皓(韓国出版マーケティング研究所)、中国は劉蘇里(万聖書園)、台湾は郝明義(大塊文化出版)ほか各国の出版界で活躍する人々が参加して、この本をつくりあげた。韓国、中国、台湾でも各国語で出版される。
 季刊誌『本とコンピュータ』はデジタル化が進む世界で、本と本づくりはどんな道をたどるのか、未来を探るプロジェクトとして、1997年から2005年まで刊行された。
 日本ではいわゆる「かたい本」をはじめ本が売れなくなっている。その犯人を、取り次ぎ業者、新古書店、図書館などとしている向きもある。人々の本や書店に求めるものが変わってきているのだ。出版界と書店は変質を迫られている。
 韓国では、3、40代の386世代、日本でいうところによる全共闘世代にも似た1980年代の学生運動を担っていた世代が、政府に制限されない自由な出版を引っ張っている。
 中国では、これまで国営の出版業者や書店が中心だったが、民間の業者の進出も盛んになり、出版の自由度も上がる一方、経済自由化によって市場経済の困難に直面している。
 台湾では、中国大陸との出版の交流がおこなわれ、大陸の純文学を発行する一方、流行小説を大陸に提供している。
 四カ国の出版事情はそれぞれ違う。が「和して同ぜず」の心をもって、互いの交流を深め、東アジアの本の文化を高めよう、という意気込みが、この本にはあふれている。
(掲載:『望星』2004年8月号、東海教育研究所)

2008/07/07

『快楽の本棚 言葉から自由になるための読書案内』津島佑子著

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快楽の本棚―言葉から自由になるための読書案内 (中公新書)
津島佑子著
中央公論新社
798円

 
 有名な小説家だったという父親をおぼえていない子ども。教育ママだった母親は、子どもを父親のいた文学の世界に近づけまいとした。しかし子どもは、そんな危険でいかがわしい文学の世界をこわいもの見たさでのぞき込んだ。子どもはやがて本を読む少女となり、そして小説家となった。この本は太宰治の娘、小説家津島佑子の読書の軌跡である。読んだ本はその人の人生を物語る。
 少女と呼ばれる年齢になると、女にならなければいけない、ということに違和感を感じ、少女小説に出てくる可愛らしく家庭におさまっている少女像に共感できない。その反発から大人の小説の世界に入っていく。
 性への興味に動かされて、モーパッサンの『ベラミ』、井原西鶴の『好色一代男』、発禁処分にされたD・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』、さらに同性愛者とされるサッポーやオスカー・ワイルドの著作から、社会のタブーと文学という視野が拓く。
 社会の隠された部分を日の目に出す文学。これが規制されるのでは「言論の自由」が保障されているとは言えない。戦前のプロレタリア文学や、社会の規範を打ち砕こうとした近代の女性作家たちの活躍も文学の自由を目指したものだったのだろう。さらに眼はトニ・モリスンら黒人の女性作家や旧植民地出身の作家へ、そして世界の口承文芸へと広がる。
 「私」が何かを見て感じるとき、性別はほとんど存在しない、しかしそれを言葉にしようとすると「私」の「性別」が大きく影響する、この言葉の束縛から自由になるために「文学」という言葉と戦う場がある、と著者は言う。人間と言葉のつながりから生まれた、現実にそったもうひとつの世界「文学」に耽溺し言葉と格闘する快楽。本を読む喜びを思い起こさせてくれる。
(掲載:『望星』2003年5月号、東海教育研究所)

2008/06/26

『中世ヨーロッパの書物 修道院出版の九○○年』箕輪成男著

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中世ヨーロッパの書物―修道院出版の九〇〇年
箕輪成男著
出版ニュース社
3,150円


 世界的ベストセラーになったウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』は中世北イタリアの修道院が舞台。そこはキリスト教世界最大の蔵書を持ち、また修道士が写本を筆写、製作する写本製作所でもあった。
 西欧では本とキリスト教は切り離して語ることができない。キリストの語った言葉は弟子へと伝えられ、弟子がそれを書き残し、あるいは弟子の弟子が書き記した。それらは書き写され写本となった。美しい彩飾をほどこされて教会に収められたり、または異教徒への布教のために遠く旅に出たりした。
 著者は出版学の研究者。この本で、出版の発展に大きく関わった修道院での出版活動へと読者を導く。
 西欧でのキリスト教の発展とともに本も広まっていった。6世紀、修道院成立初期から写本製作は始まった。紙ではなく、羊や山羊から作る皮紙の本である。聖ヒエロニムスの教え「いついかなる時も目と手を書物から離すな」に忠実に修道士たちは読み、そして書いた。
 9世紀、フランク王国のカール大帝のもと学芸の保護が行われた。これが、カロリング・ルネッサンスと呼ばれる文化の一大隆盛をもたらした。修道院も大規模になり、スイスのザンクト・ガレン修道院など大修道院は西欧の学術センターとなった。多くの修道士がやってきて蔵書を筆写しては自分の修道院に持ち帰った。またキリスト教の本も、聖書はもちろん祈祷書、典礼書、賛美歌集と増えた。写本は売買のできるものとなり、修道院は出版元として活動した。
 12世紀になると学術の中心は大学へと移った。写本の工房が都市にいくつも作られ、出版活動もまた大学に移った。
 著者は出版人の立場から中世の出版事情を語っている。印刷技術が発達する前の写本文化も、出版の歴史にとって実り多いものだったのだ。
(掲載:『望星』2007年2月号、東海教育研究所)

2008/06/18

『ぼくが見てきた戦争と平和』長倉洋海著

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ぼくが見てきた戦争と平和
長倉洋海著
バジリコ
1,890円

 

 
 
 フォト・ジャーナリスト長倉洋海氏の写真で心惹かれるのは、人々の笑顔だ。屈強なイスラム戦士が、苦境にある人々が、笑顔をはじけさせている。この写真を撮っている人も笑顔をうかべているんだろうな、と思わせる。
 長倉氏は26年間世界の紛争地を巡り、さまざまな人に出会い、写真を撮ってきた。この本で長倉氏は若い人に自身のたどった道を見せつつ、語りかける。
 大学時代、長倉氏は探検部に入り仲間と共に無謀な冒険に挑戦していた。卒業後、通信社に写真部員として職を得たものの、世界の戦争の最前線を撮りたいという思いを捨てきれず、1980年退職。紛争地を巡るなか、長倉氏は戦争のなかで懸命に生きている人に強く引きつけられるようになった。中米エル・サルバドルでの取材が転機だった。
 そして1983年、アフガニスタンで、当時ソ連と戦っており「獅子」と呼ばれていた武装勢力の指導者マスードに、共に生活しながらの長期取材を申し込む。遠い国からたった一人でやってきた長倉氏を、同じ年齢のマスードは受け入れた。こうして長倉氏は、マスードとイスラム戦士たちとの友情を育むようになる。
 マスードは2001年、内戦の終わらないアフガニスタンで暗殺された。だが、思慮深く自分の運命を神に委ねていたマスードへの、長倉氏の敬愛は今も変わらない。マスードのほか、エルサルバドルで、アマゾンで、コソボで生きる人々は長倉氏に人生を教えてくれた。写真には、出会った人、そして自分自身が写っている、その一コマ一コマがぼくの人生を作り上げ、同時に世界を作り上げた一瞬なのです、と長倉氏は言う。
 最近、海外の危険地帯で誘拐されたり殺されたりする日本人の若者がいる。それを「無謀」「自己責任」と冷ややかに突き放す日本の政治家。長倉氏は、若者たちに自分の若い頃を重ねて言う。政治家なら「若者が悲惨な事件に巻き込まれないように世界を平和なものに変えていきたい」というべきだ、と。
 長倉氏の我が道を行く地を這うような人生は、昨今流行っている生き方上手で小器用な人生とは大違いだ。熱い男の生き様である。
(掲載:『望星』2007年8月号、東海教育研究所に加筆)

2008/06/11

『百年の愚行』小崎哲哉ほか編

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百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY [普及版]
小崎哲哉ほか編
紀伊国屋書店
2,520円

 
 1枚の写真。海辺で抱き合う恋人たち。その足下はごみだらけ。だが、彼らはそれに気づかない。今の地球と人類を象徴するような光景だ。
 この本は、そんな人類の愚行の光景を集めた写真集だ。環境破壊、戦争、飢餓、病気、人種差別、過剰生産など20世紀に溢れ出た悲劇の写真が百枚ある。企画、発行はNPO、Think the Earthプロジェクト。「エコロジーとエコノミーの共存」を目指して、環境問題や人道援助に取り組んでいる。21世紀になった今、人類がどんな地点まで来てしまったのか、どんな場所に立っているのか、振り返ってみるために、この本を作った。クロード・レヴィ=ストロース、アッバス・キアロスタミ、池澤夏樹らが前世紀を振り返り、新しい世紀を見据えたエッセイを寄せている。
 決して見ていて楽しい本ではない。丸坊主にされた森、密猟されたたくさんの象牙、工場の廃液が流される水俣の海。大量の放射性廃棄物。人間が自然に対してふるった暴力が目の前に突き出される。さらに人間が人間に行った暴力も見せつけられる。原爆のきのこ雲、アウシュヴィッツのガス室。エイズの少年の潤んだ目、棄てられたルワンダ難民の幼児。20世紀の人類の愚かな行為の数々がそこにある。
 レヴィ=ストロースが述べているが、20世紀初めには世界の人口は15億ほどだったが、現在は約60億。この爆発的な増大とともに、人間による生産も破壊もあまりに過剰になってしまった。そして、新世紀となった今も、その状況は少しも明るい方向に向かっていない。
 この本の送るメッセージは、あまりに暗く重い。不気味な警鐘を鳴らしている。
(掲載:『望星』2002年8月号、東海教育研究所)


2008/06/01

『酒づくりの民族誌 増補―世界の秘酒・珍酒』山本紀夫編著

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酒づくりの民族誌 増補―世界の秘酒・珍酒
山本紀夫編著
八坂書房
2,520円

 
 
 
 酒はおいしい。酒は楽しい。味わうは快感。酩酊は極楽。
 この本はワインやウイスキーなどの高級酒ではなく、世界の民族の地酒、主に家でつくる酒、その数30以上を取り上げる。そのつくり方、楽しみ方を人類学者、農学者たちが取材した。とは言っても論文ではなく肩のこらない読み物だ。1995年に発刊された『酒づくりの民族誌』の増補改訂版。前書が品切れとなり古本市場から高値でしか手に入れられない状況を見かねての発刊だそうだ。
 世界の多くの民族が土地にふつうにある作物で酒をつくっている。果実、蜂蜜、芋、穀類などさまざま。酒は糖分があれば、何ででもつくることができるのだ。酒づくりの原型と言われるのは口嚙みの酒だ。原料を嚙んで唾液に含まれる酵素でデンプンを分解し糖分に変えてからアルコール発酵を待つ。口嚙み酒は中南米のほか奄美、沖縄、台湾、北海道、中国各地で盛んにつくられていた。日本本土にもあった可能性がある。西表島では大正末期までうるち米を使った口嚙み酒が祭に出されていた。
 中南米のエクアドル・アマゾンでは口嚙み酒がまだ残っている。カネロス・キチュアの人々の酒づくりはキャッサバという芋が原料。皮をむいて茹でたキャッサバを潰しながら、その一部を口に入れもぐもぐぺっとやる。こうしてできたものを3、4日寝かせ水を加えてできあがり。これがチチャという酒。水をそのまま飲む習慣のないカネロス・キチュアの人々にとってチチャは水代わり。大人も子どもも飲む。おもてなしの飲み物でもあり、宴会を楽しくまわす。
 また芋焼酎は日本の代表的な庶民の酒。だが、サツマイモは南米が原産地だ。江戸時代、琉球から日本に伝わり各地に広まった。すてきな出会いだ。八丈島の芋焼酎にはこんな逸話がある。薩摩の商人丹宗庄右衛門は禁制を犯し八丈島に島流しになった。当時の八丈島では禁酒令が布かれていた。食糧事情の悪いこの島で、酒のために大量の穀類を潰すことはできなかったのだ。しかし、島民の祝い事には酒が欠かせない。そこで庄右衛門は島民に呼びかけてサツマイモを供出させ、本場薩摩の焼酎をつくった。サツマイモは穀類から除外されていたので禁酒令には触れないし、量産できる。島民はこぞってこの製法を教えてもらい、芋焼酎は島中に広まった。そして島には明るさが戻ってきたという。庄右衛門の功績を讃えて八丈島役場の裏には「島酒之碑」が立っている。
 そのほかリュウゼツランの花の蜜からつくられるメキシコの地酒プルケ、穀物や果実などからつくりスープのもとにもなる東スラブの軽い酒クワス、アフリカからインド、東南アジア、太平洋と広くつくられているヤシ酒など、土地土地の酒についていろいろ語られている。数々あるがどれも人の和を醸すのが酒の技。
(掲載:『望星』2008年7月号、東海教育研究所に加筆)

2008/05/21

『女子の古本屋』岡崎武志著

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女子の古本屋
岡崎武志著
筑摩書房
1,470円

 
 女性店主の古本屋さんがある。古本屋はこれまで「女には向かない職業」とされてきたので、ワクワクである。この本は13店の古本屋とそこの女性店主を紹介している。
 20から50代の方たちだが、皆さんそれぞれ何度も転職し、何度も転んで苦い水を飲み、そして何かに引かれるように古本屋を開業し、営業が軌道に乗るようになった。ただの文学少女のなれのはてではないのだ。
 例えば、仙台にある古書カフェ「火星の庭」の店主、前野久美子さんはすごい。18歳で調理師学校へ進学し調理師免許を取る。そして太宰治の生家、斜陽館へ「働かせてください」と飛び込む。しかし月給75,000円。そこで1年働くが、ある日、雑誌で六本木で京料理の店がオープンする記事を見つけ、雇ってほしいと訪ねていく。そしてその店を切り盛りすることになる。そこで1年。その後、今度はドイツの料理店で2年働き、故郷に帰る。しかし、すでに父親とは絶縁状態。仙台でホステスになるが体を壊し入院。退院後、出版社で働く。こんな猛スピードで20代が過ぎた。そしてパートナーと出会い、二人でヨーロッパを半年かけて巡る。ここでたくさんのブックカフェに出会う。書店勤めを経て1999年に仙台で古書カフェ「火星の庭」をオープンした。「やりたい」ではなくすぐ「やる」、迷いのない人生。「火星の庭」は半分が古本屋、半分がカフェ。古書もメニューも充実している。
 一方、西荻窪の古本屋「興居島屋(ごごしまや)」の店主、尾崎澄子さんは古本店主とシルクスクリーン制作の二足のわらじを履いている。デザイナーを志し広告会社に入ったものの劣悪な仕事環境から1年で辞めた。25歳を目前に上京。多くのアーティストを輩出している「美學校」に通いシルクスクリーンを学ぶ。しかし結婚、夫に引きずられるような形でいっしょに古本屋を開業する。やがて夫と離婚。経営上のパートナーというかたちで今もつきあっている。シルクスクリーン制作は夫の姓の石丸澄子の名前を使う。そして昼12時から夜11時までは「興居島屋(ごごしまや)」を開き、閉店後、シルクスクリーンの図案を練る。
 13人の女性店主を見るに老舗古書店で長年修行のうえ独立、という人はほとんどいない。異業種の経験があるからこそ、新しい店をつくることができるのかもしれない。たくさんの女性が、自分だけの小さな店を持ちたい、という夢を見ている。そのなかで13人の女性たちは「自分は古本屋という道で生きるんだ」という決意で古書業界に飛び込んだ。著者岡崎武志はこんな言葉を引いている。「『価値のあるもの』を買うのではなく、『自分で価値を作れる』人間は強い」。
 いろいろな店主が増えて、古本屋がもっと多様な、もっとなじみになれるところになればいい。

2008/05/14

『無国籍』陳 天璽著

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無国籍
陳 天璽著
新潮社
1,470円

 
 著者、陳天璽はある日、在日台湾華僑の両親といっしょに台湾を訪れた。しかし日本で生まれ育った彼女だけ、ビザが無い、と入国を拒否された。しかたなく日本へ戻ると、再入国許可の期限切れ、とまた入国を拒否された。だが、幸いなんとか入国できた。あやうく映画『ターミナル』のように空港から出られなくなってしまうところだった。なぜか。それは彼女が両親と違い、台湾の戸籍に入っていない「無国籍」だったからだ。
 著者は華僑などのマイノリティーの問題の研究者。この本で自らの経験をもとに無国籍者問題を取り上げている。
 両親は、中国大陸から第2次世界大戦後の内戦を逃れて台湾に来た。やがて、日本に移住。苦労して横浜中華街に店を持った。日本で生まれた末っ子が著者。キリスト教の洗礼名からララと呼ばれた。
 しかし1972年、日本は中華民国ようするに台湾と断交した。華僑が選択できる国籍は「日本」と「中国」しかない。「中国」には中華人民共和国も台湾も含まれる。両親には日本にも共産党の中国にも抵抗があった。一方、日本と台湾には国交がない。両親が日本生まれの娘に選択したのは「無国籍」。
 彼女は幼いころから、自分の国は、居場所はどこだろうと悩んできた。やがて研究者の道を進み華僑について研究するようになる。だが華僑とくくっても、住む国やルーツによってそれぞれ違う。研究は日本と世界の無国籍者に向かった。アメリカ軍基地の落とし子たち。日本人の父親から捨てられたフィリピン人女性の子ども。複数の国を背負った彼らを取材していくうちに、彼女は悟る。人間は、国籍だけでなく、生まれた土地や、話す言葉など、いろいろなもので繋がっている、と。
 この本は、マイノリティーの女性が自分のアイデンティティーを探す物語でもある。結局、彼女は無国籍の不便さから日本国籍を取った。でも「私は横浜中華街のララ」。それが彼女が見つけた自分だ。
(掲載:『望星』2005年4月号、東海教育研究所)

2008/04/30

『Googleとの闘い 文化の多様性を守るために』ジャン-ノエル・ジャンヌネー著、佐々木勉訳

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Googleとの闘い―文化の多様性を守るために
ジャン-ノエル・ジャンヌネー著
佐々木勉訳
岩波書店、1,680円


 フランスの歴史学者にして、前フランス国立図書館長の著者ジャン-ノエル・ジャンヌネーは警告する。2004年、アメリカの世界最大のインターネット企業グーグルは世界の本を電子化し、ネット上に流通させることを計画したのだ。「グーグル・ブック・サーチ」。いくつかの出版社と大学図書館が参加し、本と画像のデータを提供した。ネットで本を読むことができるほか、著作権の関係で読めない場合は購入先や所蔵している図書館を案内するようになっている。
 「ググる」という言葉が普通に使われているように検索エンジン、グーグルはネット検索にはもはや欠かすことができない。しかしグーグルも万能ではない。検索結果はコンピュータの自動制御で、すでに評価を得ているサイトから順番に並んで表示する、とされている。だがその順番に何の作為もないとは解らない。ネット情報は当然英語のものが多い。フランスの文豪ユゴーの作品を検索してもフランス語のものが一番に出てくるわけではない。何よりグーグル社は広告収入で動いている企業なのだ。検索結果の右側には商業広告がいくつも並ぶ。
 著者ジャンヌネーはグーグル社の戦略をネットのグローバル化だと強く批判している。アメリカからの情報、英語のデータがヨーロッパのそれを押しのけてしまうだろうと注意を喚起する。そしてこれからはヨーロッパ各国が手を結んでヨーロッパ独自の検索エンジンを作り、自分たちの文化遺産を守ろうと訴える。このために現在フランスでは「クエロ計画」が進んでいる。フランス国立図書館には電子図書館ガリカがある。しかし、同時に紙による蔵書の保存にも力を入れてきた。この二重保存の長所をヨーロッパで生かせばネットでの動向に左右されることなく、本を保存できるだろう。
 ネットも本もグローバリゼーションとは無縁ではないのだ。本という文化遺産をいかにネット上で普通の人に利用してもらい、後世に残すか。ネットは意外に狭いのかもしれない。
(掲載:『望星』2008年6月号、東海教育研究所)

2008/04/22

『ミノタウロス』佐藤亜紀著

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ミノタウロス
佐藤亜紀著
講談社
1,785円
 
 この本は昨年出版されたもの。私は佐藤亜紀氏のデビュー作『バルタザールの遍歴』のころからのファンだ。出版されるとさっそく買って読み始めた。だが、あまりの、殺す、犯す、殺す、犯す、の連続にぐったりして途中で投げ出し、1年ほどそのままにしてしまった。
 その後、がんばって読み直した。そうしたら、暴力と殺人の連続の果てに、なんというか何かの極北?のようなものが見えた。
 舞台はロシア革命のときのウクライナ。主人公ヴァシリは片田舎ミハイロフカの地主の次男坊。父は一代で財を成した。母は気取った都会女ですぐ首都キエフに帰ってしまった。兄は母の溺愛を受けて育ち軍人になったが砲弾で顔半分を吹き飛ばされて前線から帰ってきた。革命の波を受けて、地方政府は崩壊。オーストリアの侵攻。赤軍と白軍の戦い。これまでの秩序は形を無くした。その泥沼のような世の中を、農民あがりのごろつきたちが徒党を組んで武装し、戦闘、略奪、強姦と荒らし回った。鼻っ柱は強いが出来の悪いヴァシリは、父と兄の死後、土地と家屋敷を失い、元オーストリア兵で教養人のウルリヒ、臆病者だか抜け目のないフェディコとともにそのなかに突入し、蛮行の限りをつくす。

 「ぼくは美しいものを目にしていたのだ─人間と人間がお互いを獣のように追い回し躊躇いもなく撃ち殺し、蹴り付けても動かない死体に変えるのは、川から霧が漂い上がるキエフの夕暮れと同じくらい、日が昇っても虫の声が聞こえるだけで全てが死に絶えたように静かなミハイロフカの夜明けと同じくらい美しい。…それ以上に美しいのは、単純な力が単純に行使されることであり、それが何の制約もなしに行われることだ。こんなに単純な、こんなに簡単な、こんなに自然なことが、何だって今まで起こらずに来たのだろう。誰だって銃さえあれば誰かの頭をぶち抜けるのに、徒党を組めば別の徒党をぶちのめし、血祭りに上げることが出来るのに、これほど自然で単純で簡単なことが、何故起こらずに来たのだろう。」

 人が互いに殺し合うのは獣になったからだろうか。いや人間だからこそ際限なく殺し合い、強姦する。ミノタウロスとは頭は牛、体は人間の怪物のこと。限りなく獣に近い人間たちが殺戮の荒野を走る。
 佐藤氏の小説の魅力は、その文章の強さだ。ちまたにあふれる、やさしさと癒しなんて糞食らえとばかりに大鉈をふるう。
 吉川英治文学新人賞受賞作。

2008/04/11

『戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在』藤原帰一著

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戦争を記憶する―広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)
藤原帰一著
講談社
714円


 さまざまな国やさまざまな人が合意する歴史認識をつくりあげるのは絶望的なほどに困難なことだ。第二次世界大戦については、それぞれが忘れてはいけない記憶として語り伝えてきたことに、埋めることのできない溝がある。例えば原爆投下は、日本では一般人を虐殺した絶対悪だが、アメリカにとっては、戦争を終結させ多くの自国民と日本人や中国ほかのアジア人の命を救った平和と勝利のシンボルである。
 国際政治学者の著者、藤原帰一は、戦争が記憶として人々の心に刻みつけられ、そしてその記憶が国家の根幹を成す主義や社会に浸透する思想となっていくことについて冷静な目で考察する。
 ホロコーストは、第二次世界大戦では原爆投下と並ぶ一般人への虐殺行為だが、日本で「ヒロシマ」が掲げる反戦のメッセージとは違ったメッセージをアメリカでは発している。人々を虐げる国家に対して戦う責任を問う、すなわち正義の戦争「正戦」のメッセージである。この反戦、正戦の思想は日本とアメリカの国家の根幹となる。しかし被爆都市ヒロシマと、唯一の被爆国として平和を祈念する日本というメッセージには、広島の悲劇を日本国民の経験として記憶を共有する、ということが前提となっていて、他の民族への視点が抜け落ちている。こうした自国中心の平和主義が国の柱となる一方、自国中心の栄光の物語を「正しい歴史」とする思想が育ってきており、多くの人に支持されている。著者はこれらの思想の成立過程を検証し、その弱点をつく。
 さまざまな国の人に受け入れられる歴史認識はつくることができないのか。それには、自国民の悲劇を思いやると同じように、かつての交戦国の人々を襲った悲劇を思いやる心が必要だ。
(掲載:『望星』東海教育研究所)

2008/04/04

『古本屋を怒らせる方法』林 哲夫著

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古本屋を怒らせる方法
林 哲夫著
白水社
2,100円

 趣味が「古本探し」「古本屋めぐり」というと本好き上級といったところだろう。だが、さらなるつわものの古本好きは古本屋をまわって本を探すだけではない。古本屋から蔵書目録を取り寄せ、各地の古本市で目をこらし、掘り出し物を探すのだ。
 著者、林哲夫は画家で本の装丁も手がける。一方、無類の古本好きで、古本関連の同人誌『SUMUS』を編集している。この本はそんな彼の古本の日々を集めたエッセイ。
 古本屋のヘンクツおやじにコケにされる叱られるは日常茶飯事。店の真ん中に置いてある本を触ろうとしたら「触ったらアカン! 売りもんとちゃう」シッシ、とやられたこともある。未整理の本に触るのは嫌われるのだ。また、買った本を返品するのも嫌われる。何度も同じ店の品を返品して、店から「二度と注文しないでください。あなたには売りません」と絶交状を送り付けられた人もいる。古本屋でのマナーは、まず傘、コートはたたんで入る、ショルダーバッグは肩から外す、風邪をひいているときには行かない、などなど。最も嫌われるのが次々に本を抜き出して値段だけを確認することだそうだ。
 さて、古本屋や古本市をめぐっていると、古本好きの友人も増える。なかには「ゴッドハンド」神の手を持つ人、すなわち掘り出し物の本をつかむ確立が高い人もいる。その秘訣は「よく歩くこと」。まめに古本屋や古本市を覗くために歩きまわることらしい。神の手ならぬ、神の足を持つ人か。
 つわもの古本好きは自分にとって貴重な本を見つけるために日夜目を光らせているのだ。数百円の本を見つけて喜び、数万の値のつく本をなんとか安く手に入れようと算段する。大人の愉しみだ。
(掲載:『望星』2008年5月号、東海教育研究所)

2008/03/27

『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』土方正志著

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ユージン・スミス―楽園へのあゆみ
土方正志著
偕成社
1,470円

 ユージン・スミスは太平洋戦争から日本の水俣公害までさまざまな渦中のなかの人々を写してきたフォト・ジャーナリスト。今も世界の多くの写真家の尊敬を集めている。この本は別冊東北学編集室代表、土方正志氏が1993年に佑学社から発刊したユージン・スミスの伝記を、今回加筆、訂正して新たに刊行したものだ。フォト・ジャーナリストの長倉洋海氏が解説を寄せている。
 ユージンが駆け出しのカメラマンの時、太平洋戦争が始まった。南太平洋へ戦争取材に飛び出したユージンが見たのは、むき出しの人間が殺し合う戦場だった。子どもなど弱い者が真っ先に犠牲になった。アメリカ軍の進行ともに沖縄に上陸したユージンは前線で日本軍の砲弾を浴びて重傷を負った。このときの後遺症が彼を一生苦しめることになる。
 もう写真の仕事はできないのか、と絶望していたユージンは、傷に耐えながらある1枚の写真を撮った。彼の子どもたちが木立の暗がりから日向へと歩きだそうするワンシーン。あたかも絶望の暗闇から希望の光への歩きだそうとしているかのようだ。この写真が彼の代表作の1つ「楽園へのあゆみ」だった。
 以後ユージンは戦場に行くことはできなくても、世界の片隅で働いている名もない人々を取り上げ発表し続けた。
 フォト・ジャーナリストとして名をなしたユージンは、日本で公害病に苦しんでいる漁村があると聞いた。水俣だった。さっそく赴き住み込んで、3年間もかけて精力的に取材し、被害者とその家族の生きる苦しみと喜びを写真に撮った。これが写真集「水俣」へと結実した。ここには障害を負った娘を抱きかかえて風呂に入れる母親や、そのほか水俣の人々の日常がとらえられている。
 ユージンは聖人ではなかった。頑固で周りの人を巻き込んでまで自分の写真への信念を貫き通した。だが弱い者へのまなざしは温かかった。彼は戦う人だった。
(掲載:『望星』2006年5月号、東海教育研究所)

2008/03/20

『アストリッド・リンドグレーン 愛蔵版アルバム』ヤコブ・フォシェッル監修、石井登志子訳

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アストリッド・リンドグレーン―愛蔵版アルバム
ヤコブ・フォシェッル監修
石井登志子訳
岩波書店、7,560円

 子どものころ、『長くつ下のピッピ』が大好きだった、という人は多いだろう。赤毛でそばかすだらけの世界一強い女の子。ほかスウェーデンの田舎の子どもたちの楽しい日々を描いた『やかまし村の子どもたち』。「ちいさいロッタちゃん」などなど、スウェーデンの作家アストリッド・リンドグレーンの書いた物語は、子どもには夢を見せ、大人には懐かしい思い出を与えた。この本は2002年に94歳で亡くなるまでのアストリッドの人生を、貴重な昔の写真でつづったもの。
 アストリッド・リンドグレーンは1907年、スウェーデン南部、スモーランドの町ヴィンメルビーの農場で生まれた。深く愛しあっていた両親のもと兄と2人の妹がいた。この本の冒頭にはアストリッドが書いた両親の物語『セーヴェーズトルプのサムエルーアウグストとフルトのハンナ』が収録してある。
 兄妹たちは野山を駆け回り、自然のなかでのびのびと遊んで育った。やかまし村の子どもたちのように。
 だがアストリッドは18歳のとき、望まない妊娠でシングルマザーになる。1人で首都ストックホルムへ行き、生まれた息子のために必死で働いた。やがて息子の父親とは別の男性と結婚。娘をもうけた。
 娘の風邪の看病の最中、『長くつ下のピッピ』のプロットが浮かんだ。36歳のとき書き上げて出版社に送ったが拒否された。別の出版社に小説『ブリット-マリはただいま幸せ』を懸賞に送ったところ2等賞になり、これがデビュー作となった。翌年同出版社の懸賞に『長くつ下のピッピ』を送ったところ1等賞となった。ここからアストリッド・リンドグレーンの作家としての快進撃が始まる。『ピッピ』3部作はベストセラーとなり、世界中の言葉で出版された。
 こうして国民的作家となったアストリッドだが、「わたしにとって、わたしはいつでもヴィンメルビーの農場の娘。少し年をとって、ちょっと分別がついただけよ。」彼女は大人になっても子どものように遊ぶのが大好きだった。ブランコを漕いだり木に登ったり、子どもたちや孫たちを喜ばせては自分も楽しんでいた。だが国民的作家としての影響力は大きかった。時の政権が課した高額の納税に抗議し、書いた風刺物語が新聞に載せた。これが賛同を呼び、半年後、与党は政権を降り、税率も下がった。
 アストリッド・リンドグレーンは社会と積極的に関わっていったが、夢見ることも忘れなかった。彼女にとっていつも心にあったのはふるさとの農場だった。

2008/03/14

『畏れ慄いて 』アメリー・ノートン著、藤田真利子訳

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『畏れ慄いて』
アメリー・ノートン著
藤田真利子訳
作品社、1,575円(品切れ)

 会社員なら誰でも最初は、会社の掟の不条理に、「どうして?」と思う。だがやがてそれにからめ取られ、そして、からめ取られていることすら忘れてしまう。
 その不条理を皮肉と上品な笑いでつづったのがこの本だ。著者アメリー・ノートンは日本で生まれ育ったベルギー人で、フランスでは人気の小説家だ。彼女は日本の商社でのOL体験をこの本で小説にした。フランスで50万部を超える超ベストセラーとなり、日本の「カイシャ」の生態が注目を集めている。
 この本の主人公アメリーくんは、生まれ育った日本でとある商社に入社した。語学力を買われて入社したはずなのに、仕事はお茶くみとコピーとりばかり。だがあるとき他の部の部長から重要な報告書の作成を頼まれ、喜び勇んで書き上げる。しかしこの「直接の上司の許可もなく、他の部の仕事を、新入社員の分をわきまえずに行なう」という「カイシャ」の掟に反する行動が上司の怒りを買う。それから彼女の受難の日々が始まった…。
 この本では「カイシャ」のタテ社会の構造の不条理がマンガ的に描かれている。立派な社長、醜悪な副社長、小心な部長、そして美しい大和撫子だが冷酷な女性上司。彼らの上意下達の絶対構造を、おちこぼれOLアメリーくんは鋭く見抜くのだ。著者はこう書いている。「この本は小説です。わたしの体験をありのままに書いたものだとは思わないでください。しかし、かつて日本の大商社に勤務した体験をもとにしており、カイシャの真実の姿を描いたつもりです。」
 もしアメリーくんがバリバリのキャリアOLで、声高に「日本は変だ!」と叫ぶ物語だったなら、こんなにおもしろいものにはならなかっただろう。まあアメリーくんは計算能力が欠如しているなど、あまりにも会社やビジネスに向いていない。おそらくベルギーやフランスの会社でもダメだっただろう。
 ちなみにこの本を元サラリーマンの父と元OLの女性数人に読んでもらった。父は、この本に書いてあったことは「あり得るよ」と言った。一方、女性たちは「あり得ない!」「おかしい!」とのことだった。どうして? 女性の方がアメリーくんに共感すると思ったのに。
 このアメリーくんのカイシャ感、どう思われますか?
(掲載:『望星』2000年、東海教育研究所に加筆)

2008/03/07

『死を生きながら イスラエル1993-2003』デイヴィッド・グロスマン著、二木麻里訳

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死を生きながら イスラエル1993-2003
デイヴィッド・グロスマン著
二木麻里訳
みすず書房、2,940円

 
 朝、父親が息子を起こすと、訊かれる。「今日のテロってもう、起きたの?」。若いカップルが将来について話し合う。「結婚して3人子どもをもつ。そうしたら1人死んでも2人残るから」。これがイスラエルのユダヤ人の日常だ。死とテロについて考えずにはいられない。
 著者デイヴィッド・グロスマンはイスラエルの首都エルサレムに住むユダヤ人作家。これまで『ヨルダン川西岸』『ユダヤ国家のパレスチナ人』などでユダヤ人から見たパレスチナ人を描き、和平と共存を訴えてきた。この本は、1993年から2003年までのイスラエルとパレスチナの戦闘と和平への取り組みと苦闘について、彼の目から見たエッセイを収録している。
 1993年のオスロ合意。平和への道ができたかに見えたが、不完全でパレスチナ側に不利なものだったため、挫折。自爆テロと爆撃の応酬が日常となる。そしてシャロンの首相就任。強硬派が台頭してくる。平和の道は未だ見えない。
 自分の民族が他の民族を迫害しているといううしろめたさ。それによって起こるテロへの恐怖。もし、故郷を追われたパレスチナ人に帰還権を認めたら、数十年で自分たちは少数民族となり、迫害されるのではないか、という不安。平和を願うユダヤ人にもこのような懊悩がある。だが、著者は言う。「合意をあきらめるという〈贅沢〉はわたしたちに許されていない。」ともに生き残るためには、話し合うしか道がない。そして、エルサレムとガザとラマラのすべての壁にこう落書きしたいと吐き出す。「気ちがいども、殺すのをやめて話をはじめろ!」
 その後、アラファトは死にシャロンは政界を退いたが、なおも状況は悪化するばかりだ。テロと砲撃の応酬は止まらない。
 平和とは戦いや祈りで得られるものではなく、自分たちと異なる者とのねばり強い対話と交渉によって得られるのだ。
(掲載:『望星』2004年9月号、東海教育研究所)
 

2008/02/29

『魂との出会い 写真家と社会学者の対話』大石芳野・鶴見和子著

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魂との出会い―写真家と社会学者の対話
大石芳野・鶴見和子著
藤原書店
3,150円

 鶴見和子氏、社会学者。西洋の「対立、伝統の破壊」の社会に対し、アジアの視点からの地域発展論「内発的発展論」で、「共生、伝統の継承」の社会を唱えた。柳田国男や南方熊楠の研究から水俣病と社会の関連についての研究まで幅広く活躍。1995年に脳出血で左半身麻痺となりながらも執筆を続けていた。
 大石芳野氏、写真家。ニューギニアで原始の人々の取材が始まり。そして沖縄、ベトナム、アフガニスタン、コソボなどで戦争の傷跡に苦しむ人々を取材。代表作『パプア人 いま石器時代に生きる』『ベトナム凜と』など。弱い者、老人や女性、子どもに目を向けてきた。
 2003年、大石氏は鶴見氏の住まいを訪れた。2人は旧知の仲で、大石氏は鶴見氏の情熱的な生き方を尊敬してきた。この本は、この時の2人の対談集。
 大石氏の写真は、人のまなざしをとらえたものが多い。写される人の心が目に現れる瞬間をつかむ。つまり出会いだ。これは、鶴見氏が唱えたもう1つの理論「萃点(すいてん)」に通ずるものがある。人と人との縁が交差する点のことだ。
 鶴見氏「社会をいい方向に変えていくためには、人間の自立ということが一番大事な原点です。大石芳野さんは写真を通して一人一人の魂が現れるような写真を、一人一人について撮っている。」これは「内発的発展論」に通ずるものがあるかもしれない。「だからあなたの写真は歴史なのよ。歴史の積み重ねの、それぞれの層なのよ。」大石氏の写真が鶴見氏の言葉によって新たに姿を現し、2人の言葉が魂を持って交流する。
 鶴見氏はその3年後、亡くなった。鶴見氏の短歌。
 「ベトナムの子らの瞳凜と撮したる大石芳野の瞳は凜凜と」。
 強い意志を持つ2つの魂の対話は、希有な時間だったのだ。
(掲載:『望星』2008年4月号、東海教育研究所)
 

2008/02/23

『琉球布紀行』澤地久枝著

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『琉球布紀行』
澤地久枝著
新潮社
2,310円(絶版)

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琉球布紀行 (新潮文庫)
澤地久枝著
740円

 
 沖縄島を中心として広がる鹿児島県下の島々から台湾近くの島々は、琉球弧と呼ばれる。本土とは違った文化を持つ。この島々にはまた独自の織り、染め、模様の布がいくつも昔から受けつがれている。
 昭和史を描いてきたノンフィクション作家、澤地久枝は2年あまり沖縄に住み、布の作り手たちを訪ね歩き、取材した。沖縄にやってきたのは、もともとは沖縄の戦後史を学ぼうと大学で聴講するのが目的だったという。しかしこれらの布に魅せられ、島から島へ旅することなった。この本は、月刊誌『シンラ』に1999年の1年間連載したものをもとに新たに書きおろしたもの。
 北は鹿児島県の奄美大島から南は台湾のとなりの与那国島までの、さまざまな伝統の布とその作り手がカラー写真入りで紹介される。華麗な絵柄の紅型、精緻な模様の紬や絣。芭蕉の繊維から織った布もある。これらの布は、本土からの布製品の流入や先の戦争による物資不足などにより消滅の危機にさらされてきた。なかには作る技術が長いこと失われていたものもあった。この危機を乗り越えて伝統を守り、また失われた技術をよみがえらせたのが紹介されている作り手たちだ。多くは女性。著者は布たちがくぐった戦火をたどり、作り手たちの上を通過した戦争にふれる。作り手たちは戦火で破壊された自分たちの生活を立て直すなか、布の伝統も立て直し、さらに自分の作品として発展させた。そして伝統を受けつぐ後継者を育てている。
 布を訪ねての著者の旅は、作り手たちの人生を訪ねる旅だった。作り手たちの強い人生。ものを作る人が一番強い。
(掲載:『望星』東海教育研究所)

2008/02/17

『緑の影、白い鯨』レイ・ブラッドベリ著、川本三郎訳

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緑の影、白い鯨
レイ・ブラッドベリ著
川本三郎訳
筑摩書房、3,675円

 

 
 1953年、33歳のレイ・ブラッドベリはアイルランドを訪れた。税関で訪問理由を問われると彼は言う。
 「狂気です。2種類あります。文学的狂気と心理学的狂気です。まず、私がここに来たのは白い鯨の皮をはいで脂をとるためです。」
 新進作家のブラッドベリは著書『火星年代記』を映画監督ジョン・ヒューストンに贈呈していた。ヒューストンは『マルタの鷹』『アフリカの女王』などを手がけ、すでに巨匠だった。ブラッドベリはヒューストンに見込まれて映画『白鯨』の脚本の依頼を受けた。そして彼の住まうアイルランドへ、その原稿を書きにアメリカからやってきたのだ。
 西のはての島アイルランド。鮮やかな緑を見せたかと思うと突然嵐がやってくる。憂鬱な空に憂鬱な人々。滞在した首都ダブリンでブラッドベリは、あるパブの常連になる。そこに集うのはシニカルで饒舌な呑んべえたち。ほかにもさまざまな人に出会う。世にも悲しげで悲惨な運命をたどる辻音楽師。天使のような赤ん坊を演じる40歳の物乞い。
 一方、ジョン・ヒューストン監督はかなりな難物だった。らんちき騒ぎ好きで女好き。派手なことが大好きで酒豪。乗馬と狩りが好きでブラッドベリにもむりやりやらせようとする。人生海千山千の彼にとって若いブラッドベリは、かっこうの遊びの種だった。ブラッドベリはヒューストンにからかわれ、だまされ、泣き出してしまうこともしばしば。彼にとってヒューストンはエイハブ船長と白鯨モビーディックを会わせたくらい怖ろしく、扱い難く、そして魅力的な男だった。
 そんななかでもブラッドベリは『白鯨』の原作者ハーマン・メルヴィルが降臨してきたように脚本に没頭した。
 ブラッドベリはパブの仲間に演説。
 「偉大なる神よ、あなたは間違っている。あなたはどこにおられるんです? どこでもない場所から北に9,000マイルのところにある小さなしみのような島のどこに!! ここにどんな富があるというんです? 何もない! 天然資源は? たったひとつ、あるだけ。私の会ったすべての人の、豊かな資源にあふれた才能、黄金の心! 目を通して外を見つめる心、針の穴ほどのささいな出来事にも反応して舌からころがり出る言葉!」
 それはブラッドベリの人生の一季節だった。緑の島とそこに住む人々、そして恐怖の白い鯨とそれに執念を燃やす荒々しい魂との格闘。確かにそのときブラッドベリは手を焼きながらも彼らの虜になったのだ。

2008/02/08

『アレクセイと泉』本橋成一撮影・著

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アレクセイと泉
本橋成一撮影・著
小学館、3,570円

 
 1986年にウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故では、隣国ベラルーシも放射性物質に汚染され、広い地域が住むには危険な地域になった。たくさんの子供たちが放射能に侵され、死んだ。その地域の人々は政府の勧告により移住し、多くの村々が廃村となった。
 だがいくつかの村では、老人たちが故郷を離れることを拒否して暮らしている。写真家本橋成一は、そうした人々を写真集『チェルノブイリの風』『無限抱擁』『ナージャの村』でとらえてきた。この本『アレクセイと泉』はそうした彼の仕事の一つ。同名の映画の制作と平行して、この写真集を作った。
 チェルノブイリの北東180キロにある小さな農村ブジシチェ村。かつて600人もの人々が住んでいたが、原発事故で危険地域に指定されたため、多くの住民、とりわけ若い世代が村を離れ、老人たちと一人の青年アレクセイだけが暮らしている。村の中心には「百年の泉」と呼ばれる泉が湧き出ており、その水からは、奇跡のように放射能が検出されない。村人たちは、全てを清める聖なる泉として毎日飲み、家畜にもあたえ、時には薬として使っている。アレクセイは唯一の若い者として、老いた父母や村の老人たちを助ける。水汲み、作物の収穫、薪取り、大工仕事。
 純朴なアレクセイを中心に、泉と大地の恵みを受けたのどかな農村の暮らしが、煙るように美しいモノクロームの写真で詩のようにつづられてる。が、写真を見ている側からは、汚染地域だという緊張が頭から離れない。
 『ナージャの村』で、ある老人が「どこへいけというのか。人間の汚した土地だろう。」と言った。アレクセイは「この村以外の、いったい何処へ?」。大地を汚すのも人間、その恵みを受けるのも人間。
 この本ができてから6年たった。アレクセイたちはどうしているだろう。
(掲載:『望星』2002年、東海教育研究所より改変)

2008/02/01

『書肆アクセスという本屋があった 神保町すずらん通り1976—2007』岡崎武志・柴田信・安部甲 編著

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書肆アクセスという本屋があった―神保町すずらん通り1976-2007
岡崎武志・柴田信・安部甲:編著
発行:「書肆アクセスの本」をつくる会、発売:右文書院、1,200円

 東京の神田神保町の靖国通りを脇道に入ると、すずらん通りという小ぶりな通りがある。個性的な本屋が建ち並ぶ。そこに書肆アクセスという本屋はあった。今はもうない。昨年11月に閉店した。たくさんの人に愛された本屋だった。
 現在、本や雑誌は一般の流通ルートでは、一部の大手出版社のものしか普通の書店に並ばない。しかし、そういうルートの乗ることができないが、本や雑誌で独自の情報を発信している地方出版社、小規模出版社は多い。そうした本や雑誌を流通させるために、地方・小出版流通センターが設立された。書肆アクセスは、その小売・展示センターとして1976年にオープンした。
 狭い店内には、東京で見ることのできない地方の歴史、自然などの本。詩、民俗学、考古学、旅などのマニアックな本。タウン誌や趣味のミニコミ誌。普通の書店にはない品揃えの不思議な空間は、大勢の本好きな人を惹き寄せた。地方出版社や小規模出版社の人々も、よく訪ねてきた。そうした人々を畠中理恵子店長とスタッフは温かく迎えた。岡崎武志いわく「書肆アクセスは旅人が憩う一本の木だった」。
 だが経営は赤字となり、閉店が決まった。それを聞いた有志が「書肆アクセスの本」をつくる会を結成し、書肆アクセスとの別れを悲しむ80人の寄稿と30人のメッセージをまとめた。それがこの本だ。それぞれの書肆アクセスとの思い出を語る。みな書肆アクセス閉店に心に穴が空いたような寂しさを味わっている。「私の“本好き”の一割くらいは『書肆アクセス』でできていることを、誇りに思っています。」と店長とスタッフに感謝する、おなじみさん。
 書肆アクセスが無くなる代わりに、その機能は三省堂書店神保町本店4階の地方出版・小出版物コーナーに移される。でも、すずらん通りの書肆アクセスという小宇宙はもうない。確かにそこは本の旅人が憩う大きな木だった。その木は切り倒されてしまった。
 1997年から1990年と2005年の「神田神保町路地裏マップ」が付録についている。
(掲載:『望星』2008年3月号、東海教育研究所に加筆)


2008/01/22

『パレスチナ問題』エドワード・W・サイード著、杉田英明訳

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パレスチナ問題
エドワード・W・サイード著
杉田英明訳
みすず書房、4,725円

 著者エドワード・W・サイード、パレスチナ人。文学研究者、文学批評家。2003年9月、ニューヨークで亡くなった。白血病を患い、長い闘病生活の末のことだった。
 サイードはエルサレムに1935年生まれ、少年時代、イスラエルの拡大から逃れて家族でカイロに難民となって移住した。16歳で単身アメリカに渡って高校、大学と進み、以来アメリカを拠点として、大学で教鞭をとる。そしてパレスチナ人の「声」をその著作で発表してきた。代表作『オリエンタリズム』『戦争とプロパガンダ』シリーズなど。イスラエルのパレスチナ人への暴力と排斥に鋭い言葉で抵抗、非難し、それを支持するアメリカ政府を批判し続けた。
 この本はサイードのもう一つの代表作である。原書は1979年に発行されたが、2004年ようやく邦訳が出た。
 著者はこの本で、イスラエル建国の原動力となったシオニズム(ユダヤ人がシオンの地すなわちパレスチナに民族の郷土を建設しようとする運動)の歴史を、その犠牲となり、劣った者とされてきたパレスチナ人の側から語り直す。彼はシオニズムは、オリエンタリズム—西洋は異質な東洋より優れており支配すべきとした思想—と結びついたとしている。イスラエル建国のために、パレスチナに住んでいたパレスチナ人は「いないもの」とされ、せいぜいテロリストとして扱われてきた。サイードは言う。
 「私たちはパレスチナと呼ばれる土地にいた。たとえナチズムを生き抜いたヨーロッパのユダヤ人残存者を救うためであっても、ほとんど何百万もの同胞にパレスチナからの離散を余儀なくさせ、私たちの社会を雲散霧消させてしまったあの土地奪取と私たちの存在抹消とは、いったい正当化される行為だったであろうか。いかなる道徳的・政治的基準によって、私たちは自らの民族的存在や土地や人権に対する主張を捨て去るよう期待されているのだろうか。一民族全体が法律上存在しないと告げられ、それに対して軍隊が差し向けられ、その名前すら抹消するために運動が繰り広げられ、その『非存在』を証明すべく歴史が歪曲される。そんなとき、何の議論も沸き起こらない世界とは何なのだろうか。」
 一方彼は、ユダヤ人を非難、告発するだけではなく、パレスチナ人とユダヤ人の和解と共存の道を模索する。このパレスチナ問題を亡くなるまで著作や政治活動でもって情熱的に戦った。
 サイードがこの本を書いたときよりも、現在は両民族のなかで、和解するために互いに歩み寄ろう、という人々が増えている。だが、テロと爆撃の応酬もまた続いている。彼が死ぬまで願った共存と平和へは遠い。
(掲載:『望星』2004年6月号、東海教育研究所より改変)

2008/01/15

『デジグラフィ デジタルは写真を殺すのか?』飯沢耕太郎著

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デジグラフィ―デジタルは写真を殺すのか?
飯沢耕太郎著
中央公論新社
1,575円

 最近は、カメラと言えば当然のようにデジタルカメラのことだ。だが、光によって画像をフイルムに焼き付けるアナログカメラの写真と、電気信号によってデジタルデータとして保存されるデジタルカメラの写真とは、できあがりこそ似ていても、中身はまったく違う。
 著者の写真評論家、飯沢耕太郎はアナログカメラの写真=フォトグラフィに対し、デジタルカメラの写真を「デジグラフィ」と呼び、この本でデジグラフィの現在を通して、フォトグラフィ、デジグラフィの未来を考える。
 報道写真では、デジタルカメラを使うことによって、画像を新聞社や通信社にすぐに多量に送信し、より早く公開できるようになった。しかし、デジタル写真はアナログ写真よりも簡単に加工できる。2003年、『ロサンゼルス・タイムズ』紙に載ったイラク戦争の写真で、イギリス軍の兵士が住民に避難を呼びかけている場面を撮した写真があった。だが、実は2枚の写真を合成したものだった。
 しかし簡単に加工できるということは、デジグラフィの利点だ。デジタルカメラで撮影され加工された写真が、アートとして発表されている。魔術的リアリズムを醸し出す作品たち。また最大の利点は、簡単にウェブにのせられることだ。日常をアートとしてホームページにのせた写真の数々。デジタルアーティストの活躍は、ますます広がっている。
 だがデジタル写真は、アナログカメラで撮ったモノクロ写真の、白から黒へのけむるように美しいグラデーションには、とうていかなわない。
 高級デジタル一眼レフカメラがバカ売れしている、携帯電話のカメラを友達とやりとりし日々のブログに貼り付ける、デジタル画像を普通の人が操れるようになった、現在。フォトグラフィとデジグラフィは絵画と写真のように別な道をたどるのか。フォトグラフィは、絵画のように生き残ることができるか。
 生き残って欲しい。
(掲載:『望星』2004年7月号、東海教育研究所より加筆)

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